第10話 王子と商人
夕食後、ベッドの上でないと眠れないと散々文句を言ってスレインとアルフレッドを困らせたルカだったが、気づけば大いびきをかいていた。そして陽が昇っても一向に起きる様子がなかった。スレインは王子を叩き起こそうとしたが、アルフレッドは「それだけはやめてほしい」と懇願した。無理やり起こしてしまったら、その日一日ずっと不機嫌になってしまうのだという。
スレインは頭の後ろをボリボリと掻きむしった。
「しかし、急ぐんじゃないのか?」
「いけません。ただでさえストレスが溜まる旅なのです。これ以上御坊ちゃまに負担をかけたら、身も心も参ってしまいます」
「参ってるのはこっちなんだがな……」
たった一日一緒にいただけで、スレインは何日も徹夜したかのような疲れを感じていた。しかし、ルカに仕え続け相当な心労が溜まっているだろうアルフレッドに文句を言ってもしようがない。諦めて先に出発の準備を始めた。
そして数時間後、ようやくルカは目を覚ました。
「実に清々しい朝だ。外で寝るというのも案外気持ちがいいものなのだな」
爽やかな笑顔を浮かべるルカに向かって、スレインは頭上に燦々と輝く太陽を指差した。
「もう、昼近いんだがな。早く出発しないと、今夜も野宿する羽目になるぞ」
「忙しない奴だな。朝から時間に追われて走り回るのは平民のすることだぞ。君も貴族の端くれならわかるだろ。まずは紅茶で体を温めて、それから朝食にしよう」
スレインは判決を下す裁判官のような毅然とした口調でルカに告げた。「食事はない」
「……なんだって? よく聞こえなかったんだが」
「だから、食事はない」スレインはもう一度告げた。
ルカは無罪を信じ切っていた被告人のように顔を引きつらせた。「な、何を馬鹿なことを。さては用意するのが面倒だって言いたいんだな。この怠け者め!」
彼は昨日のやりとりをすっかり忘れてしまっているようだ。
「もう食材がないんだ。誰かが無計画に食材を使い切ったせいで」
「ああそうだった! それもこれも全部、荷物を馬車一台にまとめろと無責任なことをいう奴のせいだ。おい漆黒、どうするつもりだ? 紅茶がないと僕は生きていけないんだぞ!」
寝起き早々、よくもこれだけわめき散らせるものだ。どうせ不機嫌になるのならもっと早く叩き起こしておけばよかったと、スレインは後悔した。
「次の村で調達するしかないだろ。まあ、最初からそのつもりだったし」
ルカは命令した。「よし急げ。紅茶を求めて、すぐに出発しろ!」
昨日は揺れると尻が痛くなるからゆっくり走らせろ、とルカは言っていたのに、今はもっと早く走れと絶え間なくスレインを急き立ててきた。本当に現金な奴だとスレインは呆れたものの、速度アップの許可が出たおかげで、予定よりも早く昨日立ち寄るはずだった村に到着できた。その村はほとんどが農場で、栄えているとは言い難いが、中央には旅人を迎え入れることのできる最低限の設備は揃っていた。
村に着くなり、ルカは荷台から飛び出した。
「やっと着いたな。薄汚い村だがしようがない。おい漆黒、僕たちは先に行って紅茶と食事を探してくるからな。爺や、付いてこい」
「承知いたしました」アルフレッドも荷台から降りて、肩で風を切らせて歩くルカのあとを付いていった。
「あの二人、大丈夫か?」
常識知らずの王子様がまた面倒ごとを起こさなければ良いのだが。馬屋に馬車を預け、急いで二人のあとを追ってみると、この村に唯一存在する商店の前に人だかりができていた。
「僕のいうことがきけないというのか、なんたる無礼者!」
人だかりの奥から聞こえたのはルカの怒鳴り声だった。スレインの予感は的中してしまったようだ。急いで人だかりをかき分け、中央へ進んだ。そこではルカとアルフレッドが、商店の主人と睨み合っていた。
顔を赤くした店の主人がルカに向かって言い返した。「あったりめえだろ。なんの権利があって、あんたらにそんなことが言えるんだ?」
「なんと愚かで嘆かわしい奴だ。この僕を知らないというのか。次期国王、つまり将来のお前たちの主人となる人間、ルカ・サンサースだぞ」
「はあ?」主人は怪しむような表情でルカを見た。「次期国王だかなんだか知らねえけど、誰だろうとこの店のものが欲しかったら金払えって言ってんだ、俺は」
「王家に金銭を要求するのか、この下賤め! 身分を弁えよ。我々の命令には喜んで尽くすのが臣民の務めだろ」
「てめえ、言わせておけば」
腕まくりをした主人が今にも殴りかかりそうな勢いでルカに近づいていく。さすがに見ていられなくなったスレインはとっさに二人の間に割って入った。
「両方とも落ち着いてくれ」
「落ち着けるかってんだ、こんな若造に馬鹿にされて!」主人が犬歯をあらわにしてルカを睨み上げた。
「実に不愉快だ! 今すぐ警備兵を差し向けてこの男を縛り首にしてやる」ルカは蔑むように主人を見下ろした。
「だから落ち着け、と言っているだろ」
スレインは低い声で言うと、黒コートの奥から剣の半身を晒した。周囲の野次馬を含めて、その場の全員が一斉にスレインから一歩退いた。
スレインは剣を鞘に納めて、言った。「なんとなく想像はつくが……、一応何があったか訊いておこうか。アルフレッドさん」
スレインに名指しされたアルフレッドは、「ひっ」と小さく悲鳴を上げ、小刻みに体を震わせながら答えた。
「はっ、はい。紅茶や食料を販売しているこの店を見つけまして、ご主人に対して、それらをご提供頂くように依頼したのです」
すると主人がイラついた声で言った。「こいつら一銭も払わず、ただで出せって言うんだぜ。信じられるか」
ルカが言い返した。「分からんな、どうしてそんなに腹を立てる? 王族直々の要請だぞ。むしろ名誉に思うべきだ」
「何が名誉だ。そんなのただの掠奪だろ」
「まあ落ちつてくれ、主人」
再び拳を振り上げようとした店主をなだめ、スレインはルカへ視線を向けた。
「ルカ、お前が悪い。ここは王都じゃないんだ。金を一銭も払わないなんてさすがに無茶な要求だろ」
ルカは「ふんっ」と鼻を鳴らした。「確かに王都ではない。しかし、ここも王国の領土だ。だったら僕に従うべきだ」
「何が王国の領土だ。王都だけ発展しやがって、国は外にいる俺たちには何もしてくれねえじゃねえか!」
と主人が怒鳴ると、野次馬の中からも「そうだ、そうだ」と声が上がった。
このままでは話がこじれるばかりで収拾がつかなくなってしまう。喧嘩に巻き込まれるのは御免だし、その後村人たちが警備兵に連行されていく姿も見たくない。しかたなく、スレインは店の主人に提案した。
「もうわかった。あいつが寄越せと言った商品、全部、主人の言い値で俺が買い取る」
それまでずっと吊り上がっていた主人の目尻が、だらりと垂れ下がった。
「へへっ、そうかそうか、だったら問題ないんだ。じゃあ兄ちゃん、こっちに来てくれ」
結局スレインは、主人から明らかに法外な値段をふっかけられてしまい、借金返済に当てようとしていた報酬の前金をほとんど失ってしまった。
「ちくしょう、文句を言いたいのはこっちだ!」
スレインは沈みゆく夕陽に向かって叫んだ。
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