第9話 雨と野宿

 偶然見つけた洞穴に馬車ごと逃げ込み、スレインたちは息を潜めた。しばらくの間グリフィンは上空を旋回していたが、やがて諦めたようで遠くへ飛び去っていった。


「やれやれ、やっと行ったか」


 スレインが洞穴から馬車を引っ張り出していると、不機嫌そうな表情を浮かべたルカが言った。


「どうして逃げる必要があった?」


「誰のせいでこうなったと思ってるんだ」スレインは苛立ちを紛らわそうと、頭の裏をガリガリと掻きむしった。「どう考えても、逃げる以外に他に選択肢はないだろ」


「僕たちは今からドラゴンを倒しに行くんだぞ。あんな小物に手こずるわけにはいかないだろ」


「小物って言うが、グリフィンだって一人で相手をするには危険だ」


「ここに三人もいるじゃないか」


 ルカは、スレインとアルフレッドと自分自身を順に指差した。


 スレインは脱力感に襲われた。この危機感ゼロの能天気王子様はどこまで本気で言っているのだろうか。腰の曲がった世話係と、士官学校でろくに授業も受けず威張り散らしていただけの王子なんて、戦力として数えられるわけがない。


「わかった、わかった。でも本職の戦士が集まるまで無茶はしないからな」


 と投げやりに伝え、スレインは御者席に座った。そして手綱を握ろうとしたとき、ポツリと滴がスレインの頬に当たった。空を見上げると同時に、今度は大量の雨粒が降り注いできた。グリフィンが去ったのは雨が原因のようだ。ついさっきまで晴天だったのだが、幸先が悪い。


 スレインは雨用の帽子を深く被り、馬を出発させた。すぐさま、荷台からルカの声がした。


「こんな雨の中行く気なのか?」


「何か、問題なのか?」


「問題大有りだ。この荷台の覆い、水が漏れてきているぞ」


「少しくらい我慢しろ」


 こっちは覆いもなくて水浸しなんだぞ、と呟き、今度こそ出発しようとしたが、再びルカの文句が飛んできた。


「だから待てと言っているだろ。こんな中進むなんてとても我慢ならない。洞窟へ戻って雨宿りしろ」


「急がないと今日中に目的の村まで着かないぞ」


「ボルト殿」アルフレッドの悲痛な声がした。「どうか御坊ちゃまの願いを聞き届けていただけませんか。このまま雨に濡れ続けたら、風邪をひいてしまうかもしれません」


「そうだぞ。もし僕が風邪をこじらせて倒れるようなことがあったら、漆黒、お前の両手がなくなると思え」


 スレインは二人をこの場に置き去りにして、一人だけ出発したいという衝動に駆られたが、それでは残りの報酬が手に入らない。スレインは理性を以って怒りを鎮めた。


「……わかったよ」


 スレインは馬車を再び洞穴に退避させた。



 雨が上がった頃には、あたりはすっかり暗くなってしまっていた。


「今夜はここで野宿か……」


「野宿、だと?」ルカは悪魔から不幸な予言を告げられたかのような表情を浮かべた。「こんな、ベッドもないところで寝ろと言うのかい!」


「しかたないだろう。グリフィンに襲われたり雨に降られたりで、予定が大きく狂ってしまったんだから」


「旅に予定外の事件はつきものだろ。それを見越して計画を立てるべきじゃないのか?」


 みんなお前のせいだろ! と口から出かかった言葉をスレインはグッと飲み込んだ。これ以上ルカと言い合っても体力を削られるだけだ。これなら山賊連中を相手にしていたほうがずっとマシだ。


 すると、アルフレッドが訊ねた。「あのう、このまま近くの村に向かって進むというのは如何でしょうか。そこなら屋根もベッドもあるでしょうし」


 スレインは首を振った。「道が見えなくなってからの移動は危険だ。それに近くの村までまだ少し距離もある」


「そうですか」アルフレッドは残念そうに肩を落とすと、ルカに進言した。「御坊ちゃま、しかたありません。今日はここでお休みください。決して決して不自由はさせません。久しぶりに爺めが腕によりをかけて手料理を作って進ぜましょう」


 暗く濁っていたルカの瞳が輝き出した。「おおっ、爺やの手料理が食えるのか。だったら野宿しよう」


 アルフレッドのおかげで、ルカは野宿を承諾した。彼を連れてきて本当に良かったとスレインは思った。


 スレインは薪を探しに行き、アルフレッドは料理を始めた。そしてルカは馬車の中から二人の働きぶりをぼうっと見ていた。手伝う気はまったくないらしい。


 夕食が完成した。昔は凄腕の料理人だったのだろうか、アルフレッドの手により味気ない保存食は一流レストランのフルコースへと様変わりした。たびたび野宿を経験しているスレインにとっても、これほどの野宿料理は見たことがなく、世話係の腕に対して畏敬の念を抱いた。ある一点を除いて……。


「さすがに、量が多すぎないか?」


 スレインたちの前に広げられた料理の数々、とても食べ切れるとは思えなかった。


「料理の質、そして何より量が、王家の権威を表すのです」と、料理の出来栄えに満足そうな笑みを浮かべるアルフレッド。


「いや、晩餐会ならそうだろうが、今はただの野宿だぞ」


「どんな状況であっても、妥協は許されません」


「そうだぞ、漆黒。アルフレッドの手料理なんて滅多に食えないんだからな。王子の面前だからと言って萎縮することはない。思う存分食うといい」


 と言ってルカは、料理に手を伸ばした。


「そういう意味じゃ、ないんだが……」


 スレインは心配になって、荷台に積んである食糧を確認した。案の定、三日分はあるはずの食材が空になっていた。


「やっぱり……、全部使ってしまったのか?」


「何か、問題があるのか?」と、唇にソースをべったりとつけたルカが言った。


「問題大有りだ、明日の食事はどうするつもりなんだ?」


「だから最初に言っただろ、あの馬車たちは全部必要なものだって。それを置いてけと言った、君が全て悪いんだ」


 揃いも揃って無計画野郎どもめ!


 スレインは食料が入っていた箱を床に叩きつけると、ルカとアルフレッドのところに戻って、手当たり次第に料理を口に運び始めた。

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