第8話 グリフィン
結局、悪目立ちするだけの無駄な装飾を全部取り外した荷馬車を一台だけ残して、メイドとボーイにも全員帰ってもらった。しかしルカは、彼が爺やと呼ぶ老人だけは一緒に連れて行きたいと言って譲らなかった。老人の名前はアルフレッドと言って、ルカが生まれた時からの世話係だという。子守同伴でドラゴン退治なんて聞いたこともない。スレインは呆れたが、ルカと二人きりで何日も旅に出るよりは数千倍マシだと思い直して、同伴を許可した。
スレインが御者席で手綱を握り、ルカとアルフレッドが荷台に座って、いよいよ王都を出発した。
すると五分もたたないうちに、荷物に囲まれたルカが文句を言い始めた。
「どうしてこの僕が、こんな狭いところで身を縮めて座らなきゃならないんだ。……痛っ! おい、漆黒、馬車が揺れたぞ。もっと静かに運転し給え」
「一刻も早くドラゴンを退治したいんだろ。だったら我慢してくれ」スレインは無愛想に言い返してやった。
「我慢しろだと。臣下の分際で僕に説教とはいい度胸だな」
「俺は確かにお前に雇われたが、臣下になったつもりはないぞ」
「何寝ぼけたことを言っている、この国の住人は全員僕の臣下に決まっているだろう。……って、おいまた馬車が揺れた。ちゃんと僕の命令を聞かないか」
スレインは今すぐ馬車から降りたくなった。すると、アルフレッドがルカに優しく声をかけてきた。
「おいたわしや、御坊ちゃま。大丈夫でございますか?」
「大丈夫なわけないだろ、尻は痛いし冷たいし」
「国王になるためここはどうか堪えてください。……そうだ、どうかこれをお使いください」
アルフレッドはコートを脱ぎ、四つ折りに畳んでルカに差し出した。王子は黙って受け取ると、ジャケットを尻に敷いた。
アルフレッドは今にも泣きそうな顔でスレインに懇願してきた。「御坊ちゃまはこのような狭苦しい馬車に乗ったことがないのです。ボルト殿、どうか御坊ちゃまの負担にならないよう、お願いいたします」
「まったく……」
スレインはため息をつき、馬車の速度を落とした。それだけ甘やかして育てたから、こんな性悪王子になってしまうんだ。
その後もルカは、狭いだの、腕が痛いだのと文句を垂れ流し続けていたが、太陽が天頂近くまで昇った頃、突然「あーっ!」と大声で叫ぶと、窓から御者席の方へ身を乗り出してきた。そしてスレインに向かって「あれはなんだ?」と前方を指差した。そこには樹齢が数百年は超えていると思われる一本杉が立っていた。
「杉だろ、珍しくもない」
「漆黒、君の目は腐っているのか? こんな太い杉、この世にあるわけないだろ。あの怪樹は吟遊詩人たちが語り継いできた伝説の世界樹に違いない」
いちいち人の神経を逆撫するようなことを言わないと気が済まないのか、と苛立ちを覚えつつ、スレインは答えた。
「杉だ。王都にはあんな大きな木は無いだろうが。山に登ればあれくらいのものはそこら中に生えているぞ」
「なんだって! 本当か。僕を騙してるんじゃないだろうな」
「なんでそんなことをする必要がある。嘘だと思うならあっちを見ろ」スレインは遠く前方を指差した。丘の向こうに広大な原生林が広がっている。「見えるだろ、背の高い木々が」
しばらくの間、目を細め前方を睨むように見つめていたルカだったが、突然皿のように目を丸くした。「おおっ、本当だ。なんと大きな木々! 僕はあんなの初めて見たぞ。爺や、お前はどうだ?」
アルフレッドも身を乗り出してきた。「はい、あのように大きな木を見たことございません」
「ううむ、王都の外がこんなに不思議な世界だったとは思いもよらなかった。……おっ! あれはなんだ」
今度は、進行方向左手に広がる荒地を指差した。二十メートルほど先に動くものが見えた。
「あれはなんだ、動物のように見えるが」
スレインは答えた。「野生の馬だ」
「馬! 嘘だろ、僕が知っている馬よりずっと足が短いし背も低い」
「普段俺たちが使ってる馬は、人間にとって都合が良いように育てたものだからな。本来の姿はあっちだ」
「へえ、知らなかったな……」
ルカはまるで子どものように、興味津々な様子で野生の馬を目で追っていた。
スレインはアルフレッドに訊ねた。「王子様は城門の外に出たことがないのか?」
世話係は頷いた。「城門を出るときはいつも大勢のお付きの者と一緒でしたし、しかもこのように遠くまで来たことはございません」
「遠くって……」
王都を出発してまだ半日も経っていない。その初めての遠出がドラゴン退治とは……。改めて無謀な話だとスレインは思い知った。
「あれはなんだ!」再びルカが大声を上げた。
「今度はどうした、……おっ」
今度はスレインにとっても珍しいものが目に映った。野生の馬を目がけて、空から鷲の翼を持った大きな生物が舞い降りてきたのだ。
「あっ、あれはなんだ。恐ろしくでかい鳥だ」ルカが興奮した声で訊いてきた。
「グリフィンだ。上半身は鷲、下半身はライオンで馬が主食らしい」
と、スレインが話している間に、グリフィンは鋭い爪を持った前足で、素早く一匹の馬を地面に押さえ込むと、ムシャムシャと食べ始めた。
「なんと、野蛮でおぞましい」アルフレッドが顔を逸らした。
「自然界じゃこれが普通だ、爺さん」と、スレイン。
「おっ、おい……」さっきまで屈託のない笑みを浮かべていたルカの顔色が一転、強盗に迫られたかのように怯えた表情に変わると、荷台をひく馬を見た。「あいつは、僕たちを襲ってきたりはしないのか?」
「大丈夫だ」スレインは落ち着いた声で答えた。「魔獣だとか怪物だとか呼ばれてるけど、基本的には慎重な性格だからな。怒らせない限り、人間に近づいてくることはない」
「そっ、そうか……」
ルカは安堵の表情を浮かべたが、すぐに何かを思いついたらしく、アルフレッドに向かって叫んだ。
「おい、爺や。弓矢をもってこい!」
「承知しました」と答えて、アルフレッドは荷台の奥へ向かった。
「突然どうしたんだ?」
スレインが訊ねると、ルカは不敵な笑みを浮かべた。
「ドラゴンってのは、あいつよりずっと大きくて獰猛なんだろ」
「まあ、そうだな」
「だったら、あんな小物如きに気後れするわけにはいかない」
と言って、ルカはアルフレッドから差し出された弓矢を手にすると、馬車から降りた。
「何を言っているんだ……、て、お前、まさか」
ルカは食事中のグリフィンに向けて弓をつがえた。
「やめろ。危険だ」
スレインの忠告に耳を貸さず、ルカは狙いを定めつるを強く引き絞った。
「グリフィン一匹仕留められず、ドラゴンなど退治できるわけないだろ。まあ見てろ。剣術はダメだが弓には自信があるんだ。鷹狩で鍛えた僕の腕前見せてやるよ!」
「そんな矢の一本や二本で、あいつを狩れるわけないだろ」
「やってみなきゃわからないだろ。王子の辞書に不可能という文字はないのだ」
ルカは弓を放った。ピュンという風切り音とともに綺麗な放物線を描き、グリフィンの羽に刺さった。
「お見事でございます。御坊ちゃま」アルフレッドが拍手を送った。
「どうだ、漆黒。僕の腕前は!」
ルカは勝ち誇ったように片腕を力強く掲げた次の瞬間、不気味な鳴き声が響き渡った。振り向くと、グリフィンが巨大な嘴を開け、真っ赤に染まった瞳をルカの方へ向けていた。
ルカの顔色が一瞬にして白くなった。「そ、そんな……」
グリフィンが翼を広げた。
「まずい!」
スレインは茫然自失するルカの腕を掴んで荷台に上げると、すぐさま馬を走らせた。
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