第7話 旅の出発
酒場を出て宿屋へ戻る途中、スレインの心に、ルカの仕事を受けてしまったことへの不安が早くも湧き上がってきた。借金を返済し、自身の名誉と生活を護るためには仕方のない選択肢だったとはいえ、依頼主がよりにもよって、傍若無人のわがまま王子で有名なルカだ。問題を起こすことなく仕事を遂行できるだろうか?
士官学校で、王子は城から派遣された世話係と太鼓持ちの学生や教官連中に囲まれ、学校がまるで自分の王国であるかのように好き勝手振る舞い、上級生、下級生問わず顎でこき使っていた。それに実技も座学も本当は落第レベルなはずなのに、超常的な力が働いて、留年しないどころか記録上は主席で卒業している。それ以外にも、表沙汰にはならない悪事の噂は数限りない。今日の会見から受けた感じでは、卒業後もその性格は大きく変わっていないようだ。
しかし、そんなルカのわがままが押し通るのは、高い城壁に囲まれた王都の中だけの話。城門を一歩出れば、王族の威光も半減し、彼の思い通りにはいかないだろう。それに腹を立てて暴挙に及ばなければ良いが……。
翌朝、スレインは待ち合わせ場所に指定された城門前にやってきたが、集合時間を過ぎても王子は姿を現さなかった。やっぱりドラゴン退治が恐ろしくなったのだろうか。それならそれで良い。夜中にルカから届いた手付金を持って借金を返しにいくだけだ。
待つのもそろそろ限界と感じた頃、城門が開き、馬車の行列が現れた。一般の行商人が使うような簡素な馬車ではなく、黒塗りに所々に金細工が施された豪華な馬車だった。どこぞの大貴族がピクニックにでも出かけるのだろうか? と考えていると、行列は一直線にスレインが居る方へ向かってきた。
傭兵の前で列は止まった。一際豪勢な金細工で装飾された馬車の窓から、茶色い旅行用マントを羽織ったルカが顔を覗かせた。
「待たせたな、漆黒! 早速ドラゴン退治に行こうじゃないか」
スレインは目を瞬いた。「……なっ、なんだ、これは?」
ルカは自慢げに顎を反らした。「まあ驚くのも当然だ。父上がドラゴン退治に向かう僕のために特別に用意してくれたんだ。すごいだろ。僕もこんな馬車で旅ができて鼻が高い」
「こんなにたくさんの馬車で、何を運ぶつもりなんだ?」
「よくぞ訊いてくれた。爺や、見せてやれ」
ルカの隣に座っていた、黒いコートを着た老人が「承知いたしました」と応えると、馬車から出てパンパンと手を叩いた。すると前後の馬車から大勢のメイドやボーイが現れ、一斉に馬車の荷台の覆いを外した。そこには、大量の食糧、ワイン、衣服や書籍といった物資に、ベッドや化粧台、更には風呂といった生活設備まで積み込まれていた。
ルカは満面の笑みを浮かべた。「これだけあれば、道中も城に住んでいるかのように快適に過ごせるだろ。何せ、王都の外の街には風呂が一つもない町もあるらしいからね。そんな地獄のようなところで暮らすなんて、とても想像できない。じゃあ、ドラゴン退治に行こうか。君も好きな馬車に乗ると良い」
「待て、冗談だろ。俺たちはドラゴン退治に行くんだ、遊びに行くんじゃないぞ」
ルカは首を傾げた。「そんなこと百も承知だ。君だって入念な準備が必要だと言ってただろ。だから父上にこれだけの馬車を用意してもらったんだ」
「準備って、そういう意味じゃない! こんな金ピカの馬車を大勢引き連れてたら、山賊に襲ってくださいって言ってるようなもんだろ。しかも付き添いは女と子どもと老人ばかり。こいつらを誰が守るんだ?」
ルカは眉をひそめた。「漆黒、もちろん君だ。そのために連れていくんだから」
「いくら俺でも、こんな大勢を一人で護れるわけないだろ。そもそも、こんなに人連れてくるなら兵隊も連れてこいよ!」
「君の頭は鶏よりも物覚えが悪いのか? 昨日も話しただろ。僕一人でドラゴンを退治すると言ってしまったんだ」
予想を超えたふざけた展開に、スレインはルカの仕事を引き受けてしまったことを早くも後悔した。しかし、一度乗ってしまった船だ。そう簡単に降りるわけにはいかない。
スレインはルカに向かって毅然とした口調で言った。「王子様。護衛もない中でこれだけの人と物資を連れて行くわけにはいかない。せめて馬車一台に乗りきる量に絞ってくれ。もちろんメイドとボーイを連れていくのも無しだ。人も物資も必要最低限、これが旅の基本だからな」
「何を馬鹿なことを、これが僕にとっての必要最低限だ」
「なら一時間後にお前たち全員山賊に身包み剥がされて、木の上で首を吊るはめになるぞ」
ルカの顔がさっと青ざめた。「……そ、それは困る」
「だったら、今すぐ城から一個大隊の兵士を連れてくるか、荷物を減らすかのどちらかだな」
ルカは不安な表情を浮かべて老人を見た。「じ、爺や、どうしたら良い?」
老人は恭しく答えた。「心苦しいところでございますが、御坊ちゃまが国王になられるため、多少の我慢も必要でございましょう」
「……」ルカの唇がひん曲がった。
「ご安心ください。爺やがついております。決して不便はさせません」
「……わかった。荷物を減らしてくれ」
「承知いたしました」
老人がメイドとボーイたちに指示を出すと、馬車が城門へ戻り始めた。
この世の終わりがやってきたかのように悲壮な表情で列を見つめるルカの横顔に、スレインの不安はますます高まっていった。
ドラゴン自体も厄介だが、それ以上に王子が厄介な存在にならなければ良いが……。
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