第58話ー① 西部軍管区防衛作戦『ジプソフィラ』
五九一年九月八日一一時〇二分
ヴィオーラ公国
首都星ウィットロキア
ホテル・セルヴィオ
白鳥の間
「新婦、マチルダ・フォン・ギムレット領主代理閣下並びに新郎エミール帝国伯爵が入場されます。皆さま拍手でお迎えください」
この日、首都星最大、最古のホテルであるでホテル・セルヴィオでは領主代理であるマチルダと、その夫となるエミール帝国伯爵の結婚披露宴が行われていた。
「しかし陛下もこう言う場では映えるが、マチルダ様もなかなかどうして、立派なものだ」
来賓席で新郎新婦の入場を迎えることになった柳井は、ウェディングドレス姿のマチルダの晴れやかな笑みを見ながら呟いた。
「皇帝陛下の妹君であるならば当然でしょう」
柳井と共に帝国中央政府を代表して出席している宮内大臣のヴァルナフスカヤは、珍しく笑みを浮かべていた。
「来賓者も豪華な顔ぶれですね」
拍手と共に新郎新婦がメインテーブルへ進んでいくのを見つつ、薄暗い会場に集まった参列者を眺めた柳井が気付いた。
「領邦領主……マチルダ様は代理ですが、領主のご婚儀が執り行われるのは前コノフェール侯爵の一三年前が最後でしたから、久々のことです。それに多くの皇統がこの場を交流の場としていますから」
「超空間通信、超空間潜行ができる世の中だというのに、顔を合わせないと人間関係の鎖は維持できませんからね」
「閣下はその代表例ですからね。きちんと脚がついていると証明しておかないと」
ヴァルナフスカヤは謹厳実直、質実剛健、氷山から削り出した彫像などと称される美貌と鉄面皮がトレードマークだが、さすがに式典の場では僅かに笑みを浮かべていたし、ジョークも飛ばす。ただ、柳井がヴァルナフスカヤのジョークらしいジョークを次に聞くのは、驚くほど長い年月を経てからのことになる。
『――それでは、主賓の皆様を代表して、帝国宰相、柳井義久皇統伯爵閣下より、お言葉を賜りたいと思います』
柳井は自分の仕事を思い出し、スピーチ原稿も持たずにマイクの前に立った。
「本日は、我らが帝国にとって特別な日であり、喜びに満ちた日であります。皇帝陛下の妹君であらせられるマチルダ様と、モンテスパン統合科学大賞を受賞されたエミール帝国伯爵が、めでたくも婚姻の儀を済ませ、晴れて夫婦となられたことを、お祝い申し上げます。またご婚礼の儀のため、多くの皆様の参列を賜りましたことを、お礼申し上げます」
柳井にしては毒も癖もないベーシックな言葉だが、当然である。柳井自身のパーティであればともかく、今日の主役は新郎新婦である。
「すでにご紹介されたことではありますが、マチルダ様は皇帝陛下の代理人として領主代理をお勤めになり、堅実かつ、多くの領民に慕われる温もりのある統治により、公国をまとめあげ、発展させております。またエミール帝国伯爵も、その頭脳は必ずや帝国の発展、臣民の幸福に寄与することは疑いなく、今後の帝国を背負って立つ人材としても、また人間的にも非常に尊敬の置けるお二人でございます」
また、柳井にしてはスピーチが冗長ではあるが、これは格式も考えてのことだった。これも柳井自身のパーティであれば、五行で終わらせることを柳井は考えるところだった。
「ここで、陛下より、マチルダ様とエミール帝国伯爵へのお言葉を賜っております。畏れ多くも、陛下の代理人として私が代読させていただきます」
これにはさすがに式場に緊張が走り、メインテーブルの新郎新婦も緊張した面持ちで柳井の方を見つめている。
「まず、マチルダ様へ向けてのものですが……マチルダ、結婚おめでとう。姉として、私があなたにしてあげられることは僅かだったけれど、あなたはあなたらしさを持って、地に足ついた人生を送ることができています。頼りがいのあるパートナーが、あなたのすぐ側にできたことを、姉として、また帝国皇帝として喜ばしく思う。どうか、幸せになってね。不肖の姉より」
短いが姉として妹を気遣い、また妹の力を認めていることがよくわかる文章だった。
「エミール様にもお言葉がございます……エミール帝国伯爵に告げる。我が妹を泣かせるようなことあらば、余自ら近衛師団をもってそなたの身柄を拘束す」
突然の言葉にエミール帝国伯爵は飛び上がりそうなほど驚いた顔をしていたし、会場内にも小さくどよめきが満ちた。
「――などということはありませんが、泣かせたらグーで行きます。私は帝国皇帝としてだけではなく、マチルダの姉として、エミール帝国伯爵と、マチルダの家庭がいつまでも、仲睦まじく、幸せに続くことを祈っています。妹を大事にしてあげてね……以上です」
ホッとした様子のエミール帝国伯爵に、マチルダは微笑みを向けていた。
「それでは、お二人の新たな門出を祝し、乾杯を捧げたいと思います。皆様グラスをお取りください」
大体会場内にシャンパングラスが行き渡ったことを確認して、柳井はグラスを高く掲げた。
「若き二人の幸せを祈って、乾杯!」
なにせ領主代理とはいえ皇帝の妹の結婚披露宴ともなれば、参列者の格も一般人とは比較にならない。マチルダの同僚や部下というのはそのまま領邦政府閣僚や政庁官僚団であり、領邦軍の高級将校である。また、エミール帝国伯爵のほうもアーボラム・シヴィタス中央大学の教授陣は帝国内でも各分野の権威であるし、門下の学生もエリート揃いだ。
さらに他の領邦からも代表者が来ている。ただ、パイ=スリーヴァ=バムブーク侯爵オスカー、つまりはマチルダの祖父の参列は叶わなかった。夏風邪をこじらせて病床に伏せっているためだ。候国からはマチルダの兄、侯爵ギムレット家の長男ヘルマン・フォン・ギムレット皇統男爵が出席している。
また、当然ながらマチルダの両親であるアルツールとコーデリア、エミール帝国伯爵の両親も親族席にいる。
また二人の学友などもいるから会場はさながら帝国皇統界や経済界、学術界の縮図である。
「この度は、ご息女のご結婚、お喜びを申し上げます」
「宰相閣下、これはどうもご丁寧に……!」
恐縮した様子のアルツールは、冷や汗か脂汗をかきながら、柳井に頭を下げた。
いや、どう考えてもまともな人間には背負いきれない重圧だろうというのが、柳井の見立てだった。
「アルツール様、大丈夫ですか? 顔色が……」
「ああ、いえ、その、お気になさらず」
「まあお父さん、どうしたんですか? 飲み過ぎた?」
「い、いや大丈夫……」
「この人ったら人前に出るといつもこうですの。爵位継承権を放り投げて辺境で土いじりしてるほうが楽しいって。ホントに技術バカなんです。うふふふ」
対して皇帝の母となってしまったコーデリアに、夫ほどの苦悩は見えない。皇帝メアリーⅠ世の二〇年後と言って差し支えない美貌を誇る。
「そういえば宰相閣下とお会いするのはこれが初めてでございました。申し訳ありません主人が情けないところをお見せしまして。少し外の空気に当てればシャキッとしますわ。ごめんあそばせ」
「え、ええ、お気を付けて」
丁寧なのか雑なのか分からない対応と、他人の意を挟ませない矢継ぎ早の言葉の激流のような話し方は、どこか皇帝にも似ている……と柳井は場違いな感慨に浸っていた。
会場は立食パーティ形式で、立食スペースが会場中央、それを見渡すように一段高い舞台の上にメインテーブルが設けられ、新郎新婦が座っている。柳井は会場内を挨拶しつつ抜けて、ようやく新郎新婦のもとに辿り着いた。
「宰相閣下!」
「ああいえ座っていてください。今日の主役はお二人、私はいわば刺身のツマのようなもので」
「ツマ?」
さすがに極東日本の魚の生食文化についてまでは詳しくない新郎新婦が首を傾げたのを見て、柳井はまあそれはともかく、と強引に話を切り替えた。
「この度はご結婚おめでとうございます。一個人としてもお喜び申し上げます」
「閣下にお祝いいただけるのは光栄です。そういえば閣下の奥様は――」
エミール帝国伯爵が言いかけたところで、マチルダの厳しい目線に気付いた伯爵がハッとして口をつぐんだ。
「ああお気になさらず。このような場で言うのは縁起が悪いことですが、私はとうに婚約を解消した身でして……そこでヴァルナフスカヤ大臣がついてきてくれたのですが、まあどちらがエスコートされてきたのやら、という有様で」
実際、柳井の式典関連の礼法は随時ヴァルナフスカヤだけでなく、宰相付き侍従によりアップデートが続けられている。一般礼法ではなく、帝国宰相として、帝国の代理人として必要な礼法はいくらでもあるのだ。
しばらく新郎新婦との談笑を楽しんだ柳井だったが、メインテーブルから会場を見渡したとき、カンバーバッチ西部軍管区司令長官が会場の外に出て行くのが見えたと同時に、ハーゼンバインがカクテルドレス姿で会場内を足早にメインテーブルへと向かってきた。
「領主代理閣下、宰相閣下、申し訳ありません。至急の連絡があり、このようなご無礼を――」
「いや、構わん。それではマチルダ様、伯爵閣下、私はこれにて」
柳井は丁寧に一礼すると、ハーゼンバインに伴って会場の外へ出た。
「カンバーバッチ元帥、何かあったのですか?」
第一種礼装姿のカンバーバッチ元帥は、部下からの報告を歩きながら受けているところだった。
「西部軍管区第八七九宙域に、FPU艦隊を確認。偵察や通商破壊戦の規模ではないという、第六九八護衛隊の報告です」
それに続いて、ハーゼンバインがフローティングウインドウを柳井に向けた。
「帝都より閣下に至急電が入りまして、陛下より、西部軍管区防衛作戦について皇帝の代理人として、宰相閣下に全権を委ねるとのことです」
「なるほど……ハーゼンバイン、ヴァルナフスカヤ大臣にその旨を報告。私の代理として式次第は任せると伝えてくれ」
「はっ」
ハーゼンバインが会場へ戻ったのを見送ると、柳井は溜息をついてカンバーバッチ元帥に振り向いた。
「祝いの席だというのに無粋な連中だ。ともかく、防衛計画については元帥に任せますが、私も陛下の代理人として、元帥の手腕を拝見させていただくことになります」
皇帝としては、新たに任命された西部軍管区司令長官であるカンバーバッチ元帥の指揮ぶりを確認しておきたいが、東部軍管区への出征で大分艦隊行動が制約を受けたことを考えて、今回は出征しないことにしたのだった。丁度西部軍管区に面したヴィオーラ公国に柳井がいたこととも無関係ではない。
「はっ! 西部軍管区の名誉にかけても、迅速に処理いたします」
「トビー、車の用意は?」
「はっ、すでに」
「では行くとしよう」
すでに元帥は部下に伴われ移動を開始していたので、柳井も護衛隊の兵士を引き連れてそれに続く。
「閣下、何かご懸念が?」
柳井がやや落ち込んでいるような顔をしていたのか、ビーコンズフィールド准尉が歩きながら柳井に声を掛けた。
「昼飯を食い損ねた……まだメインディッシュに手を付ける前だったのに」
柳井は溜息交じりに言うと、会場から戻ってきたハーゼンバインに手渡された酔い醒まし――アルコール解毒剤――を口に含んで飲み下し、足早にホテル裏手の車寄せへと向かった。
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