第57話ー③ 仕事禁止令


 一七時一〇分

 向日葵の間


「……誰もいないのか……?」


 向日葵の間へ入ると、がらんとした室内には誰もいないように見えた。一応園遊会などのセッティングとしてテーブルなどは用意されている。


「……?」


 柳井が怪訝に思って向日葵の間の中程まで進んだとき、突然向日葵の間の照明が落とされた。


「誰だ!?」


 スポットライトで照らし出された柳井は腕で目を覆う。


『宰相閣下、お誕生日おめでとうございます!!!!』


 同時にクラッカーの軽い破裂音がそこかしこで響き、照明が元に戻された。


「閣下!」

「バヤール、ハーゼンバイン! これは――――――――私の誕生日か?」


 なおも状況を読み込んでいない柳井に、やや呆れたように笑みを浮かべたバヤールとハーゼンバインが駆け寄る。照明が消えている間に、そこかしこに宮殿に詰めている侍従や非番の近衛兵、皇宮警察官、そのほか職員達が勢揃いしている。


「そうですよ! 閣下、自分のお誕生日をお忘れでしたか?」

「――ああ、すっかり忘れていた。実際は昨日だったのだが」


 柳井の誕生日は八月一五日だった。バーウィッチ自治共和国関連のゴタゴタのせいで、柳井自身まったく意識になかった。


「せっかくですから、皆でお祝いしようって」


 柳井を取り囲んで口々におめでとうと言う人垣から、いつも通りの軍服姿の皇帝が歩み出た。


「あなたってほんと自分のことに無頓着ねえ」

「すっかり忘れておりました」

「まったく……皇統貴族なんだからちゃんと公の誕生パーティもやるのよ。これは宮殿一同、あなたへのお祝いだそうだから、しっかり祝われなさい。それじゃ、始めましょうか!」


 皇帝が手を叩くと、巨大なケーキが向日葵の間へ運び込まれてきた。同時に皇宮警察音楽隊フル編成でHappy Birthday to Youが演奏される。


「さあ、宰相閣下」


 料理長のシルヴィオ・ウジエッリに促され、柳井は蝋燭を吹き消した。しめて四六本である。


「宰相閣下、主役のご挨拶をどうぞ」


 拍手をしながらジェラフスカヤが柳井に促す。


「あ、ああ、えー……こんな風に祝われるのは、もう一〇数年ぶりだろうか。本人も忘れていた誕生日だというのに、皆、本当にありがとう。私の文句でも肴にして、今日は楽しんでいってくれ」


 タイミング良く給仕のスタッフがシャンパングラスを柳井に手渡す。この辺りの調整は宮殿スタッフにとっては当然のことだった。


「それでは、乾杯と行こう。帝国の弥栄を祈って」

「万事無頓着な宰相閣下に乾杯!」

「ワーカーホリックな宰相閣下のご多幸を祈って!」


 誰が言ったか定かではないが、口々に柳井を茶化す乾杯の唱和のあと、ようやく誕生日の祝賀会が始まった。


「しかし本当に閣下はご自分の誕生日を覚えていらっしゃらなかったんですか?」

「ああ、すっかり忘れていた。というかここ一〇年は誕生日など考えている暇がなかったな……」


 オードブルのサーモンのミルフィーユを頬張っていたバヤールに問われて、柳井はこの一〇年ほど誕生日の日に何をしていたか思い出そうとしたが、何も思い出せなかった。


 一〇年前というと、柳井はアスファレス・セキュリティに入社して、当時フォーマルハウトに置かれていた支社で艦長をしていた。支社ビルを兼ねた旧式戦艦で、戦闘指揮をしたのは一度きりで、それ以外は殆ど支社に属する部隊の物資供給の管理やら情勢調査、部署間の調整業務などを行っていた。


 フォーマルハウト支社はその後閉鎖され、柳井は本社運輸部の課長職に収まり、やはり部署間の調整業務などをメインに勤務していたし、アルバータ星系の派遣部隊の司令官になってからは、足りない予算と戦力を駆使して仕事をこなす毎日。


 メアリーⅠ世、当時は近衛軍司令長官のギムレット公爵との出会いのあとは、通常勤務に加えて東部辺境の情勢調査なども行っていた。


 つまり今も昔も、柳井の仕事は規模が大きくなっただけであまり変わっていない。


「閣下!」


 会場の奥から駆け寄ってきたビーコンズフィールド准尉の姿に、柳井は顔を綻ばせた。


「おお、トビー。今日は休みじゃなかったのか?」

「お誕生日とのことで、護衛隊総員に成り代わってお祝い申し上げに参りました!」

「そうか。君のおかげで今年の誕生日を迎えられた。次の誕生日がどうなるかは分からないが」

「次の誕生日も、その次も、必ずやお祝いできるように我々がいるのです」

「そうだったな。今日は楽しんでいってくれ」

「はっ!」


「閣下! これ美味しいですよ!」

「さあさあ、今日はどうぞゆっくり食事でも取りながら」

「ワインとビールとどっちにします?」


 バヤールとハーゼンバイン、ジェラフスカヤが柳井を席に着かせて料理やら酒やらを並べ始めた。普段のパーティの類いなら各テーブルを回って食事を味わう間もない柳井のことを思えば、今回は挨拶に来させるのが当然と考えたわけだ。


「宰相閣下、お誕生日おめでとうございます」

「宮内省一同、閣下の采配に驚かされる毎日です。どうぞ、来年はより盛大にお誕生日をお祝いできることを祈っております」


 シャンパングラスや串焼きを片手にやってきたのは、宮内大臣のヴァルナフスカヤと次官のマッキンタイヤーだ。


「ああ、マッキンタイヤーさん。どうもご無沙汰です。ヴァルナフスカヤ大臣もどうも、お忙しいところすみません」

「本来なら前々から日程を組んでおくものですが、今回は仕方ありません。宮内省のほうでも、閣下のお誕生日についての園遊会の準備をお手伝いさせていただきます」

「マッキンタイヤー、今日は仕事の話は抜きにしておこう。では閣下」


 ヴァルナフスカヤ大臣も気が利くところがあるのだな……などと柳井はかなり失礼な感想を抱いた。


「ええ、どうぞお楽しみください」


 今回のパーティには宮内省以外の閣僚や政治家は呼んでいない。呼べば挨拶回りだけで柳井がこのパーティを終えることになると考えたシェルメルホルン伯爵の考えだった。


「閣下が座って食事を取られているとは珍しい」


 シェルメルホルン伯爵がワイングラスをボトルと共に持って、柳井の対面の椅子に腰掛けた。


「今日くらいは会場の華として腰を落ち着けろということだな」

「ごもっともで。ところで、ロベール君からメッセージを預かりましたので、どうぞこちらを」


 伯爵は柳井に小型のプロジェクターを手渡した。


『閣下、お誕生日おめでとうございます! いずれこちらへいらっしゃった際に、正式にお祝いを申し上げさせていただきます。今日のところは、気持ちだけ受け取っていただければ幸いです』


 カミーユ・ロベールは宰相府辺境開発局開発特任監理官イステール担当という役目を担い、遠く辺境イステール自治共和国にいる。さすがに昨日の今日で帝都まで馳せ参じるというわけにはいかなかった。最も本人はかなり本気で帝都への強行軍を考えていたようだ、とシェルメルホルン伯爵は聞いていた。


「ルブルトン子爵からもメッセージが来ております」

『宰相閣下、お誕生日おめでとうございます。ロベール君が閣下の来訪を心待ちにしております。お忙しい身とは存じますが、どうぞ我らからの祝意をお受け取りに、イステールまでお越しください』

「ルブルトン子爵とロベール君らしい」


 柳井は上機嫌でワイングラスの中身を空にする。


「今日のワインは格別に美味い。伯爵のチョイスですか?」

「ええ。そこに気付いていただけるとは、閣下もお目が高い」

「いいワインがあるそうですな。私も一つご相伴に預かりたいものです」

「マルテンシュタインさん。今お帰りですか?」

「内務省の石頭には困ったものです。ああ、これは事務総長閣下、どうも」


 伯爵からワイングラスを手渡され、ワインを注がれたマルテンシュタインがグラスを高々と掲げる。


「ワーカーホリックの宰相閣下に乾杯!」


 そう言うと、マルテンシュタインはグラスを一息に空にした。


「いや、実に美味い。おっと、宰相閣下、お誕生日おめでとうございます。おかげでこうして私も美味いワインが飲めるというわけで」

「それはよかった」


 その後も和やかにパーティの時間は過ぎた。



 二〇時三一分

 樫の間


「それにしても、あなたももう四捨五入したら五〇か」

「アリー、君も同い年だろう?」

「女に年齢の話題振るなんてデリカシーがないのね。傷ついちゃうわ」

「私のジョーク程度で君が傷付くとは思えないが」

「あんまり痴話喧嘩すると宮廷史に書き残すわよ? しかし五〇って聞くと、大台って感じがするわね」


 飲み直す、とパーティ出席者を見送った後に樫の間に戻った皇帝と柳井、それにパーティ中はまだ執務時間だったベイカーを加えて、二次会が行われていた。


「四〇を超えたら年齢など些細な問題ですよ。次に気にするのは六〇を超えた頃でしょうか」

「そういうものかしらねえ……」

「義久の所感です。あまり参考にならないと思いますが」

「それもそうだった」

「酷い言われようだ」


 柳井は手酌でグラスにワインを注いだ。机に並べられたオードブルはパーティ会場で残ったものだ。わざわざ別に用意すると料理長は言っていたが、皇帝はそこまでの手間は掛けさせなかった。


「しかしねえ、あなた宮殿内ウロウロするのはいいけど、出かけたっていいのに。護衛隊だってあなたのお供なら喜んでついていくわよ」

「護衛の車列を引き連れてですか?」

「まあ、繁華街のパブなんてのはさすがに避けて欲しいけどねえ……貴族の休み方はサラのほうが詳しいでしょ。聞いてみなさい」

「義久はそもそもが出不精なんです。昔からですよ」

「君だってそれに文句言わなかっただろう?」


 ベイカー侍従武官長に言われて、柳井は少しムッとして言い返した。


「仲が良いことねえ……それはそうと、フィーネが大層喜んでいたわ。あなた、今日温室観に行ったでしょ? 手入れするにしても、見てくれる人が居るのと居ないのでは力の入り具合が変わるものなのかしら」

「そうでしたか……陛下のご家族でも居られればまた別でしょうが、たまには温室にも顔を出してみましょう」

「音楽隊のほうからも、たまには宰相閣下にご覧いただきたいとものすごく喜んでたわよ? あなたがそんなに熱心に音楽鑑賞する趣味があったとは知らなかったわ」

「それならよかった……邪魔と言われては、いよいよ中庭で鳥に餌でもやろうかと思っていたんだが」


 柳井の冗談は冗談に聞こえなかった――普段からよくあることではあるが――皇帝と侍従武官長は顔を見合わせ、大きく溜息を吐いた。


「いっそ女遊びやギャンブルをしてくれる男だったらこんな心配しなくてもいいのにね」

「陛下、それはそれで別の心配をすることになりますが」


 二人の不安げな顔を見て、柳井は苦笑してワイングラスに口を付けた。



 二二時五六分

 購買部


「いらっしゃいませ……宰相閣下、何か御用ですか?」


 皇帝と侍従武官長との二次会を終えた柳井は、購買部に立ち寄っていた。


「野茨を一カートンもらえるか?」

「タバコですか? 閣下は吸わない人だと思っていましたが」

「まあ、昔は吸っていたんだがね……ありがとう」



 二三時一〇分

 宮殿内近衛兵詰所


 支払いを済ませた柳井が向かったのは、宮殿内の近衛兵詰所だった。


「閣下!? このようなお時間に珍しい。何かございましたか?」

「ああ、アイヒマン伍長ちょうどよかった。これを」


 柳井はタバコのカートンを伍長に手渡した。


「他の喫煙者に配っても良い。任務ご苦労」

「は、いえ、しかし」


 伍長はタバコを一本、柳井に分けただけなのにカートンで返ってきて戸惑っていたが、柳井はそのまま立ち去った。


「生真面目な方だな……」


 アイヒマン伍長は、野茨の文字が刻まれた包みと、柳井の背中を見比べながら呟いていた。

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