第57話ー② 仕事禁止令

 一二時一二分

 蚊帳吊かやつりの間


「……」


 宮殿の図書室である蚊帳吊の間は、いつ来てもひっそりと静まりかえっている。侍従などが頻繁に利用する部屋ではなく、あくまで皇帝の読書のための空間だが、当代皇帝の御世にはもう一人ここを頻繁に使う人物がいた。


 帝国宰相の柳井である。


「……」


 最新の書籍の類いは殆どが電子データとして配信されてはいるが、コレクターズアイテムとしての紙の書籍というのは需要がないわけではなく、また旧世紀の書物はデータと紙の書籍が両方保管されている。


 蚊帳吊の間には歴代皇帝が集めてきた書籍が多数所蔵され、中には西暦二〇〇〇年代の娯楽小説なども存在している。


「あら? 宰相閣下。ここにお出ででしたか」

「マリーさん、お邪魔してます」


 マリー・プルーストは蚊帳吊の間を担当する司書であり、宮殿内の資料監理部門の統率者でもある。皇帝の意向に合わせて書籍の仕入れなども担当している。


「お休みなら出かければよろしいのに……」

「出かける度に護衛隊を引き連れた行列になりますからね。宮殿の敷地内ならそれもないですから」

「それもそうですが……そうだ、先日来閣下がお探しだったものをいくつかピックアップしておきました」


 プルーストが持ってきたのは、西暦二〇〇〇年代初頭の地球各地にあった国家同士の外交戦についての書物だった。


「状態がいいものが見つかりまして」

「これはありがとうございます。中々この年代のものは、電子データも無くなっていて困ったものです」

「出版社ごとに違うストアでデータを販売していたなど、狂気の沙汰ですね」


 今でこそ書籍のデータ販売は当たり前に行われるし、極薄の電紙ディスプレイを使用した年間購読誌も存在しているが、二〇〇〇年代初頭にはまだまだ未発達で、この時代の書物は原本が紛失するとあとから探すのに苦労している。


 柳井が受け取ったのは、各地の中央図書館や旧連邦時代の連邦アーカイブスに残っていた本を、帝国移行後に保管している帝国中央図書館の奥深くから、プルーストが発掘してきた代物だった。


「この時代の歴史を見ていると、今がなんと分かりやすい世の中なのかと思いますね」


 プルーストがパラパラと本をめくって、柳井の手元の山に戻す。二〇〇〇年代初頭の地球は地域紛争が絶えず、目を覆わんばかりの惨劇も繰り返し起きていた。また、政治的にも国内政治に翻弄され外交が疎かになるケースも多く、柳井としては今後辺境惑星連合構成体との和平を考えるにつき、過去の事例から教訓を得たいと考えていたのだった。


「この狭い地球に一九〇ヶ国以上がひしめき合っているんです。戦争も起きるというものです」

「そうですね……ではごゆっくり。何かあればお声がけください。司書室におりますので」


 柳井はその後、三時間ほど読書に励んでいた。



 一五時一二分

 宮殿屋上


 宮殿の屋上には、交通艇やヘリなどが着陸できるスペースが確保されている。傾きだした太陽に照らされた屋上に現れた柳井の姿に、警備の近衛兵が背筋を伸ばした。


「こっ、これは宰相閣下!? いかがなさいましたか? どこかへお出かけなら、すぐに――」

「ああいや、用があるのはその奥で……タバコ、もらえるかな?」

「あ、ああ、はい! どうぞ!」

「いや一本で良い。アイヒマン伍長、あとで返すよ」

「そんなとんでもない! どうぞ、お気になさらず」


 宮殿内は当然のことながら禁煙で、タバコを吸うスペースなど無かった。しかし屋上の一角は別である。


「宰相閣下に敬礼!」


 喫煙スペースにいた近衛兵士達やら侍従、皇宮警察官やらが挙手敬礼をするものだから、柳井も思わず答礼を返すことになった。


「楽にしてくれ」

「しかし閣下がこちらに見えるのは始めてですね」

「休みだから仕事をするなとオフィスから追い出されたんだよ。ライター、借りられるか?」

「お点けします!」


 近衛兵士の一人が震える手でライターを取りだし、柳井のタバコに火を付けた。


「閣下がタバコを吸われるとは知りませんでした」

「口寂しいやら手持ち無沙汰やらでね……宮殿警備、毎日ご苦労だな」

「いえ! 自分たちはそれが任務ですので」

「侍従の皆も、陛下や私のせいで色々忙しいだろう?」

「そ、そんなことは……!」


 柳井はタイミングが悪かったと後悔した。別にタバコを吸いたいわけではなかったが、それなりに人がいるとは思っていなかった。単に空き時間で宮殿内をふらついているだけなのだが、思わず視察のようなことになってしまっていることに、改めて気付いたのだった。



 一五時四三分

 梅の間(侍従武官長執務室)


「これはこれは宰相閣下。珍しいお客様がお見えですこと」


 笑みを浮かべて柳井を出迎えたのは、侍従武官長兼近衛軍司令長官代理を務めるアレクサンドラ・ベイカー近衛軍中将である。


「わざとらしい挨拶はやめてくれ」

「はいはい。どうしたの義久? 休みだって聞いてたけど、オフィスから追い出された?」

「当たりだ」


 柳井は執務机の前にある応接ソファに腰掛けて溜息を吐いた。


「仕事するな、と言われてこんなに戸惑うとは思わなかった」

「あなたも相当なワーカーホリックね。陛下を見習って絵でも描いてみたら?」


 従兵にコーヒーを頼んだベイカーが、柳井の対面のソファに腰を下ろす。


「絵か……初等学校の図画工作以来絵筆は握ったことがないな、そういえば」

「まあ、あなたがキャンバスに向かってる姿を想像するのは難しいわね。どうせ護衛隊の兵士のこと気にして外に出なかったんでしょうけど」

「トビーはよくやってくれているよ。たまには休ませなければな」

「彼、来年初頭には士官養成課程クリアしそうよ。熱心なものね」

「トビーのおかげで命拾いすることも多い。そのうち騎士の称号でも授与してもらわねばな」

「典礼長官に言ってみたら? 多分彼の功績なら帝国男爵くらい手に入りそうよ」


 帝国貴族は皇統貴族と異なり、栄誉称号の意味合いが強い。年金の支給額も上乗せされるが、それよりも社会的ステータスへの影響が大きい。帝国軍兵士が除隊時に帝国騎士の称号を授けられるのは、再就職の際などの考慮材料として、騎士号が有用なことの証左でもある。


 そうこう話している間に、ベイカーの従兵がコーヒーとクッキーを持ってきた。


「侍従武官長と近衛軍司令長官の兼任は大変そうだな」

「そうでもないわ。陛下は軍事的な知識がおありだから、私が直接奏上しなくても、自分で報告書読んじゃうもの」

「そうか……ところで、相変わらず君の机は大変な有様のようだが」

「近衛軍司令長官となればね。あなたのところはお付きの侍従が優秀だからなんとかなってるんでしょう?」


 柳井とベイカーは、かつて東部軍兵站本部オフィスで肩を並べて仕事をしていたのだが、二人のデスクは他のどの兵站参謀の机よりも物的密度が高いと評判だった。


 汚い、というよりは職務の膨大さによる合成紙の書類だの参考書籍だのが整理され、尚且つ山積みになっているのである。電子データで済まない報告書や申請書は、官僚機構としての軍隊の逃れられない宿痾である。


「そういえば聞いた? マチルダ様が婚約を発表したって」

「……ああ、確かエミール・リヒャルト・ゼーバッハ帝国男爵だったな、相手は」


 柳井はウォルシュー前ヴィオーラ公爵の葬儀の際に引き合わされた生真面目な男のことを思い出していた。


「あら? 知ってたの?」

「ナタリー様のご葬儀のときに引き合わされた。陛下も気に入ると思ったので、直接お話しするようにと申し上げたが」

「真面目そうな男の子だったわね。マチルダ様の好みってああいうタイプだったのね」

「意外か?」

「まあ、普段見てる"お姉様"があの陛下だもの」

「それもそうだ。しかし、マチルダ様も真面目なことだ。前公爵の喪が明けるまで待つとはな」


 柳井とベイカーの雑談はとりとめのないもので、かつ外部に漏れると皇帝の権威や帝国の当地に影響を与えそうなものばかりだった。


「酒でも出してあげたいけど、私はまだ職務中だからね」

「それもそうだな。邪魔をした」

「はいはい、また後でね」

「後で?」

「え?」

「……まあいい。暇潰しを手伝ってくれて感謝する」


 

 一六時二四分

 杜若の間(エカテリーナⅠ世の音楽室)


 エカテリーナⅠ世の名は帝国に燦然と輝き、現在でもインペラトリーツァ・エカテリーナ級重戦艦に見られるように、軍事的評価の高い皇帝だが、譲位後にはピアノの演奏会を開くなど音楽を嗜む皇帝だった。


 杜若の間は皇宮警察音楽隊の練習場でもあり、分厚い扉の向こうでは、今日も練習が続けられていた。


「宰相閣下!? まさかここにお見えとは」


 音楽隊隊長のサウランドリ・シュリヴァスタヴァ警視正が驚いたように振り向き、各々楽器を手にした音楽隊員達も立ち上がる。


「ああ、気にしないでくれるとありがたいんだが。仕事をするなとオフィスから追い出されたものだから、見学させてもらえるだろうか?」

「それはまた、願ってもないことです! では今度の市民演奏会で演奏する予定の曲を……」


 隊長が指揮棒を構えると、隊員達もすぐさま演奏準備に入る。


「……ほう。これは」


 柳井はその曲に聞き覚えがあった。二〇年ほど前に公開されたSF映画のメインテーマだ。東部軍管区の軌道都市アウグスタⅠのシアターへ、ベイカーと観に行ったことを思い出している柳井だった。


 その後、何曲か続けて演奏され、まるで貸切コンサートのようだった。最後の曲が終わると、柳井は立ち上がり拍手を送る。


「いかがでしょう?」

「素晴らしい演奏だった。演奏会の成功を祈っているよ」

「はっ! ありがとうございます!」



 一七時〇四分

 海棠の間


「……最初から自分の部屋で仕事をすればよかったんだ」


 休みだというのに普段よりも気疲れした柳井は、結局海棠の間へと戻ることになった。なにせどこへ行っても視察になるのだ。侍従や近衛兵、皇宮警察官が意表を突かれて緊張する姿を見ては、おいそれとウロウロ出来ない。


 仕事をするなと言われて本当に仕事をせずに宮殿内を徘徊するあたり、妙な意地を張る面もあるという、多くの人が知らない柳井のパーソナリティだった。


「……」


 リビングに置いてある自分の端末を見て、しばし柳井は考え込んだ。一日くらいはこれに触らずに生きてみる方が健全なのでは、と。


 しばらくはテレビを眺めていた柳井だったが、軽やかなベルの音が響く。


『宰相閣下、向日葵の間へお越しください』


 声の主はジェラフスカヤだった。


「向日葵の間……? 今日は何か園遊会でもあったか?」

『まあ、そういうものです。どうかお急ぎを。陛下もお待ちです』

「わかった。すぐに行く」


 柳井は通信を終えると、どこか生気を取り戻したように足早に向日葵の間へと向かうのだった。

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