第57話ー① 仕事禁止令
八月一五日〇九時〇二分
黄檗の間
「おや閣下。今日はお休みと、陛下から伺っておりましたが」
すでに業務を開始していた黄檗の間、宰相府一同の前に現れた柳井に、シェルメルホルン伯爵が呆れたような笑みを浮かべていた。
「休日の散歩のようなものさ。部屋のコーヒーを切らしていたとでも思ってくれ」
柳井は黄檗の間の隅に置かれたサイドボードのポットから自分のマグカップにコーヒーを注いで、シェルメルホルン伯爵のデスクに向かった。
「閣下も仕事熱心なことで」
「趣味みたいなものさ。ところで外協局員の姿が見えないが」
「今は内務省へ。今度のケーファーへの出張について協議です」
ケーファーは西部軍管区首都星で、柳井は仕事でもプライベートでも一度も訪れたことのない惑星だった。
「ああ、第一インターステラー連合との和平交渉か。もう動き出していたか」
宰相府は柳井がバーウィッチ自治共和国にいる間も当然稼働しており、辺境惑星連合構成体との和平協議も続けられている。これまでは東部軍管区に隣接した連邦議会オテロ・ゴッドリッチ・カリーリ主義派との協議のみだったが、ようやく西部軍管区側でも計画が動き出したのだった。
第一インターステラー連合は、諸惑星共同体とユーノドス連邦の二つが合併し誕生した構成体で、帝国私略船団による調査では、比較的安定した統治下にあると報告されている。対帝国の政治姿勢としては中庸。西部軍管区が東部軍管区に比べて平穏なのは、第一インターステラー連合が対帝国武装闘争に及び腰というのも関連している。
「あとは相変わらずです。省庁改革については短期間でどうこうできる問題ではありませんから」
帝国は全体として問題は少ないが、当代皇帝メアリーⅠ世には様々な課題が用意されている。その一つが肥大化した省庁の整理や権限の再確認だった。
特に問題なのが内務省系列の官公庁の整理で、星系自治省、通信省、保健厚生省、がこれに当たる。内務省は行政機構の中核を構成し、選挙や情報通信の運営を司り、さらに治安、公安両警察組織の元締めでもある。
星系自治省、通信省、保健厚生省は元々内務省の一外局だったものが省へと格上げされたものだが、これらも所管する業務が帝国の拡大と共に巨大になりすぎている部分も多い。
これを整理したい、というのが目下メアリーⅠ世の考えだが、官僚機構は自分たちの権限が取り上げられたり、規模が縮小されるのを嫌う傾向がある。抵抗は尋常ではない。
それでも今後一〇〇年の帝国を考える上で、これらの整理は不可避であると結論づけ、柳井以下宰相府もその構想実現のための仕事を続けていた。
「特に今回バーウィッチにいて分かったが、やはり内務省の権限が大きすぎる。それだけの仕事はしていると思うが、内務大臣が影の首相になるようでは健全ではない。星系自治省も巨大すぎて動きが鈍重だし、星系自治法改正も働きかけなければ、自治共和国の発展も鈍る」
柳井が三ヶ月に渡ってバーウィッチ自治共和国に滞在したのは、各種の国内の問題を解消するのに帝国中央政府の関与が不可欠だったことと無縁ではない。
また、重要性は理解しているとはいえ、内務省内国公安局の横暴とも言える強権発動も、治安維持の前に人心が帝国から離れていくことすら危惧されていた。
「しかし、自治共和国に裁量を与えすぎては、帝国は空中分解します」
「そのあたりのバランスを取るのが、本来星系自治省の仕事なのだが……」
とにかく星系自治省は事なかれ主義が蔓延しており、現地に派遣される官選首相も自分の任期中に問題が起きないことだけを重視するものが多い。一部には革新派の首相が自治共和国選出の議会と協力して精力的に改革を進めるところもあるが、それは全自治共和国の三分の一にも満たない。
「辺境の安定は自治共和国の発展と不可分だ。まあ、上手い具合にやらなければな……」
「……閣下、そのまま楡の間に行って仕事をしようとしてませんか?」
椅子から立ち上がって、楡の間へ続くドアを潜ろうとしていた柳井を、シェルメルホルン伯爵が呼び止めた。
「あ、ああ……どうも癖になっている」
「ではこうしましょう。今日は仕事禁止令、ということで」
「せっかく陛下からお休みをいただいたのだから、休まなければ不敬に値する、とでも思っておこう」
「それが良いでしょう。では、ごゆっくり」
シェルメルホルン伯爵に急かされるようにして、柳井は黄檗の間を後にした。
〇九時三四分
クラウディアⅠ世の温室
仕事から解放され、さりとて護衛隊を引き連れ市街地に出るのは気が引けた柳井は、庭園内の散歩に出ていた。
ライヒェンバッハ宮殿の庭園は広大で、その中には歴代皇帝の趣味で作られた建物もある。帝国暦四一二年に使われはじめたクラウディアⅠ世の温室もその一つで、自らも植物学者だったクラウディアⅠ世の研究室も、当時のまま残されている。
「宰相閣下? 珍しいですな、温室にお出でとは」
庭園管理の責任者、フィーネ・メルケルが柳井の姿を認めて、花壇の手入れの手を止めて立ち上がる。
「今日は陛下よりお休みを賜ったので、散歩です」
「その顔は、シェルメルホルン伯爵閣下にオフィスから追い出されたと見えますが?」
「当たりです。メルケルさんには隠し事ができませんね」
メルケルは御年七四歳。先帝バルタザールⅢ世の即位の翌年に宮殿造園課に入り、今に至る。宮殿内の植物の管理には多くの人手が割かれているが、メルケルはその全てを把握していると柳井は聞いていた。
「植物に比べれば、人間の感情の揺れ動きなどは分かりやすいものです」
「そうですか……」
柳井は温室の外に見える、がらんと空いた空間を見つめた。
「随分綺麗になったように見えましたが、まだまだ空白地が多いですね」
「ええ。戦艦など降ろされてしまいましたからね。まして、皇帝の居城に大砲を撃ち込むだなんて、不逞な輩もいたものです」
メルケルが憤慨しているのは五九〇年の四月に行われた帝位継承動乱、通称メアリーの乱による宮殿での戦闘に対してだ。当時、宮殿に籠城した前マルティフローラ大公を捕縛するために、特別徴税局が強制執行を行ったが、その際徴税艦を庭園に強行着陸させていた。さらに、徴税艦に対して大公についた首都防衛軍の師団砲兵が長距離砲撃を行い、流れ弾により宮殿庭園にも大きな被害が出ていた。
「この温室は幸い無傷でしたが……」
「……その節はご迷惑をおかけしました」
「そうですね、もう二度と宮殿が戦場にならないように、宰相閣下には頑張っていただきたいですね」
柔和な笑みを浮かべた老庭師の言葉は、メルケルが思っていた以上に柳井に深く突き刺さった。再びこの庭園が焼かれるような事態が生じたら、それはメアリーⅠ世の、ひいては自分の責任でもあるからだ。
二〇年後か三〇年後か、あるいは来月かは分からないが、次の帝位継承は粛々と行われるものでなければならない。
「粉骨砕身の覚悟であたりましょう」
一〇時二一分
ジョージⅠ世のアトリエ
「……」
ジョージⅠ世は帝国第三代皇帝で、現在までのところ帝国皇帝としては最長寿記録を保持している。ジョージⅠ世のアトリエ、と今は呼ばれているこの建物は、帝国暦六三年に建てられた皇帝が趣味の油絵を行うために作られた建物だ。
ジョージⅠ世が退位した後も、歴代皇帝の創作の場としても用いられており、当代皇帝メアリーⅠ世も絵画をたしなむ皇帝であり、ここを使うこともある、と柳井は聞いていた。
現在は当時ジョージⅠ世が描いた油絵の展示室となっており、年に一度、抽選で選ばれた一般人への公開も行われている。
二階建ての建物のバルコニーからは、広大な庭園と宮殿の姿が見て取れる。その風景を書き残したジョージⅠ世の絵と、今の風景を見比べながら、柳井はしばし身体と心を休めていた。
一一時一四分
旧近衛師団司令部庁舎
「尹さん、お久しぶりです」
「宰相閣下? 今日はお休みと、シェルメルホルン伯爵より伺っておりましたが」
「ええ。散歩です」
作業着姿の
「こちらが、宰相閣下の執務室になる予定の部屋です。旧近衛師団長の執務室でした。通信設備や電装品を入れ替える程度ですから、短期間で終わるかと」
設計主任に案内された部屋は、楡の間より少し狭くはなるものの、大きな窓からはライヒェンバッハ宮殿の偉容が見て取れる。倉庫扱いの建物とはいえ、さすがに宮殿敷地内の建物であり、工事前だというのに、まるで創建当時の姿までリフォームされたかのように塵一つなかった。
「しかし、私はおそらく楡の間から離れることはないですが」
柳井としては、格式として独立した庁舎の必要性は理解していたが、どのみち皇帝に奏上し奉る手間を考えれば、楡の間と黄檗の間に宰相府の基幹機能を残し、来年度から拡張する予定の事務部門と対外折衝部門のオフィスとして、庁舎を使うつもりでいた。
「たとえ年に一度しか使わないとしても、宰相府の主の部屋がない宰相府庁舎などあり得ないでしょう?」
「なるほど」
設計主任の言葉に、柳井はとりあえず頷いた。
「それと、丁度良いので宰相公邸についての設計案が出来ておりますので、ご覧頂けますか?」
塵除けのカバーが掛けられたテーブルの上に超小型のプロジェクターを置いた設計主任が、柳井に三つの設計案を示した。それに、IBEに対して仕事を回すことの重要性についても考えていた。
「一つは上院議長公邸などに準じたウィーンスタイルのもの、もう一つは閣下のご出身地に合わせた和洋折衷案、最後が、中古物件を最低限の改装で済ませるものです」
「設計主任としてはどれがおすすめですか?」
柳井としては予算が少なくて済む三番目の案でも良かったが、熱意を持って仕事に取り組んでいた設計主任にそれでは失礼だと考えた。
「私としては、やはりウィーンスタイルのものをおすすめしたいですね。当社としても得意とする様式ですし、宰相閣下の公邸として恥ずかしくない仕上がりをお約束いたします」
「ではそれでいきましょう。期待していますよ」
「ありがとうございます! 細部の詰めを行い、最終案を提出いたします」
柳井としては職場に近接した海棠の間での生活に、広さ以外の点では慣れきってしまい、公邸が出来たところでいつ住むのかという疑問は抱いていたが、何事にも格式が必要だ、というシェルメルホルン伯爵らの言葉を思い出していた。
一一時三二分
ライヒェンバッハ宮殿
職員食堂
少し早めに昼食を済ませようと、柳井は職員食堂を訪れていた。昼食時にはごった返す食堂だが、まだ閑散としている。
「あら~宰相閣下。今日はお休みになっていると聞いていたのに。ご注文は?」
食堂のレジ担当の中年の女性は、柳井の姿を認めて笑みを浮かべた。
「B定食を。仕事禁止令が出まして……黄檗の間を追い出され、楡の間にも入室禁止でして」
「あらあら仕事熱心ですこと。せっかくなら旧市街にでも出られたらよろしいのに」
そう言っている間にも、鯖の味噌煮に味噌汁、ご飯にお新香と純和風な日替わりのB定食が配膳口から柳井に手渡された。食後のコーヒーまで含めても六二〇帝国クレジット。
「せっかく高い俸給いただいているのに、閣下は少しも変わりませんねえ」
「食堂のご飯が美味しいからですよ」
そう言いながら、柳井は手近のテーブルで手早く食事を進める。柳井の食の好みはこの一年を経ても変化がない。しばしの間、柳井は仕事のことを忘れ、食堂の窓から見える庭園を眺めつつ昼食を取っていた。
これが帝国宰相と言われる重職を担う人間の休日とは、真実を知ったら誰もが嘘だと思うだろうが、これが柳井の実像である。
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