第56話-② 首相代理・柳井義久

 一八時一二分

 迎賓館

 屋上


「……月が二つあったのか」


 夕闇に染まるニューミドルトン市街地の高層ビル群が一望できる迎賓館の屋上で、柳井は缶コーヒー片手に佇んでいた。ニューミドルトンの夜空を見る暇も無く鎮圧作戦などを行い、ようやく人心地ついたことを感じつつ、柳井はぼんやりと惑星チェルーズの衛星、赤茶けたダラムといびつな形のダミアを見上げた。


 市街地と隣接する官庁街とはいえ、まだまだ開発途上のニューミドルトンの夜空は美しい……とは、中々言いがたい状況である。


 近衛艦隊から数隻がローテーションで官庁街上空に滞空し、不測の事態に備えていたからだ。ちょうど月を覆うようにインペラトール・メリディアンⅡが横切ったところで、柳井は視線を市街地へと戻した。


「おや、珍しい方が屋上にお出でですな」


 柳井は背後から声を掛けられて振り向いた。官庁街警備のために駐留している第一〇二四降下揚陸師団の張大佐が、髭面に笑みを浮かべていた。


「大佐。どうしたんだ?」

「館内禁煙でしょう? ここがオアシスです」


 張大佐は懐から樹脂製のケースを取り出すと、タバコを一本取り出し口にくわえて火を付ける。鎮静作用が多く含まれ、香料などによるフレーバーの違いで数千種類の商品が流通しているが、喫煙者人口はそう多くない。


「なるほど。喫煙者にとってはオアシスだな」


 見れば、政府機能再建チームや東部軍管区との連絡チームの官僚も幾人か屋上に上がってきている。


「閣下もいかがです?」

「もらおう」


 柳井は大佐から一本タバコを受け取りくわえると、大佐は慣れた手つきで火を付ける。

 タバコの先端がチリチリと音を立て、つう、と煙が夕闇の空に溶け込んでいく。


「閣下は普段吸わないんですか?」

「軍艦乗りになると自然と止めてしまうものだよ」


 宇宙船の室内環境は、人類が宇宙進出して以降緩やかな進歩を遂げているが、依然として密閉空間であることは変わるはずもなく、船内大気の汚染源であるタバコについては忌避されるものであることも、また変わりはない。喫煙室が設けられている艦船は多いが、近年、民間船では撤去されることも多い。


 度重なる品種改良で有害物質の放出は抑えられたとはいえ、そもそも煙に含まれる加熱された香料や沈静成分、タバコ葉が燃焼するにおいについては好き嫌いがハッキリと分かれるものだ。


 なお、軍艦を含めた公用船では、タバコから国税を取っているのだから、国税を用いて運航される艦艇においてタバコを吸わせないのは不公平だという答弁が帝国初期に議会で行われて以降、喫煙室が維持されている。官公庁施設についてもそのはずだったが、この迎賓館は全館室内禁煙となっている。美術品などの汚損を防ぐためだ。


 ともかく、喫煙者にとっては肩身の狭い思いをすることが多いのは、人類数千年の歴史において必定とも言えた。


「それに、キスするときにタバコ臭い、と言われるのがイヤでね」

「ほう」


 紫煙を細く吐いた柳井が冗談めかして言うのを、大佐は興味深げな笑みを向けた。


「侍従武官長閣下が相手という、あの噂ですか」

「誰から聞いたんだ、その話は……もう二〇年近く前のことだよ。今もそういう爛れた関係だと思われるのは心外だな」

「そうでしたか。東部軍管区司令部では有名な話ですよ。閣下にもそういう時代があったのを知れたのは収穫でした。閣下なら引く手は数多でしょうに」


 大佐の差し出した灰皿に、半分ほど吸い終えたタバコを押しつけたそのときだった。


「……今の音は」


 雷鳴にも似た重低音が響き、柳井は身構えた。


「雷、ではなさそうですな……第四連隊、状況を知らせ」


 官庁街警備のために展開している第一〇二四降下揚陸師団の第四連隊の連隊長に問い合わせた張大佐を横目に、柳井は市街地に目をこらした。


「……事故、か?」


 サイレンの音が遠くに聞こえるのを確認して、柳井は張大佐に振り返る。


「官庁街ではないようです。市街地のほうかと……何かあったか?」


 大佐はタバコをくわえたまま、近くの官僚に声を掛けた。


「今速報が出ました。車両が爆発した、だそうですが……」

「暴動の鎮圧は済んだと聞いているが」


 柳井はある可能性に思い至り、執務室に急いだ。



 一八時二九分

 執務室


『閣下。なにか御用でしょうか?』

「なにかやったのか?」


 通信の相手は、内務省のオフィスに詰めている内国公安局ロージントン支局長、マクファーレンだ。


『なんのことでしょうか』

「市街地の車両爆発事故、こちらでも調べさせてもらった。車両の持ち主はボリス・プシュカリョフ。市民連合の幹部だな」


 ニュース映像に映っていた車両ナンバーを元に、交通局に当該車両の照会をさせた柳井は、これが事故とは思えなかったのだ。


 プシュカリョフは市民連合において”機動隊”と称するデモ隊の中核を担う役割であり、市民連合内においての人気も高く、思想的にも急先鋒の人物だった。


『そのようですね』

「……罪状はなんだ?」

『偶然発生した不幸な事故、とはお考えにならないのですか?』


 マクファーレンは眉一つ動かさずに柳井に問い返した。それこそがマクファーレンの真の回答を示すものだったと、柳井は感じていた。


「そうだな。そうだとすればいいのだが」

『では、それでよいではありませんか。運行前点検および車検制度の遵守徹底を市民に呼びかけていただければ幸いです』


 柳井は不満げに頷いて通信を切る。隣に控えていたバヤールは不安げな顔をしていた。


「閣下……」

「プシュカリョフは自由党や自治プラットフォーム議員への暴行事件などで検挙されているがいずれも不起訴だ。前内相の圧力とは思うが……これが穏便、か」


 法治国家であると標榜する帝国において、謀殺を公然と行うことは法の支配に対する信頼性を失わせることと表裏一体であり、多用されるべきではない手法だと柳井は考えていた。


 柳井はマクファーレンの手口に辟易しつつ、その日の執務を終えることになった。



 一九時五二分

 ニューミドルトン中央病院

 一〇四五号室


「お加減はいかがですか、ウィルソンさん」

「まあまあでございます、閣下」


 柳井は執務を終えたあと、ニューミドルトン最大の病院を訪れ、先日の議事堂爆破事件における負傷者を見舞っていた。大方の議員の見舞いを終え、最後に自由党総裁のメーガン・ウィルソンの病室を訪れた。


「こんな忙しいときに、ベッドで寝ているしかないなんて」


 七六歳の老淑女は、怪我を感じさせない血色のいい顔に焦りを滲ませていた。


「今は傷を治すことを第一にお考えください。東部軍管区と私が当面は何とかします」

「……閣下のご配慮痛み入ります。しかし、此度の混乱は我々バーウィッチ自治共和国議会の責任でもあります。申し訳ありません」

「何も謝られることはないでしょう。それに、この惑星の苦境を中央政府が理解しきれていなかったのが遠因でもあります」


 柳井はウィルソン総裁に詫びたあと、本題に入る。


「議員の方々には説明していますが現在バーウィッチ自治共和国は、立法と行政について、東部軍管区が代行中。早急に元に戻すことも求められています。この状態が長引けば、自治共和国から皇帝直轄領となります」

「……選挙を急がなければならない、と」


 柳井がウィルソンにも説明した皇帝直轄領とは、自治政府を置かず皇帝の直轄統治、実態としては星系自治省を通じて帝国本国政府が本国に属する自治体のような管理するという制度だ。


 メリットとしては、本国政府が直接関与することで星系内開発などを大規模に行えることがあげられる。開発が遅れがちな辺境星系で一気にインフラを整備したり、都市部の開発を進めることができる一方、デメリットとして本国並みの税制が導入されるので、惑星系総生産GSPが本国にある星系と比べて低い場合、過大な税負担で経済成長が鈍化する場合もある。開発中の惑星系が直轄領になる場合もあれば、バーウィッチの今回の事例のような事態になると直轄領になる事例は少なくない。


 バーウィッチと同じく東部軍管区に属するラカン・ナエ皇帝直轄領で数年前に発生した叛乱においても、この直轄領税制に対する反感が要因となっていた。


「最も重傷の議員でも全治二ヶ月と、院長から聞いております。そのあたりをメドに選挙を行い、議会と内閣を再建するまでに三ヶ月ですから、東部軍管区行政庁では八月頃がタイムリミットと見積もっているようです」

「たしかに」

「当面、私が当地の行政と立法を預かりますが、活動を再開できる議員の方々には、なるべく早く政治活動を再開していただきたいのです。だからこそ、ウィルソン総裁も今は治療に専念していただきたいのです」

「わかりました。自治プラットフォームのほうにも、お伝え願います」



 二〇時三二分

 市街地


「……えらく混んでいるな?」


 中央病院から、次の目的地である自治プラットフォーム本部に向かう道中、柳井の乗るモナルカ・インペラトールと護衛の車両は渋滞に巻き込まれていた。柳井はまったく動かない車列を見ながら、時計に目をやった。本来ならすでに自治プラットフォーム本部にいる時間だった。


「先方には伝えてありますが……准尉、何か見えますか?」

「どうもこの先の交差点で事故があったようで……」


 バヤールに問われ、サンルーフから身を乗り出していたビーコンズフィールド准尉が首を振った。


「ここは迂回した方が良さそうです。あまり停車したままでいるのも……」


 ビーコンズフィールド准尉はこの期に乗じた突発的なテロを警戒していた。いかにモナルカ・インペラトールが頑丈に出来ているとはいえ、帝国宰相の乗る車が攻撃を受けること自体が問題だった。


「……事故、か」

「何か気になることでも?」


 バヤールが柳井を気遣わしげに見やる。


「またマクファーレンがやったのではないか?」

「まさか……いえ、考えられますね……調べておきます」

「頼む」



 二〇時四三分

 自治プラットフォーム本部

 応接室


「お待たせしてすいません。事故渋滞に巻き込まれまして」


 バヤールを伴って自治プラットフォームの本部を訪れた柳井は、代表のカイ・モリモトとの会談に臨むことになった。自治プラットフォームは議席の関係で爆心である自由連盟の議席から離れていたため、比較的軽傷者や無傷の者も多く、モリモト自身も擦り傷だけで済んでいた。


「お気になさらず。ウィルソン総裁達はどうでしたか?」

「傷が癒えれば、また精力的に活動していただけるものと思います。伝言を預かっております。議会で再び会おう、とのこと」

「ウィルソン総裁らしい……選挙のことも考えねばなりませんが、自治プラットフォームは比較的怪我人が少なく済んだもので、動き出しは早いかと」


 柳井はその答えに安堵して、出されたコーヒーに手を付けた。


「自治共和国市民の皆さんが望むのなら直轄領になるのも、再建のための一つの手段です。しかし……」

「おそらく民意はそれを許さないでしょう。我々無事な議員でそのあたりの喚起もしていこうかと」


 バーウィッチ自治共和国において、すでに自由連盟は帝国と自治共和国に対する叛乱行動を起こしたと判断され公党としての資格停止、政治活動の禁止が申し渡されている。こうなると次の選挙に出る既存政党のうち、大規模な議席を獲得できるのはバーウィッチ自由党と自治プラットフォームの二党に限られる。


 いずれの党が勝つにせよ、大筋の政権・議会運営について両党が合意して安定した政治体制を構築できなければ、東部軍管区としても直轄領への移行を考えざるを得なくなる。だからこそ、柳井はこうして党首達と会い、根回しをしなければならなかった。


 次の内閣は、民意の分断にも留意しつつの運営が求められる。その点をモリモトが分かっているのを理解した柳井は、三〇分ほど政策議論を交わした後に迎賓館へと戻っていった。



 五月七日一〇時一三分

 迎賓館

 執務室


「閣下。宇佐美以下五名、バーウィッチ自治共和国再建支援のために参りました」


 帝都を発した増援の近衛連隊と共に、宰相府事務局長の宇佐美、宰相付侍従のジェラフスカヤと事務官三名が迎賓館に到着した。エリアナ・ケベド、デジレ・マルクー、韓文傑ら三人の事務官は、宇佐美の内務省時代の部下でもあり、柳井とはゲフェングニス349の疎開作戦の際に面識があった。


 ハーゼンバインが買い込んでいたスナックやコーヒーを片手に、柳井は宇佐美達との打ち合わせに入る。


「ゲベド、マルクー、韓は東部軍管区行政庁と連携している第三会議室のチームと共に、当面の自治共和国内政支援を頼む」


 三人の事務官が頷いたのを確認して、柳井は続ける。宇佐美の部下である三人の事務官は、いずれも内務省の外局である総務庁からヘッドハンティングされた者で、行政組織としての宰相府を支えている。


「ジェラフスカヤは私の補佐を。バヤールとハーゼンバインも休ませないとな……君も疲れているとは思うが」


 ジェラフスカヤは柳井達が不在の際、黄檗の間に当直で詰めていたから当直明けそのままバーウィッチ自治共和国への移動となっていた。


「いえ。ここに来るまでに休ませていただきましたし」

「自治共和国運営となると君の知識も必要だ。よろしく頼む」


 星系自治省にもいたジェラフスカヤの見識は、柳井にとってかなりの助けになる。柳井も、自身の知識不足には常に負い目を感じていたが、それを抱え込まずに専門家に頼れるのは柳井の美点の一つである。


「宇佐美さんには現在私が行っている各所の統括を頼みます。いくら東部軍管区行政庁が入るとは言え、仕事が山積みで寝る間もなくて」

「畏まりました」


 実際、柳井の睡眠時間は四時間ほどしかなく、執務の間にも取材対応などをしているのでそれさえも危うかった。今後、自治共和国自治政府議会選挙が近づけば、柳井への取材件数は膨れ上がる。


 柳井は自分に行政の長としての基礎知識が欠けていることは自覚しており、それならばと専門のスタッフにそれらを割り振り、自らを帝国の広告塔として帝国の友邦たる自治共和国の秩序を取り戻すことに専念する考えだった。


「そういえば、マクファーレン支局長がこちらに来ているとか」

「宇佐美さんは、彼のことをご存じですか?」

「関係は深くありません、というか向こうは私のことを知らないでしょう。私の七期上で、部署が違いましたからね。私が入省した時にはすでに内国公安局員として動かれていたと記憶しています。あまり関係は深くありませんが、内務省の官僚にしては誠実な方だという印象は受けましたね」


 本省だけでも五〇〇〇人以上詰めている内務省において、印象が残っているだけでも大したものだと柳井は感じた。宇佐美のような生真面目さが物質化したような男が誠実と称するのなら、少なくとも職務には忠実なのだろう、と考えたわけだ。


 その後、各種業務に関する引き継ぎや検討を行った後、宰相府バーウィッチ分室が稼働することとなった。


「さて……しかし内閣が吹き飛んで、議員が半数ほど亡くなった自治共和国の再建というのは骨が折れるな」

「帝国史上、そういった事例はあまり多くありません。自爆した連中は最悪の置き土産を残していきましたね」


 ジェラフスカヤが呆れたように首を振った。


「行政庁とも詳細は詰めているが、選挙をして内閣の首班指名、組閣まで終えるのに三ヶ月程度とみている。八月にはここを引き揚げられることを祈ろう」


 柳井の言葉に一同が頷き、それぞれの仕事に向き合うことになるのだった。

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