第56話-① 首相代理・柳井義久
五月六日〇九時三九分
迎賓館
首相代理執務室
「内国公安局、ロージントン支局長のアルフレッド・マクファーレンです。この度、東部軍管区司令長官の命を受け、バーウィッチ自治共和国内の叛乱分子の捜査と摘発のため参りました」
内国公安局は、帝国内部の治安維持のために反帝国思想を持つ集団や個人などを監視する組織であり、帝国というシステムを維持するために不穏分子を摘発、時には非合法手段で排除することも
マクファーレンは東部軍管区全体を司る立場であるが、柳井の目には、ややくたびれた普通の官僚にしか見えなかった。しかし、それが内国公安局はじめ、内務省官僚の特徴でもある。どこにでもいてどこにもいないし、特徴が無いのが特徴――というのが、内務省の現場を担う官僚の多くに見られる傾向だった。
「首相以下、政権幹部は軒並み死亡しているが、支持母体である市民連合などが残っている。調査は慎重に頼む」
「はっ。すでに第一次逮捕者リストは出来ております」
柳井に言われたマクファーレン局長は、自分の端末を操作して、執務室のモニターにリストを表示させた。
「多いな……」
「およそ五〇〇人。いずれも内務大臣達の息が掛かった官僚と、市民連合幹部です。第二次では更に増えるかと」
そう言うと、マクファーレン局長は鞄から合成紙の束を取り出して柳井に手渡した。
「これが事前に掴んでいた自治政府と市民連合の情報です。お暇な時にでも目を通してください」
「そうか……ともかく、頼む」
「はっ。首相代理である宰相閣下の御為にも、当地の治安を取り戻すことに全力を尽くします」
マクファーレン局長が一礼して退室する。柳井はその後ろ姿を気味悪げに見送っていた。
「どうされました?」
「油断も隙もあったものではない。机の裏側を見てみろ」
柳井に言われて、バヤールは柳井の執務机の裏側をのぞき込んだ。
「これは……!?」
バヤールが指でつまんで外したのは、超小型の盗聴器だった。
「ゴミ漁り共め。さすがと言うべきか」
柳井は廃棄物を漁ってでも不穏分子の調査を行う、という内国公安局の行動を揶揄した蔑称を呟いた。
柳井の内務省嫌いは帝国人として珍しいものではない。特に内国公安局は国内治安維持の為ならば盗聴、盗撮は辞さない。内国公安局から見れば、柳井でさえ監視対象になりうるのだった。内務省が守るべきは帝国という国家機構であり、時の皇帝やその重臣、政府閣僚といえども例外なく監視されている、というのが通説だ。
そもそも柳井は五九〇年の動乱時に内務省から命を狙われていたのであって、一個人として内務省に好感など抱きようはずもない。バヤールから取り上げた盗聴器を床に放った柳井は、革靴の踵でそれを踏み潰した。
「もっとも、連中が本気になればもっと巧妙に仕掛けられるし、室外からの盗聴も出来るだろう。これは挨拶がわりのハグみたいなものさ」
「イヤなハグですね……」
柳井のジョークにバヤールが顔を顰めて答えた。
「内国公安局のやり口は知っていましたが、こうも鮮やかにやられるとは……閣下はなぜ分かったんです? 私はまるで気付きませんでした」
「まあ、詳しい人物がいるのでな……あとで松本大佐に頼んで、迎賓館のシステムもセキュリティチェックしてもらおう。痛くもない腹を探られるのも癪だしな」
柳井は手渡された合成紙の資料をめくりながら、苦々しげに呟いていた。
〇九時四五分
カフェ・メルヴィン チェルーズ博物館店
帝国の市街地なら一キロメートルの範囲内に一店舗は必ず見られるというチェーンの喫茶店で、名物のパンケーキに朝食セットのサラダとコーヒーを頼んでいたローテンブルク探偵事務所の二人は、大通りの上空を飛び去った東部軍管区行政府の連絡艇を見送っていた。
「おいエレノア。内国公安局が来たらしいぞ。マクファーレンの野郎だ」
所長エレノア・ローテンブルクの助手であるハンス・リーデルビッヒは、うげぇ、という顔をしてエレノアに声を掛けた。
「へえ。ロージントンの支局長さんが重い腰を上げたって訳か。根こそぎやるつもりね」
エレノアは今朝発行のチェルーズ・タイムズの電紙版を読みながら、パンケーキを頬張った。
「ま、やり口はいやらしいがいつも出遅れるのは内務省あるあるだからな。官僚機構ってのはこれだから」
ハンスの言葉にエレノアはニコニコとしながら頷いた。帝国内の不穏分子の監視や摘発を任務とする内国公安局とはいえ、いついかなるときも非合法手段に訴えるわけでもない。また、責任回避が本能になっている官僚機構の常として、動きが鈍いことは多い。
「さて、ともかくそれなりの情報は得られたし、宰相閣下にご挨拶してトンズラするとしましょうか」
「また点検口から入るのか? ホコリっぽいしイヤなんだが」
「まさか。正面突破よ!」
エレノアは残ったサラダをかっ込んで、椅子から立ち上がった。
一〇時〇四分
迎賓館
『閣下、エレノア・ローテンブルク様が閣下との面会をお求めですが』
迎賓館の警備に当たっている近衛兵からの報告に、柳井は飲みかけのコーヒーを噴き出し掛けた。
『閣下、いかがなさいました?』
咳き込んでいる柳井を訝しんだ近衛兵に、柳井は大丈夫だと返し、執務室に通すように命じた。
「どうもこんにちは、閣下。お怪我をされたとのことで、お見舞いに」
柳井はまだ爆発に巻き込まれた際の打撲が癒えておらず、腕を吊ったままだった。額の傷を隠すように巻かれた包帯と相まって、実態以上に重傷に見える。
「あ、これお土産です。侍従の方々と一緒に食べてください」
ハンスから手渡されたドーナツの箱を受け取った柳井は、この二人の場違いな雰囲気にやや戸惑っていた。帝都で会うときはそうでもないが、昨夜まで叛乱が起きていた惑星にいて、ローテンブルク探偵事務所の二人はそれを微塵も感じさせない物見遊山の雰囲気だった。
「あ、ああ、いつもすみません……バヤール、すまないがコーヒーを三つ頼む」
「はっ!」
バヤールが執務室を駆け出していくと、柳井も応接机のソファへ移動した。
「フロイライン、いつもの偽名は使わなかったんですか?」
「だって、近衛の方々には大体顔が割れちゃってますから」
エレノアは普段、偽名としてウルスラ・ロートリンゲンという名前を使っている。その前はエリーザベト・ロットマイヤーと名乗っていた。
「まあそれはそうですが……」
「それにしても、また肩書きが増えましたね柳井さん。今度は首相代理ですか」
「今回は本当に臨時のものですから……それは?」
柳井はエレノアの取り出した紙束に気がついた。
「亡くなった首相閣下、それと今後死んじゃうかもしれない市民連合の内部情報です。内務省でこれからとっ捕まえるなり謀殺するでしょうし、あの人達が閣下に記録を開示するようには思えないので」
「それはどうも。しかし私は指示した覚えがないが」
バヤールが持ってきた缶コーヒーを飲みながら、柳井は合成紙の束に目を通していた。
「ジェラフスカヤさんからのご依頼です」
「ああ、なるほど……しかし、内務省の手が入り始めたので、私が考えることはなさそうですが」
「彼らの反帝国分離独立運動は、体系化されています。アルバータ自治共和国、イステール自治共和国、そしてバーウィッチ自治共和国。ここで起きたことは他の自治共和国でも起こせます」
「……なるほど。よく読んでおくとしましょう」
「前金たんまりいただいてたんで、これから別の調査も済ませに行こうかと」
「まだ、きな臭いところはありますか」
うんざりした様子の柳井に、エレノアは微笑んだ。
「そりゃあもういくらでも。私みたいな事務所が存続できるのは、まあそういうところが多いからでして」
「それはいい。私も帝国宰相などと言う因果な商売からは足を洗って、探偵にでも転職しようか」
「法令遵守の精神が染みついた人には向かない商売ですよ」
冗談交じりに言った柳井に、エレノアは最大限の真面目な顔を向けていた。
「それじゃ、確かに渡しましたからね。柳井さん、無理しちゃダメですよ」
「ありがとうございます、フロイラインこそ、火傷しないようにお気を付けて」
コーヒーを飲み干したエレノアとハンスを見送り、柳井はしばらく資料を読み耽った。
一五時四三分
「柳井だ。状況は?」
『メレデリック通りで市民連合のデモ隊が警官隊の制止を振り切り無秩序化。通り沿い店舗の焼き討ち、車両の破壊をはじめ暴走しております』
柳井の問いに、すでに機動隊指揮所にいる警備部長が答えた。山積する執務をこなしていた柳井が、市街地での暴動の報を聞いたのがつい三分ほど前のことである。
『現在第一機動隊が対応しておりますが、待機中の第二、第三機動隊も現地に急行しております』
「メレデリック通りから両端を塞いでアンデリック広場に押し込めば、一気に制圧できるのでは」
ちょうど柳井と打ち合わせのために執務室を訪れていた張大佐の進言に、数秒警備部長は考え込み頷いた。
『それで行きましょう。では閣下』
「ああ、頼む……やはりこうなるか。議事堂と首相官邸の自爆事件が、私の策謀だと噂されているというが……」
市街地での暴動で発生した火災の煙が、迎賓館の執務室からも見えた。自治共和国当局が対応できる範囲で鎮めなければ、再び軍の投入にも繋がる。
「閣下、一〇二四降下揚陸師団はいつでも出撃準備を整えております」
「いや、今は警察に任せておこう。軍を投入すると変な場所に飛び火する可能性もある」
「わかりました」
張大佐が退室したあと、柳井は溜息交じりにコーヒーを飲んだ。
「首謀者が全員死んでいるというのも、こういった風説の流布に拍車を掛けています。無党派層にもその情報に触れ、帝国、閣下への批判的な意見が広がっている模様で……」
バヤールがいくつかのネット上に流れる怪文書や噂の類いを執務室のスクリーンに映し出した。
「まったく……そんなまどろっこしいことをするくらいなら、軌道上から対地砲撃して潰す方が手っ取り早いではないか。態々私自身吹き飛ばされに議事堂に赴くなんてバカげた話だ……」
「とはいえ、こうなると市民連合側の懐柔は不可能。無党派層に対してはファクトを提示していくしかないでしょうが……」
柳井はしばらく考え込んだあと、内務省のオフィスにいるはずのある人物を呼び出した。
『お呼びでしょうか、閣下』
「マクファーレン局長、知恵を貸してほしいのだが――』
柳井から事態収拾のための方策を問われ、マクファーレン局長は用意していたように資料を転送してきた。
『議事堂を占拠していた部隊の兵達を尋問しても、彼らは知らなかったと言っています。でなければあれほど早く議事堂を開放しなかったでしょう。死亡した議員のいずれかに罪をなすりつけてしまえばよろしいのです』
「証拠も無いのにか?」
『爆発の中央部に近い議席に座っていた議員でいいでしょう。どのみち死骸も吹き飛んでいます。証拠は作れます』
「いやダメだ」
さらりと言い放ったマクファーレン局長に不快感を隠せない柳井は、首を振ってその提案を拒否した。
「そんなことが漏洩でもしたら、次は市民暴動レベルでは済まない。今度こそ民間人ごと焼き払うような鎮圧戦になる。それだけはダメだ。証拠が無ければ許可できない」
『おそらくそう仰ると思っておりました』
まさか自分は試されているのか、あるいはそんな稚拙な策を弄するほどバカだと思われているのかと憤慨しつつ、柳井はマクファーレンの次の言葉を待った。
『市民連合の中心人物を可及的速やかに排除するのが次善の策です』
「市民連合を組織として骨抜きにすると?」
『デマを流しているのも、彼らの情報戦部隊と思われます。穏便に済ませるように取り計らいます』
「……君たちの辞書と私の辞書では、穏便の定義が随分異なるようだな」
『恐れ入ります』
柳井の呆れ半分冗談半分の言葉に、マクファーレンは慇懃に頭を下げた。
『ともかく、市民連合の活動を止めさせないことにはデマの流布は止まりませんし、それに煽られた民衆暴動も収まらないでしょう』
柳井への誹謗中傷やデマの種類も多岐にわたり、特に多いのが女性問題に関するものだった。何せ主君は女帝、侍従武官長も女性、宰相付き侍従も三名中二名が女性で一人は既婚者。さらに言えば宰相府事務総長も女性で普段乗り込む戦艦の艦長も女性でいずれも美女揃い。下種の勘繰りとはいえ、簡単で嫌悪感を抱かせることを第一にした単純かつ手軽な手法だった。
『彼らの活動を止めつつ、ファクトを積み上げ偽情報に対するカウンターを行うのが、正道と言えましょう』
「内国公安局の支局長から正道という言葉を聞くとはな」
柳井にしては珍しい揶揄するような笑みを向けられたマクファーレンは、困ったように眉を
『我々は帝国の治安維持に最適な方法を提案しているまでです』
「わかっている。ではそのように」
柳井とて内務省が帝国を守るために動いていることは承知していた。
「ちなみに、その間、私が出来ることはあるかな?」
『閣下の美点は、自ら最前線にお出でになることです。閣下のお言葉は陛下と違って飾り気がなく、派手さはありませんが真摯に訴えかける姿勢は無党派層の心を動かす可能性があります』
「つまり、メディア露出を増やせ、ということか。いつも通りだな」
『閣下は陛下の陰となり日向となり、現在の帝国の姿勢を如実に表すものでありますれば』
「わかった。それはこちらで……よろしく頼む」
『はっ。それでは』
マクファーレンとの会話を終えた柳井は、深い溜息を吐いて、控えていたバヤールに振り向いた。
「というわけだ。取材依頼はなんでも受けることにする」
「しかし閣下、あまり市街地に出られるのは危険です」
「私を暗殺しようというのならしてみたらいい。私が死ねば帝国はこの惑星を三日で焼き尽くす……とはいえ、それは避けたい。できるだけ迎賓館で受けると伝えてくれ」
取材についての知らせを出すと、瞬く間にその日のスケジュールが埋め尽くされる。地元メディアだけでなく、ロージントンや本国からの取材陣も惑星チェルーズに押し寄せていたのだった。
「出国できるようになるのがいつになるか分からないというのに、よくもまあ……」
ハーゼンバインが、取材を申し込んできたメディアのリストを見て呆れたように言う。
「まあ、一週間ほどで終わるだろう……第一次逮捕者リストの連中さえ片付ければ、内務省も許可を出すと思うが」
柳井がそうした取材に対応している間に、警察はデモ隊の鎮圧を完了していた。
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