第55話ー⑨ 暴発
二二時三〇分
ライヒェンバッハ宮殿
皇帝の寝室として使われている楪の間は、実のところ柳井が使っている海棠の間よりも狭い。初代皇帝、国父メリディアンⅠ世も使用したという部屋は、書斎、寝室、リビング、バスルームを合わせて一〇〇平米にも満たないスペースしかない。
元々は海棠の間を皇帝主寝室として設計していた宮殿設計者のアントン・ブライトナーは、メリディアンⅠ世から生涯独身を貫くことを明言されたため、元々皇帝のプライベートの書斎となる予定だった場所を楪の間として再設計した経緯がある。
狭いとは言えそれは宮殿のスケールを考えればのことで、皇帝がパートナーを伴っていても十分な広さがあった。
その部屋の主であるメアリーⅠ世は、執務を終えてバスタイムを楽しんでいるときだった。リビングの古風なデザインの通信端末がベルを鳴らした。皇帝は湯船に浸かりながら、浴室の端末でその通信を受けることにした。
『陛下、お休み中のところ失礼いたします……映像は切っていただいてもいいのですが』
アレクサンドラ・ベイカー侍従武官長の声色から、あまり嬉しいニュースでは無さそうだと感じていた。フローティングウィンドウ越しのベイカーの表情も、当然暗かった。
「今更恥ずかしがる仲でもあるまいし。ところで、あまりいいニュースじゃなさそうね」
『メリディアンⅡより入電。バーウィッチ自治共和国議事堂、および首相官邸にて立てこもっていた叛乱勢力が、設置していた爆薬に点火して死傷者多数とのこと』
「……バカな真似を……義久は?」
『議事堂に入っていたようで、腕を打撲、頭部に切創ありとのことですが命に別状無し。しかし首相官邸にいた内務大臣以下閣僚全員、自治政府首相と、議事堂で多数の議員が即死しています』
「義久にはまた面倒ごとが増えたわね……」
『陛下、少しお待ちを――義久から通信が入っております』
「繋いでちょうだい」
皇帝の前に出力されたもう一つのフローティングウィンドウに、頭に包帯、三角巾で腕を吊った柳井が現れた。
『陛下、お休み中のところ申し訳ありません』
さすがに柳井のほうに画像送出しない程度には、皇帝にも慎みがあった。もっとも、柳井のことなので皇帝の裸を目にしても平然としている可能性すらあった。
『議事堂、首相官邸の制圧中に叛乱者達が自爆。死傷者多数。星系自治省に星系自治法第一三四条と一三五条を適用させてください。当面の首相代理としては私を任じていただければと思います。事後処理はお任せください』
星系自治法第一三四条は、自治共和国政府の非常時における星系自治省による行政権の代行に関する条文で、一三五条は自治政府議会の権能の代行に関する条文であり、その際は中央政府または当該自治共和国の属する宙域の総督、あるいは皇帝により定められた者が当該自治共和国の属する軍管区の行政庁とともに政府機能を代行することとされている。
これにより、現地の行政権を柳井が掌握し、東部軍管区と共に事態収拾に当たることが法的根拠を持って許可される。
『議員に多数の被害が出ております。現時点で官庁街は防衛軍司令部を除いて制圧済み――』
画角外から声を掛けられた柳井が何らかの報告を受けているのを見ながら、皇帝とベイカー侍従武官長は頭を抱えたくなった。市民の被害は抑えたとは言え、自治政府がほぼ壊滅したと言ってもいい。官僚機構は生きていても、それを指揮する政府が事実上消滅したのだ。
しかも、その官僚機構にも叛乱勢力の息が掛かったものがいるのは確実で、当面まともに動かせないことが確定している。事実上、バーウィッチ自治共和国は脳死状態だ。
『失礼しました、防衛軍司令部も制圧完了とのこと。しかし防衛軍司令官のカンナヴァーロ大将が拳銃で自害。残存司令部員は降伏したようです。国防法第三四五条も必要かと』
国防法第三四五条は自治共和国防衛軍に関する条文で、この中には防衛軍の指揮権限の委譲に関する条文があり、星系自治法一三四条と一三五が適用されている状態だと自動的に前述の条文で定められた者に指揮権が委譲される。
「どいつもこいつも簡単に自爆だの自害だの……市民への被害は?」
『現状では大きな被害は出ていません。市街地のデモ隊などは現地当局が対応しております』
とりあえず市民の被害は少ないのならよしとしよう、と皇帝は気分を切り替えた。
「わかった。市民の被害が大きくなければ、まあ合格点でしょう。あなたはそのまま当地の行政能力の復旧を。自治省と東部軍管区へはこちらから指示を出しておくわ」
『よろしくお願いいたします。では、状況に変化があり次第、またご連絡いたします』
通信が切断されたあと、皇帝は苦々しい顔をしてコーヒーを飲み干した。
「柳井にとっては不本意な結果だったでしょうね」
『議員に多数の死傷者が出たのは拙いことになりましたね。この後、立法と行政機能を回復するとなると時間も必要です』
自治政府議会の議員選挙のためには、そもそも各党が候補者を立てなければならないが、そこから調整を行うとなると時間も掛かることは分かりきっていた。
「しばらく義久には現地にいて貰う必要がありそうね。アリー、近衛第一連隊をバーウィッチに向かわせて。義久の警護を強化しておかないと」
『はっ。早速』
近衛軍への指示を通達するため、ベイカー侍従武官長が通信画面から消えたあと、皇帝はシェルメルホルン伯爵に連絡を入れた。諸般の事情はすでに伯爵も把握していた。
「義久不在時の対応は問題ないわね?」
シェルメルホルン伯爵が、自信を持って頷いた。
『もちろんでございます。近衛連隊の増派と合わせ、ジェラフスカヤと宇佐美事務局長と事務官数名を同行させます。イステールからも増援を出します』
「よろしく」
五月五日〇八時三二分
迎賓館
執務室
「おはよう……さすがに寝が足りないな。コーヒーをもらえるか」
議事堂での爆発事件のあと迎賓館に戻った柳井は、その後も報告を聞いて指示を出し続けていたが、さすがに二時を過ぎた頃に仮眠に入り、今に至る。
政府機能の復旧には、自治政府の各省からの連絡員と防衛軍の連絡将校を合わせたチームが、東部軍管区行政府と共に当たっている。すでに迎賓館の会議室がそのための指揮所に当てられることとなり、臨時の政庁とされた。
執務室には柳井と、宰相付き侍従のハーゼンバイン、バヤール、護衛隊隊長のビーコンズフィールド准尉のみだ。
「はい、どうぞ。まあ地下の自販機のものですが」
ハーゼンバインが差し出したコーヒー缶を受け取った柳井は、それを一気に飲み干した。
「ありがとう。現在の状況は?」
会議用の円卓の上に置いてあった菓子パンをかじりつつ、柳井は執務机に着いた。
「明日には帝都から近衛第一連隊と、ジェラフスカヤさんと宇佐美事務局長、増援の事務官、それにロベールさんがイステールからこちらへ到着します。政府機能については、第二会議室で現在東部軍管区行政庁の指示を受け再建作業中です。報告・承認の類いはこちらにまとめてあります」
バヤールからタブレット端末を受け取った柳井は、リストを軽く見ただけでまとめて承認を付けていた。
「ここには長居することになりそうだな……」
現在、行政、司法、立法の三つの柱のうち、バーウィッチは行政と立法が崩壊している。行政を担う各省庁の官僚機構の中には、死亡した内務大臣らの息が掛かったものが残っている以上、調査を進めてそれらの排除も必要になるし、そうなればその穴埋めも必要だ。
立法を担う自治共和国議会上下両院も、議員の過半数を失い機能停止状態。新たな議員を選出するまでは、東部軍管区がその機能を代行している。
「閣下、傷が痛むのですか?」
各所からの報告を整理していたハーゼンバインが、柳井を心配そうに見やる。
「いや、我ながら迂闊な作戦を立てたものだと思ってな」
吐き捨てるように言った柳井に、ハーゼンバインが首を振る。
「そんな! 閣下は市民への被害を最小限にするために、この作戦を立案されたのではありませんか。目的は十分果たしております」
「議員や首相を死なすことはなかった。もう少し慎重な作戦を立てていれば……」
「閣下、失礼します」
首相官邸の爆発に巻き込まれた第一〇二四降下揚陸師団師団長の張大佐は、頬の裂傷も生々しい姿で執務室に現れた。
「張大佐。傷はいいのか?」
そもそも張大佐は古傷を綺麗に治さず、傷跡が目立つようにしている。降下揚陸師団の高級将校には多い風習だ。真新しい頬の傷を誇らしげに指ささして見せた張大佐に、柳井は肩をすくめて笑みを浮かべた。
「見た目通り頑丈に出来ております。まあ、また勲章が増えたようなもので。首相官邸地下シェルターの調査が完了。やはり政府閣僚は即死。自治政府首相も同様でした」
狭いシェルター内での爆発で、生きているはずもない。遺体――とされる肉片――も確認した張大佐の報告に、柳井は眉間に皺を寄せた。何せシェルターの天蓋ごと吹き飛び外にいた張大佐達突入部隊が負傷するほどだ。
「官庁街の制圧と主要施設の爆発物の調査も完了。議事堂と官邸以外には仕掛けていなかったようです」
「そうか……すまない」
「何を仰る。これだけの規模の惑星の叛乱を鎮圧したのに、犠牲は驚くほど少ないのです。閣下にそんな顔をされては、我々の立場がありません」
民間人の被害はデモ隊の乱闘由来のものが殆どで、それも三桁に収まっている。制圧作戦そのものによる犠牲者も最小限で、帝国軍のこれまでの叛乱鎮圧作戦と比較しても明らかであり、柳井の立てた作戦が有効だった。
「……そうだな。ありがとう、大佐」
「はっ! 官邸の処置は完了しておりますので、議事堂へ増援を回しております。あちらも相当酷いようで……」
現在までのところ、議事堂での犠牲者は上院下院合わせて一三九名。全議員の約半数を失ったことになる。とりわけ自由連盟議員の死傷者が多いのは、爆弾を自らの議席の下に仕掛けていたことが原因であり、続いてそこに隣接する自由党も議員の半数を失った。
議事堂職員が六一名犠牲になり、合わせて二〇〇名が死亡。残る議員と職員も約半数が火傷や裂傷などを負い治療中である。
遺体の収容も、バラバラになった肉片を瓦礫の撤去に合わせて行う有様であり、対応する者のメンタルケアなども各部隊に指示してあるとはいえ、柳井としても気が重い。
唯一の幸いと言えたのは、結局物理的に自由連盟の議員、それも幹部クラスが一掃されたことで今選挙を行っても自由連盟が叛乱前の勢力を取り戻すことがない、ということだが、それを喜ぶほど柳井は落ちぶれていなかった。
「現在自治共和国政府は、閣下の統制下にあります。内務省から出されていた情報統制令も解除されました。宇宙港の封鎖は継続ですか?」
バヤールからの報告に、柳井は頷いた。
「当面はな。明日には東部軍管区の内国公安局長が来るから、それ以降の話になるだろう。報道各局に、迎賓館へ来るように要請してくれ。叛乱鎮圧完了の報告をしなければならない」
柳井はそれと、と付け加えた。
「報道班の身体検査は慎重に頼む」
「はっ!」
帝国標準時およびバーウィッチ標準時一二時〇一分。柳井は叛乱の完全鎮圧を宣言。その報告のために迎賓館には報道各社の取材陣が呼ばれ、全チャンネル、全媒体での会見を行うことになった。
柳井の指示通り、近衛軍兵士による身体検査は厳しく行われ、事務用のカッターナイフの持ち込みも禁じられた。
「私は帝国宰相、柳井義久です。不幸なことに、バーウィッチ自治共和国政府は、独立を一方的に宣言。これに対し、畏れ多くも皇帝陛下より、当地の鎮圧の任を受け、これを鎮圧いたしました」
執務室に並べられたカメラやマイクを前に、柳井は落ち着いた口調で告げた。軽傷とは言え柳井の姿は痛々しいものだった。
「しかし、叛乱の首謀者たる金沢ジョージ他、バーウィッチ自由連盟の議員による自爆を受け、国会議員や職員多数の死傷者を出すこととなってしまいました」
当面のバーウィッチ自治共和国の内政は、私が預かり、東部軍管区の支援を受け治安回復、行政および立法機能の回復に努めます。市民の皆さんは、政府公報をご覧いただき、その指示に従うよう、お願いします。
叛乱勢力の自爆に巻き込まれ、亡くなられた方々に謹んで哀悼の意を表すと共に、自治共和国市民の皆さんが安心して暮らせる自治共和国を一刻も早く取り戻すべく、全力を尽くして参ります」
柳井の宣言は過度に叛乱者を貶めることも無かったことが、多くの市民感情の慰撫に役立ったのだが、それでも柳井達帝国側の鎮圧作戦により爆破されたのだという、事実と逆の噂も広まり、バーウィッチ自治共和国内には不穏な空気がなお漂っていた。
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