第55話ー⑦ 暴発


 一六時四一分

 ニューミドルトン

 首相官邸

 閣議室


 一方的な帝国からの分離独立宣言の後だというのに、自治共和国政府首脳部が集まる首相官邸には達成感も高揚感もなく、ただ緊張感だけが漂っていた。


「帝国からの返答は?」

「それが、一切の応答がありません」

「……無視しているのか? こちらの要求は伝えたのだろうな?」

「柳井宰相とは通信以後、全ての通信が拒否されています。通信封鎖を掛けているようです」


 金沢ジョージ内務大臣は、部下の報告を聞きながら不安げに窓際をうろついていた。これだけの規模の領邦が独立を宣言したというのに、帝国からのアクションがないのは異常だからだ。


「報道は、何か言っていないのか」

「それが、公式発表はおろか、報道や新聞記事の一つもない……」


 内務大臣に問われたナンシー・ユン国防大臣が、苛立ちと不安を滲ませる表情で答えた。


 金沢達叛乱勢力首脳部が知る由もないが、これは第七四電子戦隊により、バーウィッチ自治共和国にもたらされる超光速通信データが検閲され、バーウィッチに関わるものだけが意図的にフィルタリングされているからに他ならない。数十年もすれば、近隣星系から通常帯域の通信波が届くだろう。


「嘘だ! そんなはずはない! 何か隠しているのではないか!?」


 他の閣僚達は、内務大臣と国防大臣のやりとりを、やはり不安な面持ちで見つめていた。今回の独立に際して、他の閣僚達はほぼ蚊帳の外であり、ついていくしかないのが現実だった。


「防衛軍の配備は」

「計画通り。ただ、帝国軍部隊の配置はまだ分からない。索敵網にも引っかからない」


 国防大臣に怒鳴り散らした内務大臣だが、その国防大臣からの報告も、彼の精神安定には寄与しなかった。


「どこにいる……! 出てこい柳井! 卑怯者め!」



 同時刻

 第三応接室


「……」

「首相閣下、お食事です」


 自治政府首相の趙梓宸ちょう ししんは首相官邸内で軟禁されていた。自らの政府が帝国に反旗を翻した事実に震え、一睡も出来ないまま今に至る。


「……外は、どうなっているんだ」

「すでに防衛軍は戦闘態勢。市街地はデモ隊が衝突して警察機動隊がてんやわんや。すごいものですよ」


 首相に問われた給仕の女がヘラヘラと気楽そうに言うのを聞いて、首相は立ち上がった。


「君は……! この状況がどんなことになるのか予想できないのか! 帝国の鎮圧作戦が開始されたら市民にも犠牲者が出てしまう!」


 首相に残された良心は、もっともらしい言葉を並べ立てた。


「いずれこうなると分かっていたのに、アンタ連中からいくら貰ったんだ」

「なっ……」


 給仕の女の運んでいたカートから、長身の男が這い出てきた。男は首相の口を素早く手で塞いで、左胸に拳銃を突きつけた。


「殺しゃしない。ちょっとお話ししたいだけでね」

「き、君は、君たちは何者だ?」

「通りすがりの、ただの探偵ですよ」

「探偵?」


 給仕の女が胸を張り、拳銃を持った男が溜め息を吐くのを交互に見て、首相は首を傾げた。


「ローテンブルク探偵事務所、所長のエレノア・ローテンブルクと申します。ある人から、バーウィッチの情勢調査を頼まれています。ものはついでなので、首相のお話も聞いておきたいな、と」


 エレノアはそう言うと、首相に座ってお話ししましょうと言って、食事まで薦めた。首相としては状況を理解しきれないとはいえ、従うしかない。


「……はじめは、単に帝国に対する協定改定のための協力を、と言われただけだ。バーウィッチの経済は低迷していて、根本的な改善を行うには、どうしても帝国との関税協定の見直しをしたかった。帝国軍駐留問題は、そのついでだ」

「それがいつの間にか、本気で自主独立を考え出した、と?」

「イステール自治共和国のルガツィン事件のあと、更に加速したと言うべきだろうな……」


 妙なところで妙な名前を聞いたエレノアは、苦笑いを助手であるハンス・リーデルビッヒに向けた。イステールと言えば柳井が総督を務めている場所であり、妙な縁がついて回るものだった。


「でも、あなたはそれを星系自治省に共有していなかったじゃないですか」

「……いやそれは」

「結局あなたは端金はしたがねで自治共和国の不安定化を見過ごしたということですよね?」

「そ、それは……そうなのだが……」


 その後、一〇分ほどエレノアによる首相へのインタビューが続いた。


「最後に一つ。彼らは独立を維持することが可能と判断して、今回の暴挙に至ったのでしょうか?」

「そんなこと、私に聞かれても困る……」


 あ、そうですかとエレノアは分厚い本革カバーの手帳を閉じて立ち上がる。


「それじゃ、ここらで私たちはドロンしますんで」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。私を助けてはくれないのか!?」

「残念ですけど、探偵って身軽さが信条でして。それに、そのうち来ますよ、宰相閣下が」


 エレノアが軽く手を振って、ハンスがカートに入り込むと、再び給仕の顔をして部屋を出て行った。残された首相は、呆気にとられたように立ちすくむしかなかった。



 一八時五〇分

 第七四電子戦隊

 旗艦チャールズ・バベッジ

 電子戦管制室


 他の部隊が移動を完了した頃、すでに第七四電子戦隊は作戦行動に入っていた。


「司令。バーウィッチ防衛軍司令部の指揮権限のオーバーライド、完了しました」

「よろしい。各艦隊の配置状況は?」

「すでにチェルーズのヒル圏外縁で待機中です」

「では、一九〇〇から攻勢電子戦を開始する。敵軍各部隊に打電」


 一九時を期して、第七四電子戦隊による電子戦が本格化する。


「通信妨害開始。艦隊指揮統制システムおよび陸戦統制システムを掌握」

「司令コマンド実行。防衛軍全軍の通信、索敵、火器管制システムを凍結」

「艦隊配置状況をトーキョー・シティへ送信。インペラトール・メリディアンⅡとのリンク確立」

「チェルーズ防空網への強制介入開始。防空システムを強制待機状態に」

「ET&T通信網の管理権限を停止。本艦からの一括制御に切り替え。全系統遮断」

「消防、警察は一部を残しておけ。でないと突発的対応に難がある」


 予定通りに進む電子戦を眺めつつ、松本凉子大佐は満足げに笑みを浮かべていた。


「実にスマートだ。なぜ今まで叛乱鎮圧でこうしてこなかったかが不思議でならない」

「大兵力による力押しの鎮圧は我が軍の悪い癖ですからね」


 松本大佐に答えた電子戦主任参謀のアヴランシュ少佐も、同じく笑みを浮かべていた。


「とはいえ、いつでもどこでも使える手口ではないな。防衛軍も帝国軍規格のシステムを使っているから出来たことだ。だが、いずれはもっと洗練され、敵軍と砲火を交えずに陥落させることさえ出来るだろう。楽しみだな」

「……そうですね」


 上官の野望を耳にして、アヴランシュ少佐は溜め息交じりに答えた。



 一九時〇一分

 バーウィッチ自治共和国防衛軍司令部

 司令室


「展開中の全部隊との通信がダウン!」

「索敵システムに障害! データ受信不能!」

「指揮統制システムが何者かによって乗っ取られています! 司令コマンドを受け付けません!」

「防空システムが強制待機状態に切り替わりました! 迎撃不能!」


 バーウィッチ自治共和国防衛軍司令部は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。軍隊は通信による連携が取れず、さらに指揮統制システムが取れないと言うことは、司令部からの統一した指揮が執れないことになり、一体性を欠いた行動を現場部隊がすることになる。


「だい、第一光学観測所で、軌道上に浮上する艦隊を確認! 巡洋艦他、駆逐艦、揚陸艦、戦艦複数隻を確認! 帝国軍と思われます!」


 息を切らせて司令室に駆け込んできた士官が、さらに続ける。彼は防衛軍司令部庁舎の屋上に設けられた光学観測所から走って庁舎地下にある司令室まで走ってきたのだ。


「ともかくシステム復旧急げ! これでは何もできん! 帝国の悪しき侵略から市民を守らねばならんのだ!」


 防衛軍司令長官、カンナヴァーロ大将は檄を飛ばすが、気合いでどうこうなるものでもない。



 一九時〇四分

 バーウィッチ防衛艦隊

 旗艦トアイヴス

 艦橋


「司令部との通信不能! 各艦データリンクも復旧できません!」

「火器管制システムが上位コードにより凍結されています! 解除不能!」

「各艦データリンク復旧急げ! 全艦各個射撃! 敵艦隊の降下を阻止しろ!」

『各砲塔、発砲不能! 直接コントロールも受け付けません!』


 防衛艦隊旗艦の艦橋も、司令部と大して変わらない騒ぎだった。全ての艦艇の火器がロックされ、データリンクも遮断された為に戦闘不能となっている。


「艦隊後方より接近する艦影多数!」

「迎撃!」

「無理です!」

「回避運動! 機関前進一杯! 面舵一杯! 反転一八〇度!」

「操艦系にも司令部からの上位コードによるロックが掛かってます!」



 同時刻

 第四八遊撃戦隊

 旗艦トーキョー・シティー

 艦橋


「敵艦隊、電磁砲射程圏まであと二〇秒」

「撃ってこないな……慣性航行を続けているとは。連中寝てるのか?」


 索敵士官の報告に、リカルド准将は怪訝そうな表情で敵艦隊の方向を見つめていた。


「電子戦隊の攻撃が上手くいっている証左でしょう」


 戦隊参謀長のマディソン少佐が確信を持って頷いた。


「ならばこちらも仕事を始めるとしよう! 電磁砲用意! 距離五〇〇〇から攻撃開始。弾種榴弾。旗艦指示目標、艦尾付近を集中攻撃。推進器を潰した後、移乗攻撃に入る!」


 通常ならすでに砲戦距離ではあるが、相手がまったく動きを見せないので、リカルド准将は大胆にもほぼ至近距離に近づいてからの砲撃を命じた。


「撃て!」


 第四八遊撃戦隊を中核とした帝国軍艦隊は、身動きの取れない防衛軍艦隊へと襲いかかり、的確に航行不能に追い込んでいく。


「各艦! 指定目標への移乗攻撃開始!」


 瞬く間に防衛軍艦隊旗艦に接近したトーキョー・シティは、反転して主推進器を使って無理矢理減速を掛け、スラスターを使って接舷した。


「陸戦隊突入!」


 装甲服を着用した陸戦隊が、ハッチから出撃していくのを見送って、リカルド准将はホッとした様子でモニターを見ていた。


「これで艦隊は無力化出来る。あとは地上制圧だが……さて、上手くいくものかな?」



 一九時三〇分

 ニューミドルトン

 首相官邸

 閣議室


「まだ通信と指揮統制システムは回復しないか!」

「はっ、どうも帝国軍側は電子戦艦を投入しているようでして……」

「言い訳はいい! これではニューミドルトンも丸裸ではないか!」

「各方面に伝令を走らせろ! 主要施設の防護を固めさせろ!」


 内務大臣と国防大臣が司令部からの伝令兵を怒鳴りつける。他の閣僚達は口々に対応を話し合うが、すでに彼らに何かができる問題ではなかった。


「官邸守備隊はいつでも戦闘態勢に入れるように……」

「しかし、もし帝国軍が戦闘艦を投入してこられては、地上にある戦力では対抗できません!」

「それでもやるしかない! 指揮所を地下シェルターに移す! 閣僚もそちらへ移動されたい!」


 悲痛な叫びを聞いていた閣僚達は、自分たちがとんでもない泥船に乗り込んでいたことを、今更ながらに自覚し、自らの行いを悔いた。



 一九時五一分

 インペラトール・メリディアンⅡ

 艦橋


「防衛艦隊への移乗攻撃が開始されました。さしたる妨害も受けていない模様」


 ハーゼンバインからの報告に、柳井は満足げに頷いた。柳井が立てた作戦は、電子戦隊で防衛軍の指揮通信系統を遮断し、さらにはそれらのネットワークを使って防衛軍艦隊を事実上無力化。艦隊主力をリカルド准将に委ねて陸戦隊で制圧。その間に揚陸部隊をニューミドルトンの官庁街に集中投入して一気に叛乱勢力を鎮圧するスピード最優先の作戦だった。


 帝国軍の鎮圧作戦は大兵力で以て力押しする傾向があり、ここまで丁寧な作戦を立てないことが殆どだが、市民の犠牲を嫌う柳井の作戦は、電子戦隊の能力に過度に依存したものだった。


「電子戦が上手くいってよかった。あれが出来なければ、私の作戦は最初から破綻していた」

「閣下、まもなく音速を切ります。ニューミドルトン官庁街まであと三分」

「よし! 陸戦隊の降下準備。敵が妙なことを考えないうちに、一気に制圧する!」


 柳井は近衛艦隊に随伴する第一〇二四降下揚陸師団と第一〇九二治安維持艦隊に通信を入れた。


「第一〇九二治安維持艦隊は政府合同庁舎とその周辺施設、降下揚陸師団は首相官邸と防衛軍司令部の制圧を。閣僚、政府職員などの保護も任せる」

『はっ!』

『とっとと済ませて祝勝会と行きましょう。それでは』


 二人の陸戦指揮官と通信を入れると、揚陸艦とコルベットを伴う二つの部隊が近衛とは進路を少し変えて降下していった。


「近衛はこのまま議事堂へ。陸戦隊の準備は?」

『準備完了しております!』


 インペラトール・メリディアンⅡ陸戦隊を率いるスヴェン=エーリク・メルケション近衛大尉は自信に満ちあふれた笑みを浮かべていた。


 一足早く制圧を開始した治安維持軍と降下揚陸師団は、地上からの散発的な迎撃を受けているように見えたが、強襲揚陸艦もフリゲートもその程度でどうこうなるものではない。


 作戦がひとまず無事進行していることに安堵しつつ、柳井は手元のモニターに出力したニューミドルトンの市街地図を見つめていた。

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