第55話ー⑤ 暴発
一時二一分
ライヒェンバッハ宮殿
黄檗の間
「ひとまず、宰相閣下は窮地を脱された。深夜だというのに皆ご苦労だった。当直員を残して、仮眠なり帰宅するなりしてくれ」
ひとまずの初動対応が完了したところで、シェルメルホルン伯爵は緊急招集された宰相府職員達にそう告げた。自身も帰り支度を始めている。
「あの、伯爵? ちょっと見ていただきたいものが」
「なんだ?」
ジェラフスカヤに呼び止められた伯爵は、フローティングウィンドウに映し出されるレポートの名前を見て首を傾げた。
「ローテンブルク探偵事務所のレポートです。先ほど届きました」
「……宰相襲撃事件の犯人の素顔? そんなもの調べてどうするつもりだ?」
「さあ……あと、今回は日頃のご愛顧に感謝を込めて格安だ、と」
「金を取るのか。まあ情報にはそれ相応の対価というわけか……」
画面をスワイプすると、早速どこで入手したのか犯人の顔写真と略歴が表示される。
「楊
よくいる中年男性、と伯爵は理解した。
「政治団体への所属は確認されず。四年ほど前から心療内科を受診。受診記録は半年前で切れている、と。強迫性障害だったようで……本人の政治思想はどちらかといえば親帝国、それも極右に近いもののようですね。反帝国運動を繰り広げるバーウィッチ自由連盟に対しては批判をしていたと、彼のSNSなどから判明しています」
ジェラフスカヤがレポート内容を読み取って要約すると、伯爵は数秒考え込んでから、ハッとした表情で画面の中の中年男性の顔を見つめ直した。
「待て。だとすると閣下を襲撃するのはお門違いでは?」
皇帝の重臣であり支持率も高く、幾度となく戦地に赴き帝国の領土を守ってきた柳井は右派系の支持も高い。シェルメルホルン伯爵にはあまりに支離滅裂に思えたのだった。
「ですから、この場合の親帝国は拡大主義では? 前マルティフローラ大公の死に責任を負わせる、という遺書が支局内のデスクにあったそうです。あの探偵はどこまでパイプがあるでしょうか?」
ジェラフスカヤの言葉に、伯爵は唸りとも溜め息とも取れる声を上げた。右派とて一枚岩ではない。そもそも現代政治思想は単純な右左で分けられるものではない。
単に皇帝に盲信する者、特に政治に関心が無いものの皇帝の権威は信じている者、帝国そのもののシステムを唾棄する者など様々である。
右派のなかでも最強硬派と言えば、拡大主義と呼ばれるものになる。これは前マルティフローラ大公が率いていた皇統会議拡大派が用いた思想で、元を辿れば国父メリディアンⅠ世の提言通り、人類生存圏の拡張のために太陽系外の開発を進めようというものだったが、辺境惑星連合が誕生してからは、単純な領土拡張主義に落ちぶれていた。
メアリーⅠ世は領土拡張を軍事力で為すことはしないと公言しており、尚且つ帝国臣民レベルでは第二三九宙域の向こう、主義派との和平協議などが進んでいることも知られておらず、その皇帝の重臣たる柳井に矛先が向くのは不思議ではない。
そもそも、拡張主義の急進派ならば、その精神的支柱であった前マルティフローラ大公の仇でもある皇帝と柳井を討つというのは、復仇という意味で正しいと信じていた可能性すらある。
「いずれにせよ、市民連合の関与の疑いが晴れれば、本人のパーソナリティを考えると事態沈静化に役立つ可能性もあるのでは」
「どうでしょう……SNSのアカウントも調べてるんですね、あの探偵さん。本職はどこかの情報機関のエージェントなのでは?」
「まあ、地道な調査は諜報機関も探偵も変わらないのかもしれんが」
柳井がまだ帝国宰相になる前、それこそ帝国男爵になる前からの付き合いという探偵のことを、ジェラフスカヤと伯爵はやや胡散臭いと思っていたが、毎回提出される調査内容には信頼を置いていた。
「彼女にも多少儲けがなければな。これから現地の調査を行わせることは可能か?」
「ローテンブルクさんなら可能かと。今、バーウィッチにいるようです」
「ではそのように依頼してくれ。報酬と前金をいつもの口座に振り込んでやれ。。帝都で見えないものが、彼女たちなら見えるだろう」
「では、そのように」
同時刻
樫の間
「マルテンシュタイン、あなたの見立てはどう?」
皇帝はマルテンシュタインを呼び出し、購買部で買ってきたローストサーモンライスボールを手にした皇帝は問いかけた。
「今回はFPUの介入はないでしょう。現地のバカ共が勝手に盛り上がっているだけです。これをご覧ください」
マルテンシュタインが差し出した合成紙の束を、皇帝は一瞥して眉をひそめる。
「あなた、これ革新の記事じゃないの?」
革新とは、辺境惑星連合で発行される機関誌の一つで、連合の意志決定機関である中央委員会が内容を決めている。もちろん帝国内で民間人がこれを所持、並びに流布することは治安法により禁じられている。
ただし、情報機関や研究者は対辺境惑星連合研究のために閲覧することが多く、事実上空文化しており、これまでに検挙された者はいない。帝国内超空間通信ネットワーク上にあるものはET&Tにより消去されたり、フィルタリングにより閲覧できないが、それを回避することは難しくない。
「直近五年分の帝国内自治共和国解放を求める市民の声――という名の、次の侵攻予定星域の願望のようなものです。バーウィッチが出てきたのは四年前に一度だけ。ブルッフハーフェンやアルバータ、ピヴォワーヌ伯国、イステールなどは毎年のように話題に出ていました」
「FPUはバーウィッチに魅力を感じていない?」
「というよりも、大きすぎて持て余すことが目に見えていますね。統治するにも成人人口の半数が親帝国のままでは難しい。以前宰相閣下が片付けたアルバータ自治共和国のほうがよほどうまくいく公算があったのでは」
眠気覚ましの缶コーヒーを飲みつつ、マルテンシュタインが簡潔に述べた。
「なるほどね」
「あのときの宰相閣下の動きは見事としか言い様がありません。叛乱勢力の主力は、懐柔された治安維持軍。防衛軍に動きがなかったのは、即座に制圧されたからです」
マルテンシュタインは、慣れた手つきで応接机のパネルに指を滑らせて、壁面の大型スクリーンにアルバータ自治共和国での叛乱事件のデータを表示させた。
「このように、現地治安維持軍の基地を制圧しつつ、接近するFPU艦隊を迎撃。これを撤退に追い込んでいます」
マルテンシュタインの説明は、皇帝にとって目新しいものではない。だが大人しく、講義を受ける学生のようにマルテンシュタインの説明に耳を傾けた。
柳井がアルバータ叛乱軍の頼みの綱としていた治安維持軍とFPU艦隊を早期に排除したため、地上には統制が取りづらい右翼団体の寄り合い所帯しか残らなかった。空中から彼らを威圧し官庁街を開放。事態収拾については星系自治省の事なかれ主義につけ込んで有耶無耶にさせたのだった。
「第一二艦隊の武力行使の中止は閣下が自ら交渉に赴いたとか。当時グライフ元帥は第一二艦隊の司令長官だったそうですが、宰相閣下共々かなりの食わせ者ですな」
「今回はどうかしら?」
「今回は前回のように有耶無耶には出来ないでしょう。何せ宰相閣下に弓を引いた事実が公然となっています。帝国として、実態はどうあれこれを看過することは帝権の弱体化を印象づけるでしょう」
マルテンシュタインがスクリーンの映像をテレビ放送に切り替える。深夜だというのに、まだ各局共にバーウィッチ情勢の解説が続いていた。
「あの頃より義久が有名になりすぎたか」
アルバータの頃の柳井は、帝国のありふれた、吹けば飛ぶような弱小零細民間軍事企業の課長に過ぎなかった。それが今や帝国宰相である。
「陛下の懐刀なれば当然でしょう。短時間に制圧するなら、軌道上の艦隊を片付けつつ、降下揚陸兵団をニューミドルトンに降下させ、叛乱軍地上部隊を片付けるしかありません。艦隊を放置すれば後背を襲われますから、これの排除は必須条件となりましょう」
「しかも市街戦か……」
「市街戦を閣下は避けたいところでしょうが、せざるを得ないでしょう。首相官邸、防衛軍司令部、官庁街の政府合同庁舎を制圧するのは骨でしょうな」
「防衛艦隊が投降してくれればまだしも……私から、下士官への投降を呼びかけてみましょうか」
「陛下が? 帝国皇帝は自治共和国の叛乱について関与しないのが不文律なのでは?」
これまで、帝国皇帝が自治共和国の叛乱に関与したことはない。叛乱に言及することそのものより、鎮圧の際に民間人や現地インフラの被害が大きいので、皇帝に責任を波及させたくない中央政府の意向でもある。
「不文律なら破ったって誰も文句言えないでしょ。市民、下級官僚、下士官兵卒向けのメッセージを出しておくと、義久にも伝達しておくように」
「はっ」
マルテンシュタインは立ち上がって一礼し、仮眠室へと向かった。
〇八時〇三分
インペラトール・メリディアンⅡ
貴賓室
貴賓室の通信端末の着信音に、柳井はベッドから飛び起きた。
『閣下、おはようございます。本艦の周囲に敵影無し。第四四独立戦隊、第一〇九二治安維持艦隊はチェルーズのヒル圏外縁で待機中。航路保安庁第三管区第三四交通機動艦隊は星系外縁部にて警戒中です』
「ああ、おはよう……今何時だ?」
『八時〇四分になりました』
「いかん、寝過ごしたな……」
艦橋にいるブロックマイヤー大佐の報告を聞いて、柳井は手早く身支度を調えていた。
『ご朝食をお済ませください。今、バヤールとハーゼンバインがそちらに向かいます』
柳井が顔を洗い終え、スーツを着終えたところでハーゼンバインとバヤールが朝食をのせたカートを乗せて、貴賓室にやってきた。
「閣下、おはようございます」
「朝食をお持ちしました」
「二人とも休めたか?」
「はい!」
「陛下から、深夜にバーウィッチの下級官吏、市民、下士官兵卒へ向けたメッセージが発出されました。こちらです」
皇帝が出したメッセージを、バヤールがフローティングウィンドウに出力して柳井に向けた。テキストと共に、樫の間で撮影されたと思われる動画もつけられていた。
『帝国皇帝メアリーⅠ世より、バーウィッチ自治共和国の全ての臣民に告げる。
皆が現在の状況に対して抱いている不安や疑念を理解し、その解決のために力を傾けることを約束する。分離独立という道は、バーウィッチ自治共和国と帝国の未来にとって決して最善の選択ではない。
帝国は長い歴史の中で、多くの困難を乗り越え、共に繁栄を築いてきた。バーウィッチ自治共和国もその一部として、共に成長し、発展してきた。
分離独立は、これまで築いてきた絆を断ち切り、皆様の生活にさらなる混乱と不安をもたらすことである。
どうか、冷静に考え、共に未来を築くために、分離独立を支持しないという選択が為されることを願う。
皆の知恵と力を結集し、共に困難を乗り越え、より良い未来を築くことこそが、平和と繁栄のために必要なのだ。
合わせて、叛乱を起こした政府の命を受けている官吏、軍人にも告げる。
叛乱勢力という
官吏も、法に背く真似をすることなく、賢明な判断を期待する。諸君らにはそれだけの器量があると信じている。
このメッセージが、皆の心に届き、共に未来を築くための一助となることを願う』
一読した柳井はサンドイッチを食べつつ考え込んでいた。
「どう思う?」
柳井はバヤールとハーゼンバインに問いかけた。
「これから自治共和国議会では、分離独立法案が審議されるようです。これに対して野党は反対を強めています。そこへの援護射撃にはなるでしょう」
「兵士の士気が下がることは期待出来ますが、離反する兵士は少ないでしょう。武力行使自体は避けられないかと……市民の蜂起なども考えられ、凄惨な事態に発展するかもしれません」
バヤールとハーゼンバインの意見に柳井は概ね同意だった。皇帝のメッセージだけで事態が収拾できるフェーズは、このバーウィッチにおいてはごく初期の短期間にしかなかった。
「地上制圧作戦については、増援の東部軍部隊とも話し合う必要があるな」
柳井が朝食を済ませたタイミングで、艦長からの通信が、貴賓室にもたらされた。
『閣下、東部軍の増援部隊が近傍空間に浮上します』
「わかった」
九時〇四分
第四八遊撃戦隊
旗艦トーキョー・シティ
ブリッジ
「浮上完了。揚陸艦隊も続航しています」
「これで揚陸艦のお守りも終わりか」
不満げに後方を写すモニターを見やったザマリ・リカルド准将は、コーヒーボトルを飲み干して従兵に渡した。超空間潜行中はともかく、通常空間での機動性が悪い揚陸艦の護衛は、機動力を最大の武器とする遊撃戦隊指揮官であるリカルド准将にはストレスしかなかった。
「しかし叛乱とはな。バカな真似をするものだ……連中、何を考えているんだ」
リカルド准将は不満げにアームレストを指で叩いていた。ストレスを感じたときの彼の癖である。戦隊参謀長のマディソン少佐は、それを横目に情報を整理していた。
「第七四電子戦隊、第五六八護衛隊も浮上完了。メリディアンⅡから戦隊司令官の招集命令が出ております」
「わかった。さて、宰相閣下の思し召しを拝聴してくるとしようか」
同時刻
第五六九護衛隊
旗艦カランジディ
「またもや宰相閣下の支援とは。我々辺境の小間使いにも運が回ってきたのか?」
護衛隊司令の
「さあどうでしょう? いずれにせよ、今回は叛乱鎮圧任務です。あまり名誉なものではありませんね」
カランジディ艦長のバートマン少佐が不満げにぼやいた。帝国軍人にとっての栄誉とは、賊徒の侵攻を撃砕し、帝国皇帝、帝国臣民とその財産、領土、主権、友邦を守ることであり、内乱鎮圧は出来れば避けたい任務だった。
「まあそう言うな。我々辺境組の出世の好機とも言える」
帝国軍の辺境部隊は、肝心要の決戦では補助部隊を任じられるので、華々しい戦果には恵まれにくい。特に護衛隊は駆逐艦で編成される小規模部隊で、海賊征伐、賊徒のごく小規模な武装船の掃討、難破した貨物船の救助や小惑星の破砕なども担当している。
黄中佐としてはここで自部隊を柳井に売り込んで、護衛隊自体の存在感も示して待遇を上げたいという野望を抱いていた。
同時刻
第七四電子戦隊
旗艦チャールズ・バベッジ
電子戦管制室
『全艦浮上完了。第四八遊撃戦隊、第五六九護衛隊、近衛分遣隊を視認』
「よし、近衛と合流してくれ。ひとまず我が部隊は電子戦に入る。まずは自治共和国航路局のメインシステムを掌握し、我々の行動を秘匿する」
戦隊司令の松本凉子大佐が命じると、電子戦主任参謀のエマニュエル・アヴランシュ少佐が細かな指示を部下に伝えた。
「しかしまたしてもこの取り合わせですか。東部軍管区は我々を、宰相閣下の専属部隊としたいのでしょうか?」
「……偶然、とは言いがたいな。本来の任地とは少し外れているし、そもそも宰相閣下のバーウィッチ来訪に合わせて、我々は事前に移動を命じられていた」
アヴランシュ少佐の疑問に、松本大佐は黙考してから答えた。
「司令部はバーウィッチの叛乱を確信していた、と?」
「あるいは期待かな」
「それはあまりに……」
アヴランシュ少佐は上官の言い様に絶句した。
「うん、突飛なことだとは思うが、それだけバーウィッチの状況が逼迫していたと言うことだ。遅かれ早かれ、誰かがやらねばならない仕事だったのだろうよ」
「我々も運が悪いですね」
「そうだろうか? 奇しくもブルッフハーフェン事件のおかげで、艦隊決戦時以外の電子戦隊の運用理論が注目されることになった。惰眠を貪る時は終わったということだ。我々の仕事も増えるぞ」
「楽しい未来図ですね」
アヴランシュ少佐は溜め息交じりに同意すると、インペラトール・メリディアンⅡへの移動準備を始めた。
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