第55話ー④ 暴発
二三時三六分
ウィーン
ライヒェンバッハ宮殿
柏の間
「帝国宰相府として、バーウィッチ当局に対して事態の早期収拾を求めると共に――?」
宰相府記者会見が開始されていた柏の間に、黄檗の間に詰めていたジェラフスカヤが駆け込んできて、シェルメルホルン伯爵にメモ用紙を渡した。
「……ただいま入った情報によりますと、柳井宰相は現在、安全確保のため近衛軍戦艦へと移動中ですが、その際銃撃、及び警察機動隊による封鎖線に遭遇。これを突破したとのこと。銃撃を受けたが宰相閣下は無事で、すでに近衛戦艦インペラトール・メリディアンⅡにて、衛星軌道へ脱出された模様です」
シェルメルホルン伯爵がメモを読み上げると、会見場となった柏の間がどよめいた。詳細不明とはいえ、帝国宰相に公然と銃を向けるというのがいかなる事態を招くのか想像していたからだ。
さらにいえば、シェルメルホルン伯爵は早々にビーコンズフィールド准尉や近衛兵のつけていたウェアラブルカメラの映像と、LNNバーウィッチ支局から提出された監視カメラの映像も、記者に対して開示していた。不鮮明な人垣越しの写真などよりよほどニュースバリューのあるこの映像にマスコミは食いつき、深夜にも関わらず特別番組を放送して、バーウィッチでの出来事を速報している。
情報開示には最大限の効果を発揮するタイミングというものがある――というのはグレイヴァン報道官の持論だが、シェルメルホルン伯爵もそれに同意だった。今回はデマの拡散を少しでも抑えるためにも、早いほうがいいということで公表に踏み切っていた。
「重ねて申し上げますが、帝国宰相府としては宰相閣下の身柄の安全、および事態の真相究明、沈静化を強く求めるものです」
この後、記者達の質問にいくつか答えたシェルメルホルン伯爵は、残りの質問をグレイヴァン報道官に任せて黄檗の間へと戻った。
同時刻
インペラトール・メリディアンⅡ
第三格納庫
「閣下、ご無事で何よりです」
「私のことはいい。負傷者の手当を頼む」
柳井は自分の予想以上にボロボロになっているモナルカと装甲車、そして装甲車から降ろされる負傷兵を見て、甲板長に命じた。
「医務室がすでに受け入れ準備を。准尉、そちらは任せる」
「はっ!」
「……機関銃とか機関砲の被弾痕ですね。軍用装甲車の標準武装です。この程度で済んだのは不幸中の幸いでしたね」
甲板長の言うとおり、負傷者も幸い軽傷で済んでいたのは僥倖と言えた。
二三時四一分
艦橋
「閣下、ご無事で何よりです」
艦長席から立ち上がり敬礼したブロックマイヤー大佐に答礼した柳井が、司令官席に座る。
「離陸してどこへ向かう?」
すでにインペラトール・メリディアンⅡは他の近衛艦に伴われ高度を上げつつあった。
「情勢次第ではこの星系から離脱します。ひとまずは星系外縁に退避します」
「しかしそれでは……」
柳井が無実の民間人を銃殺した、というデマが流れた状態でこの惑星を離れるのは外聞が悪いという問題で済まないことは柳井も理解していたが、かといって留まっても事態が好転するとは思えず柳井は迷っていた。
「閣下、こうなっては戦いは避けられぬものと愚考いたします」
ブロックマイヤー大佐も、柳井の軍事力投入を避けたい気持ちは理解していたが、すでに防衛軍艦隊も動き出している状況下では楽観視出来ないと考えていた。
「……東部軍管区司令部を呼び出してくれ」
三分ほどで東部軍管区司令長官、ハリソン・グライフ元帥が現れた。
『閣下、ご無事で何よりです。ブロックマイヤー大佐から情報共有を受けております』
グライフは挨拶もそこそこに鎮圧計画の説明を始めた。
『東部軍管区司令部ではかねてより対バーウィッチ鎮圧作戦の用意をしておりました。すでに第四八遊撃戦隊、第七四電子戦隊、第五六九護衛隊および第一〇二四降下揚陸師団を向かわせております』
元々帝国東部は政情不安の自治政府、辺境惑星連合軍エージェントの介入による騒乱などが多く、東部方面軍司令部ではそれらの鎮圧計画をあらかじめ定めてある。柳井もそれらは閲覧したことがあるが、ひとまず計画通りに行っても鎮圧自体は速やかに終わるだろうと考えた。
特に、現在皇帝直轄領になっている帝国暦五七四年三月に発生したハーフート自治共和国、惑星ライヴァンの衛星カロイで発生した戦闘のように、惑星上での大規模な戦闘は市民生活はおろか、地表インフラの大規模な破壊を伴うので、帝国軍としてはこの十数年余り、叛乱鎮圧の計画をより詳細かつ丁寧なものに改めてきた経緯があった。
とはいえ、自治共和国政府の叛乱については、その軍事力の殲滅、政府首脳ならびに協力者の排除が必要であり、その過程でおびただしい流血があることは目に見えている。降下揚陸兵団の投入は、組織的な避難が行われなければ、市民を巻き込む市街戦を意味していた。
柳井も自らが帝国軍時代にカロイの叛乱鎮圧に参戦しており、その凄惨さは身にしみていた。
「元帥、こちらの不手際のカバーをさせるようなことになり申し訳ありません」
『バーウィッチ自治共和国は元々騒乱が起きる蓋然性が高く、早いか遅いかの違いでしかありませんでした。宰相閣下に詫びなど入れられては、私たちこそ、お詫びを申し上げなければなりません』
「……ところで、鎮圧作戦については私に権限を一部お貸しいただき、作戦実施の可否については現地判断とさせてもらいたいのですが」
柳井の要請にグライフは暫し考え込んで、おそらく隣にいるであろう粕川参謀長に確認を取っていた。
『分かりました。閣下のご一存にお任せいたします。責任はこのグライフが負います』
グライフとしては、かつてアルバータ自治共和国の叛乱を未遂レベルまでで押さえ込み、事態の悪化を防いだ柳井の手際を覚えていた。また、この一年ほどの間で柳井がこなした数々の戦いなどを見るに、東部軍部隊を預けても問題ないと考えたのである。
なお、これは超法規的措置というほどのものでもなく、柳井が持つ近衛中将相当官の資格によって可能となっている。元々はピヴォワーヌ伯国防衛作戦時に、伯国領邦軍参謀総長時代に近衛少将相当官の権限が付与されていたが、第二三九宙域総督に任じられた際に近衛中将相当官まで引き上げられていたのがそのままになっていた。
「ありがとうございます。派遣された部隊は最短どのくらいで到着しますか?」
『全部隊の到着は約一〇時間後の予定です』
「わかりました。では、状況が変わるようであればまた……」
柳井とグライフ元帥が通信を終えると、ブロックマイヤー大佐が柳井に振り向いた。
「ひとまず自治共和国領域外縁で、東部方面軍の増援を待ちましょう」
「わかった……」
「これをご覧ください、閣下」
柳井がまだ自治共和国政府との対話で事態を収拾できないか未練があると見たハーゼンバインが、自分の端末の映像を艦橋スクリーンに転送した。深夜〇時を過ぎたにも関わらず、ニューミドルトンの首相官邸前の道路には道路を埋め尽くすほどの人だかりができている。
『LNNバーウィッチ支局での事件は先行きが見通せません。現在安全確保のために柳井宰相は当地を離れたとのことですが、その確保、真相究明を求めて多くの市民が首相官邸を包囲しています』
『バーウィッチ支局での事件の続報は、警察当局からまだ何も情報が出ていないため、詳細は不明ですが、発砲したのは宰相、という情報もあります』
バーウィッチ中央放送とチェルーズテレビジョン、BNN(バーウィッチニュースネットワーク)の報道は、どちらかと言えば自治政府寄りの報道をしがちなテレビ局であり、柳井が襲撃された側ということを意図的にか無意識にかは不明だが、報じていない。
『柳井宰相が襲撃されたことを受け、帝国宰相府は事件の真相究明および事態の沈静化、柳井帝国宰相の身柄の安全確保を表明していますが、自治政府は現在までのところ明確なメッセージを出していません』
チャンネル8バーウィッチ支局は、帝国国営放送としてかなり中立的な意見を流しているとはいえ、現状のバーウィッチ世論から見れば帝国寄りと見られることは疑いなかった。
LNNバーウィッチ支局については支局内での襲撃事件であり、その対応のために混乱が続いていて、通常編成の番組が流れている。
「ともかく閣下、今はお休みください。事態が急変すればお呼びいたしますから。バヤールと私が交代で艦橋に待機しておきます」
「……わかった。任せる。二人もきちんと休んでくれ」
バヤールとハーゼンバインに促され、柳井は艦橋を後にした。
五月四日〇時〇八分
医務室
「傷の具合はどうだ?」
自分の部屋に行く前に、柳井は医務室に立ち寄っていた。封鎖突破の際に銃撃を受けた兵士を見舞うためだ。
「はっ! この程度であれば結着剤ですぐにと……痛って……」
柳井の姿を認めた護衛隊の兵士達が立ち上がろうとしたが、柳井は彼らを手で制した。
「無理をするな。そのままで……今回も命拾いした。君たちにも礼を言わねばな」
ベッドの脇に跪いた柳井に、兵士達は恐縮して身を強ばらせた。
「それが我々の任務であります」
「今後も期待している。ところでトビーは?」
「はっ。ビーコンズフィールド准尉は先ほど第三格納庫に行くと」
〇時一八分
第三格納庫
「改めて見ると酷い有様だな、トビー」
「はい。まさか本当に撃ち込んでくるとは……」
ボロボロの装甲車とモナルカの前で、整備士達と何事か話していたビーコンズフィールド准尉が、柳井に振り向いた。
「被弾痕から使用武器を照合しておりました。M65サンダーストライク三〇ミリ機関砲。防衛軍でも運用されている帝国の五二一式歩兵戦闘車の搭載砲です。そのほかM1ピアッシング一二・七ミリ機関銃、M23七・六二ミリ自動小銃など。いずれも防衛軍の主要陸戦装備です」
ビーコンズフィールド准尉が整備士の一人から受け取ったタブレットを柳井に示す。
「インペラトールを陛下から下賜されていてよかった。でなければ私も君も今頃ミンチになっていたな」
帝国の公用車はハルフォード・モータードライブ製のセダンを使用しており、乗車する人間の地位に応じて、エクエスとモナルカを使い分けている。エクエスは大衆車として廉価なグレードも設定されているが、官公庁で用いられるのは高位グレードで、車内設備のグレードは高く、各省次官クラスや国務大臣はこれを使う。
モナルカはそれより上の役職、例えば首相、領邦領主、皇統侯爵以上の皇統が主に乗車する。市販もされているが、一台一台がハルフォード・モータードライブ極東工場で専任の工員の手作業で生産される工芸品でもあり、一般人が新車で買うには収入や事業などの審査を通らなければならない。
皇帝が乗るモナルカはモナルカ・インペラトールと称される特別仕様で、モナルカよりさらに防御力と走行安定性、エンジン出力、車内の設備をグレードアップしたものだ。防弾ガラスも車体の装甲も軍用装甲車を超えるものである。皇帝の一声で、柳井の公用車もこれに変えられた経緯があるが、ブルッフハーフェンでの狙撃事件がなければあり得ない措置だった。外見は他のモナルカと大差ないが、中身は別物と言ってもいい。
三〇ミリ機関砲の直撃などまともに喰らえば、一般車なら数秒で蜂の巣、軍用装甲車でも、複合装甲とはいえタダでは済まない。戦車でさえ、当たり所が悪ければ戦闘不能に陥ることを考えれば、モナルカ・インペラトールがいかに防御力を高めているかが理解できる。
「走行に支障は無いのか?」
「はい。とはいえ本格的な修理はハルフォードの極東工場に出すしかないでしょう。ある程度の整備補修はメリディアンⅡの整備班で行えるとのこと。装甲車のほうも直してもらいます」
「いいのか? 皆忙しいだろうに……」
「いえ! 閣下のお車をそのままにしておくのは、メリディアンⅡ整備班の恥! 仕上がりも極東工場には負けませんよ!」
インペラトール・メリディアンⅡの整備班班長が胸を張るのを見て、柳井は頷いた。
「わかった。よろしく頼むよ、班長」
〇時三二分
貴賓室
近衛軍戦艦であるインペラトール・メリディアンⅡには、万が一の時には皇帝が座乗する可能性があり、そうでなくても高位の皇統の座乗も考慮されている。柳井は毎回貴賓室ではなく、侍従武官室を使っていたのだが、それだと自分たちが申し訳ない、というバヤール達の進言で、大人しく貴賓室に入っている。広い上に豪華な調度品で落ち着かないのは柳井の庶民性を示すところだ。
部屋の外には常に二名の護衛隊兵士が控えている。
落ち着かない様子で柳井はうろうろと寝室を歩き回っていたが、その間も事態収拾の方法について考え込んでいた。
各方面からの報告を統合した結果、すでにバーウィッチ自治共和国は東部軍管区からの要請にも応答しない状態。東部方面軍情報部、帝国内務省、星系自治省の情報では自治共和国防衛軍が戦闘態勢で展開。軌道上に艦隊を移動させ、ニューミドルトン市内には陸戦部隊が展開したということだった。
東部方面軍から派遣された部隊と近衛軍を合わせれば、ナンバーズフリート一個艦隊規模になり、防衛艦隊の四倍近い戦力だ。陸戦兵力も一・五個師団となり、これは防衛軍の兵力の五倍に達する。正面からぶつかっても勝利することは疑いない。
しかしながら、地上戦を繰り広げることになれば、それは凄惨な市街戦を意味する。人口三〇〇〇万人のうち、その六割を抱えるニューミドルトン地区などでそんな事態になれば、センターポリス一帯が血の海になりかねない。
防衛艦隊にしても、元を辿れば帝国臣民の収めた税金で整備されたもので、乗員も自治共和国市民であり、いたずらに破壊していいものでもない。
賊徒との戦闘ならまだしも、内輪揉めである。そもそも帝位継承の際に帝国内部で領邦軍と近衛軍、本国軍が相撃つことになった記憶も新しいというのに、そんなことを繰り返すわけにはいかない。
「なんとか実力行使は最低限にしたいが……」
ニューミドルトンの混乱を報じるニュースを見ながら、柳井は溜め息を吐いて、とりあえず寝る前にシャワーだけでも浴びようと、浴室へと向かった。
同時刻
ロージントン鎮守府
東部軍管区司令部
司令室
「バーウィッチの情勢悪化、思ったよりも早かったですね」
粕川参謀長に言われて、グライフ元帥は頷きながら司令長官席に腰掛けた。
「まさかここまで急速に事態が悪化するとはな……宰相閣下が巧く収めてくれればいいが。FPUの動きは?」
「ありません」
情報参謀の簡潔な報告に、グライフは安堵した。辺境惑星連合が介入しなければ、防衛軍の戦力は寡兵。近衛分遣隊と東部軍部隊を合わせれば問題なく軍事的な抵抗は排除できるとグライフは考えていた。
「しかし、バーウィッチ自治共和国首脳部の意図が分かりません」
粕川参謀長が情報参謀に指示して、現地の報道映像を表示させた。
「このように、首相らはまったく動きを見せていません。情報空間上では正確な情報が提供されず、憶測が飛び交い不安定化しています」
「東部軍管区行政府からは、再三正確な情報を公開するように要請しているのですが……」
東部軍管区司令長官は、東部軍管区全体の行政の長でもある。実務上は行政府長官がその任に当たっており、現在の長官はアモンディ・カウンダが務めており、焦りの見える表情でグライフ元帥に報告した。
「引き続き、バーウィッチ自治共和国には事件の詳細報告、治安維持について要請し続けろ。軍事力を投入しての鎮圧は、宰相閣下の意にも沿わないものとなるだろう。収められるものは収めたい」
指示を出しておいて、グライフはそれが無駄骨になるだろうと思っていたし、行政長官もそれを承知で頷いた。
「了解しました。それでは」
行政長官が司令室を退室してから、参謀長は溜め息をついた。
「仮に今回のような手口で宰相閣下を暗殺したとして、その後の展望が彼らにあるように見えません。これを奇貨として独立まで至っても、自治共和国内の親帝国派とどう折り合いをつけるのか……」
東部軍管区では、現地にいた近衛軍ブロックマイヤー大佐から事件の詳細について報告を受けており、これが組織化された暗殺でないと分析していた。そもそも暗殺するなら自治共和国内務省のエージェントを使うなり、もっと巧妙に行う術はあった。
だというのに、今回は公衆の面前で、監視カメラなどもある場所で雄叫びを上げてから襲撃するという破滅的な計画性のなさである。
「皇帝陛下の重臣中の重臣を自分たちの息の掛かった人間に殺させるなんてことをしたら、交渉も何もあったものではないでしょう。いずれにせよ、帝権に刃向かうというなら対処するまでです」
「うむ……」
そのとき、通信士官が緊張した面持ちで、グライフ元帥に振り向いた。
「閣下、ライヒェンバッハ宮殿よりホットラインです」
「繋いでくれ」
『夜分遅くにご苦労様』
「陛下……状況は、すでにお聞き及びと思いますが――」
いつも通りの皇帝の砕けた挨拶に、グライフは最敬礼をしてから答えた。
『細かいことはあなたたちに任せるわ。民間人の巻き添え被害を最小限に抑えること。これが私からのお願いね』
「はっ。鎮圧作戦実施の可否は、現場判断で行いたいとのことでしたので、現地での指揮権含め、柳井宰相閣下にお預けしております」
『義久も細かいことを気にするわね……まあ、彼なら放っておいてもなんとかするでしょ。バックアップは頼むわよ、元帥』
「はっ。全責任はこのグライフが負い、必ずや早期に、犠牲を最小限にしての鎮圧を」
『期待しているわ。それじゃ』
皇帝が画面から消えてから、グライフ自身もあと数時間でどうこうなる状況でないことから、仮眠を取るために自分の官舎へと戻っていった。
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