第55話ー③ 暴発
二二時二三分
帝都ウィーン
シェルメルホルン皇統伯爵邸
「宰相閣下もご苦労なことだ。あんなにテレビ露出しなくても、勝手にニュースは取り上げるだろうに」
妻のニコラと共にワイングラスを傾けながらくつろいでいた宰相府事務総長、サラ・アーデルハイト・フォン・シェルメルホルン皇統伯爵は、バーウィッチ方面のニュースをチェックしながら苦笑していた。
「陛下のお声を臣民に届けようと必死なのでしょう。陛下ご自身を矢面に立たせられないのだから、当然よ。それに宰相閣下なら陛下よりもソフトだから」
伯爵の妻ニコラは、大学卒業後は生物工学博士として活躍していた才女で、政治方面に携わったことはないが、伯爵が妻に選ぶだけあって、そのセンスは侮れない。
「そうかな……ん?」
伯爵はつけっぱなしのテレビから流れるニュース速報の通知音に耳をそばだて、ワイングラスをテーブルに置いて画面を凝視した。
【バーウィッチ自治共和国LNN支局で発砲音 警察が急行中】
【現地には柳井帝国宰相とその護衛隊がいたとの情報】
【柳井帝国宰相の安否は不明】
その文字を見た瞬間、伯爵の妻であるニコラは立ち上がって、酔い醒まし――アルコール解毒剤を用意して、執事に車を回すよう指示し、さらにクローゼットからスーツを取り出してきた。
「すまない、ありがとうニコラ。行ってくる」
「いってらっしゃいませ」
アルコール解毒剤を飲み下した伯爵は、ニコラの唇に軽く口づけすると、すでに運転手が車寄せまで回していたハルフォード・エクエスに乗り込んで宮殿へと向かった。
伯爵を見送ったニコラがテレビに目をやると、続報が流れていた。
【バーウィッチ中央警察発表 LNNバーウィッチ支局で男が帝国宰相を襲撃】
【犯人は射殺 LNNディレクターと判明】
【帝国宰相の安否は不明】
二二時三一分
黄檗の間
「状況は?」
黄檗の間に入ったシェルメルホルン伯爵は、当直に当たっていたジェラフスカヤに確認した。
「はっ。宰相閣下はご無事、ハーゼンバイン、バヤールおよびビーコンズフィールド准尉、インペラトール・メリディアンⅡとも連絡は取れております」
LNN他報道各社が速報を流した直後から、ジェラフスカヤには現地のハーゼンバインらから情報共有が行われていた。各種の情報からジェラフスカヤがシェルメルホルン伯爵に報告したのは柳井の安否だった。
ブルッフハーフェンのような状態ではないことにひとまず安堵して、伯爵はジェラフスカヤのデスクの横に椅子を寄せて座った。
「犯人の素性は分からないか?」
「ビーコンズフィールド准尉からの報告では、犯人は四〇代前後の男性。LNNバーウィッチ支局のディレクターのIDをつけており、拳銃および即席の爆発装置を携行していたため、即座にその場を離れたとのことです」
テロリストのお手本のような装備の襲撃者を想像して、伯爵は顔を
「そうか……陛下には?」
「すでに樫の間に」
「分かった」
「それと……こちらを」
「……この画像は?」
その画像には、血を流して倒れる襲撃者と思しき人間と、周囲を護衛隊の兵士に囲まれている柳井が見えた。その手には拳銃が握られている。
「支局前の道路で、宰相閣下に対する抗議行動をしていた市民連合側の人間がソーシャルメディアに投稿した画像です」
そう言ってから、ジェラフスカヤは苦々しい顔で帝国最大のSNSである
「これはマズいことになるかも知れません。現時点では宰相閣下の正当防衛と思われますが、事実はともかく、宰相閣下が無実の自治共和国市民を射殺したと多数のアカウントが主張し、それが広まりつつあります」
「宰相府として公式発表を行う。グレイヴァン報道官、報道各社へ連絡! 私が説明を行う。LNNバーウィッチ支局には、当局および宰相府に監視カメラの映像提供を要請」
「はっ!」
いつの間にかその場に来ていたグレイヴァン報道官に命じた伯爵は、さらに続ける。
「宇佐美局長が来たら情報収集体制を強化。現地当局にも情報開示を要請させてくれ。他の者には現地情報収集、特にソーシャルメディア上の情報には注視するように。イステールの分室のルブルトン子爵とロベール君にも情報共有。マルテンシュタイン外協局長には辺境惑星連合の介入がないか考えておくようにと。私は陛下にご説明申し上げる」
そう言うと、伯爵は足早に黄檗の間を出て、樫の間へと向かった。
二二時三八分
樫の間
「陛下、失礼いたします」
皇帝は特に慌てるでもなく、コーヒーを片手に自分の端末で何かの作業をしていた。
「見たわよ。で、柳井は?」
「ご無事です。現在までのところ、閣下と侍従、護衛隊、インペラトール・メリディアンⅡ以下近衛艦との連絡はついております」
シェルメルホルン伯爵の報告に、皇帝は溜め息をついた。
「まったく、義久の行くところは毎度こうなるのかしらね。義久も義久よ。出歩いてないでさっさと帰っていれば……まあ、どうせ先走ったバカがやらかしたんでしょうけど……この写真はマズいわね」
自分の端末でShare Sphereを見ていた――匿名の閲覧用アカウント――皇帝は、うんざりしたように呟いた。
「現在LNNバーウィッチ支局に監視カメラ映像の提供を要請しています。ビーコンズフィールド准尉のカメラ映像と共に真相究明に役立つかと」
皇帝はわかった、と頷くと、シェルメルホルン伯爵にコーヒーを勧めた。
「ひとまず、宰相府としては宰相閣下の身柄の安全、事態の真相究明、当地の治安維持の要請などを呼びかける声明を出すこととします」
「わかった。記者会見まで時間があるでしょ。コーヒーくらい飲んでいきなさい」
「いただきます」
なお、皇帝自ら挽いて入れたコーヒーは、かなり苦かったとシェルメルホルン伯爵は手記に書き残している。
二二時四九分
バーウィッチ自治共和国
宇宙港連絡道路
皇帝やシェルメルホルン伯爵らが見ていた画像と同じものを、柳井も見ていた。
「宰相自ら星系市民を射殺か。迂闊だった」
柳井は握りしめていた拳銃を、ジャケットの下につけていたショルダーホルスターに戻した。帝国軍制式拳銃の重さが、増していたように柳井には感じた。実際に撃ったのは柳井でもハーゼンバインでもなく、ビーコンズフィールド准尉だった。
民間軍事企業の社員は義務として煩雑な警察当局の拳銃携行許可申請をしており、柳井もアスファレス・セキュリティ時代に取得していて、まだ有効期限内だった為、普段から拳銃は携行していた。
「そんな! 閣下が撃ったわけではありません! 私が――ー」
寸での差で、襲撃犯を射殺したのはビーコンズフィールド准尉だった。
柳井とて軍人として基礎教育を受けていたし、民間軍事企業でも自衛のための訓練は年間業務の中で規定の時間受けることが定められていた。宰相になってからも、皇帝に付き従って近衛軍の射撃練習場に出向いては射撃訓練をしていたし、護身術もビーコンズフィールド准尉らから手ほどきを受けている。
その成果が出たのか襲撃犯の接近に気付いた時点で拳銃を抜いていたし、撃てば当たって仕留められただろう、と柳井でも分かっていたが、さすがに本職の軍人には反応速度の面で敵わない。
「いや、彼らは私が撃った、というデマを流せればいいんだ。事実は関係ない」
「閣下、申し訳ありません。これは私の手落ちです」
「気にするな。君のおかげでまた命拾いした。礼を言いたいくらいさ」
柳井は苦笑しつつ、申し訳なさそうに助手席に座るビーコンズフィールド准尉に礼を言った。
同時刻
首相官邸
閣議室
センターポリスでの発砲事件、それも帝国宰相が絡んだものとあって、深夜にも関わらず自治政府全閣僚が首相官邸に参集していた。
「首相! 宰相は態々この惑星までやってきて、我らが同胞を射殺したのですよ!」
「いやしかし、事件の詳細が分からないことには何もできないだろう」
自治政府首相の
首相自身は特別な政治思想があるわけではない。出世のため本省からの転出という星系自治省内では一般的なルートを歩んでいるだけで、バーウィッチのことはバーウィッチで決めさせればいいと考えていたノンポリ官僚で、帝国の重臣中の重臣に刃向かうようなことをする気はなかった。
まだ世間に明るみに出てはいないが、首相はバーウィッチ市民連合からの違法献金も受けていたとはいえ、その代償として提示された条件はバーウィッチ自由連盟から出した閣僚を承認し、その提案、決定を追認することだった。しかし、さすがに今回は看過できなかったのだ。
「これは、どう見ても我々自治共和国市民への帝国の優越性を示すがごとき行動です! ここで行動を起こさねば、我々はこの先も永遠に帝国に隷属することになるのですよ!」
「だが……」
内務大臣からも迫られ、首相は二の句が継げずにうつむいた。
「閣下、ご決断を」
「……まずは宰相閣下と、警察の捜査報告を聞いてからだろう。叛乱を起こすのは、私は反対だ」
防衛大臣の言葉に、首相は再度同じことを繰り返し、はじめて明確な意思表示をした。内務大臣や国防大臣は、大きな椅子に縮こまって座る首相を侮蔑するように見てから、顔を見合わせ頷いた。
「宰相の車列はセンターポリス宇宙港へ移動中である! 即時拘束せよ! 逃亡させてはならない! 命令に従わない場合は射殺も許可する! 空港に警察機動隊を回せ。近衛軍戦艦を拿捕しろ。国防大臣、艦隊の展開は」
「間に合うかは微妙ですが、急がせましょう」
「内務大臣、国防大臣! あくまで対帝国強硬姿勢は、我々に有利な通商協定や帝国軍の撤退のための方便だろう! ダメだ! それだけは許可できない! 宰相閣下の身柄の安全は―――」
首相がさすがに制止しようとしたが、その言葉は最後まで発話されることがなかった。
「大人しく指示に従ってください。首相閣下」
「金沢、君は……君たちは何を考えているんだ……」
首相の周囲には、いつの間にか拳銃を持った兵士が数名。それだけではない、内務大臣も拳銃を首相に向けていた。首相補佐官に助けを求めようと首を巡らせた首相だが、その補佐官も拳銃を手にしたのを見て、首相は項垂れ、拘束されるに任せた。
二三時一五分
宇宙港連絡道路
「何だあれは……」
「閣下、伏せて!」
柳井は遠くのほうに道路を封鎖する一団に気付いた。同じタイミングで気付いていたらしいビーコンズフィールド准尉に言われて、ほぼ反射的に身を伏せた。
「准尉! 封鎖線です!」
「構わん突っ切れ! 二号車三号車、いいか!? 四号車は後方および上空警戒!」
運転手の近衛兵に叫んだビーコンズフィールド准尉は、続いてモナルカの前後を挟んで装甲する装甲車にも指示を出した。
柳井が乗るモナルカに先行する護衛隊の装甲車が、封鎖線に向けて加速する。すでに封鎖線にはバリケードも設けられ、機関砲を備えた装甲車が待機していた。
「突っ込むぞ!」
准尉の声と共に、大きな衝撃音と共に二号車、三号車が封鎖線の車両とバリケード、何人かの兵士を跳ね飛ばし、その後方をモナルカ、四号車が通過する。
モナルカが急激に速度を上げ、反対車線でもお構いなしに走行していく。
金属を叩く連続音がモナルカの車内に響き、リアガラスにも鈍い衝突音が響く。車が被弾していると柳井が気付くまでに時間は必要なかった。
「撃たれたんですか!?」
「明らかに事態が悪い方向へ動いたんだろう! バヤール伏せてろ!」
バヤールの声に、ビーコンズフィールド准尉が叫んだ。柳井が首を巡らせると、リアガラスには何カ所も凹みが見えた。おそらくボディも被弾痕で酷い有様のはずだと、どこか他人事のように柳井は考えていた。
複合装甲と防弾ガラスでなければ今頃車両内は蜂の巣だっただろう。
「この先の物資搬入路から宇宙港へ強行突入する! あそこは簡単なゲートしかないはずだ!」
ビーコンズフィールド准尉が運転手に指示を出しつつ、自分のライフルを床下から取り出した。
「バヤール、ハーゼンバインと閣下はそのままの姿勢で。少々荒っぽいですよ!」
車列が急カーブして、宇宙港への物資搬入に使われているゲートに向かう。バーゲートを吹き飛ばし、宇宙港労働者の怒号やら何やらを引きずりながらモナルカと装甲車は貨物ターミナルを抜けていく。
「近衛165より、メリディアンⅡ聞こえますか。閣下はご無事。現在防衛軍および機動隊から妨害を受けています。銃撃されたものの走行に支障なし。閣下はご無事です。車列は現在宇宙港に向け走行中。一〇分ほどでそちらに到着予定」
『こちらメリディアンⅡ、了解。こちらもすでに包囲されている、早めに頼むぞ。援護の交通艇は必要か?』
「いや、その前にこちらが到着します。メリディアンⅡはいつでも離陸できるように用意を」
『了解』
柳井は自分に覆い被さっているハーゼンバインとバヤールの下で、情勢沈静化の方策を思案していた。
軍と警察が出ていると言うことは、自治政府内務省と国防省は帝国宰相を保護するわけではなく、捕らえる為に動いている。これを首相が追認したのか脅迫されたかは定かではないにしても、明らかに中央政府全権代理を保護しようという動きではないわけで、事実上の帝権に対する叛乱と言っても良かった。
「結局力業で何とかするしかないのか……」
柳井のつぶやきは、モナルカが空のコンテナを跳ね飛ばした音で掻き消され、誰にも聞かれることはなかった。
二三時二七分
インペラトール・メリディアンⅡ
艦橋
『インペラトール・メリディアンⅡへ告げる。舷門を解放して投降せよ』
インペラトール・メリディアンⅡの艦橋に響いた通告に、艦長のブロックマイヤー大佐は不審な目を艦外映像を映し出すスクリーンに向けていた。
「なんで防衛軍が出張ってきた……?」
「艦長、返信どうします?」
「マイクを……こちら近衛重戦艦インペラトール・メリディアンⅡ。本艦は宰相閣下の収容後速やかに離陸する。安全のため退避されたい。また、本艦および近衛各艦、宰相閣下へのいかなる妨害も敵対行動と見なし、正当防衛としての反撃、その他必要な対抗手段を講じるものである。以上」
通信士官からマイクを受け取ったブロックマイヤー大佐は、モニターに映るバーウィッチ防衛軍陸戦隊の車両に向けて告げた。
「艦長! 宰相閣下のモナルカ! 九時方向!」
索敵士官の操作でスクリーンの一角が拡大され、柳井の乗るモナルカと護衛の装甲車が接近が確認された。いずれの車両も被弾痕や凹み、窓ガラスの割れなどが見られたことから、ブロックマイヤー大佐は事態が想定よりも悪い方向へ進んでいることに気付いた。
「収容準備! 第三格納庫ランプ解放! 対空砲、陸戦隊、もし”敵”が動くようなら発砲を許可する。宰相閣下の安全確保が最優先だ! 閣下達と陸戦隊収容後、抜錨、離陸する」
「はっ!」
ブロックマイヤー大佐の指示でインペラトール・メリディアンⅡの対空砲がバーウィッチ防衛軍の陸戦隊を威圧する。
「敵、か……」
指示を出し終えたブロックマイヤー大佐は、接近する車列を見ながら小声で呟いた。
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