第55話ー① 暴発

 帝国暦五九一年五月三日〇九時四三分

 バーウィッチ自治共和国

 首都星チェルーズ

 ニューミドルトン地区

 センターポリス宇宙港


「宰相閣下のお越しを、星系市民一同を代表して歓迎いたします」

「このような歓迎を受けられるとは。ありがとうございます」


 自治政府首相の趙梓宸ちょう ししんが一歩歩み出て、にこやかに柳井へ手を差し出し、柳井は手を握り返した。


 その間も柳井の側に控えたビーコンズフィールド准尉は油断なく周囲を見渡していた。本来ならこのように開けた場所に長時間立ち止まるのも避けたいと護衛隊やインペラトール・メリディアンⅡ艦長のブロックマイヤー大佐も不安視していたが、柳井は気にする素振りを見せない。


 バヤールとハーゼンバインは、柳井と自治政府の閣僚が話している間に詰めかけた群衆が単に柳井を歓迎しているだけでないことに冷や汗を流していた。『帝国軍は出ていけ!』『皇帝に天罰を!』『バーウィッチ独立!』と書かれたボードの文字が見えたからだ。


 マルティフローラ大公国訪問の際にも同様の集団に包囲されたことはあったが、滲み出る悪意の質はその比ではない。


 周囲の心配を他所に、柳井はたっぷり一〇分はその場に留まり、ようやく帝都から持ってきたハルフォード・モナルカに乗り込んだ。この一年の間に柳井が乗る車両については、皇帝のものと同一仕様の車が用意されるようになっていた。


「歓迎半分、殺意半分というところか」


 空港から首相官邸へと向かう道路沿いにも並んでいる群衆の表情や横断幕などを見ながら、柳井はポツリと呟いた。


「まあ、自由連盟支持者から見れば皇帝の重臣というのは敵そのものですからね……ご用心あってしかるべきかと」

「分かっているよ……だから今回はこんなものまで着込んでいるのだろう?」


 柳井は自分の胸を叩いてみせた。コツン、という硬質な音がするのは、複合素材製のボディアーマーをワイシャツの下に付けているからだ。ブルッフハーフェンでの狙撃事件以降、柳井は外に出るときに必ず着用している。


「しかし今回の交渉、ただ単に協定の見直しや帝国軍の撤退などだけで済むのでしょうか」

「協定の見直しは不可能だ。第一そこまで法外な内容ではない……サンドバッグのようなものなのだろう。内の不満を外に向けさせるにはいい材料だ」


 各領邦と自治共和国は独立した国家であるという建前のもと、帝国本国と領邦、自治共和国政府とはそれぞれに相互の通商協定を結んでいる。無論これは建前ではあるのだが、ともかく輸出入に関わる関税や産業保護のために禁輸措置を取る物品、第三次産業などに関連する条項などが結ばれ、その範囲は多岐に渡るが、大幅な見直しは行われない。


 関税率なども比較的低いのは、自治共和国や領邦といえど帝国の地方自治体でしかないことの現れで、現地産業振興のためにも過度な課税で現地を締め付けるのは本意では無い。


「自由連盟の真意が帝国からの離脱にあるならば、こんなものは口実に過ぎない。フロイラインのレポートを信じるなら、な」



 一三時三二分

 首相官邸

 大会議室


 バヤールやハーゼンバインら宰相付侍従の事前の不安はよそに、自治政府と柳井の会談は特に問題なく進んでいた。特に通商協定の見直しについては、予想外にあっさりと継続的な協議を行うという、玉虫色の妥協案が通った。


 しかし、昼食を挟んでの協議から、空気が替わった。


「自治共和国に駐留する帝国軍および交通機動艦隊、星系自治省治安維持軍の全面撤退について、帝国本国政府は譲歩する用意があると言っています」

「譲歩……ですか」


 柳井の言葉に、国防大臣のナンシー・ユンがあからさまに不満な態度を示した。


「このバーウィッチ自治共和国をはじめ、第四九一宙域はFPUの襲撃も多い宙域。帝国軍としては別の自治共和国に拠点を移すこともやぶさかではない、とも言っています。とはいえ、私としては周辺航路の保全も含め、バーウィッチに拠点を置くことが、自治共和国と帝国にとって最善と考えていますが」


 協議に暗雲が立ちこめだしたのは、帝国軍等の駐留問題に入ってからだった。


「我々は自治共和国として、一個の独立した国家としての権利を要求しているだけで、譲歩などと言う生ぬるい言葉は受け入れられない」


 自治政府内務大臣の金沢ジョージは、憤懣やるかたないという様子で柳井をにらみつけていた。


「すでに帝国軍は、駐留基地を外惑星軌道に移動させています。それでも足りない、と仰るのですか?」

「自治共和国の防衛は防衛軍が行うものであり、帝国軍はFPUの対処を行うものでしょう。態々領内に置かずともよいではありませんか」


 ユン国防大臣が嘲笑するように言うと、閣僚達は同意するように頷いていた。あまりにも礼を失した態度にバヤールとハーゼンバインは立ち上がって抗議する寸前だったが、柳井は涼しい顔をしてそれを制した。


「艦艇の補給や整備、将兵の休養のための上陸まで認めない、というのは些か急進的ですね」

「バーウィッチの工業力や農業力、商業はバーウィッチの発展に用いられるべきものであり、帝国軍などの整備補給に費やされるものではありません」


 産業大臣のブレンダ・ヒルトンが不満を隠しもせずに口にした。


「帝国軍の艦艇整備に費やされる工業力は、自治共和国のもつ工業力のコンマ以下の割合でしょう。食糧調達や商業施設の利用割合も、大した数字にならない」


 柳井の言うことはもっともで、バーウィッチは比較的大規模な造船所を持つとはいえ、帝国軍や交通機動艦隊、治安維持艦隊の整備などは他の星系で行われており、小規模な整備くらいしかバーウィッチでは行われていない。武器や砲弾などの補給物資も現地調達品は殆どが生鮮食品などであり、それも民間向け生産を圧迫する量ではない。


 むしろ帝国軍が駐留すると交付金が中央政府から支払われるので、頼んででも駐留してほしいという自治共和国も少なくない。


「帝国軍や治安維持軍の将兵による市街地での暴行などもあります」


 金沢内務大臣の批判にも、柳井は涼しい顔をして資料をスクリーンに転送した。


「無論、それらの行為は咎められるべきものです。東部軍管区綱紀粛正局によればこれら事件の当事者は厳しく罰しているとのこと、被害者への賠償についても――そういえば、バーウィッチで起きた帝国軍人が関連する事件の七割が、星系市民からの投石、暴行、車列の妨害等から派生したものである、という事実はどうお考えで?」


 帝国軍将兵と現地住民のトラブルは大小合わせて様々なものが日々発生しており、暴行、無銭飲食、交通事故、強姦と枚挙に暇がない。しかしながら、帝国軍が膨大な人員を抱える以上そういったトラブルはつきものであり、帝国国内犯罪が大小合わせて年間七〇億件、その内、帝国軍人による犯罪は一万件に満たないのであり、その中から更に、強姦や殺人など重犯罪を抜粋するとさらに少なくなる。


 むしろバーウィッチ自治共和国においては、星系市民――バーウィッチ市民連合のの側から帝国軍人への暴行などが行われ、それに対処する過程で事件となっている事例が後を発たない。このことは柳井が東部軍管区綱紀粛正局に問い合わせたところ、明らかになったのである。すでに帝国軍、交通機動艦隊、治安維持軍では市街地での制服着用を避けるようにと指示を出しているほどだった。


「柳井宰相、星系市民が犠牲になっている事件なのに、まるで帝国軍が被害者かのように振る舞われるのは常軌を逸しています!」

「私は数字を見てお話ししているだけです」


 柳井にしては突き放した言い方に、内務大臣他閣僚達が激昂した。彼らは全てバーウィッチ自由連盟の議員でもあり、横に座っているバヤールは不安げに自分の上司を見やった。これではまともな協議にならない、と心配していたのだ。


 その後も一時間の間、不毛なやりとりが続いた。


「皆さん、長時間の協議で疲れていませんか? 一度休憩を入れてはいかがでしょうか」


 協議の行く末を見守るだけだった首相が、始めて口を開いた。


「そうさせてもらいましょう。一度本国と連絡を取りたいので、部屋を借りたいのですが」



 一四時三四分

 第二会議室


「閣下、あまりに挑発的では」

「そうですよ。閣下らしくもない……」


 ハーゼンバインとバヤールは、宰相付侍従として抜擢されてからほぼ始めて、ハッキリと柳井に苦言を呈した。


「これで暴発するならそれまでのことだ。手荒な手段は好まないが、私がいないときに暴発されるよりはマシだ」

「……では、わざとあのような言い方を?」


 ハーゼンバインが驚いたように柳井を見つめた。


「私がそんなに不用心に見えるかな? だとしたら、私の演技力が足りないのだろう。全部織り込み済みだ」


 柳井はミネラルウォーターのボトルを開けて、一気に半分ほど飲んでから自分の端末を開いた。


「実はバーウィッチ自由党と自治プラットフォームの代表には話を付けてある。ここで交渉が決裂するようなら、議会に共同で内閣不信任決議案を出すようにとな」

「しかし、それでは民意が納得しないのでは」

「何のためにフロイラインにここを調査させていたと思う? 公党として許されないことをしていると証拠があれば、星系自治法に基づく活動停止処分も可能だ」


 非軍事的処置で片を付けたい柳井としては、もはや自由連盟が弁明不可能な証拠を突きつけて公党としての活動を停止させ、その上で上下院総選挙を行い自由党と自治プラットフォームの支持者、無党派層で世論を親帝国に引き戻せないかと考えた結果が、協議での強硬な姿勢だった。


 強硬姿勢とはいえ、帝国軍の退去問題については自由連盟支持者以外からは冷ややかなもので、通商協定の見直しについても自由党と自治プラットフォームの間で争点にはなっていなかったし、帝国軍や交通機動艦隊の駐留についてはむしろ好意的に見ている。帝国軍が駐留すれば交付金もあるし、交通機動艦隊が駐留すると周辺航路の管理が行き届く。唯一問題視されていたのは星系自治省治安維持軍の駐留程度だった。


 むしろ自由連盟の対帝国強硬姿勢はメアリーⅠ世即位後、支持者以外からは嫌悪感を持って見られており、柳井としてはここにテコ入れすることで世論をひっくり返せると考えた。


「その上で、帝国軍、交通機動艦隊、治安維持軍の駐留は見直す。自由連盟のライトな支持者はそれで納得するだろう。政治的目標が消えればライト層の要求は満たされる。強行派が炙り出されれば、各種調査でムクティダータなどの協力者の洗い出しも容易になるだろうし」


 無論これは柳井の独創ではなく、帝大INSPIREの助言を受けて実行している。政治的には乱暴ではあるが、実際に戦闘行為に及ぶよりもマシだと、柳井は考えていた。



 一五時〇四分

 大会議室


「ともかく、現在の帝国の姿勢は我が自治共和国政府を軽んじている。これでは対等な話し合いなどできない」


 休憩後、協議が再開してから一言目の金沢内務大臣の言葉は、それまでの議論を混ぜっ返すだけのものだった。


「帝国は最大限の譲歩をしています。自治共和国を含むこの宙域全体の安全保障にも関わる問題です。すでに帝国軍の撤退も可能だと言っています。撤退後の別の駐留先にもすでにメドが立っています。これで不満と言われると、どこをどうしたらよいのか見当がつきませんね」


 柳井も殊更不満げに言い放つ。


「我々は対等な話し合いがしたいだけです」

「ではこの協議は何なのですか?」


 このように、休憩後の協議も依然として平行線だった。帝国軍が撤退するという条件を出すと、自治政府側はこのように意味の分からない回答を返してくる。


「……先ほどからお話を伺っていると、どうも帝国軍の撤退をお望みでないご様子ですが」

「そんなことはない!」

「帝国軍に撤退されると、対帝国批判の口実が減る、といったところですか? それとも――」


 柳井の嘲笑を含んだ言葉に、自治政府閣僚達は柳井に敵意を込めた視線を向けた。


「その言い様はあまりにも我々自治政府と自由連盟を侮辱している!」


 机を叩いて立ち上がった金沢内務大臣に続いて、他の閣僚も声の限り柳井を詰った。


「ま、まあまあ、皆さん落ち着いて……宰相閣下、我が自治共和国としては帝国との不平等な関係を是正した上で、今と変わらぬ良き友邦としての立場を強化したいと――」


 首相は場を収めようと口を開いたが、その内容を聞く前に今度は柳井が立ち上がる。


「その良き友邦の全権代表として来ている私に対して、随分閣僚の方々は無礼ではありませんか? 今日の協議はここまでとしましょう。明日一〇時より、実務者協議に入ります」


 柳井は一方的に話を打ち切り退室した。

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