第53話-④ 即位一周年式典

 玄関ホール

 二二時三二分


「夜分遅くまで失礼しました。来年の式典も無事迎えられることを楽しみにしております」

「お疲れさまでした、殿下。本日はお楽しみいただけたようなら何よりです。では、また」


 フリザンテーマ公国領主、胡新立こしんりゅう皇統公爵がにこやかに――遠目だと無表情にしか見えないが――一礼して、出迎えのリムジンに乗り込んだのを確認して、柳井は後ろに控えていたジェラフスカヤに振り向いた。


「これで全員か?」

「ピヴォワーヌ伯爵が、まだ樫の間におられますので、それで最後です」

「見送るだけで一時間近くなってしまった……」

「一人一人に丁寧に対処されましたからね、閣下は。帝国貴族相手ならもう少し簡素でよろしいのに」

「そうもいかんだろう。私は皇統としても、帝国指導部の人間としても新参だ」


 帝国貴族は、数の上では皇統貴族より多く、財界、政界、軍隊など多方面に広がっているだけに、その相手を疎かには出来ないと柳井は考えていた。


 実際柳井のことを快く思わない帝国貴族は珍しくなかったのだが、帝国宰相、皇帝の重臣、皇統伯爵に丁寧な対応をされて気分を害するような人間は少ないし、裏があるのではと勘ぐったところで、柳井に私心がないのはこの一年で帝国中に知れ渡っており、勘ぐることそのものが馬鹿馬鹿しいと思う者が大半だった。


「閣下はお人好しですね……」

「そのくらいしか取り柄がなくてね。さて……ジェラフスカヤ、あとはいいから君ももう上がってくれ」

「お言葉に甘えて、そうさせていただきます」



 樫の間


「やあ、我らが宰相閣下。お見送りは済んだのかな?」


 樫の間へ柳井が入ると、手酌でワインを飲んでいるピヴォワーヌ伯爵オデットが、柳井に声を掛けた。


「あとは殿下のみですよ」

「そうか。では君も飲み給え。今日は挨拶回りばかりだったのだろう?」

「いただきましょう……空きっ腹に酒は後が怖いですが」


 この日、柳井は自分の弟妹や甥っ子達と共にした一時間のうちに食べたサンドイッチ以外、ろくに食事を取っていなかった。


「宰相というのも難儀なものだな。厨房から何か取り寄せよう」

「その必要はないわ」


 柳井が振り返ると、皇帝が購買のコンビニ袋を下げていた。礼装ではなくいつもの軍服、それも近衛軍のパイロットジャンパーを着ている。


「どうせ宰相閣下はこういうので大丈夫でしょ?」


 そう言って応接机に並べられた惣菜やらスナック菓子に、柳井は顔をほころばせた。


「それは陛下もでは?」

「失礼ね。あなたみたいに晩飯まで職員食堂で済ませるほど無神経じゃないわよ」

「やれやれ。皇帝と帝国宰相がそのような趣味では、臣下が窮屈な思いをいたしますよ」

「何が窮屈な思いよ。一っつもそんなこと思ってないくせに」


 そう言うと、皇帝はR&Tボトラーズのロゴが入ったビール缶を開け、一気に煽る。


「ほら、義久もなに突っ立ってるの」

「では、ご相伴に預かるといたしましょうか」


 柳井もソファに座り、ピヴォワーヌ伯爵が、ワインをなみなみと注いだグラスを柳井に差し出す。


「それでは改めて乾杯といこうか。陛下の治世の安定と幸福、宰相閣下のご活躍を祈念して」


 グラスを掲げたピヴォワーヌ伯爵に皇帝と柳井もグラスを掲げた。その後、他愛もない雑談の後は、国内情勢の話になる。


「即位一周年までに領邦領主三名が爵位剥奪、一人は自裁、皇統貴族の三割が何らかの不正行為に加担していたためやはり爵位剥奪、投獄。領邦領主二名は新規登用し、一人は乳飲み子、辺境惑星連合軍の侵攻もあったし、慌ただしいものでしたね」


 柳井の総括に、皇帝は頷いた。


「一年目のボリュームで帝位に就いてたら、ボリューム過多で死んじゃいそうね」

「まあ、先帝陛下にしても五〇年の治世で様々な事件がありました。今後も何らかのトラブルはあるでしょうが、そのための我々です。臣下をご信任あって、お任せいただければと」

「期待してるわ。いざとなったら全部ぶん投げて海賊に戻ってやるんだから」

「また連れ戻しますので、その点もご安心を」

「まったく……」


 などと他愛もない雑談を交わしていた三人だが、何せ現在の帝国の最高位の意志決定権を持つ皇帝とその腹心二人が揃えば、自然と話題は国内情勢の話になる。


「それにしても、だ……帝国辺境の情勢だが、あまり思わしくない。特に先日のブルッフハーフェン事件以来、野党勢力による攻勢で与党が不利になる局面が目立つ星系がある。元々分離独立の気配がある自治共和国ではさらに過激な言論も目立つ」


 常人なら酩酊して話にならない量をすでに飲んでいるはずのピヴォワーヌ伯爵だが、その言葉に一切の酔いは感じさせなかった。


「早めに手を打たないと面倒ね。軍を投入しての鎮圧まで発展するのは、今の中央政府与党にとっても分が悪いし、私もやりたくないわ」


 皇帝もすでに二本目のビールに手を付けている。ワインも途中で飲んでいるし、柳井の地元ではチャンポンと呼ばれる飲み方である。


「情勢については宰相府と星系自治省でも精査しておりますが、フロイラインからこんなレポートが来ています」


 柳井が表示させたレポートは、以前柳井がローテンブルク探偵事務所に調査させた、最新の辺境自治共和国の情勢だった。皇帝はざっと一瞥して溜め息を吐きながら、三本目のビール缶を開けた。


「バーウィッチ自治共和国か。あそこは以前から色々問題が多いのよね……」

「帝国との通商条約と帝国軍駐留の見直しを求めているやつか。規模が大きい星系だけに対処も早いほうがいいのだろうが……」


 皇帝とピヴォワーヌ伯爵が揃って唸る。人口三〇〇〇万人を超える辺境部では最大規模の自治共和国で、防衛軍の軍備も増強し、隣接する革新連盟とは非合法の貿易をしているとフロイライン・ローテンブルクの調査で裏付けが取れている。


 市民団体をつかって下院、上院の親帝国派議員に対する圧力を掛けたり、帝国軍駐留拠点へのデモ活動だけでなく、破壊活動もしていると見られており、先帝時代から問題は燻っていた。


 ここに来て、問題の根本的解決を図るタイミングが来た、と柳井は判断した。元々柳井もいくつかの辺境自治共和国をピックアップして、問題が無いかは観測していたが、放置できない大火になる前に対処することが必要だ、と皇帝に奏上したのである。


「一度私が様子を見てこようかと」


 チキンナゲットを飲み込んでビールで流し込んだ柳井は、皇帝にそう告げた。


「あなたが?」

「まあ、分離独立しようとする自治共和国を脅しても、さらにそれが加熱するだけでしょう。ガス抜きは必要かと」


 柳井としてはまだ選挙が正常に行われている間に、自治共和国市民の民意に訴えて政権を親帝国政党にすげ替えるほうが穏当と考えていた。


「ガス抜きねえ……抜いたガスに引火しなきゃいいけど」

「そのときは、私が自ら消火するまでのこと」


 その瞬間の柳井の表情は、酒を飲んでいるとは思えない無機的なものだったと、皇帝は日記に書き残している。


「アルバータで一度やったことです。次はもっとスマートにやれるでしょう」


 こともなげに柳井は言ったが、強攻策など採りたくないのが本音だった。帝国軍を投入するような規模まで分離独立運動が進むと、鎮圧のための作戦も大規模になり、惑星上の被害、人命の損失は計り知れない。帝国では過去いくつかの自治共和国において分離独立運動の高まりから鎮圧作戦が実行されたことがあるが、いずれも大規模な損害を伴っており、中にはゴルドシュタット皇帝直轄領のように、自治共和国を廃した例もある。


「まあ、何もお涙ちょうだいでなんとかなるとは思っていません。帝国軍等の駐留条件見直しなどは譲歩の余地があるでしょうし。国防省と詰めておきます」


 やや不穏な話をしつつ、皇帝の即位一周年式典は幕を閉じるのであった。

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