第53話-③ 即位一周年式典


 一一時五五分

 宮殿 バルコニー


 バルコニーから見える範囲は、全てに人で埋め尽くされていた。柳井は宰相府高官と共に、バルコニー後方で帝国中央政府閣僚、領邦領主と共に直立不動の姿勢を取っていた。皇帝の演説を待っている間、柳井とマルテンシュタインは小声で埒もない話をしていた。


「皇帝選挙当日を大きく超える人数ですね」

「私も選挙当日はあちらにいたんだが、まあこの人混みそのものがトラブルの元になりかねない」


 楽しそうに言うマルテンシュタインの顔を横目で伺ってから、柳井は小さく首を振った。


「マルテンシュタインさん、不吉なことを言わないでくださいよ」

「宰相閣下におかれては、予測済みのことと思うが」

「帝国五九〇年の伝統というのを舐めないでいただきたいものだ。こういう式典の運営と安全確保については、おそらく他の分野よりも確実性が高いのですよ」


 帝国が五九一年に即位式典を行っているということは、事実上同じことを五〇〇回以上こなしてきたと言うことであり、中止されたのは三二一年の内乱で崩御したエドワードⅡ世の一回と、その後を継いだジブリールⅠ世の二回のみ。それもジブリールⅠ世のものは祝宴とパレードのみの中止であった。


「安全保障もそのくらい確実にしてもらいたいものですが」

『閣下、西部軍管区司令部より至急の報告があるとのことです』

「どうした?」


 楡の間に詰めているジェラフスカヤから、柳井に通信が入る。


「わかった。楡の間で受ける」



 一二時〇一分

 楡の間


 皇帝の演説が響く中、柳井は楡の間に駆け込んだ。


「どうした?」

『閣下、式典中に申し訳ありません』


 すでに展開されていた大型スクリーンには、アレックス・カンバーバッチ元帥が映し出されていた。先の帝国軍一部部隊における不祥事を受けて引責辞任したカサルス元帥の後任の西部軍管区司令長官であり、元第六艦隊司令長官で前西部軍参謀長から昇格され、現在に至る。


『西部軍管区第八四二宙域にて、敵勢力の侵入が確認されました。先日の東部軍管区のこともありますので、陛下の御意を伺いたく……』


 皇帝が直接戦陣に出たせいで、カンバーバッチ元帥はやや過剰反応をしていた。カンバーバッチ元帥は今、元帥の地位にある軍人の中では最も若い四八歳。無論、若くても無能なら西部軍管区とはいえ参謀長までは務めることなどできない。グライフほどの戦績はないものの、彼も十分地位と職責に応じた能力を有していた。


「元帥、敵の戦力はどの程度ですか?」

『はっ。約一個艦隊で主力は汎人類共和国とリハエ同盟と見られます』

「通常の対処で大丈夫ですか?」


 生真面目に報告した元帥の年齢を思い出しながら、柳井は殊更ことさら落ち着いた様子で聞いた。


『問題ないかと。大規模な揚陸船団や輸送艦などは随伴しておらず、定例の領域侵犯と、西部軍参謀本部では推定しております』

「では、陛下の御手みてを借りるまでもないでしょう。元帥の裁量に一任します」

『ははっ! 宰相閣下におかれては、式典中にお呼び出しするようなこととなり、申し訳ありません。この責めは後ほど」

「あまり重大に考えないでください。元帥には陛下も期待しておられます。頼みましたよ」

『はっ!』


 カンバーバッチ元帥との通信を終えるころには、丁度皇帝の演説が終わり、宮殿に詰めかけた臣民の皇帝万歳の声が、窓ガラスを震わせた。


「ジェラフスカヤ、次の予定はなんだ?」

「はい。昼の部の祝賀会が始まりますので、閣下には乾杯の前にスピーチを。原稿はこちらに」


 タブレットを渡された柳井は、ジェラフスカヤが作成したスピーチ原稿に手早く目を通した。本来なら自分で作成するべきだ、と柳井は考えていたが、何せ式典用の挨拶は形式の方が重視されるので、ジェラフスカヤら侍従に頼む方が効率的だった。


「挨拶が終わりましたら、その後は宮殿内各部屋への挨拶回り。昼の部が終わる午後三時頃までは、私のほうでスケジュール管理をいたします」

「そのほうが良さそうだ。よろしく頼むよ」 



 一三時三九分

 カトレアの間


 向日葵の間に全ての招待客が詰め込まれるわけではなく、昼の部と夜の部を分け、ある程度時間の時間で区切って入れ替えているとはいえ、宮殿内には多くの招待客が滞在している。


 ジェラフスカヤの言うとおり、柳井は分刻みのスケジュールで動いていた。儀礼的なものとは言え、ホスト役の帝国宰相は招待客への挨拶を欠かすわけにも行かない。


「おお、宰相閣下。お出ましいただけるとは」

「何を仰います。ユルダクル総裁にもお世話になりっぱなしです」


 カトレアの間には経済界の重鎮の中でも、東部軍管区の開拓などに携わる企業や銀行グループの面々が揃っていた。こういった部屋割も、宰相府や宮内省側で事前に調査を行い、個人的、または企業同士の重大な確執がある人間同士が鉢合わせしないように配慮されている。


「アレティーノ男爵も、色々とご面倒をおかけしております」

「いえいえ、我ら皇統は帝国の弥栄いやさかの為に働くのが使命。この程度のことは。閣下もお忙しそうですから、またゆっくり食事でもできることを期待しております」



 一三時四一分

 宮殿内通路


「次はどこだ?」

「グラジオラスの間、元首相のスヴィナレンコ帝国侯爵、自由共和連盟のキスラー幹事長ほか、同党幹部の方々です」

「わかった」


 宮殿内の普段は空き室だったり物置だったり、あるいは会議室として用いられる部屋の殆どは、清掃され、応接机やソファなどを配置し直して祝賀会参列者の休憩室に用いられている。メイン会場である向日葵の間では皇帝が各テーブルを回りつつ挨拶をしている頃で、柳井はそれ以外の場所を回る役だった。


「こちらへ、閣下」

「隠し通路か……こんなものがあったとは」


 ジェラフスカヤが何もない宮殿の廊下の壁を押し込むと、質実剛健かつ優雅さを感じさせる宮殿内装と異なる、無骨で実用一点張りの通路が現れた。


「本来は万が一宮殿が敵性勢力に襲撃された際に、陛下らを安全に逃がすためのものですが、こういうときにも役立ちます。普段は使わなくても良いように、我々は閣下のスケジュールを設定しております」


 薄暗い通路は、そもそも一見してどこに通じているか分からない。ジェラフスカヤはスイスイと進むが、柳井はおっかなびっくりである。


 この後グラジオラスの間、ローダンセの間、雪柳の間、ユーカリの間、山茶花の間など多数の部屋を巡った柳井がようやく一息吐いたのは、昼の部の祝賀会が終わる一〇分ほど前のことだった。



 一四時四三分

 海棠の間


 ジェラフスカヤと共に自分の部屋に戻った柳井は、今回の式典で一番顔を見たかった人物と再会した。


「兄さん、お疲れさま……といえばいいのかな? いや、宰相閣下とお呼びすべきか」

「昌久、そんな他人行儀な。いつも通りでいい。遠くから態々呼び立ててすまない」

「いや、まさか兄さんがこんなに立派なとこに住んでいたとはね……なあ理恵」

「ええ。兄さんいつまでも独り身だから不安だったけど、ここなら大丈夫そうね」


 海棠の間に待っていたのは、柳井の弟と妹である。


「宮殿は独居中年の保護施設ではないんだが……ああ、紹介が遅れた。ジェラフスカヤ、私の弟の昌久と妹の理恵だ。私の秘書……のようなものだ。ジェラフスカヤという」

「はじめまして、エリヴィラ・ジェラフスカヤです。よくおいでくださいました」


 柳井昌久やないまさひさは柳井の弟。柳井の六つ下の四〇歳で現在はハルフォード・モータードライブの高崎工場に勤務し、製造一課長を務めている。子供は三人いて、長男は貴久たかひさ、長女は眞希まき、次女が眞弓まゆみという。


 妹の佐々木理恵は柳井の八つ下、三八歳の妹。東京市内で看護師をしている。二児の母で長女が麻理まり、長男は一孝かずたか


 二人とも、慣れない宮殿の一室で落ち着かない様子だった。まさか兄がこんな場所に住んでいて、帝国宰相などという重臣中の重臣の地位を占めており、さらにいえば軍隊を指揮して賊徒を撃退したり、国家一〇〇年の計を練っているなどということが現実として受け入れられていなかったのだ。


 柳井としては父母をすでに亡くし、残った数少ない肉親である兄妹と甥っ子達を帝都に招待するのは、自分の無事を伝えると共に、自分が極東まで赴くと護衛やらで面倒なことになることから、


 ジェラフスカヤが淹れたコーヒーと、厨房から取り寄せた軽食を食べながら、兄妹は約一年ぶりとなる会話を交わしていた。


「兄さん、昔から実家にも連絡しない人だからな。テレビで兄さんの名前が出る度に、同じ人かどうか判断に迷うよ」

「ほんとね。いつも安売りのスーツばっかり着てたのに、こんな立派なの着て」


 弟と妹に言われた柳井の姿は、フルオーダーのモーニングだ。これも皇帝選挙のあと、宣誓の儀の際に皇帝から送られたものだった。


 その後も弟妹による兄の思い出話は続いた。


「……閣下は宰相になる前と後で殆ど替わっていませんね」


 それらを聞いていたジェラフスカヤが驚いたようにコーヒーのおかわりを注いで回っていた。


「スーツだけはさすがに買い換えたが……ところで、子供達はどうしたんだ?」

「宰相府のマルテンシュタインという人とグレイヴァンという人が、引率で宮殿内の見学をさせてもらってるよ」

「会場で昼ご飯までごちそうになってるらしいけど……あ、戻ってきたみたい」


 リビングルームの扉が開かれ、上は中等学校生、下は幼年学校生の子供達が入ってきた。


「おじさん!」

「おお、貴久。大きくなったな。俺の身長を抜いてしまったか」


 柳井が甥っ子達と会うのは数年ぶりだった。昌久の長男貴久は一八歳で、今は東京市内の尋常実科学校に通っている。


「おじさんすっかり有名人ね。あの義久おじさんが、皇帝陛下の隣にいるなんて信じられないわ!」

「麻理もすっかり大人びて……大学進学予定だって? どこにするんだ?」

「もちろん帝大!」

「お、言うようになったなあ……大変だと思うが頑張れよ」


 理恵の長女の麻理まりは一五歳。中等学校に通い、大学進学に向けた猛勉強を続けていた。


「おじさん!」

「義久おじちゃん! 久しぶり!」

「おじちゃん!」


 一孝かずたか眞希まき眞弓まゆみは三人ともまだ初等教育課程で、柳井が最後にあった頃はまだ低学年だった。無邪気に駆け寄ってきた三人の様子に、柳井は目を細めていた。

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