第53話-② 即位一周年式典


 四月一一日〇九時〇三分

 帝都 ウィーン

 クリサンセマム大聖堂

 

 大聖堂の礼拝室、そこに続く身廊に増設された客席には、皇統貴族と帝国貴族、政財官界の有力者が最礼装で座っている。特に貴族においては普段着用する略綬でなく、正章と大綬を着用しており、軍人も同様である。天井からは帝国皇帝旗を祭壇の直上に、それ以外の皇統の紋章旗を筆頭に宮中席次順に、そして自治共和国旗が建国順に吊り下げられており、柳井のものも皇帝の紋章旗の隣に並んでいる。


 柳井は皇統伯爵でしかないが、帝国宰相であり、また様々な儀礼称号、実務上必要な役職を合わせると大公以上のものとなるとされており、最前列の席に座り、皇帝を待っていた。


「……」


 柳井は落ち着かない様子で、しかしそれをできるだけ表に出さないようにと気を張っていた。何せ最前列は皇帝の礼拝を中継するカメラの画角に常に収まる位置であり、また隣に座る者の存在が、柳井の緊張度を高めていた。


「殿下。もう少しですから大人しくしていましょうね」

「や」

「殿下、大人しくしているのが、今日のお仕事ですよ」

「おしごと、や」

「まあまあ……殿下は悪い子ですか?」

「わるいこ、ちがう」

「では、もう少し私のお膝の上にいましょうね。終わったらアイスクリームを食べましょう」

「アイスたべる!」

「終わってからですよ?」


 柳井のすぐ横に座るのは、皇帝を除いた宮中席次では通常なら第一位になるマルティフローラ大公、つまり当代マルティフローラ大公リーヌス・フォン・マルティフローラ・ノルトハウゼンである。もうすぐ二歳になる幼女は、二単語の言葉を巧みに操り、乳母であるブレンダ・トレイシー・マクミランの膝の上で退屈そうにモゾモゾと動いている。


 淡いピンク色のドレスから覗く足に、艶やかなエナメルのシューズを履く姿は、幼児ながらもレディの風格を身につけさせようとする乳母と後見人の心境を垣間見せるものであった。


「閣下、マズいようでしたら殿下達を礼拝堂の控室に戻らせますが」


 そう聞いてきたのは、大公リーヌスの後見人であるアウレリア・カーヤ・フォン・ヴァイトリング皇統伯爵で、事実上現在マルティフローラ大公の権限を代行している。彼女は静謐な儀式を乱すことを慮っていた。


「ああ、いえ、リーヌス様は賢くていらっしゃる。陛下が入られたら、静かにすることができると、思いますが……いかがでしょうか? 殿下」

「しずかにすゆ!」

「ええ、それで大丈夫ですよ」


 真正面を向いて、ことさら背筋を伸ばして座るリーヌスを見た柳井は、複雑な心境でその幼児を見つめていた。


 柳井としてはマルティフローラ大公の人間性そのものまで憎むことはなかったが、様々な罪状により自裁を遂げており、皇帝と共に、リーヌスにとっては父の敵と見られても不思議ではなかった。それだけに、彼女が隣にいる状況が、柳井にとっては落ち着かない。


『ご参列の皆様、ご起立ください。皇帝陛下がご入来あそばされます。聖歌隊と共に、皇帝賛歌を斉唱いたします。ご承知おきください』


 即位式典のうち、今から行われるのは礼拝式であり、クリサンセマム大聖堂の祭壇に祀られた歴代皇帝を示す聖像に対して、世の安寧、帝国臣民の幸福、そして帝国の発展を誓い、また加護を授かるというものである。


 すでに大聖堂の尖塔の鐘が打ち鳴らされており、皇帝が大聖堂の入り口まで来たことが分かる。身廊の巨大な扉が開かれる音と共に、パイプオルガンが皇帝賛歌のフレーズを一度だけ弾く。その後、聖歌隊、参列者が斉唱を始めた。


 最前列にいる柳井からは、皇帝の姿をうかがい知ることは出来ない。皇帝はいつもの軍服ではなく、礼装を着用し、さらに帝国宝物レガリアである王冠インペリアル・クラウン皇帝頸飾インペリアル・カラーを着用しつつ皇帝笏インペリアル・セプターを持ち、またいつものマントも式典用の分厚い毛皮のマントへ替えており、全部で三〇キログラム近い重さとなる。


 しかも、この状態で三番まである皇帝賛歌の歌唱が終わるタイミングで、祭壇の前に到着している必要があるのだが、その点は若いメアリーⅠ世には問題ではなかった。なお、先帝バルタザールⅢ世の即位晩年では、重たい帝国宝物を着用した状態では歩行に支障が出たので、樹脂製の模擬帝国宝物レガリア・イミテーションを用いていた。それでも重量五キログラムに抑えるのがやっとで、老齢の先帝にはかなりの負担だったことは言うまでもない。


 ともかく、皇帝はスムーズに祭壇の前までたどり着き、そこでぬかずいた。


「帝国第一四代皇帝、メアリーⅠ世陛下」


 祭壇の前に跪いている皇帝に、帝国国教会ウィーン大主教、事実上の国教会トップであるミラ・ルイジマナが声を掛けた。


 ここからは聖歌隊のコーラスをバックに地球帝国の略史と皇帝の使命をルイジマナ大主教が説く時間だが、柳井は連日の激務から眠気を堪えるので必死だった。


 巧妙に配置されたテレビ局のカメラは柳井から見えないが、柳井の姿は皇帝、大主教、他の宮中席次高位の人間と共に常に撮影されている。そのことを思い浮かべて眠気を堪え、緊張した面持ちを維持するので精一杯だったのだ。


「――ここに、陛下の治世一周年を祝福するとともに、国父メリディアンⅠ世の祝福があらんことを……陛下のお心を、偉大なる先帝の皆様方にお伝え願います」

「……我が名はメアリー。帝国第一四代皇帝として、国父アーサー=メリディアンの作り上げた地球帝国の皇帝として、ここに誓います。


 我が治世の間、帝国の安寧と繁栄を守り、全ての臣民の幸福を追求することに、我が心血を捧げることを。帝国の未来を築くために、誠実と勇気をもって、全ての試練に立ち向かうことを。国父から連綿と続いてきた先帝の皆様の遺志を継ぎ、帝国の安寧と治世の安定を祈り、全ての臣民と共に、輝かしい未来を築くことを誓います。


 願わくば、不肖の身に、民を守り、導く力を与えたまえ」


 額ずいていた皇帝が立ち上がり、笏を持たない右手で帝国国教会の印を切った。その後、参列者も印を切るのが慣わしだ。


 皇帝は祭壇から数歩後ずさってから、礼拝室の出口へ身体の向きを変える。この動作だけでも、かなりの重労働で、マントを助祭達が持ち上げて進行方向反対側に移動させたりと手間が掛かる。


 ここで柳井には、宮中席次一位の人間として仕事が待っていた。


「帝国に繁栄と安寧、民には幸福と自由をもたらす偉大なる皇帝陛下に栄光あれ! 皇帝メアリー万歳! 帝国万歳!」


 この一言ではあるが、普段の柳井なら絶対に出さない大声であり、人知れず宮殿の地下で発声練習をしていたことは、宮殿の一部の侍従しか知らないことである。


 ともかく、この柳井の歓呼の声に併せて、その他の参列者が同じく皇帝メアリー万歳、帝国万歳を三唱したタイミングで、再び皇帝賛歌が演奏される。


 今度は一番のみを歌唱した後、皇帝賛美歌のコーラスが行われ、皇帝が礼拝堂から出て行くので、参列者は皇帝を見送るだけになる。


「あなたの大声は始めて聞いたわね。来年も楽しみにしているわ」


 皇帝が小声で柳井に微笑みかけ、他の皇統にも目線を送る。荘厳な賛美歌が流れる中、皇帝が堂々と歩いて行く。かなりの重量物を持ったり身につけたりしているのにも関わらず、その歩みは平時と変わらないものだった。


 このあとは、皇帝が馬車に乗って帝都旧市街、官庁街を含む新市街を巡るパレードが行われるのだが、柳井にはそれをゆっくり見物している時間はない。


『閣下、用意出来ております』

「わかった、すぐに向かう」


 柳井は目立たないように、超小型のイヤホンとマイクを礼服に仕込んでいたのだが、そこから聞こえたのはバヤールの声だ。柳井は皇帝が帰ってくる前にライヒェンバッハ宮殿に戻り、これから大聖堂から押し寄せる皇統や参列者の出迎えをしなければならない。


 他の皇統や参列者は皇帝が礼拝堂を出て馬車に乗り、パレードに出発するまでその場から動けないが、皇帝を除いた宮中席次一位の人間はホスト役として先に離れることができる。


 皇帝が礼拝堂の出口に向かうのを見届けた柳井は、司祭に促されそれとは反対方向の扉に入った。ジョージⅠ世の懺悔室と呼ばれる、彼が即位前の不義を懺悔したという小部屋を通って大聖堂の外周を取り巻く回廊を駆け抜け、皇統しか通れないエドワードⅠ世の修養室から大聖堂裏手に抜けると、すでにバヤールが待っていた。普段のハルフォード・モナルカではなく、近衛陸戦師団用の交通艇である。今回はスピード最優先。何せ帝都中の道路が、皇帝のパレードのために交通規制をされている。そこまで遠くない宮殿に戻るにも一苦労するのが、即位一周年式典の当日だった。


「お待ちしておりました、閣下。それではスピード最優先で行きますよ」


 後部座席に飛び込んだ柳井とバヤールを見届けて、操縦桿を握るビーコンズフィールド准尉が機体を急上昇させた。


「すごい人だかりだな……あれか、陛下は」


 すでに皇帝の乗る馬車――オープンタイプで六頭の馬に引かれている――が動き出しているのが、柳井には見て取れた。


 それと同時に、宮殿北側の車寄せにも車が押しかけている。皇統が宮殿に移動するための車列だ。


「近衛165より野茨、これより宰相閣下をお連れして着陸する」

『こちら野茨、近衛165了解。屋上南4に着陸せよ』

「こちら近衛165了解。交信終了」


 宮殿とクリサンセマム大聖堂はほとんど隣り合わせのような位置関係だが、何せ宮殿も大聖堂も巨大な建造物で、敷地も広大。とはいえ、空を飛んでいると一瞬の距離である。つまり急上昇した交通艇は今度は急降下することになる。


「フリーフォールと言うべきかジェットコースターと言うべきか」


 交通艇程度の小型機には、大型艦船では一般的な重力制御も慣性制御も行われない。久々に感じる急激な加速度の変化に、柳井は苦笑しつつ安全バーを握りしめていた。


「ビーコンズフィールド准尉、少し操縦が荒くはありませんか!?」

「心配ご無用! 先日小型特殊艇操縦資格試験をクリアしていますから!」


 それを聞いたバヤールが柳井を見て首を振った。


「まあ、何事も経験だよ」



 九時四三分

 ライヒェンバッハ宮殿

 中央大階段


「お帰りなさいませ宰相閣下。こちらを」


 宮殿中央大階段まで来た柳井を、ジェラフスカヤが出迎えた。彼女は柳井に替わってここまで宮殿内の祝賀会参加者の受け入れ準備、皇帝のお出ましと演説を聞こうと殺到する民間人の誘導指示などを、侍従長と共に行っていた。


 ジェラフスカヤが差し出したタブレットで次の予定を確認しながら、柳井は階段を駆け下りていく。


「あと三分でマルティフローラ大公殿下が到着か。向日葵の間の準備は?」

「閣下、玄関で出迎えたあと、先に月桂樹の間へお通ししてから、ご挨拶に伺うのでは?」

「ああそうだった。それと月桂樹の間に、あとでアイスクリームとジュースを」


 柳井の言葉に、一瞬ジェラフスカヤが怪訝な顔をした。


「リーヌス殿下がご所望になると思われる。大丈夫だろうか?」

「問題ありません。用意させます」


 柳井は大聖堂でのリーヌスと乳母の会話を聞いて覚えていた。柳井に言われてジェラフスカヤは微笑んで、宮殿の厨房に連絡を入れた。


「玄関ホール、準備は?」

『すでに完了しております』


 玄関ホールは侍従達とハーゼンバインが待機して、雪崩込んでくる皇統や閣僚、祝賀会参列者を席次に応じて誘導することになっていた。宮殿には数多くの部屋があるが、これらにも宮中席次に応じた格式がある。面倒だが帝国という国家機構を維持するのに皇帝、皇統貴族、帝国貴族というものが絡む以上、宮中席次は無視できないものだった。


「よろしい。各自よろしく頼む」


 柳井が一階玄関ホールに辿り着いたのとほぼ同じくして、大扉が開かれ、車寄せに滑るようにしてハルフォード・モナルカのリムジン仕様が停車した。


「マルティフローラ大公国領主、リーヌス・フォン・マルティフローラ・ノルトハウゼン殿下」


 典礼庁の典礼官が告げると、待ち構えていた侍従達と柳井は敬礼の姿勢を取る。リーヌスはモナルカから降り立つと、自分の足で柳井の元まで歩いた。その後ろを、乳母のマクミランと後見人のヴァイトリング皇統伯爵が続く。


「皇帝陛下のご即位一周年をお祝い申し上げます。この度は、我らをお招きいただき感謝に堪えません。今日という日がめでたき日で終われますように」


 しきたり通りの言葉を発したのはヴァイトリング皇統伯爵だった。本来は大公リーヌスが行うものだが、さすがに二歳になろうという幼女に唱えられる呪文ではない。


「こちらこそ、大公殿下の遠路遙々のお出まし、嬉しく思います。お部屋をご用意しておりますので、しばらくお休みいただきますように――」


 柳井もしきたり通りの言葉を返したが、柳井はここで膝を付き、小さな大公に目線をできるだけ合わせるように腰をかがめた。


「大公殿下、お部屋にアイスクリームと、ジュースをご用意しております。皇帝陛下のお出ましまで、おくつろぎください」

「ありがとうございます!」


 宮中席次では柳井が上だが、皇統としては伯爵の柳井より大公が上なのは明白。複雑な関係ではあるが、柳井としては子供にはつまらない儀式の連続で疲れているであろう大公には、少しでも楽しい思い出になってほしいとも願っていたのだった。 


 ちなみに、柳井は小声で大公に告げたが、大公リーヌスは大きな声で、はっきりと礼を言った。実はこの瞬間は特別番組で報じられており、柳井の声はマイクには拾われなかったため、大公リーヌスが何に礼を言ったのか、と一部では物議をかもすことになった。


 侍従に案内されその場を離れた大公達を見送った柳井だが、色々と考え込む時間はなかった。


「閣下、続いてパイ=スリーヴァ=バムブーク侯爵殿下です」

「わかった……先は長いな」


 同じくリムジンから降りてきた老齢の侯爵の姿を認めて、柳井は即位式典の簡略化など出来ないものか、と頭を下げつつ考えるのだった。

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