第53話-① 即位一周年式典


 帝国暦五九一年四月六日〇七時四三分

 ヴィルヘルミーナ軍港


 ヴィルヘルミーナ軍港で戦地から凱旋する皇帝を出迎えるため、柳井はジェラフスカヤ、シェルメルホルン伯爵を連れて共に待っていた。他に出迎えに来ていたのは統合参謀本部長、本国軍司令長官、防空軍総監、降下揚陸兵団総監、それに首相以下中央政府閣僚、帝都待機の近衛兵二個連隊、帝都防衛師団から二個連隊である。


 朝の陽光を浴びながら、インペラトリーツァ・エカテリーナが護衛艦艇を引き連れて降下してくる。深紅の装甲には、至る所に荷電粒子ビームの擦過した痕や、誘導弾他物理弾による破孔が生じていた。それでも一切航行にも戦闘にも支障を来していないというのだから、インペラトリーツァ・エカテリーナ級の設計の確かさというものを、外部から見て実感していた柳井だった。


 着陸したエカテリーナの舷門が開き、タラップが伸びる。最初に出てきたのは近衛兵で、皇帝の露払いの役目である。


 安全が確認された後、皇帝がタラップを降りてくる。その瞬間、出迎えの兵士達の歓呼三唱。政府代替予備施設のあるブラチスラヴァまで届いたのではないか――などと、柳井は本当に思っていた。


 ブラチスラヴァは言い過ぎとしても、早朝のドナウシュタット地区とアスペルン地区では、車両のモーター音やら人混みの喧噪にも負けない"皇帝万歳"の声が聞こえたという。


「早朝からの出迎えご苦労。皆に帝都を安心して委ねられたからこそ、私は前線で心置きなく戦えた。改めて感謝を」


 皇帝のハイトーンの声に、改めて一同から歓呼が送られる。


 それらの儀式が済んでから、皇帝は柳井と宰相府の者と共にリムジンへ乗り込んだ。


「まずは無事のご帰還、お喜び申し上げます、陛下」

「柳井もご苦労さま。雑務の処理にてんてこ舞いだったでしょ」


 平素と替わらない皇帝の様子に、柳井らは安堵した。


「陛下がコルヴィッツ艦長を艦橋から追い出してはいないかと、一同ヒヤヒヤしておりました」

「そんな無粋な真似はしないわよ」


 柳井に言われた皇帝は憮然として言い返した。


「インペラトリーツァ・エカテリーナの戦闘記録を見ていた柳井宰相がすごい顔をしておりましたよ。宰相閣下でなくても、コルヴィッツ艦長の身柄を案じたのでは」

「サラ? 私の身柄はその次ってこと?」

「とんでもない。御身のご安全は他の者と序列を付けるものではございません」


 シェルメルホルン伯爵がいつもの調子で返すと、皇帝はクスクスと笑っていた。


「まあいいわ……で、首尾は?」


 皇帝に問われた柳井は、ジェラフスカヤに指示して資料を出させた。


「戦勝祝賀会とパレードは、陛下のご即位一周年式典と併せて行うこととなります。典礼庁からは来週の土曜日、日曜日がよろしいのでは、と」


 さすがに戦勝報告から数日で準備を整えるのは容易ではない。皇帝の葬儀の場合、事前に皇帝が病床に伏せっているという情報は出回っていたから心構えも準備もしていたが、今回の戦勝記念については祝い事でもあるし、できれば多くの招待客に準備を整える時間も必要だった。


「細かいことは任せるわ。とっとと済ませないと、いつまでもテレビも町中もどんちゃん騒ぎしそうだから」

「一応記帳所を置いて、ここまで来た者の祝意を発散させてはおります」


 皇帝への祝意を何らかの形で示させれば、多少は落ち着くだろうというのが柳井の考えだった。


 混雑回避のためにネットワーク経由での電子記帳も出来るとはいえ、実際に現地で肉筆で行いたいと考える臣民は多く、連日八時三〇分から二〇時まで儲けられている記帳所は長蛇の列で、ラゲストロミア離宮、宮内省庁舎、クリサンセマム大聖堂にも記帳所が設けられている。


 それでも皇帝を一目は見たいと、現時刻においても宮殿周囲には多くの臣民が詰めかけており、宮殿警備上の問題にもなりつつあった。


「全部宮殿に入れて、私が出れば気が済むんじゃない?」

「そんなことをしたら、連日連夜帝国臣民が押し寄せます。報道各社に、陛下のメッセージを流す時間を取れないか打診中です。チャンネル8は時間を取れたのだったか?」

「はっ。LNN他、民放報道番組でも調整中です。帝都標準時二〇時の枠で生放送、他のタイムゾーンでは録画したものをそれぞれの地域の明朝八時頃のニュースで報じる手筈となっております」


 柳井の問いに、ジェラフスカヤが自分の携帯端末を開いて確認した。実は類似の事例がかつて第六代皇帝のジョージⅡ世の御世に起きており、宮殿内に侵入した辺境惑星連合軍エージェントにより宮殿内変電設備などを破壊されており、当時の宮殿警備部隊指揮官、近衛軍司令長官が辞任する騒ぎとなっている。


「まあ、それで済むならそうしましょう。まさか勝利の度に私が全帝国を行脚する訳にもいかないんだから」



 〇八時二〇分

 ライヒェンバッハ宮殿

 樫の間


「お休みになった方がよろしいのでは?」


 宮殿にたどり着いてすぐに執務机に着いた皇帝に、柳井は諫めるように言った。


いくさはグライフ達に殆ど任せてたんだし、別に疲れちゃいないわよ」

「疲れを他人に見せないのは陛下の美徳ですが、無理をされて倒れられては困ります」

「心配してくれるのはありがたいけど、そこまでヤワじゃないし、生活リズム変える方が身体に堪えるわ」

「陛下の頑丈さは承知しておりますが、陛下が倒れた場合の仕事を肩代わりする我々のこともお考えください」

「可愛くないのねえ……じゃあちょっと付き合いなさい」


 皇帝は立ち上がると、そのまま樫の間を出ていこうとした。柳井はどこに行くのかも分からないまま、その後に続いた。



 〇八時四五分

 ウィーン御料牧場

 

「柳井とこうしてここに来るのも久々ね」

「最近は中々予定が合いませんでしたからね」


 皇帝の数多い趣味の一つである乗馬。馬場馬術はもちろん馬上武術の類いも修めているというが、柳井と来るときにはゆっくりと歩くだけだ。皇帝にとってはリラックスして話せる数少ない相手の一人である柳井との対話の時間でもある。


 皇帝の愛馬の一頭、尾花栗毛のジュピターエクスプレス号に続き、柳井の乗るオービットスプリント号が新緑の中を歩いて行く。オービットスプリント号は一〇歳になる芦毛の騸馬せんばで、柳井のような素人が乗っても、勝手に先導馬についていってくれる。柳井はいわば荷物である。


「あなたも多少は様になってきたわね」

「乗馬服も板についてきたと?」


 実は柳井も休暇の際に乗馬に来ており、厩舎長やシェルメルホルン伯爵、ハーゼンバインの手ほどきを受けていた。その成果が出ているのか、はじめはおっかなびっくり乗っていた姿勢も、背筋が伸びて堂々たるものとなり、常足なみあしはもちろん、速歩はやあしでもなんとか乗っていられる程度には慣れていた。


 なお、皇帝は地球でのみ文化保存という観点から行われている競馬に御料牧場産の馬を出走させており、さすがにレースに出るのは止められているが、レース前の調教については時間があるときに自分で行うほどの腕前である。


「全般的によ。くたびれたサラリーマンが、多少は皇統貴族らしくなったわね」


 そう言われて、柳井はここ数年のことを思い返した。アスファレス・セキュリティのアルバータ派遣部隊の司令官にされたのがまだ課長だった五八二年。男爵になったのが五八六年で社内では部長。それから四年経って常務、退職して無職になったかと思えば帝国宰相になり、爵位も伯爵まで進めている。


「まだ一年です……一年というのも早いものですね。あっという間でした」

「お互い、気付いたら爺さん婆さんってことになるのかしらね。三〇年、四〇年、もっと長いかもしれないし、あっさり明日には死んでるかもだけど」

「陛下に先立たれるのは困りますね。殉死を選ぶかもしれません」


 柳井から意外な言葉を聞いて、皇帝は右斜め後ろを歩く柳井に振り返った。


「あなたが私に殉じて死ぬとは思えないけど」

「そうですか? 陛下が亡くなられたあとの仕事の膨大さを思えば、その方が楽かも知れません」


 柳井が柔らかい笑みを浮かべて言うと、皇帝は首を振って溜め息を吐いた。


「まったく……あなた、私が明日死んだら皇帝なんだから、忙しいじゃ済まないわよ」


 そう言われた柳井は、それは困りますね、とだけ答えた。


 このあと、御料牧場内で昼食といくつかの課題についての議論を済ませた皇帝は、夕方まで休息を取ることになり、柳井はクリサンセマム大聖堂に向かうこととなった。


 

 一五時四三分

 クリサンセマム大聖堂


 クリサンセマム大聖堂は帝国国教会ウィーン大教区の本部教会であり、帝国国教会のいわば総本山でもある。皇帝の戴冠式や皇帝の葬儀も執り行われる儀式の場でもあり、帝国臣民イコール帝国国教会信徒と言っていい現代においては、皇帝廟とあわせて聖地でもある。


「準備は順調のようですね」


 飾り付けや来賓席の用意が進む大聖堂へ、柳井は視察に来ていた。


「はっ! 式典当日までには万端、整えてまいります」

「よろしく頼みます。何せ一周年の式典は特別ですからね」


 皇帝の即位記念式典は毎年行われるものだが、一周年と五年ごとの式典は特に大規模に行うのが通例だった。特に今回は帝位継承の際に内乱を起こしており、各領邦と皇帝の関係が良好であることを大々的に示さねばならない。もうすぐ二歳になるマルティフローラ大公リーヌスの二歳の誕生日も控えているし、新たにコノフェール侯爵とフリザンテーマ公爵になった二人の晴れ舞台でもある。


 その意味でも失敗は許されないのだが、そこは一四代五九〇年に渡る典礼庁の手配が行き届くだろうと柳井は不安視していない。それよりも警備の方が不安だった。


「FPUが軍事的失敗を政治的にカバーするため、テロを起こす可能性は捨てきれない。治安・公安の各部門でも、抜かりのないように。失態は許されません。その点は理解しているだろうか」

「心得ております」


 柳井に念押しされた内務省事務次官の陳健黎ちんけんれいは慇懃に答えた。柳井にしては珍しい、やや厳しい口調と態度なのには理由がある。


 他の省庁でも言えるが、皇帝や帝国宰相相手でも隠し事をするのが官僚組織であり、その中でも内務省は群を抜いている。それに柳井自身も先の動乱では危うく暗殺されるところだったわけで、不信感を拭えずにいた。


 内務省には前マルティフローラ大公の息が掛かった官僚やエージェントがまだ残っているとフロイライン・ローテンブルクから調査報告を受けていた柳井としては、警戒せずにはいられないのだった。



 一七時〇〇分

 ライヒェンバッハ宮殿

 楡の間


「こちらが宮殿で行われる祝賀会出席者のリストです」

「……皇統八二一名に帝国貴族六〇〇名、先の戦いにおける軍功著しい者から代表で二二〇名、本国政府、領邦政府代表および叙勲対象者八〇〇名、その他一四九名、併せて約二五〇〇人か……皇統を全て呼ぶわけではないのだな」


 柳井はジェラフスカヤが端末に転送したリストを見て溜め息を吐いた。


「体調不良やどうしても出席できない者も居られますし、先の永田文書事件により爵位を剥奪された皇統もいますので。しかし皇統伯爵以上はほぼ全員ですね。帝国貴族は例年通り抽選による選出です」


 皇統貴族はともかく、帝国貴族は帝国侯爵から帝国男爵まで合わせれば数万人に達する。全てを呼んでは宮殿が埋め尽くされてしまう。そこで例年、抽選により祝賀会の出席者を宮内省が決めていた。


「まあ、細かいことはオードリー長官に任せておけばいいのだが……当日は挨拶回りだけで一日が潰れそうだな。食事をする時間もなさそうだ」


 皇帝でさえ出席者から祝福を受けるという仕事が待っているし、皇帝が回りきれないテーブルや部屋へ挨拶を行うことが帝国宰相に必要な役目でもある。即位周年式典は朝九時にクリサンセマム大聖堂で国教会の祝福を受け、今後の治世の安定を祈念した後、一〇時から一一時まで帝都をぐるりと回ってパレードの後、ライヒェンバッハ宮殿の前庭に一般臣民を入れてのお出ましと演説の後、昼の部の祝賀会を行い、合間に二時間ほど準備と休憩時間を挟んで夜の部が始まり、最後の来賓者が宮殿を出て行く二二時過ぎまで掛かる長丁場である。


「辺境で戦闘指揮でもしているほうが楽なのではないか」

「閣下」


 さすがに不敬だと言外に柳井を諫めたジェラフスカヤに、柳井は『すまない』といって苦笑いを浮かべていた。

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