第52話-⑦ 皇帝出陣

 四月四日

 〇二時三二分

 インペラトリーツァ・エカテリーナ

 司令部艦橋

 

「第一一、第一二の両艦隊より入電。最後の敵拠点の攻略戦を完了との報告です」

「これで敵は一掃できたと言えましょう。当初の作戦目標を、全て達成したことになります。我々の勝利です」


 粕川参謀長とグライフ司令長官の言葉に、皇帝は頷いて玉座から立ち上がった。

 

「これにて全作戦を終了する!」


 皇帝の宣言に、全艦で勝ち鬨の声が上がった。奇しくもこの日は帝国皇帝にメアリーⅠ世が即位してちょうど一年。計ったわけではないにしても、軍神メアリーⅠ世の名を帝国、辺境惑星連合に知らしめるエピソードとなったのだった。



 三時三〇分

 帝都 ウィーン

 ライヒェンバッハ宮殿

 楡の間


「何があった?」

「閣下……! お休みのところ申し訳ありません」


 当直についていたハーゼンバインが、申し訳なさそうに柳井に頭を下げ、状況を報告した。総旗艦インペラトリーツァ・エカテリーナから発せられた作戦終了、我が軍勝利せりの報は東部方面軍司令部、国防省、統合参謀本部から発表され、ニュースネットでは速報が打たれた。


 それにより深夜まで起きている物好きや深夜労働者、個人端末の通知メッセージで起きた市民がお祭り騒ぎ。市街を練り歩き、酒場やレストラン、商店の中には深夜にもかかわらず急遽オープンしたものもある。さらに、皇帝の居城たるライヒェンバッハ宮殿の周囲には、皇帝不在にも関わらず市民が訪れ、皇帝賛歌の大合唱、皇帝万歳の斉唱である。


 ハーゼンバインとしては今回、柳井を起こすかどうかは迷っていた。朝一の報告になっても特に大きな問題ではない。皇帝は無傷、作戦目標は達成し敵戦力を殲滅できているし、帝国側の損耗は極めて少ない。通り一遍の戦勝メッセージを発するだけなら、真夜中に叩き起こすこともない。


 しかし、宮殿の外側の柵から一キロメートル近く離れた海棠の間の柳井が起きてくるくらいには、周囲の喧噪が届いている。それは別の問題を引き起こす恐れがあった。


「林大佐、何人詰めかけている?」

『およそ二万人、さらに増えつつあります。現在、警察により旧市街から新市街に通じるプラーター橋に通行規制を掛けておりますが……』


 宮殿警備司令部に詰めている近衛陸戦師団第四連隊連隊長の林大佐の報告に、柳井は楡の間のモニターにニュース映像を出した。


『ご覧ください。深夜にも関わらず、旧市街、新市街はともに戦勝を祝う市民で溢れかえっています!』

「すごい騒ぎですね。もうすぐ四時だというのに」


 ハーゼンバインが呆れ半分に言うと、あくびを噛み殺すように渋い顔をした。


「旧市街のほうももっとすごいだろう。今頃臨時で開店している店も多いだろうし……宮殿警備のほうは大丈夫か?」


 お祭り騒ぎのテレビから、宮殿の監視カメラの映像に切り替えたモニターには、正門のブライトナー門、西門パウムガルトナー門、東門エクヴィルツ門の映像が映し出されたが、いずれも市民が熱狂と共に押し寄せていた。

 

『ライヒェンバッハ宮殿およびラゲストロミア離宮、共に警戒は強めております。警察も交通誘導を開始しておりますから、遠からず混乱は収束するでしょう』

「わかった。めでたい気持ちに水を刺すことはないが、騒ぎたいだけの輩に好き放題されては困る。頼む」


 柳井にしてもハーゼンバインにしても、戦勝についての歓喜は殆どない。事前の予測でも分かりきっていたことだし、柳井達にとっては戦勝に浮かれる市民の偶発的な事故や、この機に乗じたテロについて警戒することのほうが大事だった。


「政府の方はどうだ?」

「国防省と統合参謀本部が合同記者会見を予定しております。首相談話は明朝だそうですが、宰相府としてはどうしますか?」


 通常、各軍管区のナンバーズフリートや遊撃艦隊、護衛隊などが辺境惑星連合軍を撃退しても、国防省や中央政府は即時の記者会見など行わない。キリがないからだ。大規模攻勢を撃退した場合でも、極めて冷静な発表が行われるだけだった。


 しかし今回は親征であり、メアリーⅠ世即位一年を迎えるに当たっての興奮というものがある。本来ならば四月四日に予定されていた即位一周年式典は延期されていて、いわば状態の帝国臣民のフラストレーションが解放されて帝都のみならず、各管区でも現地時間によらず大きな騒ぎとなっており、基本的にはめでたさ故のこととはいえ、ただただ騒ぎたいだけの輩の暴走も懸念されていた。


 それらの興奮の一種のガス抜きのためにも、何か公式にメッセージを発することが必要だった。


「独自に出しておこう。文案を頼む」

「はっ!」


 ハーゼンバインが五分で仕上げた宰相府発表の原稿を見て、柳井は満足げに頷いた。さすがに報告書のような潔い簡潔さはなく、宰相府としての様式に則ったものだった。


「よし、これで行こう。報道各社に宰相府会見のスケジュールを送ってくれ」

「グレイヴァン報道官をお呼びになりますか?」

「無理に叩き起こすこともないだろうが……」

「宰相閣下! お待たせいたしました」


 グレイヴァン報道官が、寝癖も見せない完璧な出で立ちで楡の間に入ってきたのを見て、柳井は目を丸くした。宮殿周辺の状況を考えれば、こんなに早く到着するとは思えないが、ともかく報道官が来たことで、柳井は記者会見関連の手配を丸投げすることにした。


「記者会見となればやはり私がいなければ」

「職務熱心なのもいいが、翌朝からの仕事に差し支えないようにな」

「それは閣下も同じでしょう?」

「こう見えても頑丈でね……では、記者会見の準備を頼む。四時からにしておこう」

「はっ」


 記者会見をすると言った手前、部屋に戻るわけにも行かず、眠気覚ましにコーヒーを人数分淹れてきた柳井は、早速仕事を始めていた。皇帝が戻ってくれば凱旋式と先勝祝賀会を兼ねた即位一周年式典を行う必要もあるし、主義派との和平協議についても考える必要があった。


 今後の侵攻可能性予測のためには辺境惑星連合の現在の工業力や人員数の情報も必要だが、これらは帝国私掠船団、帝国軍情報部、内務省外事課、星系自治省情報局、それに民間軍事企業、各シンクタンクなどの予測を精査する必要もある。


 しかし、国防省、内務省、軍事アナリストなど分析する者によってそれらの数値や時期はいつもばらついている。人工知能を用いたとしても、回答のいずれかを採用するか、最後は人間の判断次第となる。


 この中でも帝国私掠船団の情報はかなり確度が高いと皇帝と柳井は考えており、帝国軍や内務省、星系自治省とは別に政策立案のための参考情報として情報の集計を行っている。先帝バルタザールⅢ世の御代の終わり頃、帝国私掠船団に関わる脱税事件の結果、それまで私掠船団の監督をしていた前フリザンテーマ公爵からメアリーⅠ世――当時は近衛軍司令長官――にその監督権が移行しており、これらへの指示も、柳井が辺境勤務で得た知見を元に皇帝に助言を行っているから、大規模会戦のあとは考えることも多かった。


 つまり、柳井にとっては戦場での勝利のあとのほうが仕事が多いことになる。とはいえワーカーホリック気味の柳井は、それらの仕事を精力的かつ淡々と進めていくことになる。


 祝勝会などの大まかな方針などを考えてまとめ終えたころに、グレイヴァン報道官が楡の間に戻ってきた。


「一〇分後、記者会見を始めます、原稿はこちらに」

「わかった、ありがとうございます」



 〇四時〇一分

 柏の間


「それでは宰相府記者会見を始めます。まずは柳井宰相より、先刻報告のあった対辺境惑星連合軍迎撃作戦の完了についての談話について発表がございます」


 グレイヴァン報道官が降壇し、替わって柳井が帝国宰相府紋章旗、そして皇帝旗に深々と頭を下げてから登壇する。


「親愛なる帝国臣民の皆様にご報告いたします。皇帝陛下の卓越した指導の下、東部方面軍は一糸乱れぬ連携と、勇猛な戦いぶりで辺境惑星連合軍の侵攻軍と戦い、これを撃破したとの報告がありました。


 この戦いにおいて、東部方面軍諸部隊は日頃の訓練の成果を遺憾なく発揮し、帝国の領土と主権、臣民の財産と生命を守ることに尽力しました。まず、帝国軍将兵に対して、心からの感謝と、戦死者に対し哀悼の誠を捧げることとします。


 この勝利は、皇帝陛下のご聖慮が帝国辺境に至るまであまねく届いていることの証左でもあり、今後も敵による帝国への侵攻を完膚なきまでに叩き潰すという意志の表れと拝察いたします。


 陛下の即位一年を迎えたこの時期の勝利は、陛下の治世における帝国の輝かしい未来を証明するものであります。また、陛下より、この勝利は自らだけのものではなく、帝国軍将兵、臣民一人一人の帝国に対する献身と忠誠により成し遂げられたのだ、とのありがたいお言葉も賜っております。


 最後になりましたが、我ら帝国臣民一人一人の忠誠と献身は、必ずや帝国の繁栄と平和、自由と幸福を実現する原動力となることでしょう。今後とも、陛下の事業に対してのご理解、ご協力をお願いするとともに、今はこの勝利を祝える喜びを、帝国臣民の皆様と分かち合いたいと思います。帝国万歳。皇帝万歳。以上です」


 柳井が読み上げた談話に、記者達がどよめいた。彼らにしても興奮を抑えきれず、この場で帝国万歳の大合唱と行きたいところだったが、それはそれとして彼らにはまだ仕事が残っていたし、柳井がさらに、と続けたため黙るしかなかった。


「戦勝を祝う気持ちは理解いたしますが、市街地での無秩序な行進、集会などは市民生活への大きな影響がありますので、節度を持っていただきたい。特にウィーンについては、皇帝陛下がお戻りになったときにガッカリされるようなことのないように、整然とお迎えしたいものです」


 このあと三〇分にわたり質疑応答が行われ、さらに延長してグレイヴァン報道官が対応し、その間に柳井は仮眠を取るために自室へと戻っていた。



 〇九時〇〇分

 楡の間


「おはよう。ハーゼンバインはもう帰ったか?」

「先ほど帰らせました」


 軍人時代から会社員時代を経て、五分前精神が骨の髄まで染みこんでいる柳井にしては珍しく、九時ぴったりに楡の間に現れたときには、すでにバヤールが楡の間に詰めていた。


「夜中からの記者対応、お疲れさまでした。もう少しお休みになってもよろしいのではありませんか?」


 帝国宰相は皇帝に直接仕える特殊な立場の臣下であり、私設秘書に近い。そのため帝国公務員服務規程その他の規則が適用されない。それは出仕する時間についても同様だが、柳井は自主的に九時には執務を開始していた。柳井の勤勉さというより、宰相としての煩雑な執務をこなすにはあまり午前中ゆっくりしているわけにもいかない。


 柳井としては七時や八時から仕事を始めてもいいのだが、そうすると自分の補佐をする侍従達に面倒を掛けると配慮した結果でもある。


「下手に生活リズムを変える方が身体に堪えるんだ」

「そういうものですか……陛下は現在、東部軍管区よりこちらにお戻りになっているところです。明後日の早朝にはヴィルヘルミーナ軍港に到着なさると、先ほど連絡が」

「次は式典周りの準備だな……」


 とはいえ、これは典礼庁の仕事であり、柳井としてハンドリングする部分はあまりない。それでも式典には皇統貴族の招待も必要で、それらは皇帝の代理人たる柳井が行わねばならない。バヤールに指示して宮内省侍従局の書記官に文面を都合してもらうことにして、柳井自身は打ち合わせのために典礼庁へ向かうことにした。



 九時一七分

 典礼庁

 長官執務室


「――というわけで、早急に戦勝祝賀会および凱旋パレードの準備をせねばなりません。典礼庁の協力を得たいのですが」

「もちろんです。先帝陛下のときには一度行ったきりで、それ以降凱旋式も祝賀会も行っておりませんので、久々のことですね」


 マリオン・オードリー典礼長官はにこやかに承諾した。先帝の葬儀時にはまだ覚束ない面も見えたが、この一年ですっかり貫禄がついていたのを見て、柳井は安堵していた。


「パレード自体は旧市街を回って新市街を経由し宮殿に戻るルートを考えております。詳細は典礼庁で詰めておりますが……警備について、閣下からも各所に念押ししていただけると幸いです」

「それはもちろん」

「閣下もお命を狙われたとか」


 オードリー長官の気遣わしげな目線を受けて、柳井は苦笑いを浮かべた。


「私なら替えが利きますが、陛下はそうではありません。警察、軍には最大限の警戒を命じましょう。ただ、陛下のことですからオープンカーに乗りたいと仰るのではないかと」


 実際にはオープンカーではなく、御料牧場で飼育されている馬を使った馬車でパレードを行うのが通例だが、オードリー長官も柳井もその点を失念していたのは、経験不足からくる知識不足でもあった。とはいえ、これらは典礼庁の職員には自明のことであり、計画では馬車の用意が行われることになる。


「私もその点を懸念しておりまして……まあ、そうでなくては意味がない、と仰せになるのは明白。ここは警備の方で気をつけてもらうしかありません……」

「しかし、時期が時期です。即位一周年式典と合同で行うことになるのなら、少なくとも一週間程度は準備時間が必要です。何も同月内にパレードを二回やることもないでしょう」


 オードリー長官の言うことはもっともで、二度手間は避けたいところだった。それに派手好きに見えるメアリーⅠ世だが、浪費が好きなわけではない。むしろ締めるところは締める節度を持っていた。


「陛下には念のため確認しますが、おそらく戦勝式典と併せて行うことは問題ないはずです。そのように進めてください。招待客も皇統だけでなく、戦勲著しい者や、各艦隊司令長官、幕僚クラスを呼ぶこともできます。スケジュールは典礼長官に任せます」


 オードリー長官との打ち合わせを始め歳、皇帝が帰ってくるまでの間、柳井は各所との連絡やら打ち合わせに奔走することになったのだった。


 皇帝の始めての親征を終え、柳井は在任中にあと何回こういったことがあるのだろうと考えつつ、次の打ち合わせのために典礼庁の車寄せに待たせておいたハルフォード・モナルカに乗り込んだ。

 



 

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