第52話-⑤ 皇帝出陣
三月二三日二一時三一分
作戦室
全軍の再編成を終えた帝国軍が行動を再開したのは同日二一時。皇帝とグライフ元帥、ベイカー侍従武官長、ナンバーズフリート司令官とその幕僚達を集めた作戦会議がインペラトリーツァ・エカテリーナの作戦室で行われていた。
「敵軍がこの侵攻のために用意したと見られる拠点の位置は、各護衛隊からすでに判明したものが一三カ所。これらを撃滅することが今後の課題ですが……」
「敵主力を撃滅した以上、残りの拠点にも大して戦力は残っていまい。各艦隊を再編し、同時に叩き潰せば早い」
ベイカーの問題提起に、粕川サトミ東部軍参謀長が答えた。勝利は攻撃に徹してこそという信念をもつ粕川らしい答えだとベイカーは頷いた。
「各艦隊を分散させては、敵の突発的な攻勢に対処し得ない。時間は掛かるが全軍まとまって動く方がいいのでは? 敵軍の主力を撃滅したとは言え、まだ予備兵力を伏せている可能性はある」
極めて堅実な意見を出したのは、第一一艦隊司令長官の
「今回は陛下もおられるわけで、近衛の護衛に一艦隊割くことは当然のことだろう?」
「しかし、全軍が動くほど、敵軍の戦力が大きいとは思えないが」
「サザーランド提督の仰るとおり、ここは敵軍にも時間を与えないために、分散するのがよいのでは?」
第九艦隊司令長官サザーランド大将の提案に賛同した笹川の言葉に、皇帝は頷いた。
「第九艦隊は近衛と共に行動するとして、第一一、一二の両艦隊は独自に動いてもらいましょう。グライフ、三方面に分散して敵軍を撃滅する作戦案を立ててちょうだい」
「陛下の御意に従います」
前線に出てきてからの皇帝は、平素以上に意気軒昂で、判断も迅速で充実していた。各艦隊司令長官も、いわゆる大元帥である皇帝の姿を見て活気づいているし、それを見た司令部も、そして各艦将兵の戦意も高い。皇帝が意図した自分が前に出ることで士気を高める策は功を奏したのだった。
二二時四三分
帝都 ウィーン
ライヒェンバッハ宮殿
海棠の間
柳井はその日の執務を終えてからも、自室で皇帝宛ての文書や報告の確認をしていた。電子データのものはすでに皇帝が目を通している場合もあり、戦地にいるというのにマメなお方だ……などと柳井は感心半分、呆れ半分だった。
むしろ柳井の仕事は皇帝が儀礼的に送らねばならない時候の挨拶に対する返書や、皇帝自身が名誉会長を務める慈善団体やスポーツ団体への挨拶状の対応だった。そもそも皇帝が直筆するものではないとはいえ、その時々の情勢に応じた内容について、侍従局の書記官や典礼局員の提案を確認して承認するところまでは、皇帝の代理として柳井がこなすべき仕事で、楡の間から海棠の間に持ち込んだそれらの処理を終える頃には、すでに二三時も目前となっていた。
楡の間で仕事をしないのは、当直担当の者や侍従達に気を遣わせない配慮だったが、無論そんな柳井の行動は宮殿中で周知のことである。
『閣下、お仕事中失礼いたします。インペラトリーツァ・エカテリーナからの定時連絡です』
今日の宰相府夜間当直は、宰相府事務局のエドワード・キム事務官で、元々星系自治省の辺境政策局にいたのを宰相府開設後に、ジェラフスカヤの
「ありがとう。今日の当直はキムだったか。ご苦労」
『はっ。状況が激変するようであれば、ご連絡いたします。ゆっくりお休みなさいませ……あまり夜更かしなどされないようにと、シェルメルホルン事務総長より言付けを預かっております』
「わかっているよ。ありがとう」
送られてきた報告書の概要には、陛下はご無事。我が軍優勢とだけ書かれていたのを見た柳井は、苦笑を浮かべた。
「近衛軍士官の報告書というのは簡潔だな」
もちろん必要な詳細情報は別添されていたが、宰相が必ず見るべき情報としてこれ以上ふさわしいものはなかった。
「……」
小腹が空いた……と、柳井は海棠の間から、職員食堂へと向かった。
二二時五五分
職員食堂
「宰相閣下? こんな夜更けにどうなさったので?」
「小腹が空いたので、そばでも食べたい。出せるか?」
「連絡頂ければ部屋までお届けいたしますのに」
職員食堂は外部委託された給食委託会社が運営を任されており、厨房に立っているのは宮殿厨房のスタッフと異なり、一般臣民ばかりで、柳井が宰相になってしばらくの間、食堂で食事をしていた頃は誰も彼も萎縮していたものだが、柳井の飾らなさすぎる雰囲気から、やや砕けた対応になっており、柳井はそれを好ましく思っていた。
不夜城とも称されるライヒェンバッハ宮殿には、この時間でも一〇〇〇人近い人間が詰めている。半分は宮殿警備の近衛兵だが、もう半分は侍従局の侍従、一般職の事務員、そして食堂や購買部などのスタッフで占められていた。
とはいえ、今は丁度空白の時間帯で、食堂には柳井が一人、ぽつんと座っている。
「閣下、お持ちしました。どうぞ……相変わらず、庶民染みたお食事をされることで」
中年の女性スタッフが、嬉しそうにかけそばの丼鉢を見ている柳井に声を掛けた。
「肩書きだけ増えただけで、私は元々庶民ですよ。こういう時間に食べるそばがまた美味い」
スタッフが下がったあと、そばに七味を振って一気に
三月二四日〇九時五四分
帝国議会議事堂
第一委員会室
「辺境惑星連合軍の侵攻に際し、敵の主力集団が撃滅された模様です。現在東部軍管区に発出されている警戒命令を、一部解除することが適切ではないかと思いますが、国防大臣は如何にお考えか」
「国防大臣」
「現在までに確認されている情報では、ご指摘の通り――」
敵勢力の帝国領侵攻時に招集される特別委員会は、主要閣僚に加えて各党の両院議員から選出された委員が出席する大規模なものだが、戦場での戦いについてはすでに作戦計画が政府と皇帝により承認され、戦闘宙域に近い自治共和国や資源惑星、軌道都市の対処もこの二〇〇年程度はパターンが決まっていて、変更することは考えられない。
つまり、あまり意味のないことが行われているのだが、これは一種の儀式である。特に下野した自由共和連盟など野党勢力にとっては、与党帝国民主党への非難を行う政治ショーの舞台でもある。
柳井も帝国宰相府の代表として委員会室の一席を占めていたが、皇帝の重臣に直接非難をぶつけるほど、彼らも迂闊ではない。柳井自身は全く関知していないが、臣民からの柳井に対する支持率は皇帝の支持率の高さに手伝われて七割から八割を推移している。
無論、柳井自身の辺境自治共和国への対処や、防衛戦における勇名が背景にあるのは言うまでもない。
ブルッフハーフェン自治共和国における越権行為も、結局柳井が復命書を出した後、当人の喚問は行われないこととなったのにはそういった背景もあった。
時間を持て余した柳井は他の閣僚の答弁中も配付資料を見て暇を潰していた。
結局午前中の間、柳井が発言することはなく、いっそのこと痛烈な批判でも来ればいいのにとさえ思った柳井であった。
一二時二一分
議員食堂
「柳井宰相、せっかく来ていただいたのに出番がなくてお暇だったのでは?」
「私も閣僚の一席を占めているのだから当然でしょう。委員の方々のご意見、しかと拝聴いたしました」
特別委員会の休憩時間中、柳井は数名の閣僚と与野党議員と共に昼食を取っていた。帝国議会議事堂の議員食堂は、カフェと同様に個室も設けられており、様々な会談の場ともなっている。
無論、柳井には宰相として専用の控室が用意されており、そこに食事を持ってこさせることも出来たのだが、議員食堂は安価で美味しく、それでいてメニューも豊富という点を気に入って、事あるごとに訪れていた。
柳井に笑みを投げかけたのは、ナジーヤ・アル=ビナ下院議員。自由共和連盟の所属の女性だ。
「ナジーヤ、あまり失礼なことを言うものではないでしょう」
「アレックスは固いわね。閣下は政府閣僚としていらしているんだから、萎縮してどうするの?」
アレックス・ハガード国防大臣はアル=ビナ議員と同郷の出身で同学年、さらに言えば幼年学校も同じクラス、そこから時を経て帝大法学部を出たのも同じ、議員として当選したのも同じ年で、互いをファーストネームで呼び合う仲だった。とはいえ、議場でいちばん痛烈に国防大臣を詰問したのもアル=ビナであり、議員同士の友好関係とは複雑だなどと、柳井はある意味感心していた。
「しかし、辺境部防衛体制の見直し中に敵侵攻があったのは痛手だな。辺境の自治共和国もこれでは不安が大きいだろう」
カヴィオン・ブライアント上院議員の言葉に、一同が頷いた。帝国民主党と連立を組んでいる星間自由同盟の議員で、帝国軍の降下揚陸兵団の師団長を務め、退役してから政界進出した経歴を持つ。
「各自治共和国の防衛力を強化し、国境宙域の水際防御からより帝国領深部へ引きずり込んだ上での補給線寸断と、周辺宙域からの部隊派遣による機動防御。問題は部隊が派遣されるか、ということだが……閣下はどう思われます?」
帝国民主党下院の長老、
「丁先生の仰るとおり、襲撃を受けた星系への軍の派遣が一番の課題ですね。ブルッフハーフェンのように、敵の情報戦で襲撃そのものが探知されないリスクがあります」
大本の防衛構想を論文としてまとめていた当人として、柳井はいささか複雑な心境だった。半ば士官の義務として提出することを求められていたものであり、当時そこまでの真剣味があったわけでもなかった。偶然にもその構想が時の皇帝の構想に合致していたのだから、人生とは不思議なものだと柳井は感慨深くもあった。
「現地で指揮をされた閣下が仰ると説得力が違いますね」
「私の前でそれをいうのか、ナジーヤ……」
アル=ビナの言葉に国防大臣がやや残念そうに項垂れた。
「国防大臣におかれては、そう思われないようにしっかりしてほしいものだわ」
「それはアル=ビナさんの言うとおりだな。頼むぞ、国防大臣閣下」
「首相も期待しておられるのだから、野党に言い負かされるようなことでは困るからな、大臣閣下」
「国防大臣閣下のご活躍に期待していますよ。それではお先に」
三人の議員に言われて苦笑いしていた国防大臣に、柳井はにこやかに挨拶をしてその場を辞した。
一二時五二分
宰相控室
議員控室、閣僚控室といった役職や立場に応じた控室が議事堂内にはいくつもあるのだが、柳井が用意されたのは宰相控室だ。これは柳井が宰相に就任するまでは二〇〇年近く使用されていなかった部屋で、前マルティフローラ大公が摂政に就任したときでも、彼は領邦領主用の控室を使っていたので使っていない。
それでも、室内の清掃などは常に行われており、議事堂が完成してからの数百年、設備の更新も行われていて柳井が使うのに不都合はなかった。
「議会対応というのも面倒なものだな……シェルメルホルン伯爵に以前出てもらっていたが、改めて礼を言っておかなければ」
「伯爵は官僚としても出席されていたので、慣れているでしょう。会議の様子は中継も行われていますので、お気を付けて」
ジェラフスカヤに注意されて、柳井は部屋の姿見で自分の顔を見た。幸いスッキリとした顔をしていて、眠気などを感じさせるものではなかった。
「宰相の寝顔など見せるわけには行かない、か。午後からの資料を熟読するとしよう」
柳井には活字中毒のきらいがある。元々読書が趣味と言えば趣味だが何でも読む雑食性。ドナウシュタット構文ともウィーン文学とも称される官庁の資料も、柳井には読み物として最適だった。
「陛下が辺境で戦っておられるというのに、ウィーンは平和なものだ」
「それが当然です。ウィーンまで騒然とするならば、それは内乱か帝国終焉の日なのでしょう」
「それもそうだな……万が一の時の助け船は期待しているぞ、ジェラフスカヤ」
「それはもちろん。長々とした答弁書を作成してありますから、閣下にはそれを朗々と読み上げていただきます」
予想されている質問に対する答弁書は、すでに作成済み。これに対する回答も、議場ですぐに作成できる。ジェラフスカヤも元星系自治省の官僚として、こういった委員会の対応は心得ていた。
「では行こうか……」
腕時計の針が五四分を指したのを確認してソファから立ち上がった柳井は、あまり気が乗らない委員会の場に再び赴いた。
結局その日、柳井が答弁に立つ機会は訪れず、やや不満げに議事堂を後にすることになるのだった。
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