第52話-④ 皇帝出陣


 一五時〇〇分

 柏の間


 柳井は珍しく宰相府の定例会見に姿を現していた。宰相府定例会見は、皇帝の真意を探りたい記者達にとって、首相や官房長官会見などよりも魅力的な場だ。普段は報道官に任せきりの会見だが、今回ばかりは柳井が出てきた格好になる。


「では定例会見を始めます。まずは現在東部軍管区にて行われている戦闘について、宰相より報告があります」


 ダリウス・マクシミリアン・リーシェン・アンドレアナ・フィーブリウス・デ=ルーフェ=グレイヴァン報道官に促され、柳井は手元の資料に目を落とす。


「細かい戦況は帝国軍統合参謀本部に聞いていただくとして、現在も陛下は前線にて陣頭指揮を執られており、戦況は我が軍優勢、と共有を受けております」


 柳井の発表は、記者達の期待に反比例するように簡素だった。このあと、宰相府の一般的な発表が続いて、一通り終えたところで柳井は記者たちの雰囲気を察して笑みを浮かべた。


「皆様の興奮は理解いたしますが、軍機ゆえ宰相府でも戦況の詳細はわからない部分もあります。繰り返しますが、細かな戦況は統合参謀本部発表を見てもらうことになります。それ以外で質問があれば、受け付けますが」


 宰相府の会見方法は、あらかじめ答えようがない質問について答えられないときっぱり伝える宮内省方式――ヴァルナフスカヤ方式とも――を踏襲していた。


「デイリー・フロンティアです。陛下の陣頭指揮の目的をお聞かせください」

「陛下が即位されてから初のFPU大規模攻勢であり、ご自身で戦況をつぶさに観察されたいものと拝察するところです」


 記者というのは、先行する他社がすでに行った質問を、さも自分がしたように言い換えるプロでもある。幾度か似たような回答を返した柳井に、さらに質問が続く。フィナンシャル、デモクラツィア、ショウ・ザ・フラッグなど全国紙の質問が終わると、さらに専門誌やフリージャーナリストの質問に入る。


「まことに不敬不吉かつ畏れ多いことではありますが、陛下がもしお倒れになった場合、次代の皇帝候補は誰になりましょう?」


 とあるフリージャーナリストの質問に、柏の間の記者達が凍り付いた。それは皇帝が今回の出征で戦死した場合の対応を聞いたのだから当然で、野茨タブーと称されるジャーナリズムの自主規制から外れた行為だった。


「陛下は歴代皇帝の御霊だけでなく、アテナにオーディン、マルスに毘沙門天の加護を受けておられるので、おそらく大丈夫でしょう」


 それに対する柳井の回答も本気なのかそうでないのか、記者一同を困惑させた。柳井としてはまともに答えても記事にしづらいだろうという配慮だった。


 呆気にとられた記者達の動きが止まったのを見極めて、グレイヴァン報道官がマイクを取った。


「時間になりましたので、以上で質疑応答を終了いたします。次回の定例会見の日程は来週となります。場所は同じ柏の間。時間は一五時開始予定です。ありがとうございました」


 柳井が退室するのに合わせてグレイヴァン報道官もその場を離れた。


「閣下、先ほどの発言は――」

「きわどかったかな?」


 苦言でも呈されるのかと思った柳井は、はぐらかすような笑みを浮かべた。


「いえ、記者諸君もどう記事にしたものかと戸惑っているでしょう。ああいう時はハッキリと回答を拒絶されてもよろしいのですが」

「そうか。まあリップサービスとでも思って貰えばいいさ」

「閣下のリップサービスはいささか前衛的といいますか……」

「もう少し慎重な発信を心がけよう。グレイヴァン君の会見を見て勉強させて貰うさ。君の記者さばきにはいつも感心しているよ」

「ありがとうございます」


 そういうと、グレイヴァン報道官は記者達のぶら下がり取材をこなすべく、柏の間へと戻っていった。



 一五時五八分

 楡の間


「それは不敬極まりない質問ですね……不敬罪が厳重適用されていたら、とうに拘束されているものです」


 ジェラフスカヤが驚いた様子で、会見で出た質問のリストを読み込んでいた。細かな回答を文書で行うこととしているので、宰相付侍従で確認をしているわけだ。


「不敬罪など厳重適用したら、まず私が牢屋に放り込まれてしまう。あれが皇帝との対面で行われた行為を、皇帝からの申告でない限り適用されないとした国父メリディアンⅠ世の判断は適切だったな」


 柳井が肩をすくめて笑う。不敬罪とは、皇帝に対する不敬な言論を封じるために作られた罪状だが、帝国建国後、この罪に問われたものは居ない。冗談交じりに使われる程度に留まっているのは、皇帝本人が訴え出ない限り適用されないというものもあるが、これはある意味皇帝の冷静さ、良識を問うための仕掛けでもある。もし、こんなものを振りかざす皇帝がいるとしたら、他の領邦領主や皇統貴族だけでなく、帝国貴族、一般臣民からも猛烈な批判を喰らうことになるのは必至である。


 また、失言を梃子としてライバルや政敵を蹴落とそうとする低レベルな行為を防ぐためにも必要な措置だった。


「ところで閣下、先ほどヴィルヘルミーナ軍港のインペラトール・メリディアンⅡより、閣下へ通信がございました」

「メリディアンⅡが?」


 インペラトール・メリディアンⅡ以下、近衛艦隊の一部艦艇は帝都に残置されている。これはブルッフハーフェン自治共和国に派遣されていた艦で、先の戦闘による補修や補充兵の習熟が完了していないことが理由だった。インペラトール・メリディアンⅡについては長期入渠のスケジュールを繰り上げて作業していたので、余計に時間が掛かってもいる。


「陛下がお戻りになる際、木星まで出迎えに出たいので、宰相閣下にご裁可を戴きたいとのことです」

「ああ、帝都にいる近衛の指揮権は私にあるのか……」


 近衛軍は帝国軍と異なり、皇帝が直接指揮をするものであり、国防省や統合参謀本部の指揮権が及ばない。しかし皇帝は遠く一万光年の征旅の最中である。そこで帝都残置の部隊については、帝国宰相が任命されている場合は帝国宰相にその指揮権を預けておくのが不文律だった。


「まあ、出迎え程度なら新兵の訓練にも丁度いい。許可すると伝えておいてくれ」

「中央軍にも要請を出しますか?」

「中央軍が判断するさ。帝都までの護衛を近衛と取り合いになるのは目に見えているし」


 帝国軍人にとって、皇帝が自ら戦場に出るに際して付き従うのは栄誉なこととされている。一般常識としてもその認識で間違いは無い。


「……陛下が度々ご出征となると、帝都を空にする時間が長くなりがちだ。次代皇帝選挙にも影響するだろう」

「閣下、陛下はまだ即位されて一年足らずです。早すぎませんか?」

「それもそうだが……こういう仕事をしていると、物事のスケール感が大きくなって、どうもな」


 帝国宰相に限らず、帝国の官僚や政治家は時として半径一万光年の版図と、一兆人の帝国臣民に関する政策について一〇〇年単位で考えることが多い。


「職業病というやつですか。閣下も随分、帝国官僚に染まっているようで。一兆人一万光年のスケールでものごとを考え出すと、あらゆるものが一瞬に思えてくるものです」


 ジェラフスカヤに言われて、柳井は溜め息をつきながらコーヒーカップに口を付けた。



 同時刻

 インペラトリーツァ・エカテリーナ

 司令部艦橋


「陛下、敵艦隊の組織的抵抗を排除いたしました。敵軍残存艦艇は撤退を開始しております」


 戦闘開始から一二時間ほどが経過した頃、すでに敵艦隊は集団としての統制を喪い、分散して逃げの体勢に入っていた。


「ま、初戦は勝利というわけね。皆、ご苦労さま。こちらも各艦隊集結させて、兵員の休養、補給、損傷艦と負傷者の後送を行わせてちょうだい。アリー、マイクを」

「はっ。全艦隊向けですね? 全艦隊に告げる。これより皇帝陛下よりお言葉を賜る。総員手を休めずに聞け」


 司令部艦橋に詰めている参謀達を労い、皇帝はベイカーからマイクを受け取った。


『全軍将兵に告げる。此度の戦い、見事だった。私の皇帝としての初陣は諸君らの活躍により、華々しい戦果を上げられた。しかし、戦いはこれからである。敵軍は辺境部に拠点を構築している。また、戦場より離脱した敵軍が、再集結して別の星系に入り込むことも考えられる。これらの捕捉撃滅を行い、帝国領内に平穏を取り戻すことが皇帝としての私の責務である。諸君らの協力を期待したい』

「皇帝陛下に対し、歓呼三唱!」


 演説が終わると同時にグライフが命じ、司令部艦橋に、いや艦隊中に皇帝万歳の声が三度響いた。



 一八時四九分

 東部軍管区

 第四七八宙域

 

 第四七八宙域で行われる連邦議会オテロ・ゴッドリッチ・カリーリ主義派――略して主義派と呼ばれる――との和平協議も、すでに二桁の回数に届こうとしていた。回数の割に進捗がないと見るか、それとも三〇〇年以上互いを敵としてきた集団の交渉としては異例のスピードとして評価するかは様々だったが、交渉に当たっている双方の当事者からすれば、交渉の席が設けられていること自体が奇跡と考える向きが強かった。



 巡洋艦エトロフⅡ

 応接室


 和平協議に当たる帝国と主義派担当者の取り決めで、会談を行う場はその回ごとに入れ替えることになっており、今回は帝国側がその場を提供することになっていた。


 民間軍事企業の中でも特に大きいわけでもなく、柳井退職後は世間の注目の目も薄れ、守秘義務をよく守り、信頼のおけるアスファレス・セキュリティロージントン支社をこうした工作に使うのはマルテンシュタインの判断だった。


 帝国軍艦を使うのが最善ではあるものの、マルテンシュタインが元辺境惑星連合軍の将帥であることから、その点も民間軍事企業のほうが気楽というのも理由の一つではある。


「こうして協議が出来ることを嬉しく思います」


 主義派市民議会――主義派の最高意思決定機関――のマルスリーヌ・ジラルデ議員は、安堵したように息を吐いた。辺境惑星連合軍による大規模攻勢による協議の停止、あるいは撤回さえあり得た状況で、マルテンシュタインが特使として再び協議の場に現れたことは、彼女たち主義派にとっても僥倖だった。


 主義派が対帝国武装闘争を止めているのは、表向きには構成体内部における疫病や災害のせいだとなっているが、実際には市民議会内部で極秘に決定された、和平協議のための足場作りの一環である。


 疫病や災害は虚偽ではなく事実ではある。帝国で開発された惑星開拓技術の一部を持ち出して、辺境惑星連合構成体は独自の開拓技術を構築してはいるものの、蓄積されたデータの少なさや政治的な決定で開拓惑星を決めたことから母恒星の活動サイクルによっては気温が急激な上昇を示したり、惑星上の放射線レベルが危険域に達する場合もある、とマルテンシュタインは聞かされていた。


 慢性的な物資不足が衛生状況の悪化を招いているのに加え、農業分野の技術も帝国と辺境惑星連合では大きな差がある。帝国なら問題にならない程度の環境も、辺境惑星連合では過酷なものとなる。


 マルテンシュタインが宰相、そして皇帝の名代として協議に臨む際、これら開拓技術や農業技術が、帝国から提供されることとされていた。


「我々は疲れ切っている。いや、辺境惑星連合は慢性的に疲れているのです。あなたにはお分かりのことと思いますが」


 ジラルデ議員の言葉に、マルテンシュタインは頷いた。


「だから対帝国武装闘争を止めている、と……それはそうでしょうな。私がそちらに居る頃から、どこの構成体も物資も人員も不足していた。軍人になったのだって、飯が三食食えて住居と服があるからだ。まあ、武装闘争に人を配分しすぎなのだろうが」


 コーヒーを飲んでから、マルテンシュタインは黒々とした液体が入ったカップを掲げて見せた。


「このコーヒーにしても、帝国における産地はこの宙域のすぐ近くの開拓惑星です。帝国の技術は、こうした嗜好品を辺境部で生産する程度には普及し、発展している。合成香料と精製水で無理矢理作る我々とは大違いだ」


 マルテンシュタインが対帝国武装闘争に見切りを付け、帝国に帰化したのは食糧事情を目の当たりにしたことも理由の一つである。辺境惑星連合が帝国に対して定期的な武力闘争が行えるのは、軍事偏重の国内産業の影響もある。その分民需は帝国から見れば数世紀前のレベルで立ち後れていた。


「ただ、農業や開拓技術の提供のみでは、何度も言うようですが和平というわけには行かない。我々は帝国と結ぶことで、辺境惑星連合からは獅子身中の虫となるのですから」

「同盟関係を結び、その上で帝国軍の駐留を求める、ということですか。我々としては、主義派の武装を放棄させるつもりはないですよ?」


 帝国としては、主義派の戦力はそのままにして、できるだけ安全保障軍に関わる帝国側戦力と予算は少なくしたいのが本音だった。


 帝国私掠船団本部の推計では三四〇億人に達しようかという主義派の人口で、軍事力を排除して民需に注力されると、経済力で帝国の領邦にさえ迫る経済力を保持することすら考えられた。


 貧弱な帝国辺境部の自治共和国などにその資本が参入するようなことになれば、帝国内の経済バランスに不均衡をもたらすことすらあり得る。柳井のブレーンである帝大INSPIREでも、その点を危惧していた。


 そこで柳井の意を受けたマルテンシュタインとしては、主義派の軍事力の保持は必要と考え、こうした発言となっている。


「それでもです。その程度の確証がなければ同盟など結べません」

「帝国とて無限の資源、無限の兵力を持つわけではない。主義派領内への駐留は、我が軍将兵の安全確保にも手間が大きい……この第二三九宙域に安全保障軍を展開させることくらいならできるでしょうが」


 過日行われた柳井と研究者による会合の内容はマルテンシュタインにも共有されており、マルテンシュタイン自身もその内容を好意的に見ていた。


「……落としどころ、というやつですか?」

「まあ、我々もあなた達も、まだ国内での合意が取れているわけではない。これは和平の為の協議の地ならしの、更に準備段階です」

「その通りですね。我々の協議が形になるのは、何年後になるか分からない」


 それでも、とジラルデ議員は続けた。


「我々の代で、一定の成果を出さねば無駄な戦いが続きます」

「その通り……いったん食事にしませんか? この艦の食堂スタッフの腕はなかなかのものですよ」


 運ばれてきた料理を食べながら、さらに協議は続いた。以前まではついていたマルテンシュタインの補佐――という名目で監視をしている――の内務省外事課のエージェントも居らず、ざっくばらんな話が繰り広げられている。


「では、ブルッフハーフェン侵攻は中央委員会発案ではなく、軍事委員会のもの、ですか」

「はい。スタニスラフ・アドリアーノヴィチ・ポズニャコフ司令官が軍事委員会に持ち込んだ作戦だそうで」

「ああ、ボズニャコフか。手の込んだ作戦だと思ったが道理で」


 マルテンシュタインはボズニャコフとは顔見知りで、捕虜になる以前には二人で共同作戦を取ったこともあった。


「彼は中央委員会の召還命令を受け、現在前線から遠ざかっています。今の辺境惑星連合軍で将帥と呼べるのは彼くらいなものですよ。あとは政治将校と思想家だけです」


 ジラルデが吐き捨てるように言う。辺境惑星連合は一枚岩ではなく、政治部門も軍事部門もそれぞれのプライドと構想に凝り固まっているのは、マルテンシュタインも理解していた。


「純軍事的な成果より、見栄えだけで戦争をするからそういうことになるんだ。私が居た頃と何も変わっていない」

「……あなたが捕虜交換でも戻ってこなかったのは、それが理由ですか?」

「さあ? まあ、軍人という宮仕えの身としては、仕える上官を選ぶ自由というのも行使してみたくなった。そんなところです」


 ほぅ、とジラルデはフォークとナイフを置いて、興味深そうにマルテンシュタインを見つめた。


「今回の上司は、あなたのお眼鏡にかなう方なのか?」

「そうですね……とりあえず、見ていて面白い御仁ではある。皇帝とMANZAIする臣下というのが帝国に存在していたのかと驚いたものですよ」

「MANZAIですか。地球極東のコメディ文化ですな。いずれ直接お目にかかってみたいものだ」

 

 ジラルデが微笑むのを見たマルテンシュタインは、実際に見たら唖然とするのではないかと将来起こりうる光景を思い浮かべて、同じく微笑んだ。


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