第52話-③ 皇帝出陣

 三月二三日〇六時二一分

 第四五三宙域

 インペラトリーツァ・エカテリーナ

 司令部艦橋


 戦闘開始から約一時間。戦況は帝国軍に優位に推移していた。インペラトリーツァ・エカテリーナの司令部艦橋にもどこか安堵にも似た空気が漂っていた。


「敵の電子戦、思ったよりも平凡ですな……ブルッフハーフェン防衛軍と近衛艦隊の報告では、こんなものではなかったはずですが」


 拍子抜け、といった様子で粕川サトミ東部軍管区参謀長が言った。それを受けた東部軍管区司令長官グライフ元帥は腕を組み直す。彼が状況判断に迷っている時の癖だった。


「これまでの戦闘で見られたものでしかない。この程度なら問題ないが……」


 グライフは司令部艦橋の大型スクリーンに映し出された戦況図を見やる。第九艦隊は近衛を守るように展開し、第一一、一二艦隊がその更に前面に展開している。これを突破するのは容易ではなく、近衛艦隊、それも総旗艦のインペラトリーツァ・エカテリーナまで砲火が及ぶことはない。


 帝国軍の戦法はごく単純。圧倒的戦力差を用いた物量作戦である。無論、ただの物量作戦ではなく、広大な空間に展開した辺境惑星連合軍の要所要所への的確な攻撃を伴うものだった。ただ、敵軍とて人間が考えて動かしているのである。


「敵艦隊、我が軍の上方、下方へと展開しています。さすがに対処が早い」


 粕川が戦術ディスプレイに映る敵艦隊のシンボルを指して、グライフの判断を促した。


「正面からがっぷり四つに組んではくれないか」


 帝国艦隊は大火力を正面に指向させ火力の壁を叩き付けるようにして敵艦隊を撃破する戦法を基本としている。辺境惑星連合軍はその手には乗らないとばかりに迂回機動を始めたのだ。グライフもその程度は予想済みだった。


「現在の彼我戦力差なら問題ないでしょう、各艦隊を展開させて頭を押さえるほうが良いかと」

「よろしい。第一一艦隊、第一二艦隊に対処させろ」


 戦力を分散させているように見えて、引きずり回されているのは自分たちなのでは、という疑心暗鬼を生じさせることも戦術の一つ。巡洋艦や駆逐艦クラスが大半を占める辺境惑星連合軍の動きは、帝国艦隊よりも迅速で、正面戦闘力の劣る辺境惑星連合軍が取り得る定番の戦法だった。


 粕川参謀長の提案を受け、グライフ元帥は各艦隊に対処を命じた。密集隊形を取っていた帝国軍本隊から第一一、第一二艦隊が分離して敵軍集団に襲いかかる。


 亜光速で飛び交う荷電粒子束と徹甲榴弾、誘導弾の応酬がその後二時間ほど続いた。


「第一二艦隊に向かう敵軍の数がいささか多うございます。さすがにりん提督も手を焼いている様子ですね」


 事実上、動く総司令部として前進しつつも味方艦隊の後方に控えている近衛軍と第九艦隊は、あえて言うなら暇を持て余している。ベイカー侍従武官長が皇帝に耳打ちすると、皇帝は数秒間戦術ディスプレイを見つめてから立ち上がった。


「これより本艦を先頭に援護に向かいましょう。近衛第一、第二戦隊は本艦に追従すること。第三、第四戦隊は後方援護。第五、第六戦隊は最後衛として敵軍の突発的な動きに備えよ。第九艦隊は戦場の状況を見て投入。私が操艦艦橋から直接近衛の指揮を執る。アリー、近衛の各艦隊の統率頼むわよ。グライフ、全軍に近衛が出ると伝えなさい」

「はっ! ……はっ!? 陛下!?」


 玉座を振り返ったグライフは、思いもよらない皇帝の言葉を聞いた気がして一度は戦術ディスプレイに向けた顔を身体ごと皇帝に向けた。


「ちょっと艦長たちの尻を叩いてくるだけよ」


 グライフが何事か皇帝に言おうと口を開いたときには、皇帝は深紅のマントを翻し司令部艦橋を退出していた。



 八時四三分

 操艦艦橋


「艦長? ちょっといい?」


 インペラトリーツァ・エカテリーナの操艦艦橋は、同級艦のものと大差ない。新造艦らしい余裕あるスペースの艦橋内で戦闘中の指示と復唱、報告が入り乱れる中、近衛総旗艦を預かる艦長のモーリッツ・フォン・コルヴィッツ准将は、聞くはずがない声を聞いた気がして振り向いた。


「陛下? このような場所に!?」

「少し貰うわよ」


 その一言の指す意味が何かを、コルヴィッツは正確に把握していた。


「はっ! 総員に告げる! これより本艦は陛下御自らが指揮を執られる。近衛総旗艦、帝国全軍の矛先として恥ずべきところのないようにせよ!」


 コルヴィッツ艦長の通達に、艦内にどよめきが満ちた。皇帝が個艦単位での指揮を執るなど前代未聞だが、それだけに帝国史上初の栄誉を受けるクルーたちの士気は高まった。


「機関前進第二戦速、取り舵いっぱい、下げ舵五。主砲照準左舷敵戦艦。副砲および誘導弾は右舷敵艦隊への牽制射を継続。ポイント一五六八、四九二一に到達次第最大戦速。僚艦に打電、ワレニツヅケ。シールドは最大出力で前方展開」

「敵艦隊中央部を通過することになりますが」


 コルヴィッツ艦長の警告にも、皇帝は不敵な笑みを浮かべたままだった。皇帝の矢継ぎ早の指示を遅滞なく実行した全長一四〇〇メートルにもなる巨艦が戦闘機のような機動を行う。即位以前からメアリーⅠ世自ら鍛え上げた近衛軍はその動きに追従し、一塊になって敵艦隊へときっさきを突き立てた。


「問題ないわ。敵の意識をこちらに引きつけ、その間に第一二艦隊に群がってる敵右翼を横合いから殴りつける」

「そこまでお考えでしたか」

「当然よ」

「敵艦からの迎撃! 誘導弾、物理弾の有効射程圏内です!」

「敵電子妨害強度上がります!」

「構うもんですか! ECM、ECCM強度最大! チャフ、フレア、防護幕ばら撒け! 敵艦隊ど真ん中を突っ切るわよ!」


 近衛総旗艦、帝国全軍の司令部ともあろう艦が敵艦隊からの集中砲火に晒されていた。



 同時刻

 司令部艦橋


 司令部艦橋には操艦艦橋の緊迫した様子が伝達されており、グライフ以下、司令部もそれに併せて各艦隊の動きを調整しなければならなかった。


「第九艦隊のサザーランド提督に、近衛の側面攻撃にあわせて敵艦隊を後方から叩かせろ! 全遊撃戦隊は短距離潜行で戦域上方へ移動! 近衛艦隊を援護!」


 本来総旗艦は護衛艦艇とともに後方にあって、戦場全体を俯瞰して指示を出すべきなのだが、現在インペラトリーツァ・エカテリーナは敵の集中砲火に晒されている。それでもグライフとその幕僚団は戦場全体の動きを正確に把握し、皇帝の強攻策に合わせて全軍の動きを統率していた。


 グライフの指示が飛び、参謀達が必要な指示を戦術支援AIの弾き出したベクトル座標で伝達していくと、戦場の様子が一気に動き出した。


「陛下の戦い方は海賊のそれですな……」


 粕川参謀長が冷や汗を拭いつつ、戦況図を見つめていた。自分の乗艦が集中砲火を受けている程度なら、参謀長は不敵な笑みを浮かべただけだっただろうし、今まさに艦が爆沈して、機関の対消滅爆発により素粒子にまで還元される瞬間も同じだっただろう。


 皇帝の座乗艦が集中砲火を受けているというのが、彼女の神経にこれまでにない重圧を加えていた。


「海賊だってもう少しは落ち着いて動くでしょうね」


 同じ画面を見ていたベイカー侍従武官長は、笑みを浮かべて粕川に声を掛けた。


「海賊相手の戦いには慣れていても、海賊のような戦い方は慣れないものだな。ベイカーはさすがに慣れている」


 自分より年若い中将に、粕川は親しげに話しかけた。刻々と位置が変化する近衛艦隊の各艦の統率を取っている手腕は、軍歴の全てを東部軍で過ごしてきた粕川をして感心するものだった。


「そうでもないわ。下着までグッショリよ」


 ベイカーの軽口に、粕川は吹き出しそうになるのをどうにか堪えた。



 一〇時一二分

 操艦艦橋


 近衛艦隊はあろうことか、正対していた敵中央集団を強引に突っ切り損失ゼロ、そのまま第一二艦隊を襲う敵集団に対して攻撃位置を占めていた。


「全艦加速停止、慣性航行に入れ! 回頭二〇、艦首下げ五! 僚艦と第一二艦隊司令部に照準情報共有! 直ちに待避させよ! 第一二艦隊待避後に撃つ!」

「陛下、それはあまりにも危険です……!」

「戦艦がその程度で沈むもんですか。急ぎなさい! グライフ、いいわね!」

『すでに退避命令を出しております』

「よろしい!」


 宇宙空間における艦隊戦、特に現在のような乱戦になった場合は各艦艇は大まかな隊列は維持するも、刻一刻と加減速と変針を繰り返し、砲撃照準を容易にさせないことを基本とする。慣性航行などしたら演習標的以下の動きである。


 あくまで常識的な思考の持ち主であるコルヴィッツ艦長の進言も意に介さず、皇帝はあくまで攻撃に全神経を向けていた。


 近衛第一戦隊はインペラトリーツァ・エカテリーナ級で編成された近衛艦隊打撃力の根幹である。物理的な装甲防御は無論、シールド出力も従来艦艇を上回る出力を持つ。それでも集中砲火を受ければ持ちこたえられるかは微妙なところだった。


 実際に、ブルッフフェルデ沖会戦においてタケミカズチが同級で初の戦没艦となったのは、敵の集中砲火によるものである。追撃してきている敵中央集団の一部が、無防備な近衛艦隊目掛けて突進してくるのを、さすがにコルヴィッツ艦長はハラハラとしながら見ていた。


「第一二艦隊、待避を完了との報告!」


 実戦慣れしている第一二艦隊の動きは素早く、突然の後退に辺境惑星連合軍側は対応できずにいた。乱戦の中、辺境惑星連合軍艦隊は攻撃位置に入っていた近衛の発見が遅れていて、ようやく気付いて反転しようとする一瞬を皇帝は見逃さなかった。


「重荷電粒子砲、撃てっ!」


 号令一下。重荷電粒子砲が近衛第一戦隊四隻の重戦艦から放たれる。圧倒的な火力を前に、第一二艦隊を翻弄していた辺境惑星連合軍右翼部隊が星間塵へと還っていた。


「敵艦隊、七割方を撃破!」

「残敵掃討に入る。手近の艦艇を優先してちょうだい」


 一通りの指示が終わったタイミングで、司令部艦橋の情報参謀から通信が入った。


『陛下、林提督より通信です』

『林であります。陛下のお手を煩わせることになり面目次第もありません」


 林徳りんとく提督が恐縮しきりの様子で通信画面に現れた。


「とっとと終わらせたいからお節介焼いただけよ。第一二艦隊はこのまま敵中央を叩いてちょうだい」

『かしこまりました』


 通信が切れると、皇帝は操艦艦橋を見渡す。


「これ以上、私が差し出口を挟むのも失礼ね。あとは本職に任せるわ」

「陛下の直接指揮で闘うなど、軍人の誉れ。お見事な采配でした」


 手空きの艦橋要員が最敬礼を皇帝に送る。皇帝はラフな答礼を返して、微笑を浮かべた。


「本職の褒め言葉を頂けたなら、私もまだまだ捨てたもんじゃないわね。あとの戦闘は私たちが出張らなくても終わるでしょう。あまり近衛が出しゃばって、ナンバーズフリートの論功行賞を減らすことになってもひんしゅくを買うだろうから。第一二艦隊の後方に付けて、援護に入りましょう」

「はっ」



 一三時三四分

 帝都ウィーン

 ライヒェンバッハ宮殿

 楡の間


「戦局は我が軍優勢で、陛下もご無事とのことです」


 宰相付侍従の中でも、元国防省の出と言うことでハーゼンバインが定期的に送られてくる戦況報告を分析・整理して柳井に報告していたが、その報告はあまりに簡潔だった。元民間軍事企業の指揮官でもあり、帝国軍でも実戦部隊に従軍していた佐官クラスでもあるのだから当然でもある。それに、詳細を宰相が把握する必要もない。


 宰相に必要な情報は帝国軍が当初の作戦目標を達成できているか、それと皇帝の安否だけだった。


 昼食を食堂で手早く済ませた柳井は、皇帝の代理として報告やら新書の類いに目を通し、必要であれば代理決裁していた。初期の頃に比べればかなり宰相府のスタッフにより整理されていたとはいえ、それでも柳井の仕事量は平時の三倍近くに膨れ上がっていた。


「ありがとう……この分だと、一週間程度で決着が付くかな」

「シナリオA3ですね。その確率は七三・八パーセントです」


 帝国軍ではあらかじめ予測される戦況を想定した戦闘シナリオを作成し、作戦立案に用いていた。シナリオA3は敵主力を一週間前後で撃滅出来るシナリオだ。


「ブルッフハーフェンのときのように、大打撃を喰らう前に退却するかとも思ったが、全滅覚悟か」

「いつものことながら芸がないですね……ブルッフハーフェン事件は練られた戦術でしたが」


 ハーゼンバインに言われて、柳井は先日のブルッフフェルデ沖会戦で対峙した敵軍司令官のことを思い出した。ブルッフハーフェン自治共和国陥落まであと一歩というところまで追い詰めた戦術や、帝国軍本隊の接近を察知した時点での引き際も見事だった。


「今回、彼のように細かいことをやる司令官がいないのか。敵がもう少し粘るシナリオB2だとどうなる?」

「敵主力残存が離脱に成功し、辺境宙域で戦力を再編成する場合ですね。それでも二週間以内に敵主力の捕捉撃滅が可能です。B2の確率は九・五パーセント、B2へ移行した場合の敵の撃滅確率は九九・九パーセント」

「C1は?」


 シナリオC1は敵の全軍が直ちに撤退し、帝国軍の追撃を逃れ、彼らの本国へ帰還するというものだ。


「C1シナリオの確率は四・八パーセントです」


 つまり、帝国側の予測では、敵侵攻軍はある程度の損害を受けても撤退せず、壊滅するまで帝国領内に留まるという予測を立てていることになる。柳井は嘆息して暫し目を伏せた。


「FPUの軍隊は政治将校に巨大な権限が与えられていると言いますから、政治的な目的での侵攻なら尚更撤退は考えにくいかと」

「……まあ、あくまで確率だ。国防省のマルスがはじき出した予測されるシナリオでしかない。この分だと陛下初のご出征は無事終わるか」


 自分の端末で報告書を大雑把に見た柳井が、コーヒーを飲みながら呟いた。


「それですが……インペラトリーツァ・エカテリーナの戦闘記録です」


 本来戦闘記録は帝国軍部内でのみ共有されるものだが、インペラトリーツァ・エカテリーナについては近衛艦艇であることから、宰相府にも閲覧権限が与えられていた。


「この動きをご覧ください」


 楡の間のスクリーンに映し出された機動は、近衛重戦艦、それも皇帝座乗のものとは思えないものだった。


「陛下だな、これは。まさかご自分で操艦指揮を執られたのか」

「見て分かるものですか?」

「素人でも分かるのではないかな、これは……」


 メアリーⅠ世がかつて海賊として辺境の情報収集に当たっていたとき、柳井の指揮下にあったアスファレス・セキュリティロージントン支社の巡航戦艦ワリューネクルが、当時海賊船を指揮していたメアリーⅠ世との戦闘を行っている。あのときと同じような動きをまた見ることになった柳井は、このときばかりは自分が近衛参謀長ではなく、帝国宰相でよかったと思った。


 危険に晒されるのを嫌ったわけではない。皇帝座乗艦を皇帝自ら指揮して振り回すのを黙って見ているのは、おそらく帝国宰相以上の重圧になるだろうと考えたからだ。


「侍従武官長は今頃顔を青くしているのでは」

「さあどうだろう……近衛の参謀長とあの陛下の侍従武官長の兼任など、鉄の心臓と単分子ワイヤーの神経でもなければ勤まらないだろう。付き合わされるグライフ元帥は気の毒だが」


 柳井はインペラトリーツァ・エカテリーナの司令部艦橋の光景を思い浮かべようとして、辞めた。あまり意味があることではないし、想像しても精神衛生上よろしくないことは分かりきっていたからだ。


「しかし、敵主力以外にも片付けなければならないものも多い。辺境部に拠点など残すと面倒だ。そのあたりが終わるのはいつ頃と予測されている?」

「敵主力撃滅から一ヶ月ほどかかるのでは、と」

「……せいぜい陛下のために仕事を片付けておくとしよう。ご苦労だったハーゼンバイン」


 自分の端末に刻一刻と追加される代理決裁事案のリストを見た柳井が、気分を切り替えるように残りのコーヒーを飲み干し、平常業務に入った。

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