第52話-② 皇帝出陣
〇六時五〇分
ヴィルヘルミーナ軍港
近衛軍の駐留基地であり、近衛艦隊の母港でもあるヴィルヘルミーナ軍港の上空には、すでに上空警戒のために駆逐艦や巡洋艦が待機し、総旗艦の離陸を待っていた。
「陛下、やはりお考え直しいただけませんか。何も陛下が前線に出られることはありますまい」
インペラトリーツァ・エカテリーナの舷門を上ろうとしていた皇帝に、柳井は無駄と分かっていても翻意を促した。皇帝は僅かな時間の仮眠明けなのを感じさせない出で立ちだった。
「宰相でさえ前線に出たのに、皇帝が出ないなんてことあるかしら?」
「私は偶然居合わせただけです。御身は帝国一兆人、広大な版図を統べる身。私などと比べるべきものではございません」
「だからこそ、私は一兆人の民の為に、その身を晒して戦う覚悟を見せる必要がある。私が出向いて士気が上がるのなら安いもんでしょ」
皇帝と帝国臣民に忠誠を誓い国防の任に当たる軍人にとって、皇帝自らの出征が与える士気向上効果は大きい。ましてその皇帝が今回はメアリーⅠ世である。近衛軍司令長官時代から、先帝バルタザールⅢ世やマルティフローラ大公より現役軍人からの支持は高かった。
「留守は任せたわ。情報共有させるから、帰還する日時が分かったら祝勝会の準備でもしておきなさい。肉料理多めでね。ワインは適当に見繕っておいて。サラに聞けばいいでしょう」
「……承知いたしました。ご武運をお祈りいたします」
舷門へのタラップを上っていく皇帝を見送りつつ、それに続こうとしたアレクサンドラ・ベイカー侍従武官長に柳井は声を掛けた。
「アリー、陛下のことを頼むぞ」
「宰相閣下の次は皇帝陛下とはね。まあそれが本業なんだけど。任せておきなさい。陛下はあなたよりは戦上手よ」
「分かっている。艦隊戦でも白兵戦でも誰があの方に勝てるものか。それはともかく、余り無茶しないように、陛下をお
「それについては自信を持てない。まあ、ベストを尽くすわ」
「頼む。君達の武運を祈る」
「……ありがとう。それでは宰相閣下、行って参ります」
近衛軍幹部を収容したインペラトリーツァ・エカテリーナが、近衛艦隊を引き連れてウィーンの空へ舞う。柳井は軍港の桟橋からその光景を見送ってから、ライヒェンバッハ宮殿へと戻った。
〇七時二〇分
ライヒェンバッハ宮殿
楡の間
「皇帝陛下
楡の間でコーヒーを飲んでいるマルテンシュタインが、やや皮肉っぽい笑みを浮かべて、壁面スクリーンに流れる皇帝出征のニュースを見ていた。結局柳井もマルテンシュタインも大して仮眠が取れず、購買部で買ってきた眠気覚ましのコーヒーとサンドイッチやら軽食を朝食にして、すでに仕事を始めていた。
「まったく、散歩に行くような調子で出られるとはな……」
あくびを噛み殺して、コーヒーを飲み干した柳井が呆れたように首を振った。
「陛下が前線に出ることは、彼らに伝わるのだろうか?」
「それはもう。今頃すでに、中央委員会が大々的に報じていることでしょう……明日からの出張は、通常通り向かってよろしいので?」
先の会議での発言通り、すでにマルテンシュタインには主義派からの停戦、そして和平に向けた協議の要請が届いていた。
「彼らも苦しいのでしょうか? 伝染病の蔓延やら母恒星の活動活発化など、天変地異も多いと聞きますが」
バヤールがサラダチキンのバーを食べきってから、ニュースに被せるように資料を表示させた。帝国私掠船団――民間軍事企業に対して辺境惑星連合領内における情報収集や通商破壊戦を行わせるための枠組み――により収集された各種データからは、主義派の領域での大規模な災害の発生が確認出来る。
「開拓時によくよく調べないからそういうことになるんだ。伝染病は保健当局の怠慢や物資不足。いつの世も変わらぬ貧困地帯の日常というやつです」
マルテンシュタインの言葉に柳井は頷いた。
「イステール正面が戦場にならないでしょうが……用心しておいてください」
「私が死んだら閣下が直接交渉せねばなりませんからな」
同時刻
東部軍管区
ロージントン鎮守府 港湾区画
戦艦アドミラル・ホーキンス
司令部艦橋
「閣下。全艦出港準備完了しました」
「出してくれ」
皇帝が帝都を発った少し後、東部軍管区司令長官のグライフ元帥も出発していた。すでに展開中の第一一、第一二艦隊の他、ロージントン防衛を主任務とする第九艦隊を転用しての作戦は、ここ数年行われた賊徒迎撃作戦でも最大規模の作戦である。
グライフが乗り込んだのは第九艦隊旗艦であるアドミラル・ホーキンスで、普段ならこれが全軍の総旗艦となるところだが、今回は仮初めのもの。実際に戦闘が始まるときには総旗艦はインペラトリーツァ・エカテリーナに移される。
「しかし、陛下までお出でになるとは」
第九艦隊司令長官エドモンド・サザーランド大将が呟いた。その声には不安と共に高揚も感じられた。
「二七〇年ぶりの栄誉ですね。それもあの陛下の下で戦うなど、軍人冥利に尽きるというもの」
東部軍参謀長の粕川サトミ中将は、さらに興奮気味だった。
「陛下の御前で恥をさらすわけにはいかない。作戦の詰めを急ぐとしよう。集結宙域まで頼むぞ、サザーランド提督」
「はっ、お任せを」
一四時四九分
ライヒェンバッハ宮殿
椿の間
皇帝が最前線へ向かい、帝国軍が賊徒迎撃のための体制を整えつつある中、柳井は定期的に行っている学者との会合に望んでいた。
「つまりは、帝国軍の駐留を認めると言うことは、その駐留軍の将兵のみならず、赴任地に同行する家族や技術者も人質になるということも考えられるわけです」
「そういう一面もある、という話ですか……」
帝大シンクタンクの一つ、柳井が直々に支援をしている
「これは宰相閣下の方が詳しいですかね。一六世紀、極東の島国日本では各地で軍事勢力の指導者が群雄割拠し、覇権を巡って争っていました」
柳井の生まれ故郷は島国の中で一〇〇年近く勢力争いが行われていたことで知られている。帝国の中等教育課程の社会科歴史ではその地域ごとに特色ある歴史を学ぶことになっており、柳井の場合高等教育課程は国防大学校でのことで、古来の戦術などを通じて日本列島史における戦国時代の知識は通り一遍備わっている。
「ええ、徳川家康、豊臣秀吉、織田信長……まあ他にも枚挙に暇がないですが」
「それらの指導者達の間では、戦闘の結果、一族ごと滅んだり、領地を割譲することになったりしていました。あるいは軍事同盟を結ぶ際に、その証明として指導者は人質として自らの子弟を相手方に送る、ということをしております。閣下があげられた徳川家康も、そういう経験がございます」
「……皇統を、主義派に派遣せよ、と?」
グロムィコ教授の言わんとしていることを察した柳井は、ややたどたどしい言葉遣いでその方策を口にした。
「人命を掛け金にするようなやり方ではあります……例えば、今閣下のボールペンを私が取り上げて、返してほしければ一〇〇〇万帝国クレジット寄越せ、と言って閣下は用意されますか?」
「あり得ない話ですね」
柳井の手からボールペンを取り上げて見せたグロムィコ教授に、柳井は微笑んで首を振った。
「そうでしょう? しかし、これが例えば、閣下のご親族だったなら?」
「……一考の価値はあるでしょうな」
「そういうことです」
そう言いながら、グロムィコ教授は柳井にボールペンを返した。
「人質の価値が高ければ高いほど、相手もそれを扱うことに慎重さを要するという見方もあります。帝国の皇統を害すれば、人質の用を為さないわけです。より一層神経を使うことになるでしょう。」
「おいそれと人質外交を展開するわけにはいかない、ということですね」
人質の価値が高ければ、小さな案件で揺さぶりに使うわけには行かなくなると共に、人質の価値に見合うほどの要求をすると同盟そのものの存続を危うくし、帝国からは同盟の破棄、辺境惑星連合からはいずれにせよ獅子身中の虫として糾弾、あるいは武力侵攻を招きかねないことになる、とグロムィコ教授は答えた。
「しかし……誰を送るかはともかく、帝国臣民の理解を得られないでしょう」
「それもそうです。だから私としては、第二の策を考えておくべきだと考えます」
「第二の策?」
「主義派に隣接する宙域に、領邦国家を建国するのです。隣接宙域となれば、間接的に人質も同然。安全保障提供のためにも拠点となる中核星系が必要になるでしょう」
この時点で、グロムィコ教授以下INSPIREの面々に領邦建設計画は伝えていない。柳井としてはどこからか情報が漏れているのかと不安を抱いたが、これは単なる偶然である。
「すでにピヴォワーヌ伯国もありますが、第二三九宙域は妥当な選択かと……ヤマシロさんはどう思います?」
「私も、領邦を新設するなら第二三九宙域が良いと思いますね」
INSPIRE研究主幹のデイビッド・ヤマシロ教授が頷いて紅茶を飲んでから、言葉を続ける。
「皇統や帝国軍部隊を主義派宙域内に置くことはリスクも高い。駐留拠点の維持には莫大な予算が必要ですし、惑星上やその近辺への駐留は、住民との軋轢が必至。で、あるならば、安全保障用の戦力、人質としての皇統を置いておける領邦新設が、妥当な選択に思えます」
「領邦国家が隣接することが、主義派への同盟の証になると?」
「そういうことですね。まあこれは帝国から見た論理であって、先方がどう思うかですが」
「そこは交渉次第ということですか。担当者の手腕が問われますね」
柳井の答えに、二人の教授は満足げに頷いた。
三月二三日〇五時四三分
第四五三宙域
総旗艦インペラトリーツァ・エカテリーナ
司令部艦橋
一旦集結した帝国軍は、東部辺境まで移動して辺境惑星連合軍主力部隊への迎撃の態勢を整えていた。
帝国軍は東部方面軍に所属するナンバーズフリートから第九、第一一、第一二艦隊、東部軍管区所属の遊撃戦隊を五個戦隊、これに加えて近衛艦隊を動員した約六個艦隊相当の戦力を動員。総司令官として東部軍司令長官のグライフ元帥とその幕僚が総旗艦インペラトリーツァ・エカテリーナに座乗し、皇帝がそれを督戦。
これは皇帝が前線に出てくる際の基本的な体制であり、二七〇年ぶりの光景でもある。三二一年の叛乱においても、エドワードⅠ世が出陣した際は近衛艦隊総旗艦に司令部を置いていた。
なお、近衛艦隊そのものの指揮は侍従武官長を近衛参謀長と兼任するベイカー近衛軍中将が担当している。
「陛下。全軍迎撃態勢整っております」
グライフが恭しく頭を下げると、皇帝は頷いて立ち上がる。礼装として元帥に定められたエポーレットと膝までの長さの黒いマントを着用してきたのは、グライフの生真面目さであると同時に、万が一の場合の死に装束、それも皇帝と共に戦陣に散る栄誉に際してふさわしい服装を選んでのことだった。
「マイクを。全周波開け。この宙域にいる全てのものに告げておくことがある」
「はっ。全周波回線開け!」
ベイカーの指示で通信回線が開かれると、皇帝はそれを確認してから話し始めた。
『戦闘が始まる前に両軍の将兵に告げる。私、帝国皇帝メアリーは、戦いにおいて容赦はしない。神聖不可侵なる帝国領土を踏みにじるものに対して慈悲は不要である。辺境惑星連合の将兵においては、直ちに武器を下ろし撤退することを命じる。さもなくば、帝国は最大の栄誉を辺境惑星連合軍の諸君に与えることになるだろう――』
映像データも送信されているが、果たして辺境惑星連合軍側で見られているかは、帝国側からは分からない。
『すなわち、皇帝メアリーの
メアリーⅠ世による苛烈な宣戦の言葉は、帝国全軍を高揚させた。
「敵艦隊から反応は?」
「ありません」
ベイカーの回答に、皇帝は憮然として玉座に腰を下ろした。
「まったく。せっかく小一時間考えたんだから、拍手の一つも貰いたいところだわ」
「次回以降は拍手するようにと通達も出しましょうか」
「そうしてちょうだい」
ベイカーの冗談に、皇帝も冗談で返した。まさか本当に敵軍に拍手せよなどと言う二人ではなかった。
「敵艦隊増速。まもなく有効射程圏内」
作戦参謀の緊張した声に、グライフが皇帝に振り向いて指示を仰いだ。その視線を受け、皇帝が頷いて立ち上がる。
「宴を始めよ!」
皇帝の言葉はそのまま戦闘開始を告げる符丁として、帝国全軍の戦術システムにインプットされていた。各艦隊旗艦から戦艦の砲塔、ミサイル一発に至るまでそれが伝達され、帝国軍がその鎌首をもたげ、辺境惑星連合軍に襲いかった。
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