第51話-③ 葬儀委員長・柳井義久

 二月一四日一〇時四三分

 宮内省病院

 診察室


『そう……ナタリー様が』


 前公爵の死を医務主管とマチルダから報告された皇帝は、数秒目を伏せて、前公爵の死を悼んだ。


『川嶋、前公爵に代わってこれまでの治療に感謝する。長い間、よく務めてくれたわね』

「ははっ、もったいないお言葉で……」

『葬儀の手配などは義久に聞けば大方どうにかなるわ。ナタリー様は伯国時代から半世紀以上公国を支えてきた恩人よ。丁重に弔ってさしあげて』

「はい……陛下の御意のままに」

『……マチルダ、色々世話を掛けるわね』

「そんな! 陛下が気になさることはありません」


 姉妹の会話とは思えない、少なくともマチルダは皇帝の妹であると同時に、一臣下であるのだから当然としても、外部の目がほぼ入らない場所でもこれでは気疲れもするだろうとマチルダに同情にも似た感情を、柳井は抱いていた。


 なお、柳井については皇帝に対するあまりに物怖じせず、遠慮がない物言い――それでも柳井にしては最大限敬意を込めているのだが――のせいで、一部の者からはもう少し皇帝に気を遣えと暗に思われている。


『義久はマチルダを補佐して葬儀が滞りなく進むように手配してちょうだい。先帝の葬儀に比べれば小規模とはいえ、前領主の葬儀よ』

「はっ。お任せください」


 すっかりこういう仕事にも慣れきってしまった柳井だった。柳井自身も特にこの指示に疑問も不安もなく、悼む気持ちはあれど淡々と処理すべき仕事の一つと割り切っていた。



 一二時一三分

 領主公邸

 談話室


 前ヴィオーラ公爵薨去の報から数時間。領主公邸ではヴィオーラ公国に在住の皇統から十人程度が呼び出され、葬儀に関する打ち合わせが始まろうとしていた。


「前領主、ナタリー・アレクシア・ウォルシュー前ヴィオーラ公爵に対し、黙祷を捧げたい。各自異論はないだろうか」


 葬儀日程などを決めるための葬儀委員会の参考人に収まった柳井は、会議の冒頭、そう発言して皇統各位の同意を求めた。参考人とは言うが、こういった儀式に不慣れな葬儀委員長のマチルダに変わって、葬儀を取り仕切る立場であるのは誰の目にも明らかだった。


「委員長、各自異論は無いようです」

「わかりました。それでは……公国のために長年働いてこられた前公爵に対し、黙祷」


 マチルダの言葉と共に、全員が目を伏せる。一分間の黙祷の後、柳井は気持ちを切り替えて事務的な態度に戻った。


「今回の葬儀を、マチルダ様の補佐としてお手伝いさせていただく柳井です。至らぬ点もあると思いますが、ヴィオーラを長らく支えてきた前公爵の葬儀を疎かにすることはあってはならないことです。皆さんの協力に期待するところが大きい。どうぞよろしくお願いします」


 規模にすれば先帝バルタザールⅢ世の葬儀の数十分の一とはいえ、それでも一般人の葬儀などとは比べものにならない規模で執り行われる葬儀の準備は、それなりの重労働となる。


 柳井は先帝の葬儀委員会で得られた知見を文書としてまとめていたことから、これを元にして葬儀の式次第から会場設営などの打ち合わせは進められた。


 なお、先帝バルタザールⅢ世の葬儀については文書に残されている記録が無きに等しく、準備が夜を徹して行われていたため、メアリーⅠ世即位後、帝国宰相になった柳井は皇帝の葬儀について典礼庁に一定の様式を定めるようにと依頼していた。


 なお、この柳井が皇帝の国葬と前ヴィオーラ公爵ナタリーの葬儀で得た知見をまとめた文書は、後に整理され、高位の皇統の葬儀に活用されることになる。



 一九時二一分

 TV1中央テレビ局

 第二スタジオ


「――ここまで、ヴィオーラ公国前公爵、ナタリー・アレクシア・ウォルシュー皇統公爵殿下のご偉業を振り返って参りました。続いては、これからのヴィオー公国について、帝国宰相柳井義久皇統伯爵を交え、討論に移りたいと思います」


 柳井が帝都の外に出たときの恒例となっているテレビ番組出演だが、ヴィオーラ公国のような領邦のテレビ出演は、今回が初めてだった。葬儀の準備が進行している中でも断らなかったのは、柳井の生真面目さを表していた。


 TV1の政治討論番組はいくつかあるが、その中でも今回柳井が出たのはゴールデンタイムに生放送で行われるディスカスィオンという開局当時からある名物番組だった。


「では宰相閣下。まずは公国の経済政策について伺います。宰相閣下におかれては、今後のヴィオーラ公国の経済政策の取るべき方向性についてどうでしょう」


 司会進行を務めるメインキャスターのエマニュエル・カズヌーヴに促され、柳井は、いきなり番組進行のスケジュールにない質問を飛ばしてきたことに気付いた。カズヌーヴは番組の編成スタッフが思いもよらない進行をすることで知られていた。


 本来ならば前公爵の慰霊のための番組の予定であり、前公爵の業績などを讃える方向で行くつもりで構成されていた。


「ヴィオーラ公国は成熟した領邦です。経済自体が伯国時代から極めて順調となれば、経済政策は現状のものを維持するのが妥当でしょう」

「領内の開拓についてはいかがでしょうか。前公爵の方針は各種の指標を元に、漸増させるべきとしていましたが」

「私もその方針には同意です。先年、私が疎開に携わったゲフェングニス349からの疎開民がこちらへ受け入れられましたが、人口増加率も高いですから、後年のためにも無理のない範囲で広げるべきです」

「しかし、惑星開拓は時間も金も掛かりすぎる、という批判の声も多いです。シュタインブルフさん、これはどうでしょう」

「公共投資という意味で、極めて惑星開拓は結果が出るのに時間が掛かるものです。非効率的では?」


 領邦議会下院議員のシュタインブルフが答えた。帝国民主党会派の議員で、惑星開拓には批判的な論調で知られている。


 中央政府と議会が帝国民主党が与党とは言え、与党が皇帝やその重臣と同じ政策方針を持っているわけではないのが、ここでも浮き彫りとなった。


「無論、その通りですね。私が申したいのは、既存惑星の開発も、新たな開拓も両輪で進めていくべき、というものです。公共事業としても巨大なものですから」

「食い扶持としての公共事業ですか。まあそれも一つのありようでしょう。しかし、その分を社会福祉政策に回したいのが本音です」

「それもごもっともな話です。陛下もその点をご心配あそばされており、中央政府も社会福祉政策のバランスを調整していくことになるでしょうし、その方針が各領邦、自治共和国に及ぶのは当然ですね」


 これは柳井の口から出任せではなく、実際に行われていることだった。


「なるほど。続いて気になるところですが、領邦領主についてです。現在このヴィオーラ伯国、失礼しました公国の領主は畏れ多くも皇帝陛下が務められているわけですが、領主代理には、陛下の妹君であるマチルダ様が就任されています。お二人にこの点をお尋ねしたい」

「すでにパイ=スリーヴァ=バムブーク侯爵であるオスカー様がいて、ピヴォワーヌ伯も領主代理殿下の妹君と、旦那様であるピヴォワーヌ伯の兄君を通して親類縁者の関係にあります。領主の半分は実質上ギムレット家により占められていることは、帝国において異例中の異例という事態です」


 さすがにシュタインブルフの言葉選びも慎重だったが、好ましくない状態だと言いたいことは誰でも分かる物言いだった。


「確かに、一つの家から三人の領邦領主級の人間が出ているのは、一見あまり良い状態には見えませんね。仰りたいことはよく分かります」

「宰相閣下から見て、例えば、誠に不敬なことではありますが、陛下とその一族が国政を壟断するようなことが起きないか、その点についてはどうお考えでしょう?」

「陛下は名君であらせられます。先の永田文書による皇統達の一斉処分についても、皇統といえど容赦をすることはありませんでした。また、陛下の祖父であられるパイ=スリーヴァ=バムブーク侯爵におかれては、そのような軽率な行いをされる方ではないでしょう」


 カズヌーヴの問いに柳井はやや居住まいを正して答えた。


「マチルダ様についてはいかがでしょうか」

「マチルダ様においても、基本的には陛下の名代であり、その権限を濫用する兆候もありません。それは、おそらくヴィオーラ公国領民の皆様がいちばん理解されていることと思います」

「確かに、マチルダ様が領主代理に就任されてからの行動はそれを証明していることと思います」


 シュタインブルフも柳井に同意だった。


「しかし、人は変わるものです。もしマチルダ様が皇帝の権威を笠に着るようなことがあったなら……いかがでしょう?」


 カズヌーヴの意地の悪い質問に、柳井は微笑んだ。


「我々皇統は、帝国を発展させ、民を富ませるために陛下のご信任を得ているものです。先に起きた不祥事のこともあり、皇統へ対する不信感が帝国内に醸成されている点を鑑みても、あのような事件を再び起こすわけには参りません。マチルダ様は皇帝の妹君であらせられる。皇帝の親族が権力を濫用することのリスクは、承知しているものと私は確信します。また、陛下ご自身の性格も、それらを容認するものではないでしょう」


 柳井の言葉に、カズヌーヴもシュタインブルフもやや背筋が伸びた。帝国人には皇帝への畏敬の念が染みついており、陛下の、と出ると自然と身体が動いてしまうのだった。


「そもそも、国政を壟断ろうだんしようにも皇帝の帝権を停止し、退位させることは議会や皇統会議にも可能ですし、仮に皇帝が武力を持って権力の維持を図ろうとしたら、帝国は崩壊します。先の騒乱の通り、各方面軍は政争に関与していません」

「現在の東部軍管区司令長官グライフ元帥も、いたずらに軍事力を行使する方でないと私は考えています。軍管区司令長官人事が、皇帝に対する単なるイエスマンにならないよう心がけるのも、陛下ご自身や国防省、統合参謀本部に求められることになるでしょう」


 シュタインブルフの言葉に柳井は同意した上で、さらに用心は必要だと発言したわけで、カズヌーヴも笑みを隠さない。なお、ここまで番組のプロデューサーが考えていた議論のテーマは完全に無視されている。無視することを前提に、あえてカズヌーヴが無視するようなテーマを組んでいるのではないかと、柳井でさえ勘ぐりたくなるほどだった。


「ただ、例えばですが、これは当代の皇帝とは限りませんが、今後の皇帝がそういうものを無視した人事を発令する、もしくはそうするように中央政府や軍部に圧力を掛ける、そういう危険もあるのでは?」


 カズヌーヴの真骨頂は、あっさりこういった意見を開陳するところにあった。


「皇統選挙とはそのような者に玉座を与えないために、皇統達が考えている場でもあります。不信感を持つのもわかりますが、我々皇統も信頼回復に努めることで、臣民の皆様に信用していただくより他無いでしょうね」

「帝国を段階的に共和制に持って行くことはどうお考えでしょう」


 これもカズヌーヴの独断で入れられた質問で、柳井の視線の先、調整ブースにいるディレクター達が苦笑いを浮かべた顔を見合わせているのが、柳井からも見えていた。


「国民がそれを望むなら、というのが最低限の条件です。ペイ・アテンションはじめ、各全国紙の調査でも、現在の体制を維持することが七割から八割以上の賛同を得ておりますし、一割五分程度も皇帝の権限に、現状より厳しい枷を付けることを条件に帝政を認めるとなっていたと記憶していますが」


 ここで柳井がペイ・アテンションを例に挙げたのは理由がある。新聞各紙はそれぞれの会社ごとに政治的な色づけが異なる。ショウ・ザ・フラッグは保守・右翼層に、ペイ・アテンションは革新・左派層の支持を集めている。それでも帝政維持が世論調査の結果として出ている。


「皇帝の権限は制限をされている、とは仰いますが、歴代政権が皇帝や高位の皇統から干渉を受けていたことは事実です。ラウリート前政権の例を見るまでもありませんが」


 シュタインブルフの意見は辛口だった。暗に与党帝国民主党ムワイ政権も皇帝の干渉を受けていると言いたげだった。


「そのために宮内省や宰相府があるわけです。私もシュタインブルフ議員や、臣民の皆様に不安を与えないように、法に則り職務に当たることを肝に銘じておきましょう」


 このように、時に辛口、時にギョッとするような意見も飛び交う討論番組は進み、時間いっぱいまで討論が続いた。



 二一時四九分

 領主公邸


「おかえりなさいませ、宰相閣下」


 領主公邸に帰り着いた柳井を待っていたのはジェラフスカヤだった。彼女は柳井の名代として、マチルダと共に前公爵の葬儀の指揮を柳井の名代として手配していた。委員長である柳井がいなくとも、柳井が大まかな指示や決定を下していたことから、残った委員やマチルダ、ジェラフスカヤだけでも十分準備は進んでいた。


「ジェラフスカヤか。ご苦労だった。葬儀の準備はどうなっている?」

「万事滞りなく。葬儀は明後日の一〇時からと決定しました」

「丁度いいだろう……マチルダ様はどうされた?」

「葬儀委員会のあと、諸用で出かけられております」

「そうか」


 諸用という言い方に引っかかった柳井だが、この時点でそれを問い詰めるようなことはしなかった。


「夕食の準備は整っております。マチルダ様からは、先に済ませておいてほしいとのことでした」

「そうか。ではいただくとしよう」


 領主公邸から出て夕食をと考えなくもなかったが、既婚者の部下と夜の市街地に出れば、パパラッチに飯の種を提供するだけだった。そのあたりを慮ったマチルダが、公邸で食事を取れるよう手配をしていたのだった。


「トビー、護衛は屋敷の警備隊に任せて君たちも休んでくれ」


 ビーコンズフィールド准尉率いる宰相警護隊は二四時間体制で柳井の護衛を担当している。テレビ局での出演時も、スタジオの入り口、スタジオ内など、カメラの画角外に警護隊が控えていた。


「はっ、すでに隊員には食事を取らせております」

「君も一緒に食べよう。領主公邸の厨房担当は中々の腕のようだぞ」

「はっ、いただきます」


 食事を始めた三人だが、自然と話題はマチルダのことになっていく。


「しかし……マチルダ様の心労も大きそうですね」

「そうだな……ジェラフスカヤから見て、マチルダ様はどう見える?」

「気苦労も多い様子です。ご友人もいらっしゃいますが、国政レベルの話になるとどうしても一人で抱え込んでしまわれるし……ナタリー様がいい相談相手だったのに、これでは……」


 ジェラフスカヤはマチルダと年齢も近いし、同じ女性として心配をしている様子だった。


「……そういえば、マチルダ様はまだ戻られないのか?」

「そうですね……もう二三時を回っていますが」


 腕時計と食堂の柱時計を見比べた柳井に、ビーコンズフィールドが答えた。


「噂をすれば、かもしれませんね」


 食堂から見える公邸の車寄せに、領主代理のリムジンが滑り込んできたのが見えた。数分して、食堂にマチルダが現れる。


「遅くなりすみません。少々用事を済ませておりまして……お食事はいかがでしたか? 閣下のお口に合えばよかったのですが」

「ご配慮痛み入ります。宰相になってから、急に食糧事情が良くなったので太らないようにするので大変です。先に飲んでいて申し訳ありません。マチルダ様が帰ってくるまで待とうかと思っていたのですが――」


 そのまま柳井の脇を通り過ぎて対面に座ったマチルダは、控えていた給仕の者にワインを頼んだ。柳井はマチルダの顔をジッと見つめていた。


「どうかなさいましたか?」

「ああ、いえ、なんでもありません」


 すでに柳井とジェラフスカヤはワイングラスを傾けて議論に勤しんでいたが、そこにマチルダも加わる。なお、ビーコンズフィールド准尉は職務に支障が出ると固辞していた。ビーコンズフィールド准尉が退席し、食堂に残った柳井とマチルダ、ジェラフスカヤはしばし葬儀のこと、領邦経営のことなどを議論した後、各々の部屋に戻った。


「閣下、もうお休みですか?」


 柳井に貸し出された客室の前には、生真面目なことにビーコンズフィールド准尉が立っていた。領邦領主公邸内とはいえ手を抜かないのが、彼に求められる役目だった。


「君も仕事熱心だな、トビー……少し話があるのだが、いや大したことではない、雑談だが」


 柳井は部屋の中にビーコンズフィールドを招いて、やや言いづらそうに口を開いた。


「マチルダ様のことだが、もしやデートだったのではないか?」

「は?」


 ビーコンズフィールドが呆気にとられたように口を開いたまま間の抜けた声を上げた。


「いや……本人やジェラフスカヤの前で言うと気を悪くされそうだから言わなかったんだが……朝と香水の匂いが違っていたのでな」


 意外そうな顔で、ビーコンズフィールドは柳井のことを見ていた。


「なるほど……しかし、宰相閣下が女性の香水の匂いに気がつかれるとは」

「トビー、私のことをなんだと思っているんだ?」

「いえ、失礼しました……まあ、領主代理殿下のご年齢を考えれば、不思議なことではないのでは?」

「相手はどのような男か気になってな……」

「さながら、娘に彼氏が出来た父親の心境ですか」

「……まあ、遠からず明らかになるだろうが」


 柳井にしては珍しい、本当に雑談で終わる話だった。


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