第51話-② 葬儀委員長・柳井義久

 二月一三日〇八時五五分

 ライヒェンバッハ宮殿

 楡の間


「なに? ナタリー様が?」


 いつも通り出仕した柳井を待っていたのは、前ヴィオーラ公爵、ナタリー・アレクシア・ウォルシュー皇統公爵入院の報だった。ヴィオーラ伯爵を半世紀以上務めた後、当時近衛軍司令長官だった皇帝に領主の座を引き継ぎ、伯国から公国になるのに伴い自身も一気に公爵へと格上げされ前ヴィオーラ公爵の称号を得たナタリーは、悠々自適の老後を過ごしているはずだった。


「はい。先ほど入った情報です。どうもここしばらくは体調不良で屋敷にて静養中だったとのことで……」


 前公爵入院す、と報告したジェラフスカヤも表情は暗かった。彼女の出身は当時まだ伯国だったヴィオーラ公国であり、ウィットロキア中央大学の首席卒業という経歴を持つ。卒業式では当時領主だったウォルシュー公爵から直々に表彰されている。


「……ご病状は?」

「倒れているところを近侍の者が見つけて搬送。一時意識不明。心臓発作とのこと。蘇生はされましたが、今は発話も困難な状況だそうです」

「そうか……領主の任から離れてそろそろ一年。緊張の糸が切れたのか……陛下にこのことは?」

「宮内省より陛下へご報告済みです」



 〇九時〇一分

 樫の間


「ナタリー様が倒れたそうね……」


 皇帝も沈鬱な表情を隠していない。彼女にしてみれば、ウォルシュー公爵は第二の祖母であり、皇統としても尊敬すべき先達であり、前領主としてその大任を委ねられれた信頼に応えるべく種々の政策を進めているところだった。


「はい」

「申し訳ないのだけれど、あなたに私の名代としてお見舞いに行ってもらいたい」


 皇帝としても前公爵の見舞いに行きたいのは山々だが、臣下の見舞いに全部出向くわけにはいかない以上、重臣を名代として出向かせるのが習わしだった。


「それは是非もありません。私もナタリー様にはお世話になりましたから」

「では、準備でき次第向かってちょうだい。その間のことはサラに任せておけばいい」

「はっ」


 柳井の動きは速く、一〇分で引き継ぎを済ませ、五分で荷造りを終え、皇帝から命じられた三〇分後には同じく自宅から最低限の荷物を持ってきたジェラフスカヤと共に、近衛軍の重戦艦インペラトール・メリディアンⅡに乗り込んでいた。



 二三時三二分

 ヴィオーラ公国

 首都星ウィットロキア

 センターポリス宇宙港

 ターミナルビル


 最大戦速でヴィオーラ公国首都星ウィットロキアに急行したインペラトール・メリディアンⅡは、深夜には目的地であるウィットロキアセンターポリス宇宙港に到着していた。


「宰相閣下、遠路遙々のお越し、ありがとうございます」


 ウィットロキアの宇宙港では、すでに領主代理のマチルダ・フォン・ギムレット皇統男爵が待っていた。貴賓用のロビーには護衛官の他、領主代理の秘書が立っているのみで、柳井を安堵させた。また閣僚一同揃って出迎えなどされては申し訳ないと考えていたからだ。


「夜分遅くに申し訳ありません。何分急なことで……陛下の名代として、前公爵への見舞いとして参りました」

「今日は遅いので、閣下には領主公邸でお待ちいただければと。侍従と護衛の方のお部屋も用意しております」


 先日来、柳井の護衛はより強化されている。柳井の身を盾にして守ったビーコンズフィールド兵曹長は、帝国宰相警護隊隊長を正式に任命され、准尉へと昇進を果たしていた。士官学校の養成課程も受けており、それが終われば正式に少尉への昇進を果たすことになる。


 足早に歩きながらの会話は、ターミナルビル前に付けられたリムジンに乗り込んでようやく落ち着きを見せた。


「……私たちも急なことでして、三日前に誕生日の祝宴をしたばかりでしたが」

「最近弱られていたという話も聞きましたが」

「ええ。最近食が細りがちとは思っていたのだけれど……」


 ジェラフスカヤもヴィオーラ伯国出身者として、マチルダと共にナタリーの病状に気を病んでいた。


「領主職を長く務められた方です。マチルダ様がしっかりされているので、安心されたのでしょうが」

「……私は、姉さん、いえ、陛下の足下にも及ばない身です。畏れ多いことです」


 柳井に言われたマチルダが、やや憂いを帯びた表情で、深夜のセンターポリスの夜景に目を移した。



 二三時四三分

 ヴィオーラ公爵公邸


 本来ヴィオーラ公爵の地位にあるのは皇帝メアリーⅠ世だが、今は領主代理であるマチルダが使用している。



 談話室


「宮内省病院から連絡がありました。容態は安定されたようですが、そう長くはない、と主治医は予想しているようです。とりあえず今晩は持つと……」

「明日、病院で詳しいことを聞くことになりそうですね……前公爵の葬儀の準備も必要でしょう」


 柳井の物言いは、ともすれば無神経にも見えるが、マチルダには皇統として、また領邦領主代理として、前領主の葬儀を執り行う義務があった。


「ジェラフスカヤも急なことですまないな。今日はゆっくり休んでくれ。私はマチルダ様と少し話があるから」

「はい。ではお先に失礼します」


 ジェラフスカヤが談話室を退室したあと、近侍の持ってきたオレンジフラワーのハーブティーを片手に、柳井は話を切り出した。


「……先ほど車の中で話したことですが、マチルダ様は陛下の足下にも及ばない、と仰せでしたね」

「はい……」


 皇帝と同じ赤毛をギブソンタックにまとめた領主代理は、申し訳なさそうに柳井の目線を受け止めていた。


「気にされることはないのです。もしマチルダ様が陛下と同じか、それ以上のお方でしたら、当代皇帝はマチルダ様だったでしょう。それに、陛下は些か特殊な方です。あれを模倣しても、他の者ならば皇帝どころか、近衛軍司令長官はおろか、自治体の首長も勤まりません。一般企業なら言わずもがなです」


 柳井の言葉を、マチルダはジッと聞いていた。


「……私のような者が言うのもなんですが、マチルダ様はよくやっておられます。陛下もそのことをよく、誇らしげに話をされています。いい妹だと」


 皇帝との雑談の多さで言えば、柳井は帝国でも五指に入る。これに続くのがベイカー武官長、チェンバレン侍従長、ピヴォワーヌ伯オデット、ヴァルナフスカヤ宮内大臣となる。


 ともかく、柳井と皇帝との雑談は内容も多岐にわたり、政治、軍事、経済に他愛もない冗談などがあげられるが、妹であるマチルダへの言及も多い、と柳井は記憶していた。


「そうなんですか?」

「失礼ながら、あまり陛下と……姉君とはお話しされないので?」

「最近は、事務的なものが多くて……私の兄は、すでに祖父の後を継いで領主となることが定まっています。姉は皇帝、妹はピヴォワーヌ伯爵の兄君と結婚されて、ピアニストとして大成しつつあります、それに比べれば、私は言われたことをやる程度で……」


 優秀な兄と姉と妹に囲まれて、自分自身の評価が自然と辛くなっているのだろう、と柳井は想像した。マチルダは皇統男爵であり二八歳とはいえ、柳井からすればまだ子供のような年齢だ。一般企業に勤めていたのに姉が皇帝となってから突然領主代理を命じられたのだから、皇統という役目の重さを柳井も実感するところだった。


「言われたことをやる程度、が難しいことは、社会に出た人間なら誰でも痛感することですよ。マチルダ様はよくやっておられます。領主代理というのも、将来的にもっと高い地位に就くときの予行練習と思えばよろしいかと」


 私などはその間もなく、大任を押しつけられましたが――と愚痴をこぼそうとした柳井だったが、それは控えてティーカップに口を付けて誤魔化した。


 もっとも、皇帝からすれば柳井をピヴォワーヌ伯国参謀総長代理に据え、皇統男爵として、第二三九宙域総督に推挙し、叛乱軍参謀総長などを務めさせたことで一定の練習はさせたと考えているのだったが。


「……すみません宰相閣下にこのような愚痴を聞かせて……ナタリー様は不慣れな私にも親切にしてくださったものですから、つい」


 ようやく笑みを見せたマチルダにほっとして、柳井はティーカップをソーサーに戻した。


「お気になさらず、陛下もよく私に愚痴やら文句やら、埒もないお話をされますし」

「姉が、いえ、陛下が?」

「ええ。まあ本当に、宮殿の外の者には聞かせられない罵詈雑言など珍しくありません。表では、名君たろうと最大限自制されておいでですが」

「……姉が愚痴を言うところなんて、私も見たことがありません」

「そうですか?」

「ああ見えて、姉は用心深い人なんです。辺境で任務に当たっていた関係もあるのでしょうが」


 皇帝というのは案外繊細な人なのかも知れない、と柳井は常々考えていたが、以外と抱え込む性質を持っているのだろうとマチルダの言葉で気付かされた。



 二月一四日〇八時四三分

 ウィットロキア宮内省病院


 宮内省病院とは、宮内省の外局の一つで皇帝や領邦領主とその家族、および領内の皇統貴族に医療を提供する専門の医療機関で、一般診療を行うことはない。帝都ウィーンと各領邦首都星に一つずつ設けられている。


 柳井とマチルダ、ジェラフスカヤは、病室に入る前に、診察室に呼び出された。


「ナタリー様は一〇年ほど前から慢性心不全の治療をしておりました。服薬治療で済ませていたのですが……」

「そんな! だってそんなこと一言も……」


 ナタリーの主治医である川嶋前公爵医務主管の言葉に、マチルダが絶句した。


「おそらく、マチルダ様には黙っておいたのでしょう。無用な心配をさせたくないと……補助人工心臓手術もお勧めしたのですが、ご年齢がご年齢なので、それは断念されまして」


 柳井は先帝の顔を思い出していた。いくら医療が進歩しようとも、本人にその気がなければ延命治療は施さないのが現代医療の基本的なスタイルだ。バイオ人工臓器技術も進歩しているとは言え、これは主に事故などで臓器に回復不可能なダメージを負った場合が主な用途で、高齢者への移植は体力や気力によっては行わないことも多かった。


「昨日発作が起きてここへ運び込まれるまでの間に、脳へのダメージもさることながら、かなり心肺機能が衰えておられます。本人の気力で持っているようなものでして……ご本人は、常々過度な延命は不要と仰せのことでしたので、現在は酸素吸入のみを行っております」


 医務主管の言葉に、柳井は頷いた。その後、医務主管の案内で、ナタリーの病室に通された。日当たりのいい、広々とした病室だ。


「今は眠っておられるのですか?」

「いえ、起きておられます。発話は困難と思いますが、こちらの声は聞こえているはずです」


 柳井はベッドの側に近づき、膝をついてナタリーの顔をのぞき込んだ。


「殿下、柳井です。わかりますでしょうか?」


 ナタリーはゆっくりと目を開くと、小さく頷いたように柳井には見えた。


「マチルダ様もいらっしゃいます」


 柳井はマチルダに場所を譲り、自身は一歩下がり、ジェラフスカヤと共にその光景を見守っていた。


「ナタリー様、マチルダです……」

「……」

 

 ナタリーが数度、まばたきをする。発話が困難な患者用の人工音声システムが立ち上がり、ナタリーが目線を動かすと、視線で選択された簡単な選択肢から、ナタリー自身の肉声を元にした人工音声が生成され、病室に流れた。


『この通りのザマよ。歳は取りたくないものね』

「……ナタリー様」

『マチルダ、あなたには色々と面倒を掛けるわね。許してちょうだい』

「……!」


 人工音声は普段通りの、優しげなトーンでナタリーの声を再現している。マチルダはそれを聞いて涙を堪えるのに必死だった。


『皇統の使命というのも難儀なものよ。あなたには若くしてその役目を押しつけることになってしまった、許してとは言わないわ……でも、領主だって人生は楽しめるものよ。私を見ていたあなたなら、わかるはず』


 ナタリーが、すっかり肉のそげ落ちた細い腕を振わせながら、マチルダの手に添えた。


『領主代理の仕事をしながらでもいい、あなたはあなたの幸せを追い求めてもいいのよ。陛下は名君であらせられる。きっと、あなたのことも支えてくださるわ……有能な重臣も控えていることだし』


 ナタリーの言葉に、マチルダは頷いた。祖母と孫の暇乞いのようだと、傍らにいた柳井は感じていた。


『……宰相閣下。このような老いぼれの最期を見せて申し訳なく思う。願わくば、どうか、陛下やマチルダの力になってやってください……なんて、私が申し上げることではないかもしれませんが――』


 柳井は自分に向けられた言葉に驚くと共に、深く頷いた。


 これがナタリーの最期の言葉であり、閉じられた目は、二度となかった。


 帝国暦五九一年二月一四日〇九時二一分。ナタリー・アレクシア・ウォルシュー皇統公爵、薨去こうきょ。享年九六歳。


 先帝ゲオルク=バルタザールⅢ世との交友も深く、先帝の治世を最初から知るものとしてはパイ=スリーヴァ=バムブーク侯爵と共に、現代帝国の生き字引、帝国皇統の知恵袋として知られていた。家族を不慮の事故により亡くして半世紀経った老公爵の最期は、孫娘同様にかわいがっていた皇帝の妹と、その皇帝が目を掛けた男に見守られてのものだった。

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