第51話-① 葬儀委員長・柳井義久

 帝国暦五九一年二月八日一〇時三二分

 ライヒェンバッハ宮殿

 アマリリスの間


「――以上が、帝国宰相府庁舎の建築案になります」


 柳井の前で冷や汗を流しながら説明していたインペリアル・ビルド・エグゼキューターズ(IBE)の設計主任は、一礼して着席した。


「どれもかなり大規模な工事になるな」


 柳井は設計案を見て唸った。


 帝国宰相府は、現状皇帝の居城であるライヒェンバッハ宮殿を間借りしている形で動いているが、皇帝が多数の政策を一度に進めることを要求しており、そのための人員増加は急速に進み、近い将来黄檗の間だけでは足りなくなることが目に見えていた。


 また、柳井自身の執務も膨大で、楡の間の隣にあるけやきの間に宰相府官房室を設置して、宰相付侍従の増員も考えている段階だった。宮殿の空き部屋とはいえ、皇帝の居城を蚕食さんしょくするのを良しとしない柳井としては、宰相府として何らかの建物を用意すべき段階が来ていた。


 今回提案されたのは三案。一つ目はドナウシュタット地区、官庁街に三階建て延べ床面積二万平米程度のものを新築する案。二つ目は現在財務省が使用している旧庁舎を明け渡させて改築を施すもの。三つ目は宮殿内に敷地を用意して、ドナウシュタット地区に建築するのと同程度のものを建てるという案だった。


「宰相閣下におかれては、もう少し小規模でよろしいと?」

「宰相府の機能を全て新庁舎に移すことも無い。一部機能の移転程度なら、最低限の面積で済む。宰相府を星系自治省のように肥大化させるつもりは無い」

「それならば昔使っていた近衛師団司令部庁舎を改築されてはいかがでしょう」


 ライヒェンバッハ宮殿は周囲を広大な庭園に囲まれており、その中には現在使用されていない建物もいくつかある。設計主任の表示した建物は、宮殿と同様の形式で作られた質実剛健な三階建ての建物で、現在は倉庫として使われている。


 ライヒェンバッハ宮殿が出来た時点では、近衛師団は帝国軍の一部隊に過ぎず、司令部は宮殿内に司令部を構えていた。近衛師団が独自の艦隊を整備し、地上戦から艦隊戦まで可能な自己完結した近衛軍となってからは、宮殿に隣接するヴィルヘルミーナ軍港に併設された近衛軍司令部庁舎へ移転していた。その空き家を帝国宰相府に転用しようというのが設計主任の案だった。


 その場で自分の端末から設計案を旧司令部庁舎に適用させた図面を出した設計主任は、不安げに柳井を見つめていた。


「いいですね。詰めの部分は司令部庁舎に合わせてもらうとして、また来ていただくことになるが……私が出向くほうが早いか?」

「滅相もございません! また、私どものほうから参ります」

「わかりました、ではよろしく頼みます」

「はっ、ありがとうございます。それと、宰相公邸についても試案をお持ちしましたが。こちらは新築と増改築のプランの二通りでして」


 柳井の住居も、帝国宰相就任から一年近く経った今も海棠の間に仮住まいの状態である。実務上の問題はないにしても、皇帝も独身、宰相も離婚歴があるとはいえ独身とあって、低俗な週刊誌や分離主義者の中には卑劣なデマを流す輩があとを経たない。


 それに帝国宰相という重臣が自分の住まいを帝都に持っていない、少なくとも公邸がないのは、帝国宰相を常設制度として整備した現在、あまり適切ではない。ただ、柳井自身が自分の住居に要求する機能が少なすぎて、海棠の間ですら持て余す状況で、優先順位は少なくとも柳井の中ではかなり低い。


「新築の場合、地上二階、地下一階、シェルターを備えたもので延べ床面積八三〇〇平米、余裕を持った作りを考えており、ブライトナー門前を予定地として考えております」

「……そんなに広いものを?」

「宰相閣下はお一人でいらっしゃいますが、今後の宰相の中にはご家族を伴われる方もいるでしょうし、そのための居住スペースも必要になりましょう」


 設計主任の言葉に、それまで黙って説明を聞いていたシェルメルホルン伯爵も頷いた。


「帝国宰相ともなれば、ご自身で園遊会などを開かれる必要もあると存じます。ワインセラーに談話室、バンケットホール等は貴族の住処として必要不可欠ですね」

「なるほど……」


 建設会社の一同が退室した後、柳井は宰相付き侍従も読んで設計案の検討を始めた。


「IBEの設計で概ね問題ないでしょう。旧近衛軍司令部庁舎の改修も問題ないかと」

「宮殿からは徒歩で五分、車を回すほどでもないですね。ほどよい距離です」

「総工費は新築のほうがいっそ安く上がりそうですが、ドナウシュタット地区まで行くと宮殿から離れすぎますね。私は旧近衛軍司令部庁舎がいいと思います」


 ハーゼンバイン、バヤール、ジェラフスカヤも概ね設計案に同意だった。


「では、その方向で進めよう。陛下には私から話しておく」



 一一時〇五分

 樫の間


「いいんじゃない?」


 皇帝は設計案を見もせずに許可を出した。そもそも自分が使うわけでもない建物なら、そこを使う者がそれでいいといえば、皇帝としても特に口を差し挟む意味は無かった。


「あなたの通勤時間がちょっと増えるだけで、宰相府のスタッフの手間は変わらないでしょう」

「では、これで進めてまいります」

「しかし……公邸ねえ。帝国宰相なんて役職に就けたんだから、私邸のほうも早めに考えてほしいものね」

「私一人で住むなら、旧市街の単身者用マンションで済んでしまいますので」

「前にも言ったけど格式ってもんがあるのよ」


 皇帝は居城が公邸であり、私邸は別に所有していることが多い。ギムレット公爵帝都別邸もその一つで、実家のあるパイ=スリーヴァ=バムブーク候国首都星アーボラム・シヴィタスにも本邸がある。ただし、本邸に入ったことはないと言う。それでも皇統公爵として本邸を管理する使用人は雇っている。これが皇統公爵としての格式の一つだ。


 皇統伯爵となると数段落ちるとは言え、本邸はそれなりの規模のものを所有していて当然とされる。シェルメルホルン皇統伯爵邸などは、ここ一〇〇年に叙されたような新興貴族よりも広大な屋敷である。


「ま、それはいいとして――」


 皇帝は宰相府と皇帝しか閲覧できないリストを壁面のスクリーンに映し出した。


「宰相府があるおかげで、細々した仕事が片付いていくから助かるわ。私一人で出来る仕事なんて限られているし」


 宰相府は皇帝のブレーンとして機能しており、日常業務の補佐については宮内省侍従局を中心としているが、皇帝の真意に近いところには常に宰相府の柳井がいる。宮内省としてこれを問題視する向きも少数だがあるというが、ヴァルナフスカヤ宮内大臣は特に気にしていない。


「そういいつつ、ヴィオーラ伯国の経営にも精が出ているそうで」

「マチルダに苦労をかけられないわ。あの子にはもっと伸び伸びと過ごして貰いたいのだけれど」


 皇帝メアリーⅠ世のきょうだいは三人いて、長男ヘルマンは次代パイ=スリーヴァ=バムブーク侯爵として老齢の祖父であり当代侯爵で領邦領主のオスカーと共に候国の経営に携わっている。


 次女マチルダはヴィオーラ公爵代行としてヴィオーラ公国に留まり、皇帝でありヴィオーラ公爵であるメアリーⅠ世の指示を仰ぎつつ領邦領主の権限を代行している。


 三女イザベルはアンプルダン伯爵家、つまりピヴォワーヌ伯爵家長男であるパトリック・ド・アンプルダン皇統男爵と結婚しており、長男レオナールを設けている。


 皇帝としては妹達には楽をさせてやりたいと考えているようだが、皇帝の姉妹というだけでもそれは叶いそうに無かった。


「マチルダ様はよくやっておられます。陛下の無茶ぶりをうまく翻訳して領邦政府と歩調を合わせられるのは、マチルダ様の人となりが為せることでしょう」

「まるで私が無茶ぶりしてペースも考えずに先行しているような言い方ね」

「そのための宰相府にございます、陛下」

「まったく……そういえば、デモクラティアの記事見た? あなたが私だけじゃ無くて、マチルダにも手を出しているってヤツ」

「私の手の早さは光速を超えていそうですね」


 NOTEことニューズ・オブ・ジ・エンパイアに並ぶ低俗大衆週刊誌デモクラティアは、デマと誹謗中傷、下ネタと誇張がそれぞれ二割五分ずつの割合で構成されていると揶揄されるほどで、NOTEが五流週刊誌ならデモクラティアは六流週刊誌とも称されている。訴訟などを多数抱えていても、訴訟を起こされたこと自体が記事になり、発行部数そのものはかなりのものらしく、中々廃刊されない読むゴミ箱である。


 もっとも、それを支えるのはグラビアや付録のポルノ映像などでもあり、中身を真面目に読んでいる読者がどの程度いるのかは評価が分かれるところだ。


「で、あの子のことはどう思う?」

「陛下のような苛烈さがないですが、女性的な魅力としては帝国でも五指に入るでしょう。政治的なセンスは陛下と異なりますが、領邦領主の大器を備えていると感じます」


 応接机のソファに腰掛けた柳井が、侍従の出した紅茶を飲みながら答えた。領邦領主家の子弟は多かれ少なかれ、帝王教育やそれに類する教育を施される。領主や政治家、はては皇帝まで務める可能性があるのだから当然であり、マチルダにもそういった教育は施されている。


「私に直接それを言うあたりがあなたらしいわね……あの子にも、そろそろいい縁談があればいいのだけれど」

「お付き合いされている方は居ないので?」

「さあ? 皇帝といえど、家族のプライバシーには踏み込まないものよ」

「ごもっともです。本人の意図に反する縁談は互いの不幸に繋がりますから」

「それは経験談?」


 柳井の向かいのソファに腰掛け、スコーンを頬張ろうとしていた皇帝が柳井に興味深そうな視線を向ける。柳井は数秒考え込んでから、再び口を開いた。


「……さあ? どうでしょう。少なくとも、私は妻を愛そうとしたのですが、仕事のほうに気を取られすぎました」

「……そう。悪かったわね、変なことを聞いて」

「古傷と言うほどのものでもありません。ただ単に、私が結婚生活に向いていない性格をしていただけですから。マチルダ様のご縁談については、こちらでも考えてみましょう。シェルメルホルン伯爵ならなにかいい案があるやもしれません」

「頼むわ。私もその辺は不得手でね」



 一三時〇四分

 楡の間


「陛下の妹君の縁談ですか?」

「伯爵なら、そのあたりはお詳しいのではないかと」

「皇統の結婚というのは意外と自由なものでして、ただ、当代皇帝の妹君ともなれば、それ相応の相手を選ぶ必要もある……というのは建前で」

「建前?」

「当人の意思が伴わない婚姻は双方を不幸にします」


 シェルメルホルン伯爵の言葉に、柳井は笑みを浮かべて頷いた。やはり伯爵に相談して正解だったと分かったからだ。


「正論ですね。お見合い、ということでも同様です。無理に候補者を絞り込むと、マチルダ様も、お相手も苦しいことになります」

「その通り。マチルダ様の美貌なら、引く手はあまたとは思いますが、何せ皇帝の妹に手を出す剛の者は、中々居ないでしょう」


 地球帝国の統治体制において、皇帝の親類縁者が大きな権限を得て、国政に関与することは少ない。そもそも領主家は世襲でも皇帝は世襲ではない。皇帝選挙で選ばれない限りは親から子へ直接玉座を引き継ぐことはない。そして、帝国においてその事例は今まで無いし、おそらく今後もないだろうと考えられている。


 だとしても、当代皇帝の妹というのはそれだけでアプローチを仕掛ける側にプレッシャーを与えるものとなるのは自明だった。皇帝が妹の婚姻を不安視するのも当然の成り行きだ。


「陛下が独り身で、おまけに自分が領主代理ですからね。マチルダ様も色々気を遣っておられるのでは」


 シェルメルホルン伯爵の言葉に柳井は頷くと共に、無用なことだとも考えていた。


「陛下の結婚相手など、この宇宙にふさわしい者は陛下ご自身程度しか居ないのだから、気にする必要などないでしょう」


 皇帝の婚姻について質問されたとき、柳井は好んでこの言い回しを使っていた。明確に結婚の意思無しと言わないのは臣下が皇帝の婚姻について明言することを憚ったからだが、言われた方もそれ以上の追求がしづらくなるという点では有効な対応だった。


「政治的には、慶事は治世の安定を表すものでもありますし、一官僚としてもマチルダ様がご結婚されるなら、それは喜ばしいことですが」

「……まあ、本人次第というのは変わらないでしょう」


 柳井としても自分が離婚歴のある人間で、他人に婚姻をどうこう言う立場ではないことを自覚していたため、いったんこの問題はシェルメルホルン伯爵に任せることにした。しかしながら、その当人であるマチルダの意思を確認する日は意外と遠くないことを、柳井はまだ知るよしもない。

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