第51話-④ 葬儀委員長・柳井義久

 二月一六日一〇時〇三分

 ウィットロキア大聖堂


 帝国国教会ヴィオーラ大教区の本拠地であるウィットロキア大聖堂は、ヴィオーラ公国のみならず、ウォルシュー公爵の葬儀に参列するために帝国中から集まった皇統・帝国貴族およびその関係者が詰めかけ、厳かに葬儀が執り行われようとしていた。 


「皆様、本日は前ヴィオーラ公爵、ナタリー・アレクシア・ウォルシュー殿下のご葬儀にお集まりいただきありがとうございます」


 喪服の黒いドレス姿に身を包んだヴィオーラ公爵代理、マチルダ・フォン・ギムレット皇統男爵の挨拶のあと、葬儀は滞りなく進められた。


「閣下もお花をどうぞ」


 マチルダに促され、柳井は棺の前に歩み出る。まだ閉じられていない棺の中には、穏やかな笑みを浮かべたような老女が、穏やかな笑みと、趣味で描いていたという油絵のキャンパス、観劇用のオペラグラス、それに故人となった公爵の夫と子供の写真と共に、スミレの花が敷き詰められていた。


 柳井はマチルダに渡された花を棺の中に入れると、モーニングコートのポケットから取り出していた念珠を取り出して手を合わせた。帝国国教会正式の礼拝でなく、柳井の出身地では一般的な作法だ。


「これより宰相閣下より、陛下からの故ウォルシュー公爵への弔辞をいただきます。閣下、お願いいたします」

「ただいまご紹介にあずかりました、宰相の柳井です。このたびは、ウォルシュー公爵の急死に際し、帝国の皇統として、また人生の大先輩である公爵の死に心を痛めております。皇統男爵に叙された日にお会いした頃から、皇統のなんたるかを教えていただいたことを、今も感謝しております」


 柳井はそこでいったん言葉を切って、棺に対して最敬礼を施した。


「謹んで、御霊の安らかなることを祈念するとともに、帝国皇帝メアリー・フォン・ヴィオーラ・ギムレット陛下からのお言葉を、畏れ多いことながら代読いたします。各自、ご起立を願います」


 帝国皇帝が皇統一人一人の葬儀に出るとなると、皇帝の年間スケジュールが葬儀だけで埋まってしまう。自分の配偶者と両親以外の葬儀は出ないのが、帝国皇帝の習わしだった。その代わりに、信認する重臣を代理として遣わすのが通例である。


 今回はその役目は柳井が担っており、柳井は懐から弔辞の書かれた羊皮紙を取り出した。これは文面を帝都に居る皇帝が柳井にチャットで送信したものを、ジェラフスカヤが様式美として羊皮紙に書き写したものであり、皇帝直筆のものではない。


「帝国の友邦たるヴィオーラ公国を長年支え続けたウォルシュー公爵の死を悼むと共に、長年の功績に報いるには短い期間で死出の旅に出られたことに対し、厳粛な抗議を申し入れるものである。願わくば、天上での再会が遠い先であることを祈りつつ、公爵の安らかな眠りが妨げられぬよう、ヴィオーラ公爵として、また帝国皇帝としての責務を果たす所存である――あなたの、メアリーより……以上です」


 ウォルシュー公爵は伴侶も子供も早くに事故で喪っているが、しかし皇帝は幼少の頃から公爵と顔なじみであり、その関係を指して孫娘、と書き残したのである。


 皇帝が自らの親類とまで表現されるのは、帝国において非常な栄誉である。簡潔な弔辞ながら、その表現に感銘を受けた参列者達だった。


 葬儀はその後も特にトラブルなく進み、公爵の棺は、帝国国教会様式の火葬場にて荼毘に付され、遺骨は前ヴィオーラ公爵としての前官礼遇でヴィオーラ公爵領主廟に収められた。



 一三時三一分

 大広間


 喪明けの振る舞い、柳井の地元では精進落としとも呼ばれる火葬後の食事は、故人を弔うと共に、皇統の葬儀の場合、中々一堂に会さない皇統達の交流の場でもある。


「ホーエンツォレルン殿下」


 領主公邸の大広間で行われる食事会の中、柳井はひときわ背の高い老人に敬意を込めて呼びかけた。


「これは宰相閣下。此度の葬儀の差配は閣下が行ったものと愚考しますが、見事なものでしたな。私の葬儀の際も、ぜひ閣下に取り仕切っていただきたく」

「何を仰いますやら」


 帝国軍内で起きた不祥事の引責で、長年勤めた東部軍管区司令長官食を辞任したホーエンツォレルン皇統公爵は、暇乞いと称して各地の皇統貴族の冠婚葬祭にも積極的に顔を見せていた。


「ナタリー様も、このように弔ってもらえて本望だったことでしょう。あの方は賑やかな場を好まれていましたから」

「そう言っていただけてなによりです。マチルダ様のお人柄もあって、多くの方にお越しいただけてよかったと思います」


 この後もピヴォワーヌ伯爵オデット・ド・ピヴォワーヌ・アンプルダン、ヴィシーニャ侯爵アブダラ・ムスタファ・アル=ムバラク、マルティフローラ大公は幼少のため、代理のヴァイトリング皇統伯爵、パイ=スリーヴァ=バムブーク侯爵オスカー・フォン・パイ=スリーヴァ・ギムレットと領主補佐で孫、皇帝の兄であるヘルマン皇統子爵、コノフェール侯爵テオ・ニコライディス、フリザンテーマ公爵の胡新立こしんりゅうと、領邦領主も皇帝を除いて全員が参列していた。


「閣下、少しよろしいでしょうか?」

「マチルダ様、なにか?」


 そんな中、会場の隅で休息を取っていた柳井のもとへ、マチルダがやってきた。


「紹介したい方がいまして……談話室で待っていただいております」

「わかりました」



 一四時三二分

 談話室


「さ、宰相閣下。お初にお目に掛かります。エミール・リヒャルト・ゼーバッハ帝国伯爵でございます」

「こちらこそ初めまして。帝国宰相、柳井です。モンテスパン栄誉賞受賞おめでとうございます。授賞式に出向けなくて残念でしたが、ここでお目にかかれるとは」


 モンテスパン科学技術賞は、帝国にいくつかある学問の賞のうち、帝国文化教育省後援で行われているものだ。二年に一度、帝国における人文学、社会科学、自然科学、応用科学、統合科学の五分野でそれぞれ業績をあげた研究者や研究チームが選ばれるものになっている。


 受賞者には帝国伯爵の称号と賞金に一〇億帝国クレジット、皇帝による帝国伯爵徽章および表彰状、メダルの授与が行われる他、帝国中央博物館のモンテスパン栄誉賞の記念ホールの壁面にその名が刻まれる栄誉を与えている。


 ゼーバッハはモンテスパン栄誉賞のうち、惑星の気候制御システムの新理論で統合科学大賞を受賞している。パイ=スリーヴァ=バムブーク候国のアーボラム・シヴィタス中央大学に在籍する二九歳の教授で、候国科学技術界の新進気鋭の天才として知られていた。


「彼とはアーボラム・シヴィタスの中央大学時代から、お付き合いしておりまして」

「なるほど」


 柳井は得心がいったように頷いて笑みを浮かべた。いつの間にか用意されていたティーカップを手に取った柳井は、一口紅茶を飲んでから、緊張した面持ちのマチルダとゼーバッハに顔を向けた。


「マチルダ様、そう緊張なさらずともよいではありませんか。しかし、私より先に、お父上やお祖父様にお話しするべきでは?」

「あ……いえその、祖父や父は好きにせよと言うだけで、その……」

「なるほど。公表するには不安があった、と」

「はい……」


 マチルダが不安に思うのは当然で、いくら世襲ではない帝国皇帝の地位とは言え、親類縁者は皇帝の親類縁者になるわけだ。これまでの皇帝でも、例えば第六代皇帝ジョージⅡ世の弟、皇統男爵のチャールズが漁色家として知られ、帝国皇統界でも随分と問題になり、後を継いだ第七代皇帝のバルタザールⅡ世が引き締めを計ったこともある。


 帝国皇統のゴシップは格好のネタになることから、皇統も位が上がれば上がるほど、婚姻や恋愛は慎重にならざるを得ない。皇帝の妹ならなおさらである。


 マチルダの父であり皇帝の父でもあるアルツール、つまり当代バムブーク侯爵の一人息子は放任主義、というより仕事にのめり込むタイプで、母親共々子供達の自主性に任せて子育てにはともすると無関心だったためか、アルツールの長男ヘルマンは祖父の影響を強く受けて次代領主の道へ、三女のイザベルはピアニストとして自立して早々に結婚、皇帝メアリーⅠ世こと長女メアリーは祖父の命を受けて辺境宙域で武者修行と称して海賊を装い、皇統界に復帰してからは近衛軍司令長官、そして皇帝となっている。


 兄や姉、妹に対して自分は平凡だ――などと、マチルダが自信を無くすのはある意味当然であり、婚約者についても、自分の意思とは別に、何か支柱となるお墨付きを得たいと考えてしまうのだろうと柳井は推察した。


「だからといって、私に見定める役を振られるとは、分不相応もいいところ。マチルダ様も中々意地がお悪い。そう思いませんか? ゼーバッハさん」

「はっ、いやっ、しかしその、宰相閣下のご見識は誰も疑わないところですし……」


 柳井に話を振られたゼーバッハもしどろもどろになる。当然である。ゼーバッハからすれば雲上人の柳井にそんなことを言われても、まともに返せないのが自然である。柳井は自分の権威、つまり皇帝の腹心の権威という極めて強大なものに無頓着な部分があった。


「まあ、そうコチコチになられては疲れるでしょう。喪明けの振る舞いの席ですが、リラックスなさってください。ざっくばらんに話をしよう」


 そう言うと、柳井は領主公邸の厨房に連絡を入れ、料理をいくらか談話室に運ばせた。


 柳井の言うとおりざっくばらんな会話――ゼーバッハの研究についてや、マチルダとゼーバッハの大学時代の馴れそめや思い出話、柳井の身の上話まで――を一時間ほど、食事を取りつつ行った後、柳井は所感を伝えた。


「エミール君の人となりは分かった。マチルダ様、自信を持って大丈夫です。彼のような才覚があり、人の好い青年は中々いませんよ」


 柳井に言われたマチルダとゼーバッハは顔を見合わせ、満面の笑みを浮かべた。ゼーバッハは人懐っこさもあり、柳井としても好ましく思える男性だった。マチルダと学生時代から付き合っていながら、その話が皇統ゴシップとして漏れていない当たり、非常に抑制的に付き合っていることも見て取れた。


 柳井のゼーバッハに対する口調が砕けてきたのも、宰相としてではなく、素の柳井として接しているからだ。


「私が許す許さないという問題でもないですが、お二人のご婚約について、お喜び申し上げます。まあ、葬儀の場ですので発表はまた後日がよろしいでしょうが、応援させていただきますよ。陛下にも、それとなくお伝えしておきましょう」

「宰相閣下、ありがとうございます……!」


 ゼーバッハとマチルダが頭を下げるのを見て、柳井は頷くと同時に、若い二人がこれだけ苦悩しなければならないというのは、やはり皇帝の親族というのは大変なものだと痛感していた。


「しかし、エミール君は皇帝の義弟となるわけだ。大変だろうが頑張ってくれ。何か不安があれば、私でよければ相談に乗るよ」

「は、はい!」


 この後、大広間に戻った柳井は何食わぬ顔で葬儀後の参列者対応を行い、それらが終わると、帝都への帰路についた。




 二月一七日一〇時〇四分

 帝都 ウィーン

 ライヒェンバッハ宮殿

 樫の間


 一七日早朝に帝都ヴィルヘルミーナ軍港に帰着していた柳井は、インペラトール・メリディアンⅡの艦内で仮眠を取ったあと、そのまま出仕していた。


「義久、ご苦労様。マチルダも頑張ってくれたようで何よりだわ。あの子、元気にしていたかしら?」

「はい。ところで、先日話していたマチルダ様のご婚約の話ですが」

「誰かいい人いた?」


 興味深そうに身を乗り出した皇帝に、柳井は珍しく悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「まあ、そのようです。時が来ればマチルダ様ご自身が発表なさるでしょう」

「なによ、勿体ぶらないで教えなさいよ」

「そういうことは、ご姉妹の間で話されるべきでしょうな」

「ド正論だわ。まったく、そういうときだけ常識人ぶるんだから」

「おや? 私はいつも常識と良識を持って陛下を補弼奉っているつもりなのですが」


 不満げに鼻を鳴らした皇帝に、柳井は殊更心外だという表情で肩をすくめた。


「分かってるわよ。ともかくご苦労様……ナタリー様も亡くなって、うちのお祖父様もそれなりの高齢よ。あと一〇年もしたら、今いる皇統の半分は入れ替わる。あなたが存命の皇統で最年長、なんて時が来るかも知れないわね」

「さあ、どうでしょう? その前に死んでいるかもしれませんが」


 柳井と皇帝の他愛もない会話で、また一日が始まる。


 ヴィオーラ公国領主代理、マチルダ・フォン・ギムレット皇統男爵婚約の文字が新聞一面を賑わすのは、この二ヶ月後のことである。

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