第50話ー② 事後処理請負人・柳井義久
一月一七日八時〇三分
臨時危機管理センター
柳井が次に目覚めたのは翌朝八時を過ぎてからだった。誰も呼びに来ないのは平穏無事の証だろうとシャワーを浴びて、一応身だしなみを整えてから柳井は執務室を出た。
「閣下、おはようございます」
危機管理センターの司令室には、ジェラフスカヤと近衛軍の護衛官だけが控えていた。ジェラフスカヤが柳井の姿に気付き立ち上がり、駆け寄ってくる。
「首相は?」
「臨時危機管理センターのほうはいったん引き払い、政府合同庁舎へと戻られました」
「そうか。まああくまで臨時だ。合同庁舎ビルが使えるならそのほうがいいだろう。一段落したら我々も移動しよう」
あくまでこの鉱山開発事務所を流用した危機管理センターは仮住まい。本来は合同庁舎地下に設けられた専用の施設があるのだから、合同庁舎ビルが復旧したら引き払うのは既定路線だった。あれだけ広げられていた端末やら増設のモニターも取り払われ、元の鉱山開発事務所としての設備だけが残された指揮所が、柳井には妙に広く感じられた。
「ジェラフスカヤ、ご家族と連絡は取れたか? ルブルトン子爵もご家族には連絡されたのだろうか」
「はい。お気遣いありがとうございます。子爵閣下も昨日のうちに連絡されておりました」
柳井とバヤール、ハーゼンバインにロベールは独身だが、ジェラフスカヤとルブルトン子爵は家族が居る。柳井としてはそのあたりにも気を揉んでいた。家族が遠く辺境で危うく敵の捕虜になったり、帝国支配者層として銃殺されたりする可能性まであったのだ。
「そうか。心配されていただろう。申し訳のないことをした」
「閣下がお気になさることでは……それはともかく、合同庁舎の爆破テロで重体だった閣僚の方々ですが……」
ジェラフスカヤの表情を見る限り、良い報告ではなさそうだと柳井は身構えた。
「残念ながら、首相、国防大臣、非常事態庁長官は死亡されました。文教大臣が集中治療室に入っており、容態は安定していますが意識が戻らないとのことです」
「ほとんど閣僚は全滅だな。防衛軍、近衛軍、交通機動艦隊に治安維持軍の国葬儀も必要だろう……各省庁も大勢のスタッフが死んでいる。そのあたりは臨時内閣や近衛軍が考えることだろうが」
柳井は自治共和国政府のスタッフが退去してがらんとした臨時危機管理センターの指揮所を見渡して、果たして帝都に戻るのはいつになるのだろうと漠然と考えていた。
「皆さん、朝食にしましょ――閣下! おはようございます」
「まだお休みになっていてもよろしいのに」
「バヤール、ハーゼンバイン、おはよう。私の分もあるのかな?」
「もちろんです!」
「市街地はすごいですね、お祭り騒ぎですよ。戦勝記念ですって」
バヤールとハーゼンバインは、両手一杯にサンドイッチやらパンやら飲料のボトルなどを入れた袋を下げていた。
「ルブルトン子爵とロベール主任は?」
「もう来られます」
「閣下、おはようございます。ハーゼンバイン達を連れて、市街地へ買い出しに出ておりまして」
「それはすみませんでした。昨日は何も喰わずに寝てしまった。腹が減った……」
「さあ閣下、こちらをどうぞ! サンドイッチにパンにピザ、フィッシュアンドチップスに、なんでもありますよ!」
「ロベール君、朝から随分重たいものを……」
宰相府の会議は食事片手に行われることが多く、それは帝都から遠く離れたブルッフハーフェン自治共和国においても同様だった。
「しかし戦勝記念とはな」
どうにか敵を追い返した程度の認識しかない柳井にとって、戦勝と言われてもピンと来ない。指揮所のスクリーンには、出店やら帝国国旗が掲揚され、即席のビアガーデンなども出ている市街地の様子を映すニュース映像が流れている。
「自治共和国初の勝利だと、テレビでも盛んに報じております」
「……強いているのではないか?」
指揮所内の机に広げられた食事をつまんでいた柳井は、スクリーンに映されるニュースを見て不安を感じ、自治共和国政府が報道内容に介入していることを危惧していた。
「いえ、単に熱狂しているのでしょう。まともに当たれば負けは必至という状況でした」
「そうか、そういうものか……」
「前線に出て見ている人と、そうでない人の間で認識がズレるのは仕方がないことと思いますが」
ハーゼンバインは柳井と共に最前線の渦中にあったため、認識はそれほどズレていない、と考えていた。元々国防省の官僚だったからこそ、その認識は確かなものだった。
「私から見れば、あれだけの大軍を退けたのですから、宰相閣下の功績は比類なきものと思ってしまうのですが」
「ロベール君の見方も一つのものだろう。ただ、私としてはたいしたことをしたわけではない。防衛軍や近衛、自治共和国政府のお手柄だよ、これは」
一〇時一九分
帝都 ウィーン
帝国議会議事堂
第一委員会室
「柳井宰相によるブルッフハーフェンでの数々の越権行為は看過しがたい」
当然、このような意見が出ることも避けられない。第一委員会室で行われているのは、ブルッフハーフェン自治共和国への辺境惑星連合軍侵攻についての臨時国防委員会で、自由共和連盟下院議員ショウジ・スプリンザックによる柳井への追求から質疑が始まった。
「帝国の法に基づく統治を逸脱した越権行為の数々は、陛下の権威、憲政の常道をないがしろにしたものであり、大きな問題となる。特に自らを宙域総督に任じ、当該自治共和国の首相臨時代理を勝手に、勝手にですよ、勝手に選任しているわけです。現地軍も、交通機動艦隊や星系自治省治安維持軍も含めてです。全部指揮下に収めている。正常な手続きを踏まずにです。これでは軍閥を作らないとも限らない。宰相府の見解はどうなんですか」
スプリンザック議員は舌鋒鋭く批判はしているものの、議会内の雰囲気はいまいち熱を欠いていた。そもそもブルッフハーフェン自治共和国は通信封鎖により帝国本国等との連絡が一切遮断されており、スプリンザックの言うような正常な手続きが不可能な状態にあった。もし通信が回復するとしたら、そのときはブルッフハーフェンが敵の手に落ちたときだろう、とまともな思考力がある者なら気付いている。
「ムワイ首相、どうぞ」
「柳井帝国宰相によるブルッフハーフェン自治共和国に関する行動の一切につき、陛下は自分に責任を帰すると仰せであります。また、当該自治共和国が通信封鎖状態の中、また自治共和国政府首脳が悪辣なテロで排除された状況下、宰相が皇統の責務を果たし、帝国の友邦たる自治共和国を守り切ったことを鑑み、判断は総じて適切だったと、各省部局の意見は一致しております」
カルロス・ムワイ首相の答弁に、スプリンザック議員が挙手した。
「各省部局の意見を横流しで話すなら委員会など不要! 陛下の玉名を
「横流しとはなんだ!」
「横流しだから横流しだと言ったんだ!」
「陛下の叡慮を我々が偽造したとでも言うのか! 恥を知れ恥を!」
「クーデター政権が何を言うか!」
「クーデターなどしていない! 黙れ犯罪者集団!」
「静粛に! 子供ではないのですから野次の応酬などしないでください」
委員会名物不規則発言。今も昔も代わらぬ伝統である。国防委員長のエメ・ルドゥー下院議員が議員達を諫める。
「内閣としては、当該自治共和国の当時の情勢に鑑み、これを容認すべきと考えます」
「本質的に宰相とは皇帝の政務を
激昂しながら追及の手を緩めないスプリンザック議員の姿は、委員会室の中継カメラを通じて帝国臣民にも伝わっていた。ただし、それが好感情であるかは別として。
「皇統貴族として憲政の常道を
「ヴァルナフスカヤ宮内大臣」
いつもの鉄面皮を貼り付けた宮内大臣が答弁に立つ。
「議員ご指摘の柳井宰相の此度の行動が、皇統伯爵の品位に欠ける行為ではないのか、というご質問についてお答えします。宮内省としては、帝国の友邦たる自治共和国を守り通した宰相と自治共和国政府、自治共和国防衛軍、自治共和国市民の努力を高く評価するものであり、なんら皇統としての品位を汚すものではないと判断いたします」
当然、このような答弁はスプリンザック議員の求めるものではない。議員は再び挙手して発言の許可を求めた。
「委員長」
「スプリンザック君」
「本日は宰相ご自身はブルッフハーフェンにおられるので、宰相府事務総長が証人として招かれている。そこで伺うが、宰相の行為は宰相府設置法にある宰相の権限を大きく逸脱したものであると言わざるを得ないと思うが、宰相府としての見解はどうなんですか?」
「宰相府事務総長、サラ・アーデルハイト・フォン・シェルメルホルン皇統伯爵、どうぞ」
スプリンザック議員の求めに応じて、委員長が宰相府から証人として出席していたシェルメルホルン伯爵に発言を求めた。シェルメルホルン伯爵がゆったりした所作で立ち上がり、答弁を始める。
「当該自治共和国における柳井宰相の行動につき、スプリンザック議員がご不安に思うのもごもっともと思います。宰相よりその旨、ご説明申し上げろとのことで私が代理で出席しております。まず、先ほどから首相閣下の答弁にもあります通り、当該自治共和国の当時の状況を鑑みていただく必要があります」
元々内務省政策統括官として、議員対応も議会答弁もお手の物の伯爵にしてみれば、スプリンザック議員のような手合いは見慣れた相手だった。
「当該自治共和国は辺境惑星連合軍による侵攻を受け、通信の一切を封じられ、政府首脳がことごとく敵の工作員によるテロで爆死、ないしは職務遂行が不可能でした。この状態で、憲政の常道に則り、議会の審議を経て宰相を現地指揮官として任命、さらに死亡された自治共和国政府首相を選任、および敵侵攻軍の撃退を行うのは困難と言わざるを得ません。緊急避難措置として認めるべき事案と考えます」
「言い方変えただけだろ!」
「真面目に答えろ!」
シェルメルホルン伯爵の発言は、首相答弁を繰り返すものだった。野党議員からの不規則発言が飛ぶ。なお、議会内不規則発言でトップを走っていた自由共和連盟のシンドゥー・マクドナルドおよびアーサー・トール・タルポットは永田文書による告発で政治資金規正法および公職選挙法違反を暴露され、議会解散前に議員辞職して、現在検察当局の聴取中である。それにしても野党となった自由共和連盟は、野党時代の帝国民主党を上回る不規則発言の多さで、悪い意味で帝国臣民に記憶されることになる。
「また、宰相による軍閥形成の懸念を示されましたが――」
それまで事務的な言葉で答弁していたシェルメルホルン伯爵の顔に、僅かながら怒りが滲み、さらに、元々伯爵の声は女性としては低めだが、それが更に低くなり、凄みを利かせたものとなる。
「――皇統爵位を持つものに対してあまりにも非礼が過ぎるではないか。我ら皇統が陛下の叡慮にも関わらず、軍閥を作り帝国を分裂させようとしているかのような言われようは甚だ不愉快。発言の撤回を要求する」
シェルメルホルン伯爵がやや芝居がかった台詞を、わずかに怒気を込めて発言すると、野次も収まり、議会内が静まりかえった。
帝国には帝国貴族と皇統貴族二つの貴族制度が存在し、前者は栄誉称号としての意味合いが強いが、後者は柳井のように総督に任じられたり、あるいは
帝国人口一兆人中、帝国貴族は帝国騎士から帝国侯爵まであわせて一〇〇万人ほど存在するが、皇統貴族は皇統男爵から皇統公爵と一人しか居ないマルティフローラ大公国領主を務める皇統大公を合わせても二〇〇〇人に満たない。
シェルメルホルン皇統伯爵家は、帝国暦三二年に皇統男爵に叙された古い家系で。九三年には皇統子爵、現在の皇統伯爵に昇ったのは一六三年。代々官公庁の高官を務めている名家であり、そこらの政治家などよりよほど帝国の深部に繋がっている。
「スプリンザック君、何か言いたいことがあるようですが」
「非礼をお詫びして、発言を撤回する……重ねて、お詫び申し上げる」
委員長に促され、スプリンザック議員は謝罪した。シェルメルホルン伯爵家当主からの叱責とあっては、いかな下院議員といえども狼狽える。皇統の権威は伊達ではない。何せ皇帝の信任を得て命じられているのだから、それ相応の証拠と覚悟をそろえた上での批判ならともかく、憶測に基づく批判など、伯爵が言うまでもなく無礼千万である。
もっとも、一般臣民相手だとしても証拠もない批判など誹謗中傷ではあるのだが。
「結構です。本題に戻りますが、皇帝陛下の
帝国人にとって皇帝の叡慮を疑うというのは過度な精神的負荷を必要とするものであり、シェルメルホルン伯爵は反論封じのための常套手段を用いたことになる。
シェルメルホルン伯爵の言うところは、つまるところ私見でしかないのだが、柳井のここ数年の行動を見ている者ほど納得せざるを得ないものでもあった。
「特に、先の永田文書。これによって明らかになった前マルティフローラ大公に連なる一部政党の議員や少なくない皇統が先帝陛下の御意に反して自らの利益を求めたことが判明した現在。そのような軽はずみなことをされる宰相ではありますまい」
また、伯爵が永田文書事件について触れたのも、スプリンザック議員にとってはやりづらい状況になった。スプリンザックが所属する自由共和連盟は、一部政党の最たるもので、前回の下院選挙においては議席を占めていた三分の二の議員の名前が文書に記載されており、その八割はは軒並み落選や議員資格停止処分を受けて逮捕されている。帝国史上初の大規模疑獄である。
スプリンザック議員も名前が挙がっていたが、嫌疑不十分として処分は免れた。ただし、今でもその疑惑は晴れておらず、議員倫理委員会への出頭が命じられている状況だった。
「ともかく、一連の事件に関わる事務処理の省略に伴う越権行為につき、宰相はお詫びとともに、議会での調査を要請しております。必要があれば証人として出席すると言っておりますし、処罰が下れば従うとも。ただし、それらはブルッフハーフェン自治共和国の事後処理が片付いてのこととなりますので、内閣、各委員会におかれましては、ご配慮願いたいことを申し上げ、私の答弁といたします」
シェルメルホルン伯爵の答弁が終わると、第一委員会室内野党陣営はすっかり毒気を抜かれてしまい、この後の野党側質問も精彩を欠いたものとなった。
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