第50話-① 事後処理請負人・柳井義久

 帝国暦五九一年一月一六日一六時〇三分

 センターポリス宇宙港

 ターミナルビル


「閣下!」

「ロベール主任。皆も、出迎えとはご苦労なことだ」


 近衛艦はいずれも損傷がひどく、軌道上での応急処置を行ってからの降下となったため、柳井は護衛の近衛兵と共に一足先にシャトルで地上へと戻っていた。宇宙港のターミナルビルではロベール主任他、宰相府から連れてきた面々が出迎えにでていた。


「無事のお戻り、お喜び申し上げます、閣下」


 ルブルトン子爵が恭しく頭を下げる。宇宙港には戻ってきた柳井を見ようと自治共和国市民が集まっている。どよめきと共に、帝国万歳、宰相万歳の声が上がり始めると、いつしかターミナルビルの窓ガラスが割れんばかりの歓呼の声となった。


「やれやれ、これでは軍閥化の恐れありと内務省に報告が行きそうだな」

「閣下」


 シャトルに同乗していたハーゼンバインが柳井をそっと諫めた。柳井の碌でもないジョークには慣れていたが、その中でも最悪の部類のものである。


「分かっている。冗談だ」

「この後各局の取材要請が来ておりますが」

「一度危機管理センターへ向か――」

「閣下!!」


 そのとき、ビーコンズフィールド兵曹長が柳井を体当たりして押し倒した。直後、注意していなければ聞き逃す程度の破裂音と共に、駐機場を見渡す複層ガラス窓にヒビが入る。


「狙撃です閣下! 護衛兵は閣下を囲め! 随員の方々は伏せて!」


 歓呼の声は悲鳴へと変わる。柳井が護衛の兵士に押し倒され、ガラス窓に銃弾が着弾したことは見て取れる。銃器を持った何者かの犯行であることは明らかだった。


「パニックを拡大させるな! 空港警備隊は市民の避難誘導! 空港に通じる道路で検問!」


 押し倒されたままの柳井が指示を飛ばすと、近衛兵と共に柳井の護衛に当たっていた空港の警備隊隊長が方々に連絡を取り始める。


「トビー、もういいから退いてもらえないか?」

「はっ、失礼しました……っ」


 柳井の上から退いたビーコンズフィールド兵曹長は、側頭部から血を流していた。


「トビー!?」

「掠っただけです、お気になさらず。それよりも閣下のお命です」


 改めて、柳井は近衛兵が皇帝を守るというのが、文字通り命がけであり、この場においては自分がその対象になっているのだと自覚した。


 柳井は昨晩から着たままの防災服の襟元を直すと、何事もなかったかのように歩き出す。


「閣下、どちらへ?」

「二射目を撃てるような状況ではないよ。それよりここを早く出よう。私がいる限り、宇宙港の警戒態勢が解けない。危機管理センターへ行こう。君の傷も手当てしないとな」


 部下の軍曹から応急手当を受けたビーコンズフィールド兵曹長に問われ、柳井は平然と答えた。



 一六時三九分

 テンダール鉱山

 臨時危機管理センター


「閣下、ご無事でなによりです……空港では狙撃されたと伺いましたが……」


 ヴィシュワマディ首相が椅子から立ち上がり、柳井に駆け寄ろうとするのを柳井は軽く手を上げて制した。


「辺境惑星連合軍の現地協力員でしょう。内務省と治安警察に大分検挙されたと聞きましたが、まだ残っていましたね」


 柳井はまたも平然と言ってのけた。横で聞いていたジェラフスカヤやバヤール、ハーゼンバインといった宰相付侍従は余りに落ち着き払った柳井の態度を不思議そうに見るしかなかった。


「まあ、私に集中してくれるならそれで結構。下手に地下に潜られて破壊工作でもされるほうが面倒ですから」

「は、はあ」


 ヴィシュワマディ首相も柳井の言葉に戸惑い気味だった。実のところ、柳井が戦闘後の神経症にでも陥っているのではないかとも考えていた。


「ともかくこれで一件落着……とは行かないでしょう。自治共和国政府の再建にも時間を要するでしょうし、当面の行政業務についても、死傷した官僚、職員の代わりも必要です。通信はすでに復旧済みですか?」

「はっ、はい。先ほどは陛下にご説明申し上げたところでして」

「首相閣下から説明いただいたのなら、私も仕事が一つ減りました。私からも陛下にご報告申し上げることがありますので、通信室を借りられますか?」

「は、それはようございますが、閣下もお休みになられては……」

「報告が終わり次第、そうさせて貰います」


 通信室へ向かう柳井の後ろから、宰相付侍従とルブルトン子爵、ロベール主任もついてこようとしたが、柳井はそれを止めさせた。


「皆も休んでくれ。夜中からそのままだろう?」

「いえ、それより閣下こそお休みください」


 ロベール主任に言われた柳井は、肩をすくめて笑った。


「大丈夫だ。この程度は慣れっこだよ」

「閣下、あまり無理をなさると身体に毒です」


 臨時危機管理センターの薄暗い通路を進む柳井の足取りは、平素と変わりが無い。いくら戦闘指揮は近衛のベイカー達に任せていたとはいえ、戦場に居たことには変わりない。そして先ほどは暗殺の危機にあった人物とは思えない雰囲気に、バヤールがさすがに不安げに声を掛けた。隣にいるハーゼンバインがぐったりしているところを見るに、柳井も相当疲れているだろうと感じたからだ。


「通信は私だけでいい。明日はいつも通り仕事をはじめるとしよう。私はこの後執務室にいるから」


 そう言って柳井は通信室に入る。残されたバヤール達は顔を見合わせ、とりあえず言われたとおりの行動に入るべく、その場を離れた。


『閣下。ご無事で何よりでした』


 ライヒェンバッハ宮殿樫の間に通信を入れると、シェルメルホルン伯爵がまずは画面に現れた。


「そちらは大事ないか?」

『帝都は至って平穏です。宰相府も滞りなく……閣下のご無事が確認出来て、私もようやく人心地付きました』

「それはすまなかった。メリディアンⅡから通信しようと思ったのだが」


 今の時点でも軌道上に居るインペラトール・メリディアンⅡの艦橋では、負傷者や損傷艦の救護、破壊された星系内の索敵衛星群を再配置する計画の立案やら何やらで、ベイカー達近衛の司令部が防衛軍と共同で事後処理している。そんなところで柳井は自分の安否報告をするつもりになれなかった。


「陛下は?」

『すぐお出ましになります』


 数秒して、伯爵と入れ替わりにいつもの軍服姿の皇帝が柳井の前のモニターに現れた。


『……本物よね?』

「さあ、どうでしょう? FPUの自動生成映像かもしれません」


 訝しげに柳井の顔を見つめている皇帝に、柳井は肩をすくめて見せた。


『馬鹿おっしゃい。連中の人工知能に義久の思考パターンが再現できてたまるもんですか。ともかくご苦労さま、義久』

「私は偶然居合わせただけです。報告は、すでに首相から聞いているかと思いますが」

『ヴィシュワマディから聞いているわ。ともかく年初からヘヴィな仕事だったわね。今日はゆっくり休みなさい』

「お心遣い、ありがとうございます」

『ブルッフハーフェン自治共和国の情勢が落ち着くまで、あなたを第五八三宙域総督代理に任ずる。当該自治共和国および周辺宙域の治安および統治機構の回復まで、当地の行政、軍事の監督を命じる』


 また代理か、と柳井は苦笑して一礼した。五八三宙域総督の席は空席になっている。しかしすでに柳井は第二三九宙域総督であり、さらにもう一つというのは避けたいし、柳井にはまだやらせる仕事が山積みなのだ、と皇帝は考えていたのである。


 どのみち柳井を乗せてきた近衛艦隊は損傷修理のために当面動けない。応急処置が終わっても、防衛艦隊の損耗などを考慮すれば当面の防衛戦力として近衛が居座るのもそう悪いことではない。近衛軍の将兵にも治療や休息が必要だった。


「はっ、謹んでお引き受けいたします……それでは、また後ほどゆっくり。さすがに堪えました」

『……暗殺されかけたそうじゃない。あなたも偉くなったものね』


 他人事のような皇帝の言葉に、柳井は笑みを浮かべて頭を垂れた。


「私を偉くしたのは陛下でございます」

『それもそうか。あなた一人の身体じゃないんだから、もっと慎重に動きなさいよ。トビーから悲鳴のような報告が上がっているわ』


 柳井に専任の護衛官をつけることを命じたのは、実は皇帝である。ビーコンズフィールド兵曹長は特別に、護衛記録を皇帝と近衛参謀長に直接提出することを命じられていた。


「彼にも助けられました。いずれ近いうちに彼の功績が正当に評価されることを祈っております」

『わかった。ともかく、今回もご苦労様。あなたのおかげで帝国は将来有望な友邦を失わずに済んだ。礼を言うわ』

「私は今回ハラキリ要員です。お気になさらず。それではまた後ほど」

『はいはい。それじゃあね』


 いつも通りの軽く砕けた口調で手を振って消えた皇帝の顔が、珍しく気遣わしげなものだったことに柳井は気付いていたが、さすがにそれを口に出す愚は避けたのだった。


「閣下、お部屋までお戻りですか?」

「トビー、怪我の手当は?」

「もう済んでおります。ツバを付けておけば直りますので」


 そうビーコンズフィールド兵曹長は言うが、右耳がガーゼで覆われていた。銃弾がかすめただけで済んだのは僥倖だった。


「まったく……無理をしてくれるなよ」

「私は陛下やベイカー侍従武官長から、閣下のお命を守るようにと命じられておりますし、閣下は個人的にも尊敬すべきお方です。不逞な輩によって害されることは、私が命に換えても防いで見せましょう」

「すまないな、トビー。苦労を掛ける。また明日からも頼む。少し休ませて貰うから」

「はっ! どうぞごゆっくり、お休みくださいませ」


 執務室にたどり着いた柳井はようやく一人になったところで、一気に気が抜けた。執務室として用意された部屋で、鉛のベストのように重たく感じる防災服を脱ぎ捨て、シャツの襟ボタンを外して寝袋に潜り込むなり、そのまま寝入った。


 今朝二時に敵の放送があったと叩き起こされてから、実に一九時間ぶりの睡眠だった。



 一六時五三分

 ライヒェンバッハ宮殿

 樫の間

 

「陛下があのような表情を宰相に向けられるとは、貴重なものを見ました」


 通信を終えた皇帝に紅茶を差し出しつつ、シェルメルホルン伯爵がにこやかに言った。


「……どんな顔をしていたのかしら?」

「畏れ多いことですので、私からは申せません」


 深々と頭を下げて見せた伯爵を見て、皇帝は溜め息を吐いた。


「サラ、あなたも中々意地が悪いわね。さすが義久の右腕」


 サラ・アーデルハイト・フォン・シェルメルホルンによる宰相府事務総長時代の回顧録には、この時の皇帝の表情が以下のように記されている。


『――まず陛下は、柳井宰相の顔を見て、迷子の子供が親を見つけたような顔をして、続いて母親が子供を見守るような顔をして、最後に幼年学校の生徒が友人と別れるときのような無邪気な笑みを浮かべていた』


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