第50話-③ 事後処理請負人・柳井義久

 一二時〇九分

 カフェ・カイザーミューレン


 議事堂内の喫茶店は、委員会や会議が終われば議員達がなだれ込む休憩スペースだった。シェルメルホルン伯爵も宮殿に戻る前に立ち寄っていた。無論、単にコーヒーブレイクというわけではない。


「待たせて申し訳ない、シェルメルホルン伯爵」


 シェルメルホルン伯爵の前に現れたのは、自由共和連盟の幹事長であるフミコ・キスラー下院議員。前任のアーサー・トール・タルポットが失職したことに伴い幹事長に就任し、ブレンドン・アドラム体制下の自由共和連盟の勢力立て直しに従事していた。


「やれやれ、臨時委員会だというのに出席者が多いと混み合っていかんな」

「これはこれは、ロドリゲス先生」

「おや奇遇ですなあキスラーさん」


 もう一人、個室に入ってきたのは現与党の帝国民主党幹事長のカルロス・デ・ヤン・ロドリゲス下院議員だった。奇遇などと言っているが、当然これは意図されたものであり、極秘の与野党と宰相府幹部の会談を行うためだった。


 ウェイターが運んできたコーヒーを片手に、三人は話しはじめる。カイザーミューレンの個室はこういった協議の場でもある。議事堂外に出ればどこでジャーナリストが待ち構えているか分からないが、カフェ・カイザーミューレンでなら少なくとも内務省以外で盗聴盗撮を行うのは難しい。


「伯爵におかれては、スプリンザックの無礼をお許しいただきたい」

「お気になさらず。氏のは心得ていますよ」


 議員の質問スタイルを芸風などと評する無礼な発言ではあるが、キスラーは笑って流した。党内でもスプリンザック議員の口角泡を飛ばすスタイルは有名である。


「ところで……実際のところどうなのです? 各省部局の様子は」

「どうしようもない、というか、面目丸潰れですからね、大きくは出られないでしょう? 星系自治省の同期に聞いてみましたが、元々宰相閣下には借りがあってようやく完済したのに、これで再び積み増しだと」

「国防省は、私が聞く限りそれどころではないですなあ。まあ、統合参謀本部長の交替に伴うことですが。東部軍管区も敵侵入を見過ごしたので、柳井宰相閣下には頭が上がらんでしょう。グライフ元帥も就任早々、頭が痛いことでしょう」


 キスラーの問いに、シェルメルホルン伯爵とロドリゲス幹事長がそれぞれ答えた。


 本来であれば国防省直下の統合参謀本部、そこに連なる帝国軍諸部隊、情報部門が敵侵攻を事前に察知して警戒態勢の強化をしておくべきところ、全く兆候を掴めずにブルッフハーフェンを孤立させた。


 星系自治省は独自の辺境宙域監視網を持っており、これらのデータを精査していれば事前に敵の侵攻を察知できた可能性が高い。またブルッフハーフェン自治共和国防衛については近衛、防衛軍、交通機動艦隊の功績が大きく、また現地の破壊工作員や柳井への刺客への対処は、自治共和国の治安警察、内務省公安局により制圧されており、星系自治省側は為すところがない。


 星系自治省としてはかつてアルバータ自治共和国で起きた叛乱未遂事件を、会社員時代の柳井が解決したこともあって恩義と共に自分たちの落ち度を知っている柳井を疎んじるところもあったが、再び何も言えなくなってしまったのである。


「今回は筋が悪い。これを批判してもまったく我が党の支持率にも寄与しない。一部の熱狂的支持者を満足させたところで……」


 キスラーがこめかみを押さえながら唸る。永田文書にまつわる大規模疑獄で上下両院議員合わせて所属する三分の二の議員が名を出され、その大半が何らかの罪に問われており議席を失っている。残った議員も有権者から疑いの目を向けられることは避けられない。さらに言えば、マルティフローラ大公国やフリザンテーマ公国、コノフェール候国の官僚や領邦政府議会の議員でも、自由共和連盟会派の議員が告発された。


 こうなると自分の支持者に訴えかける過激な戦術に頼る議員も出る……というのが、現在の自由共和連盟幹事長、キスラーの悩みの種だった。


「キスラーさんもご苦労ですな。まあ、次の選挙で与党復帰をねらうなら、右派政党の支持を失うわけにもいきませんか……それにしても、皇帝批判に繋がる宰相批判は難しい」


 ロドリゲス幹事長は悠々とコーヒーを飲んでいる。敵失もあるとはいえ、帝国民主党と現内閣の支持率は共に六割を超えた状態で推移している。


「ところで、その宰相閣下の件ですが……証人喚問については、できれば避けていただきたいのですが。無論、柳井宰相を出しても問題はないとは思いますが、議会、特に与野党支持率へのダメージを考えれば……」


 伯爵の言葉に、与党と野党第一党の幹部は苦い顔をしたところで、伯爵はコーヒーを飲んで口角が上がるのを誤魔化した。宰相を吊し上げるのは与野党問わず分が悪い。


 現政権与党陣営は領邦や東西南北の軍管区を中心に支持を固めているが、同時にこのエリアは柳井や皇帝の支持率が高く、今回の事例で柳井を批判すると、辺境部、辺境惑星連合軍の跳梁に悩まされる自治共和国などから中央政府と議会が非難されることは避けがたい。


 野党自由共和連盟としては政権批判をしたいものの、宰相批判を行うと、その行動を全面的に肯定している皇帝への批判にも繋がる。元々支持が薄い辺境部でのさらなる支持率低下を招くだけでなく、本国や領邦に存在する岩盤層の支持すら危うくなる。


 確かに自由共和連盟としては前マルティフローラ大公への指示を明らかにしていたとはいえ、支持層である保守層はメアリーⅠ世への支持率が高い。


 拡大政策についても前マルティフローラ大公が居たときは盛り上がっていたが、今では完全に下火になっている。メアリーⅠ世の辺境惑星連合への対処が弱腰だと批判する向きもないわけではないが、今回その皇帝の重臣である柳井が寡兵で敵侵攻軍を撃退していることから、そういった批判も主流ではなくなっていた。


 両党ともにこの問題を大事にすればするほど自傷行為になるのは明白で、うやむやにするのが最適と判断する。シェルメルホルン伯爵は議会の動きを完璧に読み切っていた。


「まあ、与党としてはあまり気が進みませんな。閣下の後ろには陛下がいる。陛下を批判するのは藪蛇では済まない」

「うちだってそうですよ。まあ、党内右派を抑えるのは簡単ではないですが、穏便に……」

「お互い苦労人ですなあ」


 ロドリゲス幹事長とキスラー幹事長が互いに顔を見合わせ、互いの苦労を慰めあった。議会では対立する二党とはいえ、政権を担える大政党の幹部同士は議会外では交流も多い。ロドリゲスとキスラーは酒飲みという共通点もあった。


「まあ、間を取って宰相から陛下と議会に復命書を出させるというのはいかがでしょう? 陛下が承認したとは言え、宰相が国事行為を行ったのですから、議会の承認も必要でしょう。事後承認しておいて、その行動を臨時会で検証してみては」

「それで行こう。文書での検証なら本人の出席は不要だし、要らん注目も避けられる。おまけに復命書は陛下への文書だから、政府文書とは別に機密指定出来る、と。さすが伯爵ですな。宰相閣下と皇帝陛下の知恵袋といったところか」

「自由共和連盟としても、その点は問題ないかと。総裁の判断に一任できるように取り計らいます」


 このように、柳井不在時にはシェルメルホルン伯爵が議会対応や工作を積極的に行っていたからこそ、柳井は安心して諸政策進行のための活動に専念できていたのである。


 

 一三時一三分

 ライヒェンバッハ宮殿

 樫の間


 昼食を済ませたシェルメルホルン伯爵は、皇帝に議会の状況と与野党第一党幹部の発言を伝えた。


「議員の先生方も対応に苦慮されていますね」

「まあ、色々飛び越えまくってなぎ倒したとはいえ、義久はブルッフハーフェンを守り切ったんだから文句は言えないでしょう。まったく誰にこんな手法を聞いたのかしら」

「陛下では?」

「あらひどい。私ほど遵法精神に則った皇帝はいないわよ?」

「叛乱軍を率いていた方から遵法精神という言葉が聞けるとは、いい時代に産まれたものです」


 シェルメルホルン伯爵の言葉に、皇帝は拗ねたように鼻を鳴らして、続いて笑みを浮かべて着席を薦め、自分で淹れた紅茶で伯爵を労った。


「この後、本国政府閣僚、ブルッフハーフェン側の代表、東部軍との会議が入っております。一息入れたら椿の間へ参りませんと」

「そうだったわね」



 一三時三二分

 椿の間


『ブルッフハーフェンから逃亡した敵艦隊について、約二〇隻ほどを撃沈、三隻を拿捕いたしました。ただ、宰相閣下より報告のあった敵電子戦隊の撃滅には至らず、慚愧に堪えません』

『提督の責任ではありません。しかしFPUの電子戦能力が、近年大幅に向上していることは留意すべき問題かと』


 ライヒェンバッハ宮殿椿の間と、ブルッフハーフェン自治共和国政府合同庁舎ビル、それに第一二艦隊旗艦アドミラル・メドベージェワとロージントン鎮守府を繋いだ会議の席の冒頭、グライフ元帥の後任である林徳りん とく大将が詫びるところから始まった。


 宮殿椿の間には皇帝と侍従武官長代理のレズリー・カートライト近衛軍少将、それに国防大臣のアレックス・ハガード、統合参謀本部長のヴィシュワナート・ハリクリシュナ大将、星系自治大臣レア・ハロネン、内務大臣メイジー・ヤオ・シモムラ、および各省次官級と宰相府事務総長シェルメルホルン伯爵が出席している。


 ブルッフハーフェン自治共和国政府からは、柳井とベイカー侍従武官長。これはいずれの閣僚も臨時のものであると共に、先のテロ被害のこともあってまだ自治政府内閣が完全に組閣できているわけではないためだ。


 軍部からは第一二艦隊は司令長官の林、そして東部軍管区司令長官グライフ元帥が出席しているが、グライフにとっては就任早々、帝国軍の不手際とあって普段のしかめ面がより険しいものになっている。なにしろ彼が司令長官になったのは、帝国軍一部部隊での不正行為による大規模処罰の責任を取って、前任者が辞職したからであり、グライフにとっては苦い顔もしたくなるというものだった。


『敵の侵攻を未然に防げなかったことは、東部軍の不覚。申し訳ないとしか言いようがない』

『敵の大規模侵攻の前触れかもしれません。しばらくは警戒態勢を強化すべきでしょう』

「第一一艦隊が動いており、その点は問題ないでしょう。宰相閣下に言われるまでもないことです」


 柳井の注意喚起に、ハリクリシュナ統合参謀本部長がトゲのある言い方で反論した。彼は過日判明した帝国軍一部部隊による不祥事で引責辞任した富士宮統合参謀本部長の後任として就任しているが、性格は前任者と打って変わってプライドが高く、激情家の一面があった。


『それと、自治共和国政府の首相ですが……当面の間、首相臨時代理から臨時代理の文字を外して対応してはいかがでしょう』

「しかし、それは」

『官選首相制というのはあくまで官側が首相を決めるということであり、星系自治省から出さねばならないというのは不文律でしかありません。ブルッフハーフェンについては現在自治共和国として建国間もない上、先の侵攻によるショックも大きい。現地から首相を出す方が、統治は安定すると思うのですが』

「いや、ですが……」


 これにはハロネン星系自治大臣が戸惑いつつ否定的だった。


「自治共和国の官選首相制そのものが、辺境自治共和国の政情不安に繋がっている面があると?」


 ムワイ首相の言葉に、画面の向こうで柳井が頷いた。


『内閣の他の閣僚との意見の不一致や、政策遂行に関する意欲の欠落など、問題は多いと聞いています。無論それが全てではありませんが。試験的にこのまま現地から選出させて、帝国本国政府や陛下が承認する手順を踏むというのはいかがでしょう』


 元々星系自治省が自治共和国を掌握するための手段として、また星系自治省内部の出世の登竜門、高位官僚のポストという意味合いが強い自治共和国政府首相の選任権を手放すのは、星系自治省としては都合が悪い。大臣としてはそういったことを吹き込まれているが故に、歯切れが悪い答えばかりになる。


「とりあえず、試験的にやってみたら?」


 皇帝の一声で、この方針は決した。あくまで緊急対応ということなら法整備も必要なく、上手くいかないなら、そのとき改めて星系自治省が官選首相を派遣すればいいだけの話、ということである。


『首相閣下、どうでしょうか?』

「陛下の御意に沿うよう、取り計らいましょう。宰相閣下においては、ブルッフハーフェン再建のために最大限協力いただけると幸いです」

『承知いたしました……それと、当面の自治共和国防衛に関してですが――』

「言われるまでもなく、第四八遊撃戦隊、第五六九護衛隊、第七四電子戦隊には当面ブルッフハーフェンの防衛任務を命じてある」


 臨時政府から上がっていた防衛上の不安点を奏上した柳井を、ハリクリシュナが苛立ちを隠さずに遮った。


『それと統合参謀本部長にお願いしたいことがございまして……退役艦で構いませんから、巡洋艦と駆逐艦を数隻、自治共和国防衛軍に提供していただきたいのです。帝国軍部隊をいつまでも一自治共和国防衛に貼り付けておくわけにはいかないでしょう?』

「言われるまでもない! 宰相閣下や近衛武官長閣下は統合参謀本部が寝ているとでも仰りたいのか!?」


 今度はベイカーが発言をしたが、やはりハリクリシュナが激昂した。


『本部長、陛下の御前ですぞ。穏便に……艦艇については東部軍が用意いたしますので。適当な艦艇を兵站本部で選定させます。ベイカー中将、それでいいか?』

『はっ、問題ありません』


 グライフが画面の向こうからハリクリシュナをなだめる。出席者の多くは、グライフがこのような行動を取るところを初めて見たことのほうに驚いていた。


「ブルッフハーフェン政府については、今週いっぱいをメドに体制を整えられるように。いつまでも宰相を総督代理としておいとくわけにはいかないわ。正式な総督の任命も含めて、宰相府、政府は早急に進めてちょうだい。宰相は自治共和国の建国式典を執り行うのを目標にしてちょうだい」


 皇帝の言葉とともに全員が頭を下げて、会議は終了した。


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