第49話-⑤ 宰相兼臨時総司令官


 二時五九分

 樫の間


「ブルッフハーフェンに敵の攻撃?」


 深夜に起こされたにもかかわらず、皇帝は普段と変わらない居住まいで樫の間に現れ、シェルメルホルン伯爵らの報告を受けていた。皇帝は、無論寝間着などではなく普段から来ている軍服で、化粧まで完璧にこなしていた。


 場違いながらも、シェルメルホルン伯爵はこのような早替えをどのようにして皇帝が会得したのか気になっていた。


「このニュース映像が偽造である可能性が大でございますれば、何かしらの攻撃を受けているとみて間違いないと、私は愚考いたします」

「偽造であるという確証があるのね」

「宰相府幹部の一致した見解でございます」


 シェルメルホルンはあえて力を込めて、皇帝へ奏上を行った。何事もなければ自分の勘違いでしたと責任を取ることになるが、楽観視は禁物だった。


「ただ東部軍管区および関係各省庁の動きがありません……最後に宰相閣下の実在が確認出来たのは、自治共和国政府ビルでの、政府首脳との会談です。その後ホテルに入られたものと」

「そう……宰相府は現時刻をもって平常業務を解除。宰相の生存およびブルッフハーフェン自治共和国の安全が確認されるまで皇帝直轄とする。至急ブルッフハーフェン自治共和国に関する情報収集と確認に当たること」


 皇帝の指示したことはすでにシェルメルホルンが指示したことでもあるが、これで宰相府はより広範な権限を得て、各所への指示や情報開示を迫ることが出来る。手元の端末にその旨を打ち込むと、宇佐美から了解の一言だけがシェルメルホルンに返ってきた。



 三時〇四分

 星系自治省

 治安維持軍司令部


 星系自治省は自治共和国を統括する官庁で、帝国軍以外では航路保安庁交通機動艦隊、国税省特別徴税局徴税艦隊などと同様に独自の艦艇と兵員を擁した武力集団でもある。


 星系自治省治安維持軍は自治共和国の防衛や治安維持のための戦力で、主に惑星上に駐屯する治安維持軍陸戦隊と、フリゲート等小型艦による艦隊で構成される。その司令部は地下一〇〇メートルに設けられ異様に用心深い防御を施されており、また地上部分のビルはやや前衛的な半円形のいわゆる蒲鉾形のシルエットである。これをして星系自治省そのものを掩体壕バンカー地下壕シェルターと徒名されている。


 現在司令部を預かっていたのは、当直司令官のグェン・リー・フライン治安維持軍准将だ。


『ブルッフハーフェン自治共和国の状況はどうなっていますか? 何か異常があったとか』

「治安維持軍の第三四八戦隊からはそういった報告を受けたという記録はありませんが……」


 突如、樫の間からのホットラインから問いただされたフライン准将は、相手が宰相府事務総長であり、樫の間に皇帝が居ることを確認してから注意深く答えた。


『確認を続けてください』

「定時連絡も来ておりますので、問題は――」

『定時連絡が来ている?』

「はい。三時のものです。こちらがその報告ですが――」


 フライン准将の提出した定時連絡のデータを一瞥した宰相府事務総長は、狐につままれたような顔をして通信を切った。



 同時刻

 黄檗の間


「東部軍管区では、ブルッフハーフェン自治共和国首都星に異常は検知していない、と」

『はっ、現在までのところブルッフハーフェン自治共和国他、東部の平和は保たれておりますが』


 宇佐美事務局長の質問に答えたのは、東部軍管区行政府行政局のスタッフだった。帝都のポッと出官庁――宰相府のことをそう揶揄する声は少なくない――が深夜に何を言い出すのか、とやや面倒くさそうな態度を隠しもしなかったが、宇佐美は気にしていない。


「現地からのニュース映像に不可解な点があります。陛下からも精査をせよと言われておりますので、そちらに送付したデータを、至急調査してください。LNNにも東部軍管区行政府から、調査を命じていただきますよう」


 陛下からも、の一声に宇佐美の画面の向こうに居るスタッフの背筋が伸びた。


『分かりました、直ちに』



 同時刻 

 ET&T本店

 通信管制センター


 ET&Tは帝国電信電話公社の略称であり、帝国内の通信事業、特に恒星間超空間通信ネットワークの維持を一手に担う国営企業である。


 その本店総務部から通信管制センターに回された通信を受け取った通信司令のジョセフ・バーモント主任通信管理官は、緊張しながら手元のモニターでブルッフハーフェン方面の通信状況を確認した。


「ブルッフハーフェンとの通信は異常なく続いていますが……」

『そんなはずはないだろう?』


 宰相府外協局長を名乗る男からの深夜の通信は、帝都の樫の間、皇帝執務室から行われていた。


「たしかに一時通信不通になる瞬間がありましたが、その後すぐ復旧。現在までに異常は確認出来ていませんし、自治政府以下、情報は届いておりますが……なんでしたら、宿泊先の柳井宰相閣下を、こちらから呼び出してみましょうか? お部屋の電話が生きていれば問題ないはずですから」

『頼む。ホテル・トライスター・ブルッフハーフェンにご宿泊の予定だ。呼び出し人は宰相府外協局長、アルツール・マルテンシュタインと』

「わかりました」



 三時〇六分

 宰相府

 樫の間


『出るようです。おつなぎしてよろしいですか?』


 あっさりと通信管理官に言われて、マルテンシュタインはシェルメルホルンと皇帝と顔を見合わせた。


「……頼みます」


 マルテンシュタインらの前に現れた映像には、確かに柳井が映し出されていた。


『マルテンシュタインさん、何か? シェルメルホルン伯爵も居られるようだが』


 平素と変わらない調子の柳井に、シェルメルホルンは自分の懸念が杞憂だったのか、的外れだったのかと不安を感じた。背景はホテルの客室だし、室内に他の人物の気配もない。


 マルテンシュタインも同様に驚いていた。ではあの映像の違和感はなんなのだ、と。


 柳井の後ろにある窓から見える空は今だ漆黒の闇。寝間着姿であろう柳井の姿は、柳井との関係性が深ければ深いほど違和感なく見られるものだった。


「あ、ああ……一時ブルッフハーフェンとの通信が不通だったもので。異常などなければよいのですが」

『そう心配しなくても、超空間回線網の一時的な不通など辺境では良くあることですよ。まだこの辺りのインフラは、中央ほど整備されていないのですから』

「それはそうですが……」


 マルテンシュタインに対する柳井のよどみない受け答えに、シェルメルホルン伯爵は皇帝の顔をチラリと見た。


『ところで、樫の間からとは珍しい。陛下がまたぞろ何か思いついたのですか?』

「義久、そちらは平穏無事なようでなによりね。深夜に叩き起こして悪かったわね」


 シェルメルホルン伯爵とマルテンシュタインを押しのけて、皇帝自ら柳井の前に姿を現した。


『これは! 私のご心配とは光栄なこと。陛下から無事を祈られるなど千金に値しますな』

「……!」


 画面の向こうの柳井がそう言った瞬間、皇帝は激高して机を殴りつけ、通信を一方的に切断した。


かい、ブルッフハーフェン自治共和国に一番近い帝国軍部隊は!?」

『はっ!? 少しお待ちを……第四八遊撃戦隊、第五六九護衛隊、軌道航空軍第四九戦略爆撃師団および降下揚陸兵団第四四九旅団、混成第五八強襲大隊』


 皇帝は近衛軍司令部に詰めている当直将校の蒯沈かいしん大佐を呼び出した。突然のことに大佐は慌てた様子だが、すぐに皇帝が必要とする情報を伝えた。いずれも東部方面軍に所属する部隊だ。


「第四八遊撃戦隊と第五六九護衛隊へ直ちにブルッフハーフェンへ急行するように伝えると同時に、東部軍管区司令部は可及的速やかにブルッフハーフェン自治共和国の救援に向かうこと! 使用兵力は司令部の判断に任せるけど、動員できる最大兵力を。敵は大規模な電子戦部隊を引き連れている可能性が高い。確か第五八九宙域に第七四電子戦隊が居たはずね? 先行部隊に合流するように下命。敵規模が分かり次第情報共有を。近衛軍の出撃準備は……とりあえず第二種警戒態勢発令まででいいわ」


 皇帝による矢継ぎ早の指示に、国防省、東部方面軍司令部、近衛軍司令部は同時に動き出した。さすがに自分が陣頭指揮に発つほどではないと思ったのか、近衛軍には警戒配備だけを命じて、皇帝は各所との通信を切った。


「陛下……?」

「……義久が私の心配を千金に値するなんて言うはずないでしょ。私が心配したら、イヤミか冗談の三つか四つ返してくるものよ」


 皇帝の言葉に、シェルメルホルンは唖然とした様子で、先ほどまで柳井の顔が映し出されていた通信画面を見つめた。


「よく出来てた自動生成の偽物ね……」


 柳井との付き合いはすでに九年に及ぼうかという皇帝ですら、発言の違和感に気づかなければ騙されていただろう。ブルッフハーフェン自治共和国は人口五〇〇万にも満たない小さな自治共和国で、その中で中央政府に直接通信を行う人間など限られている。星系自治省や、ET&Tの担当者も気づかなかったのは、事務連絡が主となるせいで、その人となりまで気にしていないからだろう、と皇帝は推測した。


「しかし、だとしたら星系自治省他、帝国関係各所が騙されるほどの出来と……侮れませんね」

「こんな古典的な手法でどうこうできると思われるなんて、帝国も舐められたものね……いや、どうこうされてるのか」


 自動生成、つまり学習データを元にしてその人物の容姿や声、発言パターンをコンピュータ上で再現する試みは西暦時代から行われており、それらは当時AIなどと呼ばれていて、帝国建国直前の時代にはすでに特定人物を完全に再現することが可能、と豪語されていた。


 それが現在に至るまで大きく進歩していないのは、幾度となく行われた自動生成技術の悪用による犯罪や混乱を端緒とした規制の強化と無縁ではないし、人工知能と名乗ったところで所詮は学習データから生成するせいで技術的な上限が見えてきたこともあった。無から有を生み出せるほど人類の技術は進歩しなかったのである。


 ともかく、帝国において対面での会談や態々紋章印を用いた公文書が継続して使われているのも、これら自動生成技術への警戒を強めた結果でもある。


「柳井宰相は無事でしょうか……」

「柳井のことよ、今頃しかめ面で事態収拾に駆けずり回っている頃でしょう。通信繋がったら茶化してやらないと」


 宰相府の高官が部屋から出ていったあと、皇帝は侍従にコーヒーを頼むと同時に、肩からマントを外した。


「……一〇時間無駄にしたか。柳井ならどうにかするでしょ」


 皇帝はそう言うと、持ってこさせたコーヒーを啜った。



 三時三〇分

 東部軍管区

 ロージントン鎮守府

 東部方面軍司令部

 作戦室


「ブルッフハーフェン自治共和国の状況はまだつかめんのか」


 先の大規模贈収賄事件に伴い、統合参謀本部長共々事態収拾の一環として引責辞任したホーエンツォレルン元帥に替わり、帝国軍最大の武力集団を率いることになったのはハリソン・グライフ前第一二艦隊司令長官だった。


 元々辺境鎮撫のグライフといえば、長らくナンバーズフリート最大最強の声も高い第一二艦隊を率いてきた良将で、先帝バルタザールⅢ世の弟であり前司令長官のホーエンツォレルン皇統侯爵元帥との連携も良好で、東部軍管区の住民には馴染み深い人物。おまけに彼の第一二艦隊では大規模贈収賄事件に関する摘発者がいなかったことから、後任人事はほぼグライフ一択で進んだ。


 良将、勇将の誉れ高いグライフだが、見た目は軍人と言うより能吏であり、軍服よりスーツが似合うともっぱらの評判である。第一二艦隊を率いて賊徒迎撃、帝国辺境部の平穏を保ち続けた彼に対して、帝国は元帥への昇進と、軍管区司令長官の栄誉を持って応えたのである。


「現地の状況は、全てが平穏そのものです。陛下からのご指示にあるような状況は認められませんが――」

「それがおかしいというから、陛下から直に指示が来ているのだろう」


 作戦参謀の一人が言うのを、グライフは手で制して止めさせた。


「長官! 情報部により宰相府から送付のデータを精査したところ、やはり偽造されたものである可能性が高いとのことです。LNNのオリジナルデータも同様で……宰相府からの報告通り、ブルッフハーフェンから発信されている全ての情報が偽であると判断すべきでしょう」


 情報参謀の報告に、グライフは溜め息交じりに唸った。改めてみても、参謀が手にしたタブレットに写る柳井宰相の姿は実物そのものだった。帝国高官の――それこそ自分自身も含めて――自動生成映像など見慣れているグライフだったが、話していることも含めると、これが偽造だと分からないレベルではあった。


「敵の意図は、明らかに時間稼ぎです。ブルッフハーフェンを攻め落とし、統治機構をすげ替え防衛体制を整えた段階で、独立宣言などを行い帝国から離脱。いったん防衛体制を整えてしまえば、我々の奪還作戦もより大規模にならざるを得ません」


 情報参謀の分析に、グライフは頷いた。惑星上まで掌握されると、宇宙での艦隊戦を制しても、凄惨な陸上戦が待ち受けている。これだけは避けたかった。かつて惑星カロイの叛乱やゴルドシュタットの乱を制圧してきたグライフは、その戦闘が都市部に、そして人心に与えるダメージを嫌というほど実感していた。


「古典的な手段だが、自治共和国一つまるごとでは気付くのも遅れるか……報告にあったとおり昨日一八時頃に何かあったとすれば、もう一〇時間以上無駄にしていることになります」


 グライフと共に報告を受けていた粕川サトミ東部方面軍参謀長が顔を歪ませた。先手を取られた上、帝国宰相まで現地に居るとあっては制圧されれば軍事的にも政治的にも東部軍の大失態でもある。


「逐次投入になってもやむを得ん。すでに動いている遊撃戦隊の他、ナンバーズフリートも投入する。一番近いのはどの艦隊か」


 本来戦力の逐次投入は下策とされるが、ともかく現地情報が乏しいこと、防衛戦力が過小な場合はわずかな加勢でも防衛側の作戦行動の自由度を高めることから頭から捨て去るほどのものではない。


 すでに皇帝の命により第四八遊撃戦隊と第五六九護衛隊が急行しているが、両方合わせても巡洋艦六、駆逐艦一二の小編成であり、本格的な艦隊戦のためには戦力が不足していた。


「第一二艦隊の基幹艦隊がブルッフハーフェンまで一二〇〇光年の位置に居ります」


 作戦参謀が帝国領概略図に表示させた各艦隊の配置図を指し示した。


 第一二艦隊の基幹艦隊は戦艦二〇隻、戦闘母艦三〇隻を中核として構成されており、巡洋艦一二〇隻、駆逐艦三〇〇隻程度が配備されている。これ以外に戦艦一、巡洋艦三、駆逐艦六で構成された分艦隊が一〇個程度。さらに遊撃戦隊が多数。これらを合わせた総戦力は、他の艦隊の倍から三倍に値する。基幹艦隊だけでも、よほどのことがなければ敵侵攻軍を撃退出来るとグライフは考えていた。


「……約半日の行程か。ともかく第一二艦隊基幹艦隊は現状任務を解除。ブルッフハーフェン自治共和国の救援に向かわせろ。それと、第一一艦隊を隣接宙域に移動させる」


 第一一艦隊はエラーブル=ジャルダン皇帝直轄領を拠点とし、主に東部軍管区でもマルティフローラ大公国と接する宙域をカバーしており、第一二艦隊を除けばもっともブルッフハーフェン自治共和国に近い艦隊だった。


「それはあまりに過剰では」

「だからこそだ」


 作戦参謀の言葉に、グライフは首を振って応えた。


「これは本格的な辺境惑星連合軍侵攻の前触れかもしれない。ブルッフハーフェンはあくまで威力偵察や陽動で、こちらに耳目が集中している間に他の領域から帝国領奥深くの攻撃を企図していることも考えられるではないか。第八、第九、第一〇艦隊についても警戒を厳にするように訓令しておけ」

「はっ!」


 参謀長が、司令長官の方針を具体的に実行するために他の参謀達共々その場を辞する。グライフは一通りの指示を出し終えて、作戦室の椅子に腰掛け、温くなったコーヒーに口をつけた。

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