第49話-④ 宰相兼臨時総司令官
帝国暦五九一年一月一六日二時〇〇分
臨時危機管理センター
仮設宰相執務室
鉱山管理会社の経理部が入っていた一室を、柳井は臨時の宰相執務室として使っていた。これは宰相の寝床と言うべき場所だった。柳井は必要ないと言うが、最高意思決定者の判断力低下は避けるべきと、自治共和国政府高官達の一致した見解で設置された。
災害救援物資の寝袋に身をくるんでいた柳井だが、ドアをノックする音に身を起こす。腕時計の針はちょうど二時を指し示していた。
『閣下、敵の放送終わりました』
柳井の耳朶を、ドアの外にいるビーコンズフィールド兵曹長の声が叩いた。近衛艦隊はすでに大気圏外に展開し、連れてきていた近衛歩兵連隊はこの臨時危機管理センターの防衛についている。ビーコンズフィールド兵曹長は相変わらず部下の一個小隊と共に柳井の護衛にあたっていた。
「わかった……これで何度目だ?」
『五回目です』
「二時間おきに放送するとはな。チャンネル8のヘッドラインニュースじゃあるまいし……深夜だというのにご苦労なことだ。分かった、司令室へ行く」
煤まみれになったスーツのジャケットを着る気にはなれず、柳井は配布されていた首相府と書かれた淡いグリーンの作業着、通称防災服を羽織って部屋を出た。
「おはようございます、閣下」
きっちりとした敬礼をしてきた兵曹長に疲れは見えない。若い上に、有事の際は皇帝を守るのが近衛軍兵士の役目だから、この程度のことで疲労などしていられないだろう。
「君たちも交替で休憩しているか?」
「ご心配なく。それより閣下のお体です」
「これでも軍と民間企業で鍛えられている。アスファレス・セキュリティ時代のほうが過酷だったよ」
実際に、柳井にとって皇帝の側近、帝国宰相という仕事は過酷ではあれど、ほぼ一人で業務計画を立てて部隊指揮を行い、時には一昼夜の当直もこなすアスファレス・セキュリティの支社長勤務のほうが過酷とも言えた。今は細かい情報を分析してくれる宰相付侍従もついている。
部屋の前を固めていた近衛の護衛兵に囲まれ、柳井は臨時危機管理センターの司令室へ向かった。
二時〇七分
臨時危機管理センター
司令室
「放送内容の分析は終わっているか?」
「はい閣下。こちらです」
ルブルトン子爵にホテルから連れ出され、テロを逃れていたバヤールが走り書きのメモを差し出した。宰相付侍従とロベール主任はそれぞれ交替で休息を取り、二四時間体制で敵の放送の分析、関係各所との調整をこなし続けていた。
「……まあ、放送内容自体は一度目からほぼ変わらないか」
皇帝批判、帝政批判、帝国中央政府批判、東部軍管区批判、批判、批判批判……と続く放送内容ではあるが、相変わらず登場するのは政治将校ではなく、若い女性、子供だった。
「影響はどうだ」
「市中の治安警察によれば、今のところ辺境惑星連合への帰順を求める大規模デモなどは発生していないとのこと。小規模なものはいくつか確認しています」
柳井の懸念は、本国と通信出来ない不安から、自治共和国市民が雪崩を打って辺境惑星連合への帰順を望むことだった。
「対抗放送の用意を」
「翌朝からでいいのでは?」
「宰相は逃亡した、と言われているんだ。いっそ市中で公開生放送でもしてやるか」
柳井の提案に、バヤール他官僚達が血相を変えて振り向いた。
「いけません閣下。混乱に乗じた襲撃の恐れがあります!」
バヤールの言葉に、柳井は首を振った。
「私を殺せば、それは辺境自治共和国への攻撃のみならず、皇帝の重臣の暗殺を企図したものとして、事態をさらにエスカレーションする火種になる。それに、私は生かしておいてこそ使えるカードになり得る。そうではないか?」
「閣下を捕虜にして、何らかの譲歩を引き出すと?」
「星一つとはさすがに言えないが、巡洋艦一隻くらいにはなるのではないかな」
「閣下!」
縁起でもない、とバヤールが顔を青ざめさせた。
「せめて外で放送すべきだろう。まあ連中は合成だなんだと言うのだろうが」
「わかりました、市街地が見える場所で安全なところを確認しておきます」
「頼むよ、バヤール」
バヤールが駆け出して、ひとまずこの問題への対処は結末を見た。
二時五四分
帝都 ウィーン
ライヒェンバッハ宮殿
黄檗の間
各自治共和国や軍管区、領邦の首都星のセンターポリスの時刻は帝都ウィーン時間と同期されている。これは帝国標準時(EMT)と呼ぶが、各惑星の自転周期の違いもあり、一部では各惑星ごとの固有のタイムゾーンを設定すべきという声もある。
ただ、慣例として、またビジネス面でも帝都時間と同期する方が都合がいいため、惑星の自転が一八時間といった具合に地球と大幅にずれていると、深夜の夜明けということも珍しくない。
とにもかくにも、ブルッフハーフェン自治共和国首都星ブルッフフェルデは偶然にもほぼ二四時間の自転周期であり、帝都とほぼ同じ生活が行えていた。
ブルッフハーフェン自治共和国の混乱は、この時点で帝都には伝わっていない。帝国でその状況に気づこうとしていたのは、宮殿黄檗の間に居たマルテンシュタイン外協局長だった。万が一の事態に備え、宰相が外遊中は誰かが黄檗の間に詰めておくことになっていったのだが、マルテンシュタインは進んでその役を引き受けていた。
帝都宮殿での夜勤もまた乙ではないか――そう言ったマルテンシュタインを、幾人もの皇帝侍従達が目撃している。
ともかく、今の時間、マルテンシュタインは自分の雑務をこなしつつ、眠気醒ましに辺境情報を中心に流しているLNN、ロージントンニュースネットワークの自動配信ニュースを流していた。
『一五日昼、ブルッフハーフェン自治共和国首都星ブルッフフェルデに帝国宰相柳井義久皇統伯爵が訪問。自治共和国政府首脳を表敬訪問しました。その映像がこちらです』
インペラトール・メリディアンⅡから降りてきた柳井の姿、出迎えの自治共和国政府首脳達と握手をする柳井の映像にふと目を移したマルテンシュタインは、違和感を覚えていた。言いようのない不安が突如彼を襲う。
「……見間違いか?」
『首脳陣との会見後、柳井宰相がLNNブルッフフェルデ支局のインタビューに答えました。続けてご覧ください』
『辺境の発展こそ帝国の発展。これこそが陛下の、帝国の総意です』
LNNのインタビューに答える柳井を見たマルテンシュタインは、いよいよ疑念が確信へと変わる。
「事務総長、深夜にすまない」
『まだ夜明けには随分と早いが。釣りの誘いですか?』
個人端末の呼び出しに応じた宰相府事務総長、サラ・アーデルハイト・フォン・シェルメルホルン皇統伯爵は眠たげな顔でマルテンシュタインの顔を見つめていたが、映像通信の奥には、やはり眠たげな伯爵の伴侶が身を起こすと、白い素肌が露わになる。これはマズい、とマルテンシュタインは何気なく相手方の映像を非表示にする。相手の伴侶の裸を同意を得ずに見えるなど非礼ではないか、などと考えつつだ。
「今送ったLNNのニュース映像だが、何かおかしいと感じないか?」
『……すぐにそちらへ行く。宇佐美事務局長を呼び出してくれ』
「陛下へのご報告は必要か?」
『それは私が直接。マルテンシュタインさんは映像の解析を』
「承知した」
一〇分もしないうちに、普段通りスーツに身を包んだシェルメルホルンが黄檗の間に現れ、映像の検証に乗り出した。その間に宇佐美事務局長も黄檗の間に入っていた。
「おかしい。このタイプのスーツを閣下はお持ちではない」
シェルメルホルン伯爵が気づいたのは柳井のスーツの違和感だった。それも色やシングルかダブルかなどという違いではない。袖口のボタンの数、シャツのカフスの幅など細かい部分だ。
「それに発言内容も、閣下にしては固い表現だ。こういうときの閣下はもっとウィットに富んだ物言いをするだろう」
マルテンシュタインは柳井の発言内容に違和感を感じていた。無論、柳井も帝国の重臣であり言葉遣いにはかなりの注意を払うが、それでも皮肉や冗談を入れずには居られない悪癖がある。それらが一切ない事務的な表現は、いくらバヤールら宰相付侍従が原稿を作っていたにしても妙だった。
「一八時頃、一瞬ブルッフフェルデとの超空間通信網が寸断されています。何らかのトラブルが考えられますが……その後のバヤールらの定時連絡は通常通りです」
ET&Tの通信状況を示した画像と、宰相付侍従からの定時連絡の文面をフローティングウインドウに映し出して、宇佐美事務局長が私見を述べた。
「しかし帝国最辺境のあたりは、通信網が貧弱だ。通信不能もごくわずかな時間だろう?」
シェルメルホルン伯爵の言うことももっともで、帝国の版図最外縁部に位置するブルッフハーフェン自治共和国のあたりは、超空間通信網が未完成で、帝国では未登録の大質量恒星残骸――白色矮星、中性子星、ブラックホールなど――の影響で通信が遮断される場合もある。
また、自治共和国の星系内において恒星活動が活発化すると、一時的に超空間通信網が不調に陥ることも珍しくはない。大抵の場合は事前に警報を出したり、予備回線が使われたりして事なきを得るのだが、それはET&Tがどの程度その宙域の通信網構築に投資しているかに関わってくる。
「……FPUの攻撃があったのではないか? 東部軍管区は気づいているだろうか」
マグカップ片手にやや暢気な調子で、しかし深刻そのものと言える内容をつぶやいたのはマルテンシュタインだ。
「特に動きは見えません……が、こちらで確認出来るFPUの軍事行動であれば、すでに大騒ぎになっているはずです……」
そこまで言った宇佐美が、ニュース映像を改めて見直した。
「このニュース映像は今日の夕方のものの再放送。もしこれが、誰かが作り出した虚像だとしたら……」
宇佐美の言葉まで聞いて、シェルメルホルンは席を立った。
「事務局長は各所からの情報収集と、宰相府総員に非常招集を。私は陛下に拝謁を願い出る。マルテンシュタインさん、ついてきてもらえるか?」
宇佐美とマルテンシュタインがうなずいて、残っていた宰相府職員が一斉に情報収集を開始する。帰宅した職員にも非常呼集が掛かった。
シェルメルホルン伯爵とマルテンシュタインはそのまま侍従局へと向かい皇帝への拝謁の許可を取ることになった。いかに皇統伯爵、宰相府事務総長といえどこの手順だけは踏まなければならない。
ブルッフフェルデセンターポリスでの同時多発テロから、すでに九時間以上経過していた。
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