第48話-③ 宰相閣下の年末年始

 帝国暦五九一年一月二日一五時四八分

 リンデンバウム伯国

 首都星アミーキティア

 リンデンバウム伯爵廟


「……なかなかこちらまで来られず、申し訳ありません」


 柳井は一月一日の深夜に帝都を発し、リンデンバウム伯国を訪問していた。目的は喪中のため公的行事、特に祝宴の席に代理を送り、自らは所領にいる当代リンデンバウム伯爵グレータに帝国宰相として新年の挨拶と、先帝バルタザールⅢ世がリンデンバウム伯爵として葬られている伯爵廟への墓参だった。


「伯爵殿下もお変わりなく」

「態々宰相閣下に来ていただき、光栄なことです。先帝陛下……いえ、父も満足していることと思います」


 グレータの姿に柳井は一瞬目を奪われた。どこかの誰かが喪服を着た女性が美しく見えるのは事実だなどと言っていたな、などと思い返し、不埒なものだと一笑に付した。


 グレータ・フォン・リンデンバウム・カイザーリングにとって、先帝とはいえ父であり、先代伯爵であり、領邦経営のなんたるかを叩き込んだ師でもある。彼女の目線を受け、柳井は今一度、伯爵廟に作られた真新しい墓標に目をやった。



 一六時一二分

 リンデンバウム伯爵公邸


 墓参を終えた柳井を待っていたのは、リンデンバウム伯主催、伯国政官財界関係者による新年の宴だった。


「父が遺言書に書いていたんですけどね、服喪などさっさと終わらせて新年の宴くらいは派手に行え、と」

「ほう、あの先帝陛下が」


 とはいえ、リンデンバウム伯爵公邸にて行われているそれは、一定の節度を保っているように柳井には見えた。


「父は無口で無愛想でしたが、宴の類いを嫌っているわけではなくて、単にシャイだっただけなんです。アミーキティアは帝都北部方言の影響が強くて、どうも訛りが抜けきらなかったから」


 柳井の目的はもう一つあり、こういうときでなければ無事平穏な領邦を訪問することなどないので、領邦政府首相達とも話しておこうと思ったのだ。


「宰相閣下、新年を迎えられたことをお喜び申し上げます」

「ガインゴブ首相、これはご丁寧に。伯国の一年が健やかでありますように」


 マハリ・フィヘニエ・ガインゴブは伯国首相を務める老人だった。御年八七歳で、背筋こそ曲がって杖がなければ歩くのも覚束ないし、声もしわがれていた。しかし、目と口ははっきりとした意思を示していた。


「いやはや、冥府の門まであと半歩と毎年申しておりましたが、結局先帝陛下より長生きしてしもうたのです。今年、ようやく引退できますわい」

「長い間ご苦労様でございました。先帝陛下とは幼年学校時代からのお付き合いだったと伺っております」

「なに、腐れ縁というか、悪友というか、若い頃は本当に無茶ばかりしました」

「父とヨットで辺境に行こうとして、航路計算をミスして危うく主星に突っ込みそうになったとか」

「それはまた、あの先帝陛下が」


 ガインゴブ首相の話に、リンデンバウム伯爵が追加情報を加え、柳井は驚きに目を丸くした。柳井が知る皇帝、特に晩年の姿からは全く想像できないエピソードだったからだ。


「はい、宰相閣下。先帝陛下はお若いころ、まことにやんちゃでございましてなあ。二一歳の誕生日に帝都のパブ・タンネンベルクを貸し切って朝まで飲み明かしたときなどは、お互いにドナウ川で酔い覚ましの水泳などやろうとしまして、素っ裸になって」

「帝都警察に通報されそうになったとか」


 柳井は開いた口が塞がらなかった。あの寡黙で生真面目そうな皇帝にそのような若かりし頃の武勇伝があったとは。惜しむらくはこれを本人の口から確認することができないということだった。


「それはまた、随分とやんちゃなことを」

「お互いまだ二〇代の若者でございましたからなあ」

 

 その後も帝国ではごく限られた人間しか知り得ない先帝のプライベートの話を聞いていた柳井だった。さらに伯国の首脳陣と会話を交わして、それが一段落した頃、思いも寄らない人物から声を掛けられた。


「宰相閣下」

「これは……ホーエンツォレルン元帥。いつこちらへ?」

「先ほど到着したばかりです。軍管区の新年行事を済ませてからだったもので」


 オットー・リリエンベルク・フォン・ホーエンツォレルン元帥は皇統侯爵でもあり、また先帝の弟でもある。東部軍管区司令長官を三〇年にも渡って務めている。


 皇帝の弟だからというよりも、東部軍管区を任せるに足る将を見いだせなかった帝国政府と軍首脳部の怠慢だと柳井は考えていた。ただ、能力が不足しているわけではない。辺境部では政情不安が続いているし、賊徒の襲撃も他の軍管区と比べれば遙かに多い東部軍管区を曲がりなりにも維持し続けているだけの求心力がある。


 先帝と同様に上背があり、また軍人生活で鍛えられた肉体は衰え知らずといったところだった。


「兄の墓参りもしておきたかったのです。先の動乱の後始末やらなにやらで、死に目にも会えませんなんだ。因果応報というやつでしょう」

「軍人となったからには、親兄弟の死に目に会えると思うなと、閣下は常々仰せでしたね」


 柳井は国防大学を卒業した後――卒業席次は平凡なものだった――東部方面軍兵站本部の士官として帝国軍軍人としての第一歩を踏み出していたのだが、その頃も当然、軍管区司令長官はホーエンツォレルン元帥だ。


「宰相閣下が元東部軍軍人だったと知ったときは、冷や汗が出ましたよ」



 一月三日一八時一五分

 東部軍管区

 イステール自治共和国

 首都星ガーディナ

 センターポリス宇宙港


 戦艦インペラトール・メリディアンⅡ

 艦橋


「閣下、センターポリス宇宙港へ着陸完了。これより本艦は半舷休息に入ります」

「ありがとう艦長。しかし年始から済まないな」


 一日深夜から帝都を出港させられて不満に思っているのではないか、と柳井は不安だったが、目に見える範囲でそれらを表に出すような者は近衛軍には居ない。


「近衛の仕事に盆暮れ正月はありません。いつでもお声がけください」


 ブロックマイヤー艦長の言葉に柳井は頬を緩めた。


「四日の一九〇〇出発を予定している。乗組員にも休養を取らせてくれ。酒保を開くなら私に請求書を回してくれ」

「それは精々呑み溜め食い溜めのし甲斐がありそうですね」



 一八時五〇分

イステール中央放送ICB

 第一控室

 

「閣下、放送一〇分前です」

「わかった」


 柳井は第二三九宙域総督の任も引き続き務めており、宰相就任後も宰相府に辺境開発局を設けて、惑星開拓庁東部整備局開拓部長のラザール・ルブルトン皇統子爵とイステール自治共和国行政庁の開拓主任、カミーユ・ロベールを引き抜いて第二三九宙域の管理を行っている。


 今日柳井がイステールを訪れたのは、第二三九宙域総督としての年始のメッセージを現地から発信することにあった。これは他の宙域総督も行う恒例行事ではあるが、多くは事前収録、もしくは帝都や総督自身の居住地から行うのが常だったが、柳井は現地からの生中継にこだわった。


「宮殿からの中継も出来ましたのに」


 そういうのは柳井の随員として帝都から着いてきているハーゼンバインだった。年末年始を帝都で怠惰に過ごすことを決めていた彼女は、柳井の随行要請を快く引き受けていた。なぜなら、宰相のお相伴に預かれると考えたからだ。実際彼女はアミーキティアのリンデンバウム伯爵公邸でのパーティ中も、リンデンバウム産の農畜産物に舌鼓を打っていた。


「宰相閣下は皇帝陛下やご自身が、中央だけでなく辺境も重視していると言うことを示されたいんですよ」


 そう言って柳井をにこやかに見つめていたのはカミーユ・ロベール主任。現地まではなかなか来られない柳井や、多忙を極めるルブルトン子爵を支えて、第二三九宙域各自治共和国との事務官レベルの協議などもこなしている。


「ロベール主任の言うとおりだ。私がにれの間から発信するようでは、宙域市民との溝は埋まらない」



 一八時五四分

 第三スタジオ


「総督閣下入られます」

「閣下、あけましておめでとうございます」

「新年おめでとうございます、クレヴァンさん。今日はよろしく頼みます」


 ICBの報道番組でメインキャスターを務めるマリー・クレヴァンは五〇歳。柳井とは幾度か共演している。物怖じせず遠慮せず忖度せず、突拍子だろうが切り込んでくる押し出しが強いICBの女傑である。


「しかし年始からイステールまで来られるとは」

「私の間借りでない公邸はイステールにしかないんですよ」

「さながら閣下の宮殿ですか。いささか規模は小さいですが」


 柳井とクレヴァンのやりとりに、カメラマンやAD達も笑みを浮かべていた。


「放送三分前」

「そういえば今日は年始のメッセージのあと、そのまま特番に入りますが、お時間は大丈夫ですか?」

「明日の二〇〇〇にここを発ちますので」

「そうでしたか。では論戦スタジアムのほうに出てもらえばよかったかな」


 論戦スタジアムはICBの政治討論番組の一つで、深夜一時から朝五時ま有識者が討論するという特別番組で、年に数度放送されている。あとからライブラリで見られるので柳井も参考に見ているし、柳井自身も何度か出演していた。


「あの番組に出られる方々はタフですね。私は翌日完全にグロッキーですよ」


 柳井とて軍人、民間軍事企業と渡り歩いてきただけにタフさには多少の自信があったが、番組出演者の熱量に押され気味なのが常だった。


「放送一分前です」

「では閣下。私の挨拶の後、よろしくお願いします」

「はい」


 カウントダウンゼロとともに、放送が開始される。


「こちらはイステール中央放送、第三スタジオです。この番組は第二三九宙域全域のニュースネットワークで放送されています。帝国暦五九一年も今日で三日目。皆様新年の休暇を楽しまれているところとは思いますが、本日は第二三九宙域総督、帝国宰相、皇統伯爵柳井義久閣下より、皆様に新年のご挨拶があるとのことです。どうぞ、お聞きください」


 映像が柳井に切り替わる。


「第二三九宙域、イステール自治共和国をはじめとして、ハイリャン自治共和国、シャハリール自治共和国、そしてパストゥス自治共和国の市民の皆様、新年おめでとうございます。第二三九宙域総督の柳井です。総督就任以来、皆様のご協力により宙域の平穏は保たれております。ここに、改めてお礼を申し上げる次第です」


 頭を下げた柳井は、続いて、と細かい話に移る。皇帝の演説と同じフォーマットだ。


「第二三九宙域は中央から離れた開拓宙域であり、未だにインフラ投資、産業投資の額が少ない宙域です。私や各自治共和国の政府は、この状況を改善したいと考えております。無論、明日すぐにでも中央と同レベル……といかないことをご了承頂きたいが、改善は常に進んでいます。総督および政府の第一の役割は宙域市民の生命財産を守ること、第二にその生活の質向上です。宙域の防備態勢含め、私は中央と交渉し、より安心して生活できる第二三九宙域にすることをお約束するものです」


 本来であれば軽はずみな発言ではあるのだが、あえて柳井は約束、といった。どのみち領邦化されてしまえば領邦軍を整備することになるし、その前段階で各自治共和国の防衛軍の強化を行うことになる。それどころか、正面の主義派の和平が為れば自動的に安全保障上の問題が軽減される。


「まあ、細かい話はよしましょう。それらは今後、各自治共和国の政府や、私の部下達から公表することになるでしょう。ともかく、今年一年が皆様にとって良い年でありますように」

「総督からの新年のメッセージでした。それでは、各星域からのニュースです。報道センターへお返しします」

「……はい、オッケーです! お疲れ様でした!」


 この後の特番にて、柳井はメインMCのクレヴァン他、多数の出演者からの突っ込んだ質問やら何やらを受けた。特に出演陣の一人が領邦計画や辺境惑星連合の一部セクトとの和平などのを披露したときなどは、柳井をして冷や汗が止まらなかったという。



 二〇時三九分

 総督公邸

 応接間


「閣下、お疲れ様でした!」

「ありがとう、ロベール主任……今日は久々に冷や汗をかいた」


 ロベールから差し出されたビール缶を受け取った柳井が、プルタブを開けて口にする。


「年始の挨拶ですか?」

「いや、その後の特番だ」

「ああ! まさか領邦化計画と和平を口にする学者がいるとは。何者なんですあの人」

「ロージントン中央大学で、政治思想研究をしていた学者さんですね。今は退官しているそうですが」


 柳井とロベールの会話を聞きながら、ハーゼンバインが自分の端末で出演者情報を調べて、柳井に見せた。


「バンジャマン・アントワーヌ・アントナン・ランジュヴァン。年齢は七五歳」

「ああそうだ。あのご老人の名前は長いと思っていたが……ちなみにランジュヴァン元教授の発言の反応はどうだ?」

「元々奇抜な発言が多いお人だけに、年始特番のネタとして捉えられているようですが、一部の右派が強硬に反対意見を述べているのが散見されています」


 帝国における右派とは主に前マルティフローラ大公が掲げていたような賊徒殲滅を声高に叫ぶ思想を持ち、領土拡張には積極的だが辺境部の開発や発展には無関心な連中、と柳井は認識していた。前マルティフローラ大公の失脚に伴い勢力も減退傾向にある。


「つまり、今のところ辺境の民にとっても非現実的なことだと思われているか……まあ、下手に感づかれて各自治共和国の政局ネタにされても困る。今はそれでいい」

「どこの自治共和国も選挙が近いですからな。総督ご自身がかき乱すのはあまり望ましくありますまい」

「ルブルトン子爵、いつこちらに?」

「つい先ほどです」


 ラザール・ルブルトン皇統子爵は柳井が帝都を発った後にイステールへ直行し、本来の任地である開拓惑星を巡ってからガーディナへ戻ってきていた。


「閣下、今年も忙しい一年になりそうですね。まあこれは差し入れです。バヤールが来ると思って買い込み過ぎましたか」


 ルブルトンは手に提げた差し入れ――市街地の繁華街で買い込んだ串焼きやら酒やらの袋を掲げて見せた。


「ハーゼンバインが居るので大丈夫でしょう」

「あっ! 閣下、私がそんな食いしん坊みたいに。バヤールほどではありません!」

「まあまあ。子爵閣下の分もグラスを持ってきます、しばしお待ちを」


 この後、宰相府のいつもの面々は日付が変わる寸前まで飲み明かし、翌朝からの視察に備えて就寝した。

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