第48話-② 宰相閣下の年末年始
帝国暦五九一年一月一日 〇九時五五分
ライヒェンバッハ宮殿
野茨の間
「放送五分前!」
野茨の間にはテレビカメラが各局入り乱れている。帝国標準時でありウィーン標準時である一〇時から行われる、皇帝の新年メッセージの放送のためだ。
「陛下、原稿はどうされます?」
カメラから死角になる位置に表示される演説原稿の要不要を柳井が聞いたが、皇帝は首を横に振った。
「いらない。覚えてるから」
「
侍従局の侍従の内、ヘアセットやメイクアップを担当する者が皇帝の髪を微調整した。
「このくらいいいのに」
「乱れていては沽券に関わりますので」
「はぁ……急いでちょうだい」
メアリー1世は歴代皇帝がそうであったように、自分の身の周りの世話を他人に焼かせるのを嫌う
帝国標準時と同期されている航行中の艦船や各軍管区、領邦および各自治共和国首都星センターポリスとその近辺では中継が行われ、それ以外の地域では各放送局が正午に各局が枠を設けて記録映像を流すことになっている。
「宰相閣下!」
典礼長官マリオン・オードリーが慌てた様子で柳井を呼んだ。
「ああ、典礼長官。新年おめでとうございます……なにか?」
「ああいえ、新年祝賀のおことばの放送は宰相閣下の担当です。先年ご就任なさったばかりなので、陛下が前に出したいと仰せで」
例年なら典礼長官が司会を行ったり、あるいは中央政府首相だったりと曖昧になっていた部分だが、今年は帝国宰相の役目になっていた。
「そうか……まあ最初と最後の挨拶だけだろうからいいですが」
「陛下の演説に繋がるものです、軽く考えられては困ります!」
「わかっておりますよ。ご安心を」
「閣下も御髪を失礼」
「ああ……」
柳井にもスタイリストが群がり、ネクタイの締め直し、軽い化粧、髪型のセットなどが行われた。
放送の段取りが改めて共有され、いよいよ放送開始である。
「放送一〇秒前、九、八、七、六――」
五秒前からは典礼庁所属の映像ディレクターが指でカウントダウンし、放送が始まる。
「帝国臣民の皆様、新年あけましておめでとうございます」
柳井は一拍空けて、努めて重々しい口調で続きの台詞を口にする。
「これより、帝国皇帝メアリーⅠ世陛下より、新年のおことばを
カメラが柳井から皇帝のほうへ切り替わり、放送画面ではメアリーⅠ世が玉座に腰掛けている姿が映し出されているはずだった。
「新年を迎えることができ、私はとても嬉しく思う。私は、未だ不甲斐ないところも多く、皆に失望されているかもしれない……だが、皆の支えのおかげで私は今、こうして話を出来ている。先年、皇帝は一人で立っているものではなく、臣民に支えられているのだと実感した。どうか皆の力を、今年も私に貸してもらいたい。今年一年が、帝国臣民一人一人に幸多からん年であるように祈る」
皇帝はそこで立ち上がり、野茨の間に面したバルコニーへと出て行く。
「帝国には外敵が多い。FPU、辺境惑星連合との戦いもすでに数百年にわたり断続的に継続されている。私はこれに終止符を打つべく働きかけを強めていくつもりだ。これは先帝陛下の御代に提唱された武断的措置を伴う、粗雑なものでないと言っておく」
辺境惑星連合との和平について皇帝が公の場で述べたのはこれが初のこととなる。また、辺境惑星連合を示すのに賊徒と表現するのが慣例となっていた帝国において、メアリーはこれ以降賊徒と呼ばなくなったことも異例だった。
「無論、すべての敵と手を取り合うことなどできはしないだろう。しかし全方位を敵に囲まれた状態を脱することが肝要だと、私は考える。無論、今年や来年のことではないだろうが、帝国の歴史を大きく書き換えることになる事業が今後も続く。皆の力を合わせ、帝国のより良い未来を選び取ることとしよう」
皇帝はそこで一息ついたように言葉を区切った。
「さて、内政面の問題についても私はいくつかの懸念を抱いており、現下、政府や関係各所への改善を指示している。一つは辺境と中央の格差是正。これについては、すでに経済界などが動き出し、辺境への投資も含め、急激に動きがあることを皆も知っているところだろう。帝国とは中央や領邦のみを指す言葉ではないということを、我ら一人一人が自覚し、行動すべきと、私は確信している」
さらに皇帝は言葉を続ける。
「さて、もう一つの課題に移る。具体的には、肥大し複雑化した政府組織を整理し、帝国のリフォームを行うことにした。今の帝国中央政府や領邦国家の諸組織、諸制度は偉大なる帝国中興の祖、ジブリールⅠ世の手により作り上げられたもので、帝国を支える骨幹である。これを打ち壊すは愚行」
皇帝が態々バルコニーまで出たのは、この話のためでもあった。皇帝の背後には、宮殿の中庭越しに帝都新市街の政府のビル群が見えていた。
「しかし維持し続けるだけでは綻びも出る。先年の動乱などはまさにその結果と言える。私は、少なくとも私の治世中、臣民を無駄に死なせるような動乱を起こさぬためにも、様々な改革を行うつもりでいる。帝国宰相府などはそのための組織である」
「年始から少し堅い話をしてしまった。今まで話したことは、まだ何も実現に至っていない。しかし着実に進行していることでもある。皆の協力を得て、これらの事業を実現することが、私の望みだ。私に力を貸してほしい。今年も一年、よろしく頼む……皆の今年一年に幸多からんことを。以上だ」
皇帝のメッセージが終わると、カメラが柳井の方へと戻る。柳井には皇帝の言葉を簡潔にまとめ、新年のおことばの枠を締める役割があった。
「陛下のお言葉を賜りました。陛下は帝国臣民一人一人の幸福を祈られるとともに、帝国全体を見渡し、帝国の発展、臣民の幸福、よりよい生活のために尽力されることを宣言されました。様々な改革、様々な政策が今後も行われることになりますが、臣民の皆様におかれましては、どうか、ご協力をお願いいたします。それでは皆様、今年が平和で、幸福な一年でありますように」
柳井が皇帝の発言を要約し、頭を下げる。中継映像ではライヒェンバッハ宮殿の遠景に切り替わったところでディレクターが撮影終了を告げた。
「皆、ご苦労さま。片付けが終わったら柊の間に年始の祝賀会の用意をしてあるわ。盛大に飲んで食べてちょうだい」
柊の間での祝賀会は宮殿スタッフ向けのもの、柳井や皇帝には別の仕事が待っていた。
一二時〇二分
宮殿バルコニー
休憩を挟んで今度は一般参賀である。先年即位した皇帝メアリーⅠ世への支持率の高さを反映して、例年にないほどの参賀希望者が詰めかけていた。
バルコニーにはすでにこの後の新年祝賀の儀――皇統貴族向けの新年会――のために帝都に来ていた各領邦領主、それに各界の著名な皇統が並んでいた。帝国皇帝は世襲ではないため、家族であってもこの場に居ないことは多いが、メアリーⅠ世の場合は妹が領主代理、祖父が領邦領主であり、珍しく親族が多かった。
『まもなく皇帝陛下がお出ましになります』
皇帝が姿を現した瞬間、参賀者からひときわ大きな声援が上がる。皇帝万歳、帝国万歳、メアリー陛下万歳の声に、宮殿が震えた。帝都各地でもライブ会場が設けられており、新年の風物詩となっている。
柳井はその皇帝をバルコニーの後方から眺めていた。
「すごいものですね、陛下への熱烈な支持を感じます」
「ここに来るというだけでそもそも皇帝に対する熱烈な信奉者でもある。珍しいことではないさ」
柳井の後ろでは、シェルメルホルン伯爵とその妻ニコラが談笑していた。ニコラの素朴な感想に、伯爵はやや冷静な意見を返していた。
「……これだけの熱烈な支持は、ひとたび皇帝の治世に欠陥があれば落胆と怒りに転嫁されかねない」
柳井がぽつりと言い放った言葉に、シェルメルホルン伯爵もうなずいた。
「さすがは宰相閣下。ご明察です。我々としても陛下をお支えして、そうならないようにするのが重要、というわけで」
「まあ、なんだ。新年おめでとう、シェルメルホルン伯爵。今年もよろしく頼む」
「こちらこそ。しかし閣下はお出ましにならないので?」
「私が出たところで、陛下のご威光の眩しさに紛れて見えないだろう」
窓の向こうで押し寄せた臣民に手を振る皇帝の姿を見て、柳井は目を細める。
「ご謙遜を。陛下のご威光は閣下あってのもの。皇帝とて一人で歩いているわけではない。背負われた荷の重さに潰されないように杖が必要不可欠」
「なるほど杖か。精々投げ捨てられないようにしなければ」
「我々宰相府一同も、閣下をお支えいたします。ご安心を」
一礼した伯爵に、柳井も頭を下げた。
「それは心強い。改めて、今年も頼むよ伯爵」
この後、一般参賀者を予定通り五回に渡り入れ替えつつ行われた一般参賀が終わり、今度は宮廷内行事へと移る。
一八時四〇分
向日葵の間
「皇帝陛下、ご入来!」
向日葵の間で行われる年始の祝賀会は、主に皇統貴族向けのものだ。領主含め帝国の主立った高位の皇統は出席するもので、柳井も数年前、皇統男爵に叙されてすぐに参加したことがあった。
皇帝賛歌が演奏される中を、メアリーⅠ世が颯爽と一段高い位置にある玉座に向かう。
「今年も、無事新年を迎えられたことを、卿らと先帝の皆様に感謝する。今年も帝国の平和と民の平穏と健康を祈念するものである」
「「陛下のお言葉を実現するため、我ら、帝国の弥栄のために尽くすことを、新年のご挨拶に代えまして、臣下一同に成り代わり、申し上げます」
皇帝の言葉に続いて、パイ=スリーヴァ=バムブーク侯爵オスカーが立ち上がり、皇帝へ一礼した。例年ならこの役目をマルティフローラ大公が務めるのだが、大公は現在幼児であり、代理として領邦領主のうち領主就任から長く、宮中席次も最上位にあたるオスカー候が口上を述べた。
「では、宴を始めましょう」
半月ほど前に領主任命式があったとはいえ、新年の祝賀会は出席は皇統貴族とその家族に限られている。いずれにしても柳井の仕事は前回と同様、各テーブルへの挨拶回りとなる。パイ=スリーヴァ=バムブーク侯爵、フリザンテーマ公爵、コノフェール侯爵、ヴィシーニャ侯爵への挨拶を済ませた柳井は、続いてヴィオーラ伯爵のテーブルに向かった。
「マチルダ様、お久しぶりです」
「宰相閣下。あけましておめでとうございます。ご名声ははるばるヴィオーラまで届いておりましてよ」
マチルダ・フォン・ギムレットはオスカーが当主を務めるギムレット侯爵家の三女。次女であるメアリーが分家として公爵になってしまったので、爵位継承順位二番目となっている。皇統男爵としてヴィオーラ伯爵代理も務めており、領主であり皇帝でもある姉の名代として、そつがないと評判だ。
マチルダはメアリーと違い淑女然とした佇まいが特徴で、面倒だからと軍服で過ごすような姉と異なり、今日は上品なローブデコルテに身を包んでいた。
「陛下のお相手はなかなか大変でしょう」
「もう慣れました。人間適応しようと思えば大抵のことはどうにかなる生き物のようです」
「まあ、それは心強い」
続いて柳井が訪れたのはマルティフローラ大公国からの出席者のテーブルだが、例年に比べると随分参加者が少ない。これは前大公と共謀して国費の私的流用や公文書偽造などの罪で逮捕投獄されているものが多かったことも影響している。
そういった事情に加えて、これまで大公国では非主流派だった皇統が表舞台に出ざるを得なくなったことも無関係ではない。気まずい上にこれまで中央宮中行事に参加していなかったので緊張もあるのだろう、と柳井は推測した。
「キルピヴァーラ侯爵。新年、おめでとうございます」
「おお、宰相閣下。今年は無事平穏に過ごしたいものですな」
「ええ、お互いに」
続いて柳井は当代大公の後見人であるヴァイトリング皇統伯爵――一月一日付けで子爵から陞爵した――にも話しかけた。
「ヴァイトリング伯爵、陞爵おめでとうございます」
「ありがとうございます、宰相閣下。リーヌス様の後見人として恥ずべきところのないよう務めます」
「期待していますよ。最近の大公殿下のご様子は?」
柳井としてはマルティフローラ大公国一番の懸念事項が、マルティフローラ大公の養育だった。親類縁者の後援がないことで不利益を被ったり、乳母であるマクミランとの関係など、不安点は多かった。
「お言葉を随分話されるようになりました。キルピヴァーラ侯爵のことはじいじ、マクミランはまま、私のことはばーばなどと呼ばれるように」
「おや、おばあさまですか」
それを聞いて、柳井は破顔した。どうやら自分の心配は今のところ杞憂に終わってくれているようだ、と。
「複雑ですが、懐いていただけたようで嬉しく思います。特にマクミランとは本当の母子のようで」
「そうでしたか……東部軍管区の行政府次官との兼任は大儀でしょうが、どうぞよしなに」
「はっ。閣下や陛下のご期待に添えるように」
努めて柳井はにこやかに、リラックスした様子でマルティフローラ大公国からの皇統達への挨拶を済ませた。皇帝も同じことを考えていたようで、大公国のテーブルに滞在する時間はかなり長めだった。
最後に訪れたテーブルは、ピヴォワーヌ伯爵他、宰相府のシェルメルホルン皇統伯爵とルブルトン皇統子爵、それに前ヴィオーラ伯爵のナタリー・アレクシア皇統公爵がいた。
「やあ、宰相閣下」
「ピヴォワーヌ伯爵、ご挨拶が遅れて申し訳ありません。新年おめでとうございます」
「いやいや、我が伯国はまだまだ陣容が薄くてな。こうして会場の隅で飲み食いしている方が気が楽なものさ」
「そう言いつつ、フリザンテーマ公爵とは随分長く話し込まれていたご様子でしたが」
「同年代の女性同士ウマが合うのさ」
続けて今度は前ヴィオーラ伯爵である。今年で九六歳になろうかという公爵は、ますます意気軒昂といった様子でワインを口にしていた。
「宰相閣下におかれましてはご機嫌麗しゅう」
「ナタリー様もこちらに来ておいでとは」
「せっかくのタダ酒だものね。楽しまなくっちゃ」
そしてそれを見ながら酒と料理に舌鼓を打っていたシェルメルホルン伯爵とルブルトン子爵。
「宰相閣下。新年おめでとうございます」
「ルブルトン子爵にも先年からお世話になりっぱなしですね。今年も遠慮なく仕事を放り投げるので、よろしく頼みます」
「私はいいですが、ロベール君が大変ですね。彼からも、宰相閣下によろしくお伝えくださいとのことでした」
「彼のおかげで、総督業務も滞りなく平行して行えています。今年も大変な一年でしょうが、シェルメルホルン伯爵も、よろしく頼む」
「はっ。しかし閣下も年始から挨拶回りに気を回さねばならないとは、大変なものですな」
「まあ、慣れたものだよ……」
その日の祝賀会は滞りなく行われ、無事解散と相成った。
柳井の仕事はまだまだ続く。
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