第48話-① 宰相閣下の年末年始

 帝国暦五九〇年一二月三一日二二時一二分

 帝都 ウィーン

 ライヒェンバッハ宮殿

 紫檀したんの間


「今年は激動の一年だった。来年こそは平穏に過ごしたいものだな」


 一二月三一日も残り二時間を切った頃、柳井は皇帝の食堂である紫檀の間にいた。世間はすでに年末年始休暇に入ってはいるものの、帝国というシステムは動き続けており、それは宮殿も同じこと。宮内省侍従局は年末年始シフトで人数こそ少ないが、精鋭スタッフをそろえて不測の事態に備えている。


 宰相府もすでに年内の業務をクリスマスには終えていたのだが、その組織の特性上、皇帝の突発的な思いつきなどに対応するため、最低限の華道人員だけが待機していた。柳井、ハーゼンバイン、マルテンシュタインがその任に当たっている。


 なお、宰相府メインスタッフは事務総長のシェルメルホルン伯爵が妻とともに帰省。事務局長宇佐美はアイドルグループのライブに現地参戦、ジェラフスカヤは夫と子供を連れて帰省。バヤールも帰省。よって今宮殿に詰めている宰相府メインスタッフは帝都に家があるものがほとんどだ。


「義久がそれを言うこと自体が不穏というか、なんというか」


 アレクサンドラ・ベイカー侍従部官長の言葉に、紫檀の間に笑いが満ちた。皇帝臨御の場とは思えないフランクな空気は、メアリーⅠ世の人となりがそうさせている。彼女の治世中、年末の紫檀の間で開かれる酒宴は年末年始の待機要員を集め、恒例のものとなっていく。


「あなたも大変ね。上司があれでは」

「宰相閣下の不穏な発言には慣れております」


 帝国宰相府も年末年始休暇に入ってはいるが、宮内省侍従局と同じく最低限の人員だけは稼働している。ベイカーの軽口に答えたのは事務総長のシェルメルホルン伯爵や宇佐美事務局長から留守を預かっている外協局長のマルテンシュタインだ。


「不穏な発言とは失礼な……私は心底、去年から今年の初めに掛けてのような混乱は御免被りたいと思っているだけでだな」


 柳井は不満げに言うと、グラスのワインを飲み干した。


「はいはい。それはそれとして、やっかいごとは向こうからやってくるのよ」


 柳井の空になったグラスへ、ベイカーが追加のワインを注ぎ入れながら言った。


「足を生やしてな。全く、どうせ近寄ってくるのなら美女のほうがいいのだが」

「あら義久。畏れ多くも陛下に私、ハーゼンバインに侍従局のきれいどころが居てまだご不満?」

「ほんとにねえ。大体口ではこういうこと言うくせに、本人枯れてるから色気も何もあったもんじゃないってのが面白いところよね」


 侍従武官長に続き皇帝がそれぞれ言い放つと、若手の侍従たちも苦笑する。柳井の女性への対応は良く言えばがなく、悪く言えば色気がない。会社員としても勤めていた期間が長いだけに、コンプライアンス遵守精神は柳井の無意識レベルで存在しており、特に異性への対応は昔も今も気を使うものだった。


「侍従武官長は宰相閣下と何やら昔親密だった、などという噂も耳にしましたが、実際のところはどうなのです?」


 ハーゼンバインが切り込んだ。やや酔っている。


「そりゃあ昔はまだ元気だったもの。夜討ち朝駆けは当たり前ってね」

「おいアリー」

「夜討ち朝駆け……あっ……そういうことですかあ」

「宰相閣下も隅に置けないですねえ」

「酔ってるなハーゼンバイン。ちょっと外の空気でも吸ってきたらどうだ? 陛下もあおらないでいただきたいのですが……もう昔のことです」


 言われたのが柳井で、話しているのがベイカー侍従武官長、そして皇帝メアリーⅠ世だからいいものの、本来なら舌禍で懲戒処分は免れない行動ではあるのだが、何せハーゼンバインも今年柳井の下に配属されてから良くも悪くも遠慮会釈がなくなって図太くなっている。そうでなければ漬物石とも揶揄される内務省官僚や官僚組織に根付いた事なかれ主義と対等に渡り合い、宰相府の行う改革を推し進めることは不可能だ。


 そうしてきます、と優雅に一礼してバルコニーに出て行ったハーゼンバインを見送って、柳井は改めてグラスに酒を満たした。普段なら皇帝とわずかに皇帝近侍がいて食事をしている紫檀の間も、若手官僚やら侍従やら宮殿スタッフ、近衛士官が思い思いに集まって話しているものだから、賑やかだった。


「皆、気にせず飲んでちょうだい。どうせ新年祝賀会用の食材を買い込みすぎて余らせるのだから」


 宮殿勤務は極度の緊張を強いる業務である。歴代皇帝もそれは重々承知しており、類似の酒宴は度々行われてきたが、メアリーⅠ世のそれは極めてアットホームだった。


 皇帝自らスタッフの労をねぎらい、酒を注いで回るなど前代未聞である。


「しかし、侍従たちがあのように明るい顔をしているのは初めてみるものだ。帝国の宮中というのはもう少しお堅いと思っていたが」


 マルテンシュタインがR&Tボトラーズ主力ビールのフィニクスのマグナムボトルを片手に、柳井に問うた。


「侍従長が居ないから気が緩むのでしょう」


 マーガレット・チェンバレン侍従長は謹厳実直な、侍従の見本のような人物であり、部下たちもそれに習うのは必定。侍従というのは皇帝の側仕そばつえであり、皇帝の執務中にしろ臣下の謁見中にしろ、表情一つ変えず、姿勢を乱さないことを求められる。皇帝の権威とは、周囲のものが皇帝を崇敬し、畏怖したてまつることにより成立するものだからだ。


 とはいえ、気を抜くことが年に一度か二度あってもいいじゃない――とは皇帝メアリーⅠ世自身の言葉であり、それを聞いた侍従長は聞こえなかったフリをして、皇帝の強い勧めもあって数年ぶりに年末年始の休暇に入っていった。


「わずか数ヶ月、あなたの下で働いて見たところだと、あの皇帝は非常に興味深い。面白い人物だな」

「我らが陛下を面白いと表現し奉るとはなかなかの蛮勇ですよ、外協局長。まあ陛下が面白い人物であり興味深いというのは同意しますが」

「これなら来年以降も退屈することはなさそうだ。感謝していますよ宰相閣下」

「随分好き放題言ってくれてるわねえ。あなた達」


 空になったワインボトルを給仕の者に渡して、新たなボトルを手にした皇帝が柳井とマルテンシュタインのテーブルにやってきた。


「話が弾んでいるようで何よりだわ。帰化したマルテンシュタインを引き入れた義久の目利きが間違っていなかったことも含めてね」

 

 辺境惑星連合随一の宿将となっていたマルテンシュタインは、帰化したとはいえ帝国からは警戒されている人物だった。本人にその気はないにしても、帝国領内の反帝国運動の旗頭にされかねない。


 そこへきて、皇帝が画策していた辺境惑星連合切り崩しを行うために、帝国領外の情勢に詳しい者の助力を必要としていた柳井がマルテンシュタインを宰相府外協局長に据えたのは妙案だった。帝国宰相が皇帝にのみ責任を負う立場であり、宰相府は皇帝の諸政策遂行を補弼する機関であり、建前上は皇帝への服従と崇敬の念を求められる。そこにマルテンシュタインを置くと言うことは、マルテンシュタインが皇帝に膝を屈したのと同義である。


 無論、本人の実態は違うのだが、ともかくマルテンシュタインに帝国への反意がないことを示す踏み絵としてこれ以上ないものだった。さらに言うなら、軍事組織に属されるより、文民側にいてくれるほうが軍関係者の心も安らぐというものだった。


「主義派は相変わらず、右へ左へ、上へ下への混乱ぶりです。どうも連合全体で内輪揉めの様相ですな。最近辺境宙域への侵出が少ないのも、それが影響しているのでしょう」

「それだけでも重畳。来年からはインターステラー連合との和平工作も始めるから、準備はお願いね」

「心得ております、陛下」


 皇帝としては、和平工作の第一目標は辺境惑星連合の内部分裂を誘い、対帝国武力闘争の勢いを削ぐための奸計であることから、第一目標を達成できている時点で満足いく結果であり、第二目標である和平、停戦、それに類する状況を構築するところまでは大きな期待をしていなかった。


 ところが、マルテンシュタイン以下宰相府の交渉により、進捗はともかく交渉は継続されており、これは皇帝の期待を上回るものだった。そこで皇帝は予定を早め、西部軍管区側にもくさびを打ち込もうと考えたのだった。


「義久のほうはどうなの? 順調?」

「漬物石相手に苦戦しております」


 外協局長に和平工作をすべて任せている柳井としては、国内諸政策に集中しているが、どれも遅々として進まない。特に省庁統廃合については各省各部局からの猛烈な反発に遭い、週刊誌にリーク――三割が誇張、七割が根拠のないゴシップ――された柳井の虚像は膨らむ一方である。


「内務省あたりが適当なディスインフォメーション流してるんでしょ。訴訟でもする? いい弁護士紹介できるわよ」

「きりがありません。それよりは、内務省の組織改革を急ぐべきでしょう。あのような稚拙な工作しか出来ないのなら、それこそ取り潰して組織を再建しなければなりません」


 とはいえ、ディスインフォメーションの基本は大量の情報を虚実問わず流し続け、対象組織や対象人物の信頼性を失わせることにある。


「ターゲットが私に向いているだけなら、いかようにでも。しかし部下たちにまでそれが向くことがあれば、こちらも対抗措置を打たざるを得ない。私が黙ってサンドバッグになっているほうが、私自身の仕事が減るわけでして」


 実際問題、帝国宰相に就任した柳井はここまで法に触れる不正に手を染めているわけでもない。グレーゾーンと言えるのはアレティーノ皇統男爵への新領邦建設計画を話した程度だが、それにしても宰相府や皇帝の動きや発言を精査すればわかることでもある。


 そもそも皇統とはその専門によらず広く帝国の発展を目指すこと、とされているのだから、宰相も皇統、情報を聞かされた男爵も皇統ならば問題がないことになる。


「戦艦は弾受けも仕事の内というわけですな、閣下」


 茶化すような調子でマルテンシュタインが言う。


「マルテンシュタインさんには釈迦に説法でしょうが」

「いやいや。FPUは貧乏所帯。帝国軍式の兵法は使えませんので興味深い」

「柳井の兵法はともかく、メディアへの対応は一歩間違えると言論統制批判につなげられるから、慎重にね」


 皇帝が念押しした。柳井がそこまで軽はずみなことをするはずはないと信頼はしていたが、一応言っておく程度にはメアリーⅠ世にも常識があった。


「そうですね……ところで侍従や近衛士官たちのご機嫌伺いばかりで、肝心の陛下が飲んでおられぬようですが?」


 仕事の話はこれでおしまい、と柳井は話題を切り替えることにした。


「あら、気が利くわね」


 皇帝がどこからともなく取り出したワイングラスに、柳井が恭しくワインを注ぐ。


「さあ、改めて乾杯でもしましょうか。五九〇年よさらば!」

「帝国の弥栄に!」

「皇帝陛下万歳!」


 口々に乾杯の声が上がり、夜は更けていく。この時点で帝国暦五九〇年は残り三〇分を切っていた。日付が変わり五九一年を迎えても酒宴は続き、三時頃まで続いた後、おのおのの宿舎や自宅、詰所へと戻ったのだった。


 夜が明ければ新年行事がすし詰めになっている。念のためのアルコール解毒剤、水を枕元に置いてから就寝する柳井であった。

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