第47話-④ 領主の品格

 帝国暦五九〇年一一月二五日一〇時〇〇分

 帝都ウィーン

 ライヒェンバッハ宮殿

 野茨の間


 内示から一週間。ライヒェンバッハ宮殿において新領主二人の任命式が行われていた。帝国における重要式典を執り行う野茨の間には、帝都周辺にいた皇統達と領邦政府閣僚達、それに領主の家族が詰めかけている。


 柳井は玉座の隣に立ち、就任式を眺めることとなった。領主への領主笏セプターの授与は皇帝の仕事であり、式次第は典礼長官に任せている。柳井の仕事は帝国宰相としての威厳を保つことにあった。つまり、直立不動である。


「皇統公爵、胡新立こしんりゅう。御前に」

「卿にフリザンテーマ公爵の位を与える。皇統公爵として領邦を掌握し、帝国の良き友邦として発展することに勤めよ」

「ははっ。我が身命に代えましても、領主の勤めを果たす所存」

「期待している。では、領主笏セプターを受け取るがよい」


 領主笏は、帝国の領邦領主に皇帝から授けられるもので、各領邦ごとに一本ずつ作成されている。作成されたのは公式にはその領邦が建国された年と同一であるが、実際は三二一年の叛乱時にマルティフローラ大公国、フリザンテーマ公国のものは失われており、今この場にあるものは再製作されたものだ。


 木製の柄に金箔を貼り、その先端部には帝国紋章を模したジルコニウム製の台座を取り付け、領邦内で発掘された宝石を填め込むのが様式である。フリザンテーマ公国の場合はダイヤモンド、トパーズ、アメジストであり、コノフェール侯国のものはコランダム、ルビー、エメラルドが填め込まれている。


 なお皇帝笏インペリアル・セプターも存在しており、これは帝国宝物レガリアとも呼ばれる宝物群の一つである。王冠インペリアル・クラウン皇帝笏インペリアル・セプター皇帝頸飾インペリアル・カラーの三つを着用・所持するのが皇帝の正装なのだが、いずれも金銀、宝石を散りばめた非常に重量のあるものであるため、即位式典以外で着用する例はまれで、ほとんどの場合は皇帝にのみ授与される野茨大綬章、それも略綬で済ませることが多かった。普段はライヒェンバッハ宮殿の宝物庫で厳重に保管されており、柳井も実物を見たのは一度だけである。


「領主の権限、領主の献身を示すものである。その領主笏が卿の手の内にある間は、卿にフリザンテーマ公国を委ねることとする」


 皇帝の手から、フリザンテーマ公爵の手に領主笏が手渡された。それを手に玉座へのきざはしを下るフリザンテーマ公爵と入れ違いに、新たにコノフェール侯爵に任じられるテオ・ニコライディス皇統侯爵が玉座の正面へと向かった。


「テオ・ニコライディス皇統侯爵、御前に」


 フリザンテーマ公爵と同じやりとりを行い、同じように領主笏が手渡された。


「今日、新たな領邦領主が任命された。帝国の友邦たるフリザンテーマ公国とコノフェール侯国の領主へ、歓呼をもって迎えられよ」


 典礼長官の言葉とともに、歓呼の声を上げる一同を、柳井は感慨深く眺めていた。これで先の動乱の事後処理も大方が完了したのだ。



 向日葵の間

 

「ささやかながら祝宴の場を用意した。存分に飲み、食べ、語っていってくれればと思う。では乾杯」


 皇帝の乾杯の挨拶はいつも簡素だ。叛乱軍決起や宣誓の儀の演説と異なり、日常的な公務での演説は極力短くするのが皇帝メアリーⅠ世のポリシーだった。曰く『演説聴かせるより酒と料理を楽しんでもらうほうが大事』とのことである。


 なお、柳井は自分がさっさと酒と料理に手をつけたいからではないかと推測しているが、さすがに当の皇帝に問いただすようなことはしていない。


 立食会の形式で行われた祝宴中、柳井はグラス片手にそこかしこに出来ている人の輪に挨拶回りをするのが仕事だった。


「公爵殿、お疲れ様でした。いや、大変なのはここからですね」

「これは宰相閣下。お気遣い痛み入ります」


 胡新立こしんりゅう公爵は艶やかなチャイナドレスに身を包んでいた。学長室で見たときとは別人のような姿に、柳井は少々驚いた。


「フリザンテーマ公国の未来は殿下の双肩にかかっております。どうか帝国の友邦として、これからもどうぞよろしくお願いします」

「それはこちらが言うべきこと。前公爵の犯した大罪の後始末もまだまだ残っておりますし」


 前フリザンテーマ公爵アレクサンドルが行っていた公文書偽造や正式な手続きを経ていない立法は、主に使途不明金を隠すために行われたことだが、これは公国の内政の信頼性をズタズタに引き裂いてしまった。


「領民の中にはまだまだ前領主への支持もあるようで。立て直しには一苦労しそうですが、まあ、なんとかなるでしょう」

「そこは公爵殿下の腕の見せ所、というところで」

「気楽に言ってくれるものですね、宰相閣下も」


 柳井とフリザンテーマ公爵が先々のことに考えを巡らせて溜め息をついていると、二人の背後から声を掛ける人物がいた。


「おや? 今日の主賓がこのような会場の隅でこそこそと会話とは。何か良からぬ陰謀でも巡らせておるのですか?」

「これはコノフェール侯爵殿下。ご挨拶が遅れまして」

「コノフェール侯爵、テオ・ニコライディスです。直接お話するのは初めてですかな?」

「そうですね。お噂はかねがね」

「それはお互い様ですな」


 相手が果たしてどんな噂を聞いているのだろうと考えながら、柳井は近くに居た給仕のものを呼び寄せ、シャンパンのグラスを取り替えた。


「お二人を陛下が選ばれたのが、最良の選択であったと思える日が来ることを祈って」

「帝国の弥栄に」

「皇帝陛下のご叡慮に」


 三人はそれぞれ口にして、手にしていたグラスの中身を空にした。


「お二人には後ほど招請が出るでしょうが、来月一四日に先の動乱での戦没者慰霊堂とその除幕式があります。次はそこでお会いすることになろうかと」

「なるほど。我々二人の選定を急いだのは、そこで新領主と皇帝が和解したように見せて、帝国の統治体制にヒビは入っていないと見せるため、と」

「お察しの通りです」


 フリザンテーマ公爵の言葉に、柳井は苦笑いを浮かべてうなずいた。


「やはりな。シェルメルホルン伯もそうだったが、あなた方お二人は案外正直な人だ」


 コノフェール侯爵はにこやかに言うと、近くのテーブルに置いてあったビールのボトルを取り上げ、手酌で飲み始めた。


「皇帝にしろ領主にしろ、それぞれ帝国全体、領邦の広告塔であるというのが仕事だとよくわかる」


 コノフェール侯爵の言葉に柳井はうなずいた。領邦領主は帝国皇帝よりもより自由に動けるとはいえ、やはり議会の決定が優先することに変わりは無い。領邦国家統合の象徴であるというのが、領邦領主の立場である。


「領主ともなればこれまでのような生活も改めねばなりませんし、車や私服、公務のための礼服に、子供達のことも考えると頭が痛いのですよ?」

「そのあたりは、支度金をお二人の資産や経済状況に合わせて支給する手筈になっております」


 フリザンテーマ公爵の抗議とも取れるジョーク――公爵としては実際に抗議していたのだが――を受け、柳井はにこやかに答えた。


「ああ、ちょうどいい。ピーラ総務主任」


 柳井はちょうど近くを通りかかった宮内省の皇統総務主任――役職名は下っ端に見えるが実際は皇統関連の事務一切を取り仕切る宮内省皇統総務課のナンバー2――に声を掛けた。


「なんでしょうか、宰相閣下」


 ピーラ総務主任と柳井はイステール自治共和国を含む旧第二三四宙域の開拓領主であった故ルガツィン元伯爵の遺産整理の際に知己を得て以来、何かと依頼したりされたりする関係であり、それなりに気心が知れていた。


「コノフェール侯爵とフリザンテーマ公爵に、領主支度金についての説明を頼めるか? 私はそのあたりの制度にはそれほど詳しくないから」

「かしこまりました」


 総務主任に二人の領主を任せ、柳井はその場をそっと離れた。


「我が参謀総長、いや宰相閣下、ご機嫌麗しゅう」

「ピヴォワーヌ伯爵、驚かせないでください」


 柳井の後ろから声を掛けてきたのは、ピヴォワーヌ伯爵オデットだ。彼女は何かと帝都で行われる皇統関連の行事にはまめに参加するタイプだった。


「まさかいらしていたとは」

「同じ領主になる者の任命式だ。先任の領邦領主としては出ないわけには行くまい? それに今回は君に会わせたい者達がいるのでね」


 ピヴォワーヌ伯爵に連れられて会場隅のテーブルへと行くと、子供を抱きかかえた母親と思われる女性と、その夫とおぼしき男性がいた。柳井は女性の方には見覚えがあった。


「弟のパトリックとその妻のイザベルだ。西部軍管区から戻っていたのでな。イザベルはアンプルダン侯爵家の末娘。陛下の妹君でもあらせられる」

「パトリック・アンプルダンでございます、宰相閣下。此度は我らのような庶民にまでご出席の栄誉を賜り、誠にありがとうございます」


 着慣れないモーニングに堅苦しい言葉遣い。パトリック氏は緊張しているのだな、と柳井は理解した。柳井が招いたわけではなく、ピヴォワーヌ伯爵の弟夫婦だから宰相府のスタッフが名簿に入れていたのである。


「イザベラ・アンプルダンでございます。子供も含めまして、我が家の最高の栄誉となるやもしれません」


 軽く膝を曲げてドレスの裾をつまんだイザベラ氏については、さすがだと柳井は感心した。


「そう堅くならずに。庶民と言えば私の方こそ、平民宰相などと言われておりまして。パトリック殿は惑星開拓庁のテクノクラートでも随一と伺っております。マチルダ殿も先日ウィーンのコンクールで賞をお取りになられたでしょう? おめでとうございます」


 パトリック・アンプルダンは惑星開拓庁西部方面開拓局の局長を若くして務めている異才で、その手腕は居住惑星が少ない西部軍管区の開拓において、徐々にではあるが人類生存圏を拡大していることでも証明されている。妻イザベルは音楽家として知られ、ウィーンのピアノコンクールで受賞するほどの才女だということを前もって調べていてよかったと柳井は安堵していた。


 柳井の言葉に、伯爵の弟夫婦はやや驚いた様子だった。まさか私がここまで調べているとは思わなかったのだろう。そして柳井の目は、奥方の胸に抱かれている赤ん坊に移る。


「息子のレオナールです。六ヶ月になりますの」

「そうですか。ご両親に似て才覚あふれんばかり青年に育たれることをお祈りします」


 レオナールは柳井の目を見て、手を伸ばす。指を差し出すと、思いのほか強い力で握りしめられて柳井は目を細める。思えば自分も歳をとったものだと、柳井は皺の増えた手を包む、小さな手を見て感慨にふけった。


 そして、今はマルティフローラ大公となっている幼児のことも思い出した。思えば彼女とも、こういうやりとりをしたものだ、と。


「これは失礼を……」

「いえいえ。赤ん坊とはそういうものです。レオナール殿、立派に成長して、ご両親に負けない活躍をしてくれることを祈っていますよ」


 きゃっきゃという声を上げ、レオナールは笑う。まさかこの嬰児を、両親とオデット伯の依頼で柳井自ら教育することになろうとは、柳井はこの時点では夢にも思わないことだった。


 レオナールは長じて後、柳井の薫陶よろしく得て星系自治省次官を勤め上げた後、ピヴォワーヌ伯爵の地位をオデットから引き継ぎ、さらに柳井の後をも継いでメアリーⅠ世の治世中における第二代帝国宰相を務め皇帝へと至るのだが、柳井は、いやこの会場にいる誰もが、レオナール自身も含めてこの時点でそのことを知る由もない。


 新領主任命お披露目の宴席はつつがなく進行し、新領主の二名は閣僚団を引き連れて、領地へと戻っていくのだった。

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