第47話ー③ 領主の品格
一一月一八日一六時二三分
フリザンテーマ公国首都星プラーヴニック
領邦政府首相官邸
大会議室
「しかし宰相閣下。領邦領主の選定の件は、我が公国政府にも一言あって然るべきだったのでは」
フリザンテーマ公国領邦政府首相、ダニイル・ヴァレリヤノヴィチ・シェフチェンコは不快感を露わに柳井に食って掛かっていた。
「領邦領主選定は、畏れ多くも皇帝陛下の専権事項であると認識しておりますが」
「だとしても、前公爵があのような大罪人となった経緯を鑑みても、領邦政府として自らが戴く領主について、その選定時から関与したいと考えるのは自然なことです」
シェフチェンコ首相の言葉には一理あると柳井も理解していたが、自ずと別の問題が生じることを危惧していた。領主選定に領邦政府が関与すると言うことは、ときの領邦政府を預かる政治集団の思想や方針が、強く影響を与えることになる。
「皇帝がそうであるように、領邦領主はときの政府の政治主張に左右されず、領邦と帝国の発展のために尽力することが、皇統典範に定められております。これに従い我々宰相府で候補を選出し、陛下がご裁可あそばされたわけでして」
柳井は極力オブラートに包んだ表現をしたが、皇帝の叡慮に口を差し挟むな、といっているのと同義であり、皇帝から直接言われていたら、首相はその職を辞さねばならないほどの重大事であった。
「……失礼。少々過敏になりすぎていたようです。ご無礼を」
「お気になさらず。前公爵の件と先の動乱のこともあって、気にされるのは当然のことでしょう」
中央政府がそうであるように、フリザンテーマ公国でも永田文書による告発を受け多くの政治家、高級官僚や軍人の不正が明るみに出て失脚する者が相次ぎ、一時騒然となっていた。シェフチェンコはそれら失脚の嵐のあとに議会で選出された首相だから、過敏になるのも無理はない、と柳井は納得した。
「胡新立侯爵……もうじき公爵になられるでしょうが、彼女のようにクリーンな人物であれば、首相閣下の志す領邦政府の政治改革についても上手く取り計らってくれるでしょう。ぜひ、領邦発展のために、皇統の立場からも閣下にはお願いを申し上げたいと思い、今日このように参上したわけですが」
「無論です。宰相閣下にはご足労をおかけして、申し訳ありません」
このあと、柳井と首相はいくつかの事項について議論を交わしていたが、時計の針が五時を指した時点で、それらを切り上げた。
「簡易ではありますが閣僚達を集めた夕食会を催したいと考えております。閣下はこの後のご予定は」
「痛み入ります。ぜひ参加させてもらいましょう」
一七時一四分
大ホール
「いかがですか宰相閣下。我がプラーヴニック名産の海鮮料理です」
「私は帝都の極東管区出身でして、海鮮料理に目がないのです。プラーヴニックは初期開拓時代から水産物生産に力を入れていたとか」
惑星プラーヴニックは太陽系外惑星にしては珍しく、開拓開始時点で海水が中和された状態だったことから、初期開拓時代から養殖魚の生産が盛んだった。柳井はセンターポリス近くの漁場で育った水産物をメインとした海鮮料理が並べられた立食会の形式で行われた懇親会で、柳井は舌鼓を打っていた。
「いずれの領邦首都星も水産物生産は行われていますが、プラーヴニックは群を抜いて質がいいと自負しております」
農林水産大臣の
「農林水産業は領邦経営の基礎ですからね。閣下は第二三九宙域総督でもあられる。ぜひ、その点留意していただきたいものです」
「あの宙域はまだ開拓途上にある惑星が多いですから。公国でのノウハウも活用させてもらいたいと考えています」
その後も閣僚達と当たり障りのない会話を続けつつ食事をしていた柳井だったが、場の空気が凍り付くような場面もあった。
「柳井宰相閣下は陛下とは良い関係なのですかな?」
「はい? ……臣下と皇帝の関係が良好であるか否か、というご質問だと理解しますが」
アクセリ・トゥオマイネン保健厚生大臣は皇統侯爵でもあり、当初領邦領主の候補者リストにも名を連ねていた。しかし、その候補から外されるに至ったのが、酒癖の悪さと舌禍の多さにあった。
「ああ、いやいや、そうではなくてですね。男女の仲ということですよ」
「トゥオマイネン、飲み過ぎだ!」
シェフチェンコ首相が顔を青くして保健厚生大臣を羽交い締めにした。
「誰か! 大臣を外に連れ出せ! 酒に酔っている、水を!」
「し、失礼しました閣下。彼はいささか酔っているようで……」
財務大臣のステイシー・パーマーが、こちらも顔を青くして柳井に頭を下げた。
「いえ、お気になさらず。フリザンテーマ公国の酒は美味い。飲み過ぎるのも無理はないでしょう」
柳井としてもここで
過激な発言というなら皇帝もいい勝負だが、下劣なのは困る、とシェルメルホルン伯爵が言っていたことを思い出し、柳井は口直しに、とウオッカを頼んで一気に飲み干していた。
二一時四八分
超空間内
インペラトール・メリディアンⅡ
艦長室
帝都へ戻るインペラトール・メリディアンⅡの艦長室で、柳井は艦長のパウラ・ブロックマイヤー近衛大佐と酒を飲み交わしていた。
「領邦領主選びも楽ではないのでしょうね」
「一代限りで終わらせるならともかく、結局のところ血統相続させていくことになるから問題が大きくなるのだろうな……」
数少ない私的な楽しみが飲酒と読書という柳井において、インペラトール・メリディアンⅡ乗艦時にパウラ・ブロックマイヤー艦長秘蔵のウイスキーを飲むのは極上に近い楽しみだった。
立食会では控えめにしていた酒量だった柳井も、艦長室ではすっかりほろ酔い気分である。それに、元々軍人生活が長い柳井としては、艦長相手に話すほうが話題の共通点も多い。
「時の皇帝がその当時の政府の意向によらず、領主を選ぶことなど不可能だ。今回の場合も、結局先の動乱の後始末という意味合いが大きい。だから領邦領主は若い者と、後継者を持つ者が選ばれている」
「気の長い話ですね。二〇年、三〇年先のことを考えるとは」
艦長が柳井のグラスにウイスキーを注ぎ足し、自分のグラスにも注いで、さらに柳井の相伴に預かっている宰相付侍従であるバヤールのグラスにもなみなみと注いだ。
「バヤール君は酒にも強そうだと思っていたが、これでは象に飲ませるようなものだな」
「恐れ入ります」
悪びれずに飲むあたり、さすがは宰相閣下の部下、と艦長はにこやかに空になったボトルを廃棄物コンテナに放り込んだ。
「しかしトゥオマイネン大臣の一件は、閣下でしたから笑い話で終わりましたが、他の者であれば進退問題モノですね」
バヤールは別件で公国政府との会議に臨んでおり、柳井のいた会食会場には居なかったため、あとで聞いて肝を冷やしていた。
「私でよかったと言うべきだな……不敬罪など死法になって久しいが、領邦議会での政局ネタにはちょうどいい」
トゥオマイネン大臣からは柳井がフリザンテーマ公国を離れてすぐに謝罪のメッセージが届いていたが、柳井は気にしないようにと言う返事を返していた。こんなことでいちいち大事にしていたら、今頃柳井はNOTEはじめ週刊誌の出版社を軒並み提訴せねばならないところだった。
宰相自身の批判にできるネタが少ないというのも柳井の美点である。なにせ宰相就任前は善良なサラリーマンに過ぎず、生活ぶりも社宅として借り上げていたマンションの1DK程度で完結しており、浪費癖もなく、唯一の楽しみが酒を飲むことと読書という人間であり、女性問題もすでに精算済みの離婚だけ。
だからこそ、色恋沙汰のゴシップを好む週刊誌としては、皇帝との関係を勘ぐらざるを得ないところだった。
「艦長はどう思う?」
「陛下が閣下を好いているかというなら、間違い無く好いているでしょう。陛下が自分の嫌いな人間をわざわざお傍に置くほど倒錯しておられるようには思えません」
「使い勝手のいい道具としての好きだろう?」
「さあ、それはどうでしょう。少なくともLOVEではなくLIKEではありましょうが」
「他人の色恋というものが、そんなに気になるモノだろうか」
「暇なんですよ。週刊誌でゴシップ読み漁るような人は」
バヤールの発言に身も蓋もないな、と艦長が微笑む。それにうなずいてから、柳井はグラスの中身を飲み干した。
一一月一九日一四時二三分
ライヒェンバッハ宮殿
樫の間
柳井とシェルメルホルンは先に領主候補の二人の皇統が了承したことは伝えていたが、帝都に戻って改めて皇帝に直接報告していた。
「二人ともご苦労さま。これで領邦領主問題は解決ね」
「受けてくれて幸いでした。断られたらどうしようかと」
シェルメルホルンとしても断られることを想定して準備は進めていたが、第一候補者で決定できたのは幸いだったと安堵していた。
「そのときは私がやるから大丈夫よ。今からでも代わってほしいくらいだわ」
「陛下」
柳井の『陛下』の声音には窘めるような響きが多分に含まれていた。
「はいはい……ところで、義久」
「はい?」
「あなたフリザンテーマ公国でなにかあったの? 首相が詫びを入れてきたのだけれど」
シェフチェンコ首相は柳井に対する自身の発言およびトゥオマイネン大臣の不敬な発言について詫びたのだが、これは柳井から皇帝にそれらが報告されているだろうという深謀遠慮からだった。実際には、柳井はフリザンテーマ公国で起きたことについて、柳井は領主内示の受諾の件以外何も伝えていない。
「ああ……まあ、先の動乱の影響で気が立っていた、とだけ」
「そう。まあシェフチェンコは元々気が短いから。なんであそこの領邦はそういう人間がトップに行きやすいのかしらねえ。前フリザンテーマ公爵もそうだったけど」
このように、多少の舌禍は柳井が揉み消すことが多いのだが、これが功を奏して首の皮が繋がった者も多い、と後に伝えられることになる。皇帝自身も面前で罵倒されない限り、又聞きで相手を処罰するよう命じたりするほど短気ではない。
「ともかく、領邦領主の件は宰相府に助けられたわ。あとは宮内省に任せていいはずだけど……領邦領主用の紋章のデザインとか、まあそのあたりは典礼庁と領主殿下に任せるとして……あ、そうだ思い出した」
皇帝はそう言うと、柳井に様々な図案が記されたスケッチブックを差し出した。
「義久、あなたもいい加減紋章作りなさいよ。いつまでも汎用品使ってたら格好つかないでしょ」
「あの、陛下これは?」
「私がデザインした試案よ。もちろん、あなたが自分でデザイナー見つけて作らせるならそれもよし」
メアリーⅠ世は多才で多芸で多趣味、と後の世にも伝えられることになるのだが、その特技の一つが紋章のデザインである。領邦領主をはじめとして、皇統貴族、帝国貴族はそれぞれ個人識別のための紋章を持つのが一般的である。共通デザインは野茨の蔓と花をあしらうのだが、これに何を加えるかは紋章の持ち主の自由だった。
「陛下はデザインのセンスもおありでしたか」
「油絵に水彩画は昔から、最近はじめたのは水墨画ね。あれも奥深いわねえ。紋章デザインは初めてだったけど、割とよくできたんじゃないかしら」
「しかし私は爵位を継がせる者もおりませんし、汎用紋でも問題ないのでは……紋章デザインはあくまでデザインでしかありません」
実際のところ、紋章が本物かどうかを示すのはシーリングワックスに仕込まれたナノマシンによる生体認証をはじめとする電子証明書である。これは加熱されることで活性化し、紋章印――多くの場合指輪に埋め込む形で所持する――と接触することで効力のある印章と認識される。
柳井はこれまで皇統貴族用の汎用紋、つまり野茨の縁取りの内側に帝国の国鳥であるゴシキヒワが翼を広げた姿を象ったものを使っていた。これは文書への訂正印や軽微な事務用のものであり、皇統伯爵、そして帝国宰相となっている柳井には不釣り合いなものだった。
「皇統には皇統の品格ってもんがあるのよ。紋章院からもいい加減決めてほしいと催促されてたんじゃなくて?」
紋章院は宮内省外局の一つで、皇統貴族の紋章の管理、紋章印の制作や再発行を行う部局である。皇統伯爵になってすぐに紋章院は柳井に紋章決定の要請をしていたのだが、あまりにに多忙かつこだわりがなさ過ぎる柳井に忘れ去られていた。
「……そんなこともあったような気がいたします」
「ま、選ぶだけなら時間掛からないでしょ。夕方までに決めて紋章院に伝えてちょうだい」
一五時〇六分
楡の間
「皇帝陛下からデザインされた紋章を下賜されるなんて、異例です」
「そうなのか?」
「はい! 記録を見ても、おそらく初めてのことかと」
「そうなのか……」
ジェラフスカヤに言われて、柳井は驚いた様子でスケッチブックを眺めた。
「しかし今の今まで汎用紋で通しておられましたが、これでようやく閣下の出される文書にも箔がつきますね」
「言ってくれれば良かったんだ……」
「何度も申し上げました」
ジェラフスカヤに言われ、柳井はここ数ヶ月の記憶を手繰ってみたが、思い出せなかった。
「まあ、ゆっくり選ばれることです。あとから変更するとなると手間がものすごいですから」
「……そういうものか」
ジェラフスカヤからコーヒーカップを受け取った柳井は、再びスケッチブックに目を落とし、自分が終生使うことになるであろう紋章を選ぶ作業に戻った。
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