第47話-② 領主の品格
帝国暦五九〇年一一月一六日九時四〇分
ライヒェンバッハ宮殿
楡の間
「とりあえずは第一次の資料を基に候補者を絞り込みました」
皇統貴族のプライベートに触れる事項が多いため、シェルメルホルン伯と宰相付侍従職の三人で絞り込まれたリストを見た柳井が、苦笑しながら手渡された合成紙の束を眺めていた。
「それでも五〇人も残った、と」
「皇統貴族、それも伯爵以上の爵位を持つ皇統と政府閣僚経験者から絞り込んでです。随分削ったものですよ」
皇統貴族は帝国暦五九〇年一一月段階で二五五四名が存命で、そこから子爵、男爵を除いて一七六名。うち現在至尊の冠を戴く皇帝メアリーⅠ世、帝国宰相皇統伯爵の柳井、ピヴォワーヌ伯爵オデット、パイ=スリーヴァ=バムブーク侯爵オスカー、宰相府事務総長シェルメルホルン皇統伯爵に、ヴィオーラ伯爵の
政府閣僚経験者については基準が厳しく、新たに皇統譜に書き加えられるだけの功績や品位の持ち主となると、帝国中央政府、領邦政府、自治共和国政府まで広げてもわずかに二〇名しかいない。それでもかなり辛口なコメントが残されており、伯爵と宰相付達のお眼鏡にかなう人物になるのは大変そうだ、などと柳井は他人事のように考えていた。
「しかしここまでくると、私でも顔と名前を知っている皇統がほとんどだな」
「それはそうでしょうね」
「……しかしこの中から領邦領主か……まったく実感が湧かない」
「奇遇ですね、私もです」
柳井が物心ついたときには、すでにフリザンテーマ公爵は前フリザンテーマ公爵のアレクサンドルだったし、前コノフェール侯爵にしてもすでに領主となって一〇年以上経っていた。おまけに数代前からの血統相続である。
皇帝が代替わりしてまだ一年も経たないうちに、今度は領主も変わるというのは柳井をして戸惑いを隠せなかった。
「フロイラインからのデータは?」
「反映済みです。能力的に除外するのが惜しい、という人物をリストに残しました」
「なるほど……」
柳井が資料を見て思ったのは、幾人かの人物についてよからぬ噂を耳にしているということだった。噂であり事実かどうか定かではないものの、先の動乱後に領主に据えるのだから、できるだけクリーンな人物、そしてクリーンな家に任せたいというのが本音だった。
「プレーディガー公爵は、確か女性問題で大分パパラッチに追い回されていたような」
「ええ、NOTEでは特集記事も組まれていましたね。ハドラヴォヴァー伯爵は能力的には問題ないですが、あまりに学者肌過ぎますか」
「領民受けするかどうかは疑問符が……
このように、ローテンブルク探偵事務所の調査を待つまでもなく明るみになっている不祥事も多々ある。不倫などの人間関係については考慮すべきかと問われれば、個人の自由と言い切ることも可能だが、あまりにひどいから週刊誌などにすっぱ抜かれるのであり、領主に据えるのは避けたいと考えるのが当然だった。
国税関連の不正についても見逃すわけにはいかない。宰相府が審査して皇帝が裁可した領邦領主が、国税未納付や脱税で強制執行など受けては面目丸潰れでは済まない。
さらに企業経営者であれば労使関係問題や環境問題などへの影響を考慮せざるを得ないわけで、これでさらに数人が脱落。
こんな会話が昼食を挟んで四時間ほど交わされ、リストからさらに三〇人が除外された。
「これでとりあえず、陛下にも見てもらうことにする。アマリリスの間で陛下がお待ちだ」
「わかりました」
一四時一二分
アマリリスの間
アマリリスの間は宮殿中庭に面した一階にある部屋で、サンルームが併設されている。帝国本国各地の視察を終えて、早朝ウィーンにたどり着いたという皇帝は疲れも見せずにティーカップ片手に政務を進めていた。
「陛下、御前に」
「ああ、来たわね。まあ掛けなさい、お茶でも飲みながら話しましょ」
柳井とシェルメルホルンがソファに着くと同時に、侍従が紅茶を注いで二人の前に差し出した。
「帝国皇統二〇〇〇人と言っても、絞り込んだらこれだけ、と。案外人材が居ないのね」
「とはいえ、能力だけでも、爵位だけでも務まらないのが領邦領主にございます、陛下」
シェルメルホルンの言葉に、皇帝は微笑みながらうなずいた。
「それはそうでしょうね。人気商売で済む皇帝に比べれば、領邦領主は実務能力もある程度求められるもの……柳井はこのリスト見たの?」
「は、ひととおり目は通しましたが」
「そう。めぼしい候補は居た?」
「フリザンテーマ公爵としては
「その心は?」
「胡新立侯爵はまだ三二歳と若いですが、フリザンテーマ公国ならば官僚機構や政府組織がしっかりしています。何せあの酒浸りの前フリザンテーマ公爵の統治で問題は起きておりません」
また、老齢だった前領主の後任としては、若い女性のほうが変わり映えがするというのも柳井の考えだった。
「ニコライディス侯爵は六四歳です。先の動乱の処理をしていて明らかになったのですが、どうも前侯爵は政策決定等でかなり熟慮、というより優柔不断な面があったようです。経験不足かはたまた……まあともかく、ニコライディス侯爵は西部軍管区行政局長を務めていたこともあり、隣接するコノフェール候国の地理にも明るい・ご子息も四人おられ、今後の後継候補としても不足無いかと」
「経験豊富なベテランを宛てがい安定を図る、というわけですね」
シェルメルホルンの補足説明に、柳井はうなずいてからティーカップに手をつけた。
「なるほどねえ。問題はその二人が受けてくれるか、か」
「胡新立侯爵は現在フリザンテーマ公国のプラーヴニック中央大学経済学部学部長で、ニコライディス侯爵はコノフェール候国政府参与です。状況は理解しているでしょうし、要請を受諾する可能性も含めての順位付けを行ってあります」
「勅命でもって強制的に、というのは避けたいわ。何せ領邦領主の椅子って言うのはそんなに軽いものじゃないのだから」
皇帝はそういうと、スコーンにアプリコットのジャムを塗って頬張った。
「ま、万事宰相府に任せるわ。当人たちに話してみて、受けてくれるならそれでよし。だめなら次善の候補を立てるもよし、私が代理として面倒見るもよし」
気楽な調子で言ってのけた皇帝に、柳井が首を振った。
「すでに陛下はヴィオーラ伯爵であられます。この上二領邦も代理を務めるなど前例がありません」
「面白そうじゃない、三領邦も好き勝手にできるなんて」
「陛下」
柳井がいつもの調子でいさめると、皇帝は悪びれる様子もなく肩をすくめた。
「はいはい。ちなみに次善の候補については大丈夫?」
「リストの残りで十分に。まあ胡新立侯爵もニコライディス侯爵も、引き受けてくれる可能性は高いと思いますが……というよりも、元々この二人は陛下のリストでもかなりの上位にあった人物です」
「そうね。面識がないから」
皇帝の言葉に、柳井とシェルメルホルンは顔を見合わせた。
「面識がないのですか?」
「まあ一度くらい宮殿の園遊会だのなんだので顔を合わせたかもしれないけど、いちいち覚えてられないわ」
「それではなぜ」
柳井の問いに、皇帝がいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「だって、私と面識がある人間だけで固めたら身内人事だと批判されるでしょう? 帝国中央と領邦は対等な関係でなければならないわ。であれば、私と疎遠な人間だって登用しなければならない」
「ごもっともかと。それでは、人柄についてはあまりご存じないと?」
「ええ。だからあなたたち二人にはその点の最終確認をお願いするわ」
この瞬間、柳井とシェルメルホルンの出張の日程がスケジュールに差し込まれた。
一一月一八日一五時三九分
フリザンテーマ公国首都星プラーヴニック
プラーヴニック中央大学
総合研究棟 経済学部学部長室
整然と片付いた学長室の応接机を挟んで、柳井は次代フリザンテーマ公爵候補である胡新立侯爵と対峙していた。
「――という次第でして」
「……私に公国の領主をやれと?」
「はい」
こともなげに言った柳井が、注意深く胡新立侯爵の反応を見た。三二歳にしてプラーヴニック大学、つまり領邦の最高学府の経済学部長を務める才女であり二児の母。
切れ長の目に緩いウェーブの掛かった栗毛の女性は、目の前に居る帝国宰相を値踏みするようにじっと見つめていた。
柳井達が彼女に白羽の矢を立てたのは、彼女自身が前フリザンテーマ公爵との確執で公国内の政治にノータッチだったこととも無縁ではない。ともかくフリザンテーマ公国では永田文書で告発された皇統の数がほかの二領邦に比べて多く、公国皇統界の堕落ぶりが明らかになっていた。
「陛下は、このことをご存じなのですか?」
「はい。是非に、と仰せです」
「陛下がご存じであれば……断る理由はありませんね」
侯爵は物静かで、ともすれば無感動で、無機的な人物のように柳井には思えたが、そこはヴィシーニャ侯爵のような例があるので領邦領主として異様というわけでもないだろう、と納得しておいた。
「では」
「大任を果たすべく、尽力いたしましょう」
「ありがとうございます、侯爵」
「しかし、経済学馬鹿でしかない私に領邦領主をせよとは、陛下も宰相閣下もなかなか無茶をおっしゃる。噂に聞く人使いの荒さは事実でしたか」
まさかそんな噂が流れているとは思わず、柳井は苦笑いを浮かべるしかなかった。
「まあ、実際に国家を動かすのは領邦政府とその下にある官僚機構です。ただ、政策面では侯爵のセンスが要求されます」
「なるほど……これはあくまで内示ということで?」
「はい。後ほど正式に勅令が出されます。公爵へ位が進むので、典礼長から遣いのものも来ることになるでしょうね」
「では、勅使を迎えるのに精々盛大な式典でも開きますか」
侯爵は慣れない冗談を言ったのか、ややぎこちなく柳井には聞こえた。
同時刻
コノフェール侯国首都星エピシア
ニコライディス侯爵邸
「……お断り申し上げたいところだが、領主家を空にしておくわけにもいかない。誰かがやるべき仕事ならば、私がやらねばなるまいな」
不承不承といった雰囲気を隠しもせず、テオ・ニコライディス侯爵はシェルメルホルン伯爵の言葉にうなずいた。
「ご高察恐れ入ります」
「これも皇統の務めとなれば仕方あるまいよ。君たちが私に目をつけたのは、子供達のことを考えてのことだろう?」
「領邦領主は血統相続が基本となれば」
本来国父アーサー=メリディアンⅠ世が志したのは血統によらない皇帝と皇統の存続であり、そのために能力主義で皇統貴族は増やされてきた。
しかしながら、領邦領主のようにその領邦に根付いて、領民の生活に直結するような皇統の場合、どうしても知名度や人柄といった要素が重要視されてしまい、それらに加えて領邦経営の才覚を身につけさせるとなると、どうしても一つの家が相続により領邦領主を続けるのが最善となってしまっていた。
領邦領主家の入れ替えは、帝国では三二一年クラウスの乱の仕置き以来のこととなる。
「なるほどな……特に長男のイオアニスはどこに出しても恥ずかしくない傑物だ。親馬鹿かもしれんがね」
「中央官僚界に送り出せば、間違い無く事務次官まで約束されているようなものです。政界に送り出せば首相、軍人にすれば中将は堅いかと」
シェルメルホルン伯爵はおべっかでこのようなことを言ったわけではなく、ニコライディス侯爵公子イオアニスは、誇張抜きでどのような業界でも第一人者になれると考えられた。秀外恵中にして能工巧匠、万能とは彼のためにあると言わんばかりの才覚だった。
「イオアニスは何でもできる。できるがゆえにいささか腰が定まらない。我が家が領主家となれば、おのずと道を示すことにもなるだろう」
侯爵公子イオアニスはまだ二三歳の若者だ。侯爵自身が引退を考える八〇代になってもまだ四三歳。ちょうど人間的にも脂がのった頃。二〇年後自分が何をしているかはさっぱり予想がつかなくなったシェルメルホルン伯爵は、とりあえずそれはおくびにも出さず、会話を続けた。
「では、勅令はまた後日出されることになると思いますが」
「わかった。しかしコノフェール侯爵は私がやるとしても、フリザンテーマ公爵はどうなったのだ?」
「それは開けてびっくり玉手箱。後の楽しみと思っていただければ」
この時点でまだシェルメルホルン伯爵は胡新立侯爵が要請を受諾したかは知らないので、適当にごまかしていた。
「もったいぶるのだな。大方胡新立侯爵ではないかと思っているのだが。大方の予想でもある」
「……もう出回っていますか。まったく、皇統の方々の口の軽さには呆れたものですね」
帝国高官の人事が事前に漏れるなどと言うのは日常茶飯事ではあったが、皇統、それも領邦領主でも変わらない。
「君とてその端くれだろうに。まあ、私が前コノフェール侯爵とは疎遠だったことを考えれば、フリザンテーマ公爵もその線で行くと考えるのが自然だ。ついでに言えば、皇帝陛下ともあまり関係が深くないことも関連しているのだろう?」
「これはこれは……簡単に読まれるようでは、宰相府の実務能力に疑いを持たれてしまいますな」
冗談めかして言って見せたシェルメルホルン伯爵だったが、実際選択肢が少なかったのも事実だ。もし胡新立侯爵やニコライディス侯爵が断っていたら、能力的にも知名度的にも一段落ちる候補者に依頼することになっていたからだ。
あまりに派手すぎる必要は無いが、それなりの識見とセンス、それに知名度を持つ人間でなければ領邦領主に新たに据えるなど
そして新たな課題、皇統貴族の質的向上が浮上した瞬間でもあった。
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