第47話-① 領主の品格
帝国暦五九〇年一一月一二日九時一二分
ライヒェンバッハ宮殿
海棠の間
一一月も半ばになり、秋も深まり冬の片鱗を見せ始めた帝都ウィーン。ライヒェンバッハ宮殿の中庭の楓の木も色づいている頃に、柳井の暮らす海棠の間に来客があった。
「いかがでございましょう? お申し付けの通り、少しゆとりを持たせてあります」
「とてもいいですね。これがオーダーメイドというものですか」
二週間ほどの時間を要し、柳井のオーダーメイドスーツが完成した。最終的な納品の為に宮殿海棠の間――柳井の居室――を訪れた
地味な鉄紺色のシングル三つボタンのスーツは遠目には柳井がこれまで着ていた吊しの量産スーツと変わりない。しかし近くで見れば、縫製一つ取っても最高級のものと、見る人が見れば分かるだろうと柳井でさえ思えた。
サイドベントにしたことで重厚感もあるし、それでいて立ち座りなどの動作を阻害せず、着用者の動きに追従するしなやかさがあり、型崩れせずすっきりとしたシルエットを保つ。
スラックスにしても、センターラインが美しくなるようにと裾にはバラストを入れる徹底ぶりで、柳井のような中年男性でも――彼はそれなりには顔が整っている優男ではあるが――
「スーツに合わせてシャツ、それに履き物も揃えております」
スーツは上下併せて少しずつ色合いを変えてまとめて四着、シャツが一〇枚、さらに靴とネクタイ、ポケットチーフなどをまとめてオーダーしたため、値段はそれなりのもので、請求書を見た柳井は目眩を起こし掛けたが、柳井の俸給レベルからすればむしろこの程度は当然の出費だった。
しめて三五〇万帝国クレジット。これはシェルメルホルン皇統伯爵や皇帝からの紹介があってこそ優待価格だっただけで、本来この一・五倍は取られても仕方がないものだった。
「今お使いの礼服についても、問題がなければそのままお使いいただければ結構ですが」
「あれもブッシュバウムさんが?」
メアリーⅠ世戴冠式の際、皇帝直々に柳井に下賜したモーニングコートも、実はブッシュバウムの手によるものだった。アジャスタブル機能付きの礼服はブッシュバウムの店で仕立てると五〇万帝国クレジットは下らないものなのだが、当の柳井はそれを知らないままである。
「はい。陛下……当時はまだ公爵でいらっしゃいましたが、伯爵閣下にみすぼらしい格好をさせるわけにはいかないと張り切ってオーダーされておりまして」
「それはまた……」
「ぜひ、長くお使いください。私の店が続く限り、責任を持ってお手入れいたします」
九時三二分
樫の間
「陛下、おはようございます」
「おはよう、義久……あら、いいスーツ。サラの見立ては正しかったようね」
「いいものはいい、と月並みな言葉で恐縮ですが、動きやすさからして違いますね」
「そりゃあ、寸法ちゃんと計ってるんだもの、当然よ……ただ、ネクタイは地味ね。ちょっと来なさい」
皇帝に手招きされて歩み寄った柳井のネクタイを、皇帝はあっさりと解いた。
「確かここに……ああ、これこれ……ジッとしてなさい」
皇帝は執務机の引き出しを漁ると、細長い小箱を取り出した。取り出されたのは深紅のネクタイ。蛇の目の小紋入りのもので、これを皇帝自ら柳井の首に締め直した。
「これでよし。大分男が上がったわね」
「……これを、私に?」
柳井は目を丸くしてネクタイと皇帝を交互に見た。
「あなたのスーツが出来上がってから渡そうと思っていたのよ。あの吊しの量産品にこのネクタイじゃ不釣り合いでしょ?」
「ありがとうございます……しかしいささか派手ではありませんか?」
「そのくらいのほうが押し出しがいいの。何事も形から入るのは大事なことよ」
「ははっ……ありがとうございます陛下」
「ま、日頃の精勤に報いたとでも思ってちょうだい。お返しは政策推進を加速させるってことで」
「コストパフォーマンスのいい贈り物ですね」
「あら気付いちゃった? ま、期待してるわよってこと。和平についても話が進んでいるようだし、次は省庁統廃合・整理のほうかしらね」
宰相府が進める政策は多岐にわたるが、その中でも重量級に位置するのがこの省庁統廃合・整理計画だ。何せ大規模な省庁の統廃合については三〇〇年近く行なわれていない。それだけ現在のシステムでも問題が無いとも言えたが、
「は、現在各省の所轄を洗い出している最中ですが、年内には草案をご覧いただけるかと」
「わかった。今日から本国各地の視察に行ってくるから、留守番頼むわね。四日後には戻るわ」
「かしこまりました」
皇帝の仕事は宮殿の椅子を磨くにあらず。メアリーⅠ世に求められるのはともかく帝国中に顔を出すことだった。帝国の広告塔とは皮肉でも冗談でも無く実務としての皇帝の役割を的確に言い表しているものだ。
九時四六分
楡の間
「おはようございます宰相閣下……それがオーダーされていたスーツですか? とてもよくお似合いです。ネクタイもご立派です。いつもより派手に見えますが、そのくらいのほうがいいですよ」
すでに今日の業務を開始していたハーゼンバインが、驚いたように柳井の姿を見ていた。
「ありがとう、ハーゼンバイン。今日は君がこちらか」
「はい。ジェラフスカヤは公休、バヤールが国土省、非常事態省を回った後こちらに。事務総長は与党議員団との会合に、外協局長は内務省をまわってからこちらへ。一一時過ぎにはこちらに戻るそうです。
「わかった、ありがとう」
宰相付侍従の仕事は多岐にわたり、柳井の指示で各官庁のケツを叩き、宰相府に入れば各種政策推進のための法令の草案を練ることもあるし、柳井の名代として各地に出向くこともある。三人付けられたのは休暇を交替で取らせるためでもある。
柳井自身の補佐についても職務の内であり、三名の内一名が必ず楡の間に控えることとなっているが、柳井からすれば三人の侍従それぞれの仕事のスタイルを垣間見ることになり中々興味深い毎日を送っている。
「閣下、先の動乱について、文化教育省の有識者会議から呼称についての案が来ております」
「公文書に残すからには統一呼称が必要なのは分かるが、時間が掛かりすぎではないか?」
ハーゼンバインが転送してきた資料に目を通した柳井は、しかめ面で冗長な会議内容を読み飛ばして結論の
有識者曰く、三二一年に発生した乱と異なり、当代皇帝自身の関与した叛乱かつ鎮圧に動いた前マルティフローラ大公フレデリクに非があったのだから、罪人の名から取ってフレデリクの乱とすべきという意見と、当代皇帝が正当性を主張して起こした叛乱なのだからメアリーの乱とすべきという意見、そして当代皇帝の名を叛乱の名に付けることも不敬であり、かつ前マルティフローラ大公フレデリクは非があるとはいえ当時の帝国全権を持つ者であることは疑いなく、単に五九〇年の乱でいいのでは無いかという意見が上がっているようだった。
「陛下に奏上したところで、自分の名前を付けるというのが目に見えているな。あのお方はそういうことを好まれる」
「では五九〇年メアリーの乱でよろしいのでは?」
「ハーゼンバインの案が無難か」
柳井の予想通り、皇帝に送ったチャットの返信には『よしなに』の一言だけが帰ってきた。すでに座乗艦インペラトリーツァ・エカテリーナの艦上にいるはずの皇帝だが、執務はこのようにチャットで簡便に取り行なうのが常だ。
「――ということなので、文教省にはそのように」
「はっ」
柳井の執務はこのように皇帝宛の様々な奏上を予めふるいに掛け、所感を付け加えた上で奏上することと、皇帝に奏上するまでもないものを代理決裁することが多かった。帝国中から送られる奏上を全て皇帝が目を通していたら、皇帝は寝る間も無くなるとはジョークではないリアルな表現である。
「閣下、国防省より来月の五九〇年の乱戦没者慰霊式典の挙行についての草案が来ておりますが……」
ハーゼンバインの口調に陰りがあることに気付いた柳井が顔を上げた。
「どうかしたのか?」
「いえ、マルティフローラ大公国、フリザンテーマ公国、コノフェール候国からの来賓者に現在の領主代理などが名を連ねていないのが気になりまして」
「余計な気を回してくれたか……陛下がそのようなことを気にされる方と思われるのが問題だ。国防省には領主代理もしくは現領主と軍の代表者を呼ぶように変更させてくれ」
「はっ」
国防省としては、メアリーⅠ世の敵、つまり賊軍の長を呼ぶなど言語道断であるといいたいのだろうが、それをすると領邦と中央政府や皇帝の間に隙間風が吹いていると思われかねない。
皇帝自ら前大公に着いた勢力の皇統や将兵は罰しなかった――領主と一部の軍高官を除く――のだから、現在の領主代理や軍司令官などは呼ぶべきと考えるのが自然だ。
「しかし、マルティフローラ大公国はともかく、フリザンテーマ公国とコノフェール候国も早く領主を探さないといけないな……」
マルティフローラ大公国については前大公の娘が乳児であったことが幸いして、血統相続で丸く収められた。しかしフリザンテーマ公国とコノフェール候国については前公爵、前侯爵の子供や親類にも公金横領などの形跡が見つかりすでに送検されている。
そのため皇帝の出した結論はお家取り潰しの上で領主家入れ替えだったのだが、領主たりうる器を持つ皇統というのはそう多くない。リーヌス・フォン・マルティフローラのようにこれから教育するというのも一つの手だが、三領邦もイレギュラーな代理のままでは不安定すぎる、というのも皇帝の考えだった。
柳井ら宰相府は宮内省と共に後任者リストの作成と打診を続けているが芳しくなかった。
「中央政府や領邦政府の首相経験者を皇統に格上げしてみては?」
「能力的に足りるだろうか。領主には領主なりの才能が必要だ。それに領主として君臨するにはカリスマもある程度必要になる。中々……」
あの前フリザンテーマ公爵や前コノフェール侯爵ですら、領地での支持率は六割を切ることはなかったことを思えば、血統相続の力と本人の幼い頃から受けてきた帝王教育は無関係ではない。政治業者になりかけているような首相経験者では太刀打ち出来ないノブレス・オブリージュの精神が培われていなければ、領邦領主など務まらないというのが柳井の私感だった。
「まあ四の五の言っていられない。陛下からも候補者について矢の催促と同時に候補者リストが送られてきた。この精査も宰相府でやってもらおう。最終候補の選定は私とシェルメルホルン伯で」
「わかりました。直ちに」
その間に、外回りを終えたバヤールが楡の間に戻ってきた。
「ただいま戻りました」
「ご苦労、バヤール。報告を聞こうか? ハーゼンバイン、コーヒーブレイクにしよう。伯爵、宇佐美さん、マルテンシュタインさんにこちらへ来てもらおう」
数分して楡の間へ宰相府幹部と二人の宰相付侍従、それに柳井本人が集まってバヤールの報告――国土省と非常事態省の統合計画について――が行なわれた。
「当然ですが芳しくありません」
「だろうな」
バヤールの報告はごく簡素だったが、柳井のリアクションはそのさらに上を行った。
国土省はその名を示すとおり帝国の半径一万光年にもなる版図の内にある天体とその地表部の管理などを担当し、航路の安全確保を外局である航路保安庁などと共に行なうのが仕事の巨大官庁。一方非常事態省は帝国版図内での非常事態、つまり戦災、天災、疫病の蔓延をはじめとする災害対処の指揮対応を行なうこちらも巨大官庁である。
国土省は巨大になりすぎた組織のスリム化の一環として、国営交通事業――各地を結ぶ定期連絡線、低軌道エレベータ環状線、各惑星上交通――と航路管制業務と航路保安庁を独立させた上で、交通省として独立させることを考えていたが、猛反発を喰らっている。
非常事態省については、省と名が付くものの実際の業務は各行政区分の警察、消防、医療機関などが対応するものであり、規模としては庁規模でしかない。
これを首相府に統合して首相が一元管理できるようにするのが狙いだったが、やはり反発を喰らっている。
「まあ、勅令出せばそうせざるを得ないでしょうが、その間にどれだけ中央政府の先生方の不祥事がリークされるかは
コーヒーを飲みながら悠然と言い放ったシェルメルホルン伯に、全員が苦笑いを浮かべた。
「まあ、人間誰もが叩けばホコリが出るというが……失礼、柳井宰相閣下は叩いて出るホコリもありませんかな?」
「ホコリさえ持ち合わせていない貧乏人、と仰りたいならそういえばよろしいんですよ?」
「いやまさか。閣下よりも私のような亡命者にこそ、よりふさわしい表現ですな」
外協局長マルテンシュタインが肩を竦めながらバヤールが買ってきたケーキを頬張る。
「まあそれはともかくだ……省庁統廃合は陛下からも尻を叩いてもらうとして、問題はこちらだ」
「フリザンテーマ公国とコノフェール候国の領主ですか……」
宇佐美がモンブランを食べ終えてコーヒーを飲み、溜息交じりに柳井が表示させた資料を見ていた。
「陛下からも候補者リストをもらってはいるが、まあ、本人の意思次第でもある。身辺調査についても厳重にというのが陛下のお考えだ。前マルティフローラ大公らのようなことがあっては、な」
そこで柳井は自分の引き出しから合成紙製の紙束とデータチップを取り出した。
「これはローテンブルク探偵事務所に依頼した今回の領主候補者の身辺調査データ。その第一次調査分だ。とりあえず帝国法に触れるようなことをしていないかだけだが、第二次、第三次調査は親類縁者の関係も洗い出してもらう。とりあえず、これと照らし合わせておいてもらいたい」
柳井が以前フロイライン・ローテンブルクに頼んでいた仕事とは、この身辺調査書のことだった。一同は溜息交じりに残っていたコーヒーを飲み干し、ケーキを頬張って各々の仕事へと戻った。
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