第46話-④ 和平へのきざはし

 帝国暦五九〇年一〇月二六日一五時三二分

 帝都 ウィーン

 ライヒェンバッハ宮殿

 楡の間


「ご苦労でした、外協局長」

「次のデートの約束は取り付けました。あとは向こうの事情次第でしょう。次回は数ヶ月以内というのが私の読みだが」

「さすがはFPUの宿将。向こうのご婦人の心を掴むのはお手のものですか」


 柳井はマルテンシュタインの提出した議事録と所感を纏めたレポートを読みながら、マルテンシュタインに笑みを向けた。


「どうでしたか? 向こうの感触は」

「戸惑い八割、疑い二割といったところです」

「でしょうね。待ち合わせ場所に来ないほうに賭けてもよかった」


 柳井としては主義派から使者が来て、マルテンシュタインと会談しただけでも今回は成功と考えていた。


「こちらはどうです?」

「INSPIREとの議事録はこちらです」


 柳井はマルテンシュタインの端末に先日行なわれたシンクタンクとの議事録を転送した。マルテンシュタインは議事録をザッと読んでから満足そうに頷いた。


「地に足着いた意見だ」

「それはよかった。帝国にとって帝国の構成体ではない者との、まともな外交は史上初めてのこと。若手の中から人材育成もしなければ……」


 外交とは交渉の積み重ねであり、中央政府の決定を一方的に通知することではない。帝国に外務省がないのは、領邦だ自治共和国だといっても独立性が薄い部分が多いことと無縁ではない。


「内務省や首相府に任せてはおかない、と?」

「内務省はともかく、本来首相府に任せたいのですが……」


 柳井が危惧していたのは、この案件を首相府に委ねる場合、政権交代のタイミングで外交姿勢が大きく転換して、それまでの交渉が決裂しかねないという点にあった。今はムワイ政権の支持率が高いとは言え、帝国臣民にとって辺境を不当に占拠する賊徒、という認識は根深いだけに、和平を唱えることの難しさがあった。


「向こうも同じようなことで悩まされるだろうな。四〇〇年以上賊徒だ皇帝を僭称する独裁者だのと言い合っていたら、まとまるものもまとまらない。この問題を片付けるには長い時間が必要だ……ただ政治的な妥協はできる。そういうことは得意だろう? お役人という人種は」

「我々もその一角を為しているわけですが」


 やや嫌味を込めたようなマルテンシュタインの軽口に、柳井は穏やかな笑みを浮かべたまま答えた。


「その通りだ。ともかく、次回会談の日程が決まり次第、また私が出向くことになるが、いずれは宰相閣下ご自身にご臨席いただきたいものだ」

「是非もない。私が行ってまとまる話ならどこへでも」



 一六時五八分

 帝都旧市街

 ベイカー街

 ローテンブルク探偵事務所


「フロイライン。前の情報は随分役立ちました。おかげでこちらの仕事もスムーズに進みそうです」


 相変わらず、雑然を通り越して混沌とも言うべき乱雑な事務所を訪問した柳井は、片付けと口論に勤しむ事務所の主達を見ながら近所のコーヒースタンドで買ってきたアイスコーヒーを飲んでいた。


「宰相閣下にお褒めいただけるなら、私達も株が上がるってもんですよ」


 エレノア・ローテンブルクは嬉しそうに応えながら、ゴミ袋にインスタントラーメンの空き容器などを詰め込んでいた。


「まあ公言できねえけどな。バラしたらウチクビゴクモンの上でハラキリシチューヒキマワシだぞ」


 やや物騒なことを古風な言い回しで表現したのは、エレノアの助手のハンス・リーデルビッヒだ。ナノマシンによる補助脳を埋め込んだ彼の本業は情報泥棒、あるいはアナリストの筈だが、今はホコリの積もったテーブルを雑巾片手に拭いている。


「分かってるわよ! ほらハンス早くその食いさしのラーメン流しに捨ててきなさいよ!」


 自分が宰相になっても同じような対応を続けている探偵コンビに、柳井は安堵していた。とはいえ会社員時代なら何の気なしに来ることができた事務所も、今では私服の近衛兵が十重二十重に取り囲み警備している有様だ。


「随員が多いですね柳井さん」

「護衛を付けないとバヤールあたりがうるさいもので」

「近衛だけじゃなくて、内務省の公安調査部もいますからね。外事課も出張ってバチバチしてますよ」


 書籍やら使い古しの電紙ディスプレイが積まれ、生乾きの洗濯物が吊された事務所の窓から路地を見たハンスの言葉に、柳井は不機嫌そうに鼻を鳴らした。彼がここまで不満を表に出すのは珍しい。


「公調は前の動乱で私達を仕留め損ねたうえ、その後飼い主の事務次官が更迭されたので根に持ってるんでしょう」

「気をつけてくださいよぉ、柳井さんもNOTEの今すぐ死んで欲しい帝国要人ランキングが上がってきてますから」

「週刊誌のランキングで上がるのは構わないのですが……」


 柳井は苦笑して、立ち上がって窓の外を眺めた。


「ところで、追加の依頼があって来たのですが」

「なんなりと、宰相閣下」

「実は――」


 柳井の依頼を聞いたエレノアは目を爛々と輝かせ、ハンスはうんざりとしたように項垂れながら流し台の掃除を始めた。



 一七時四八分

 シェルメルホルン皇統伯爵邸

 応接間


「では、採寸は以上です」


 メジャーをカバンにしまった老紳士が、シェルメルホルン皇統伯爵に笑みを向けた。彼は帝都旧市街で旧連邦時代から続いている仕立屋テーラーの二三代目の店主、パトリック・ブッシュバウム。皇統貴族のみならず、帝国貴族、財界、政界の著名人御用達という、柳井なら絶対に手を出さない類いの高級スーツを数々手がけてきた。


 柳井が仕事の多忙を理由に仕立屋への訪問を先送りし続けていたことを受け、皇帝自ら宰相府事務総長のシェルメルホルン伯に勅令を出したのが今朝のこと。柳井は帝都旧市街に出るついでにシェルメルホルン皇統伯爵邸に呼び出され、たった今、彼女が手配していた仕立屋による採寸が終わったところだった。


 これまでの人生、とりわけ帝国軍に入隊してからは軍服、アスファレス・セキュリティ時代には社の制服はほとんど腕を通さず吊しの量産スーツで済ませてきた柳井が、人生で初めてオーダースーツを揃えたことになる。


「仕上がりましたらご連絡差し上げますが、サラ様に連絡したほうがよろしいですかな?」

「ええ、そうしてもらいましょう。宰相閣下は多忙ゆえに自分のことを後回しにする悪癖をお持ちのようだから」

「……悪癖、というほど毎回しているわけではないのだが」


 柳井はやや憮然として、ブッシュバウムが連れてきた助手が広げたジャケットに腕を通して羽織った。


「しかし宰相閣下、私が選んでよかったのですか?」

「私は今まで吊しの量産スーツしか着てきませんでした。今回のスーツなんて、私が今着ているスーツをダースで買ってもまだ余るほどです。いい仕立てのポイントがよく分からないので、分かっている人にお任せする方が仕上がりがいいでしょう?」

「万事閣下の仕事のスタイルですね。まあ、パトリックさんなら上手く仕上げるでしょう」

「お任せくださいませ。では、これにて」


 仕立屋が退室したあと、入れ替わるようにワイングラスと簡単なつまみを持って、一人の女性が現れた。


「ご夕食の用意が出来ております」


 伯爵邸のメイドにしては年齢が行きすぎているし、使用人の制服ではない……と、柳井が不思議そうな顔をしていると、伯爵が何かに気がついたように女性に手招きした。


「そういえば宰相閣下は初めましてになるのでしょうか? 私ののニコラ・フリーデです」

「ニコラ・フリーデ・フォン・シェルメルホルンでございます。お初にお目に掛かります、宰相閣下。お目にかかれて光栄ですわ。がお世話になっております」


 礼法に則った可憐とさえ言える挨拶に、柳井は立ち上がった。


「これはご丁寧に。帝国宰相、柳井義久です。伯爵にはいつも助けられております。ご主人が居なければ、私はとうに四分五裂しているところです」


 今日、柳井がシェルメルホルン皇統伯爵邸に呼び出されたのはもう一つの目的があった。皇帝が呼びつけたときは夕食を共にする柳井だが、そうでないときは会社員時代のようにインスタント食品で済ませようとする、これまた悪癖を発揮していた。これを見かねて、シェルメルホルン伯や宰相付侍従、あるいは宰相府幹部達が夕食を共にしようと言い出したのだった。


 柳井としては不必要に豪奢な食事を取りたいと思っているわけではないし、そうでなくても政府閣僚との会合などで夕食を済ませてしまうことが多かったせいで、何もないときにジャンクフード欲を発散させていたわけだが、部下達の嘆願を聞き入れ、これもコミュニケーションの一つだと笑って招きに応じた。


「ニコラはこう見えてクレー射撃の名手でして。私などよりよほど腕が立つのですよ」

「あら、サラも中々のものよ?」


 人類社会において同性愛など珍しいものではない。絶対数は少ないとは言え、シェルメルホルン皇統伯爵のように貴族であっても同姓との婚姻を選ぶ者は少なくない。仲睦まじい二人の様子を見ていると、柳井もかつての結婚していたころの時代を思い出す。離婚の経緯もあまり褒められたものではない為、それ以上柳井は過去について考えるのをやめた。


 出され料理を食べつつ、ワインにも手を付けた柳井だが、その味はやはり柳井が普段手を出すような価格帯のものではないものだった。


「いいワインだ。これはニコラさんが?」

「いえ、主人が」

「ワインには一家言ありましてね。あとでセラーもご案内しますよ」


 他愛もない会話をしつつ、和やかなムードだった夕食時を終えると、自然と話は仕事の話になる。場所を伯爵の書斎に移して、宰相と事務方のトップの会話は続く。


「正直、閣下がマルテンシュタイン氏を連れてきたときは驚きました。あの方とも交友があったとは」

「まあ、成り行きです。私の人生は成り行きが半分、偶然が半分で出来ていますから」

「閣下はそういう星の下に産まれたのでしょうね」


 ワイングラスを掲げて冗談めかしていった伯爵に、柳井はグラスを空にして見せた。


「私が帝国軍を除隊になって、もうすぐ一五年になります。あの頃の私に、今の私がしていることを話したら冗談だと笑って流されるだろうな」

「辺境惑星連合との和平、上手くいくとお考えですか?」

「わからない。外協局長の話しぶりや報告書を見る限り、脈ありと見るのが自然とは思う」

「そうですね……私にしても、内務省の門を潜ったとき、このような仕事に従事しているとは露とも思いませんでした。せいぜい内務事務次官辺りで止まっていたでしょう」


 伯爵は事も無げに言うが、事務次官と言えば事務方のトップであり、事実上の省庁トップと言っても差し支えない。それを次官止まりと評する辺り、彼女は自分自身の評価がシビアだったと柳井は感心した。


 事実、宰相府というこれまでの帝国に存在しなかった役所を預けられた彼女は、短期間で組織作りを完了し、規模の拡張、権限の拡大に力を発揮している。


「……和平が実現したとして、その後は同盟国となる主義派との長い長い分断の歴史の埋め合わせのときだ。市民レベルでの交流はさらに先のことになるだろう。同時進行する案件が多くて目が回りそうだな」


 すでに宰相府主導で動いている領邦設置計画、主義派との和平計画だけでなく、省庁統廃合・整理も急ピッチで準備をしているところだった。ジブリール1世がかつて一〇〇〇年動く帝国というシステムを、という言葉と共に作り上げた現在の統治機構を、現在の情勢に併せてリフォームするのが皇帝の狙いだった。


「まあ、国の事業は長い時間が掛かるものです。気長に構えるのが気疲れしないコツですよ、閣下」

「サラリーマン時代の思考が抜けきらないな。四半期ごとの業績を求められる環境に慣れすぎてしまったよ」


 そう言うと、柳井は伯爵と自分の空になったグラスにワインを注いで、しばしの酒宴を楽しんだ。


 日付が変わる頃まで議論を交わした柳井は、そこでようやく宮殿へと帰ったのだった。

 

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