第45話-③ 和平へのきざはし


 帝都標準時一一時三四分

 辺境惑星連合軍

 第四九二五方面艦隊

 戦艦ヴェロニク・ロード

 士官室


「ご用件は分かった。帝国は我々主義派が帝国との同盟を結び、敵対しないことを条件に正統な国家として認め、国交を結ぶ、というわけですか」


 帝国も辺境惑星連合の民も、基本的に星間通信は超光速通信を用いる。つまり数十分に渡る連合側の離脱は、通信のタイムラグではなく、今回マルテンシュタインが柳井に託された親書の内容を本国と協議する時間だったのだろう。


 かつては連合に属した身として、マルテンシュタインは外から見たときの連合の政治体制が硬直化していることを改めて見せつけられたように思っていた。


 しかしながら、問題は多いが主義派が連合構成体――帝国側がセクトと呼ぶ彼らの国家の呼び名である――としては比較的対帝国武力闘争のレベルが低く、軍事行動も控えめなのは事実である。連合といえど一枚岩ではなく、切り崩せるはずだと皇帝や宰相が考えるのも宜なるかなとマルテンシュタインは納得して、この仕事に当たっている。


「……にわかには信じがたい。帝国はこの数百年、我々を対等な交渉相手ではなく蛮族、賊徒としてしか扱っていない」 


 ジラルデは苦々しい口調でその蔑称を口にした。帝国人からすれば辺境宙域を荒らし回る行為はどう見ても賊徒なのだから仕方がないだろう、と言われるものだが、彼らにしてみれば幼少期から反帝国思想を刷り込まれていたのだから、ジラルデのように話せるだけかなりの学識や思想があることを示している。


 マルテンシュタインのように最前線勤務が続き、帝国で捕虜になって収容所に入るまで帝国という国家の実体を全く知らない構成体市民など珍しくもない。

                               

「その数百年のうちに、帝国に希代の傑物、あるいは夢想家が産まれることもある、ということです」

「夢想……確かに、現状では夢想に過ぎないが」

「人の心は移ろうもの。無為な戦争に戦費を投じる無意味さに気付く人が、トップに座ることもあるでしょう。私には好機だと思えますが」


 マルテンシュタインはそこで言葉を切り、出されたコーヒーを一口飲んだ。帝都宮殿で飲むものとは比べるべくもない人工的な味わいのコーヒーに懐かしさを覚えつつ、さらに言葉を紡ぐ。


「帝国の捕虜となっていたとき、ある男が言っていたことがあります。帝国の皇帝とは壮大な夢想家であり理想家である、と」

「夢想家であり理想家、か……」

「私は宰相府対外協力局長として、現在のところは宰相の全権代理としてここに居る。毎回交渉に出てくることはできないが、状況確認は可能だ。今回はあくまで顔合わせ。今後の交渉について前向きに検討する……と、お役所なら記録するでしょう」


 マルテンシュタインはもちろん、この場に居る主義派の人間も、まして帝都に鎮座まします皇帝に宰相も今回の交渉だけで全てのケリが付くなどとは思っていなかった。ドアを開いて食堂までは通された。酒や食事が出てくるのはもっと先だろう、などと柳井ならば喩えたはずだとマルテンシュタインは推測していた。


「わかった。しかし我々はまだ国内の意思統一が出来ているわけではない。主義派の指導部も色々な方がいるのでね」

「なるほど。我々は相容れない異人種などでは無いことがよくわかる。帝国とて、私が民間軍事企業の艦など借りてコソコソと動いているのを見れば、明らかなことではあるが」

「それだけでも収穫だ。我々は四〇〇年前に袂を別った同じ人類だ。願わくば次回交渉が近日中に行えるよう、取り計らおう」

「是非もないことです……その一環として、対主義派の政治工作および妨害行為を一部取りやめてもいいと、帝国中央政府の提案もあります。これをやめれば、内政や物流について多少楽になるでしょう」

「願っても無いことだ。次回交渉を提案する際のカードにもなる。今日はお会いできて良かった」

「こちらこそ」


 マルテンシュタインとミセス・ジラルデの握手と共に、第一回の和平協議は終了した。



 同時刻

 ライヒェンバッハ宮殿

 桔梗の間


 その頃柳井は、ライヒェンバッハ宮殿に幾人かの学者を呼んでいた。帝大シンクタンクの一つ、INSPIREインスパイア――帝国大学国家戦略政策イニシアティブ研究センター――に所属する若手研究者達だ。


「今日、皆さんをお呼び立てしてのは他でもありません。辺境惑星連合セクトの分裂促進と、それに関わる帝国としての影響力行使の方法について、皆さんの忌憚のないご意見を聞きたいと思ったのです」


 柳井は自分に学識が無いことを十分に理解していた。この数ヶ月の宰相としての執務においても、ジェラフスカヤなど官僚達には二歩も三歩も及ばない。


 それならば、と柳井は前体制ではあまり宮殿に呼ばれておらず、もっぱら帝国中央政府のみに提言を行なっていた研究所に目を付けた。


 幸い帝国内のシンクタンクは規模や研究・提言内容・専門分野の異なるものが無数に存在していて、柳井はその中でもINSPIREに目を付けていた。所属する研究者の平均年齢は三八歳程度。研究所長のユーリー・アンドレーエヴィチ・グロムイコが辺境惑星連合の軍事研究を行なうほか、所内に多数の辺境政治関係論や開拓惑星工学技術研究者も抱えているため、前々から目を付けていた。


 なお、総督の任を仰せつかってからも懇意にしていたSCI――セーガン植民・開拓研究所も変わらず柳井の総督としての方針決定に大きく関与している。つまり、柳井は自身の知識の不足を外部研究者を活用することで乗りきっていた。


 柳井の美点の一つが、変に意地を張らずに分からないことは分からないと他人を頼る点にもあった。会社員時代は予算の都合上、自分でやらざるを得ない情報の精査や調査、研究についても今では予算は青天井――とまでは行かないものの、研究者をグロスで囲うくらいは可能だ。皇帝の勅許を得て、宰相府からINSPIREへの運営資金を支援することで、彼らの知識を有効活用しているのだ。


 また、柳井には専門分野の学識そのものが無くても、学識を持つものを見抜くことはできる。信頼できる情報や研究家を判断するインテリジェンスは十分に備えていた。これは帝国軍時代から培われてきた人を見る目が生きているということになる。


 ともかく、集められた研究者達は柳井が提示したテーマについて、各々すでに腹案を持ち寄っていた。


「軍事的アプローチが前回の大演習で否定された以上、帝国としては非武力的手段による連合構成体への関与を推し進めなければなりません。捕虜収容所における帝国への帰化率の高さを見るに、決して不可能ではないことだと思います」


 最初に議論の口火を切ったのは、研究主幹のデイビッド・ヤマシロ教授だ。専門は辺境政治関係論。彼の言葉に、次々と研究者達が発言を求めた。


「非軍事的手段と言っても多岐にわたります。例えば我が帝国に対して行なわれているリハエ同盟がリベラートルを用いた分離工作は、敵対的ながら非武力的手段と言えるものです。帝国はそのような方法で連合を切り崩すんですか? というとそれは違う、というのが現在の皇帝陛下の立場であろうかと思いますが」


 グロムイコ教授は上述の通り軍事の専門家ではあるが、それに伴う情報戦なども分析の対象であり、その点聞くべき所は多かった。


「手っ取り早いのは金と食糧を渡して懐柔してしまう、というものもあります。ただこれは帝国にとって莫大な支出を長期間、それこそ帝国と連合構成体の関係が続く限り永久に続く可能性があるわけです」


 ミチオ・クライン准教授がすっぱりと言い切った。彼の専門は国際政治論であり、出来レースのような中央政府と領邦・自治共和国の関係が続く帝国では下火の分野だった。INSPIREの特徴は、これまでそれほど重視されていなかった分野や年代の学者が数多く抱えられている点にあった。


「INSPIREは和戦両様の政策を常に考えてくれているようですが、この場合は和議に相手が応じたとして、どうです?」


 柳井が方向性を示すと、議論はさらに加速する。柳井は自分が考えていたよりも若手研究者は真剣かつ意欲的にこの会議に臨んでいる、と感心していた。


「構成体ごとの政治体制も様々です。現在も普通選挙が行なわれる間接民主制のところもあれば、構成体を指導する党の権限が肥大化して議会も選挙も形骸化しているところもあります。アプローチの仕方に工夫が要りますね」


 国際政策論が専門の若手のホープ、水畑智みずはたさとり准教授の言葉に全員が頷いた。


「間接民主制を取っている構成体は、世論を動かすのが肝要。一方で一党独裁体制であれば指導部への働きかけが重点になる。ただいずれの構成体も、もれなく強力なプロパガンダがつきものです。いずれにせよ、構成体市民に植え付けられた反帝国思想を無視した和平は容易ではないでしょう」


 比較的厳しい意見を述べたのは辺境政治関係論を専門とするジョージアナ・スペンサー教授だった。


「短期間で彼らと和議を結ぶというのは難しい、と?」

「現状ではそう判断するより他はありません」


 歯に衣着せぬ物言いで有名なスペンサー教授は、相手が帝国宰相でもその姿勢を崩さなかった。


「帝国の安全保障上、FPUとの和議は一つの選択肢ではあります。しかし、彼らにとっての選択肢に帝国との和議が含まれているか。そこを違えたままでは、交渉にならないでしょう……無論、何か提供するモノがあるのなら話は変わるでしょうが」

「提供するものとは、例えば安全保障とか」


 柳井は少し際どいかと思いながら、言葉を発した。すでにマルテンシュタインが第一回の交渉を終えていたことは柳井も把握していたが、今後の交渉では実際に提供できるもの、あるいは向こうが要求を発してくることもある。


 その際、帝国が提供できるもの、すべきもの、そうでないものをこの場で参考意見として取り入れたいと柳井は考えていた。


「必須と言えるでしょう。切り崩した構成体は他の構成体から見れば裏切り者です。構成体の食糧自給能力の提供、惑星開拓技術の提供もとりうる選択肢かと」

「考えてみると、これを行なうと戦場を連合構成体の領域内に押し込むことになりますね。辺境部の政情安定、開拓の進捗にも好影響と言えるかも」


 それまで黙って研究者達の議論を聞いていたグロムイコ教授が面白そうに目を見開いた。


「隣接する構成体がどのような判断をするかは未知数ですが、まずは獅子身中の虫を始末する方を優先する、と?」


 柳井もさすがにその発想には至っていなかった。元々柳井、そして皇帝は第二三九宙域やピヴォワーヌ伯国正面の構成体として、主義派と和議を結びたいと考えていたわけだが、連合の対帝国武力闘争の場を元構成体の宙域に移すとまでは考えていなかったからだ。


「可能性は十分にあるでしょうね。元より彼らの兵站能力は帝国領内深く侵攻するには不足気味です。近くに帝国に尻尾を振った裏切り者がいるのなら、そちらを袋叩きにしようとするでしょう」

「……そうなると、連合構成体の内ゲバに我らが介入することになるわけですが、帝国臣民の命を和議や同盟を結んだとはいえ、それらの宙域で散らせることになる。それを帝国臣民が納得できるかも、シミュレーションが必要でしょうね」


 グロムイコ教授は柳井の懸念について、すでに用意していたデータを表示した。


「その通りです。ただ、参考になるデータとしては先のFPU版図内への全面侵攻机上演習後、各紙が世論調査をしています」


 この机上演習こそ、去年柳井がギムレット公爵から依頼され、マルテンシュタインと共に帝国軍側を徹底的に翻弄した国防省主催の机上演習だ。その結果は本来帝国でも最重要機密に属するものだったが、詳細を省いた概要は様々なルートからリークされていた。


 机上演習により想定された損害は艦艇が大破・轟沈、二二五隻。中破航行不能、五〇二隻。各種航空機は未帰還機一三五〇九機。これは帝国軍通常編成三個艦隊に匹敵し、将兵死傷者数は一三二四万四五九二人、民間人死傷者数は四〇二万四五九二人。これが現実であれば帝国軍始まって以来の大損害ということになる。艦艇乗組員の被害は当然ながら、降下揚陸兵団や治安維持部隊の人員に夥しい犠牲が発生した。また、補給船団に参加していた民間軍事企業、輸送会社の人員にも犠牲が出ることが想定された。


 さらに演習終了時点で各軍管区の自治共和国一五ヶ国が帝国からの離脱を宣言、二〇ヶ国が無政府状態に陥り状況不明。前例のないことだけに星系自治省を中心に報告書を見た者が顔を青ざめさせるに十分な結果だった。これらは現状を分析したデータが入力されており、もし本当に辺境征伐が行なわれれば現実のものになる可能性が高いと専門家の意見も一致している。


 対するFPU側の損害も決して軽いものではない。艦艇は大破轟沈八四隻。中破航行不能、四五二隻。未帰還機一五六九機。当初戦力の三分の二は温存している。大規模会戦を避けるだけ避け、帝国軍の補給線寸断と攪乱かくらんに終始した結果と言えたが、その代償は血であがなうこととなり、死傷者数一億四九二一万四九二五名。西軍死傷者には民兵として戦闘に参加した民間人も合算されており、直接戦闘部隊よりも挺身突撃攻撃、治安維持部隊への襲撃、帝国軍による砲爆撃により都市区画ごと吹き飛ばされた死者も含まれ、帝国の標準的な自治共和国一つに匹敵する人口が失われたことになる。


 これを受けた世論調査では、特に右派・保守系支持者を中心にFPU掃討については賛成意見が六割を占め、逆に左派・リベラル系支持者は八割が反対していた。これ自体はよくある結果で不思議ではない。問題は二問目の質問だ。


 二問目では、自分や自分の親しい者、知人や友人、家族などがFPU掃討で確実に命を落とすとしても支持できるか、というやや意地の悪い質問だった。


「自分もしくは血縁者、知人などごく親しい人がFPU領内で軍事行動に従事することに賛成か、と問われれば、右派・保守系でも四割五分、左派・リベラル系支持者だと一割以下まで落ち込みます」


 誰でも自分や親しい人は可愛いものであり、それ自体はとても人間らしい感情の発露だと柳井も納得はしたが、賊徒掃討そのものについては賛成する辺り、あまりに他人事なのではないかと気分の悪いものを見た気がしていた。


「しかし、そうなると……」

「安全保障の提供については工夫が必要でしょう」


 先ほどの世論調査二問目は、あくまでFPU掃討で、という前提を付けている。これがFPUの防衛のために、となったときの数値は未知数だが、仮想敵を掃討するのと、元仮想敵を防衛するのとどちらが精神的障壁が大きいのか、ということを柳井は考えていた。なお、恐らく両者に差はあまりない、と柳井は考えている。


「領邦や本国、まして自治共和国ですらない"友邦"を守るために血を流すのが正しいのか。これは旧世紀から、多くの同盟国間での問題でもありましたね」

「少なくとも、構成体の軍事力は維持しつつ、まずは防衛協力に留めるのが最善でしょう。いずれかの構成体が同盟国となるのなら、その防衛力強化を支援し、帝国の友邦として独り立ちしてもらえるようにするのも、一つの道だと考えます」


 ミチオ・クライン教授の言葉にグロムイコ教授がさらに付け加え、柳井は得心がいったように頷いた。その後も各種の問題点の洗い出しやら提言について議論が交わされた。

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