第45話ー② 和平へのきざはし
帝国暦五九〇年九月二〇日一四時〇四分
ライヒェンバッハ宮殿
樫の間
秋も深まる帝都ウィーン。マルテンシュタインを加えた宰相府は相変わらず皇帝の諸政策を進めるべく、官僚に発破を掛けたり、自治共和国をなだめすかしたり、企業や財界に支援や要請をしてみたりと東奔西走南船北馬の日々だった。
この日、樫の間には二人の帝国中央政府閣僚が呼び出されていた。一人は現政権首班の座を占める内閣総理大臣、カルロス・ムワイ。もう一人は内務大臣を務めるメイジー・ヤオ・シモムラ、それに内務事務次官の
「あなた達を今日呼び出したのは、ある計画について内務省外事課を使いたい、という宰相の強い要請よ。このことは帝国内でも最重要機密であり、もしこの情報が外部に漏れている場合は、私はいかなる手段をもってしてもあなた達を処分する、ということを肝に銘じておくこと」
皇帝メアリーⅠ世の言葉に、リー外事課長以外の三名は顔を青くしていた。実際は外事課のみに話を通すことも可能だったが、敢えて首相と大臣、事務次官まで呼んだのは人質でもあり、脅迫でもあった。
もしここで話される内容がリークされでもしたら、タダでは済まさないということである。そもそも皇帝は、首相はともかく内務省をあまり信用していない様子だった。
「じゃ、義久、あとをお願い」
自分の仕事は終わり、とばかりに皇帝はコーヒーカップを取り上げ、口を付けた。
「はっ……外事課に、辺境惑星連合の主義派に交渉の呼びかけをしてもらいたい。あくまで、極秘に」
柳井の言葉に首相も大臣も事務次官も顔を見合わせたが、外事課長のみその違和感に気づいた。
「……辺境惑星連合中央委員会ではなく、主義派のみ、ですか?」
「主義派を切り崩して東部方面軍管区の防衛について負担を軽減したい、と考えている」
「そういうことですか……しかし確実に、とは言えません。我々の要請を彼らが受けるかは未知数です」
「宰相府の調査では、受ける可能性が高い、と考えている。できるだろうか?」
「宰相閣下のご指示は皇帝陛下の勅と受け取ってもよろしいので?」
外事課長は臆すること無く、皇帝と柳井を見ていた。
「そう考えてちょうだい。この件について、私は宰相と宰相府に任せてるから」
「……では、外事課の総力を尽くし、コンタクトを取ってまいります」
「頼むわよ、外事課長。ムワイ、それにシモムラ。この件については、最初にも言ったけど極秘事項よ。漏れたらあなた達のクビが飛ぶ。そう肝に銘じてちょうだい。事務次官、あなたもよ」
改めて釘を刺された首相、大臣、事務次官は頷くしか無かった。
「我々も流刑くらいは覚悟しておきますか」
「あら殊勝ねえ」
柳井のジョークに慣れている皇帝は意にも介さないが、首相達はげんなりとした表情でその様子を眺めていた。
「言っておくけど、一〇〇パーセントなんか期待していないわ。失敗しても構わないけど、外部に漏れて野党に逆用なんてされたら、あなた達も困るでしょ? せっかく安定してきた政権運営が
「はっ……」
皇帝の言葉にムワイが頷いた。
そもそも、なぜここまで柳井と皇帝が情報流出に神経を尖らせるのかというと、帝国では帝国こそが人類統一政体であり、これ以外のもの――つまり辺境惑星連合などと自称する者達のことは賊徒と呼び習わしてきた歴史がある。専門家レベルの議論ではFPUの略称を使うことが多いが、帝国の七割以上の一般層は賊徒という認識である。
ここでもし、皇帝と中央政府が、そのように呼び習わしてきた辺境の跳ねっ返り共と和議など考えていると漏れればどうなるのかは自明のことだ。
特に先の動乱による政権交代による恨みを募らせているであろう野党、保守および極右勢力は格好の政権批判、下手をすれば皇帝批判に発展しかねない。政権運営も困難になるし、皇帝に対する信頼も崩れかねない。ムワイ政権の支持率は現在までのところ七五パーセントを誇るが、これはあくまで前政権の不祥事を片付けている最中だからこそだ。独自路線に出るとなったときの影響は未知数である。
だからこそ、今柳井達が進める和平の名を借りた辺境惑星連合の切り崩しが漏れることは避けたかった。タイミングと発表の仕方次第では皇帝の実績として名を残す事業であるからこその慎重な対応だった。
「情報は逐次宰相府へ報告を回してくれ。他の部署に知らせる必要はない。大臣、事務次官にもだ」
「閣下はあまり内務省のことをご信用なさらぬご様子で……」
困惑した様子の内務大臣に問われ、柳井は苦笑いを大臣、そしてその横に座る事務次官に向けた。
「それはそうです。半年ほど前、危うく内務省の手の者に謀殺され掛けたのですから」
大臣は怪訝そうに首を傾げたが、事務次官はピクリと肩を震わせた。先の動乱時、まだ近衛軍司令官だったメアリーⅠ世と柳井、それにピヴォワーヌ伯爵が居た部屋を、内務省の手の者が襲撃していたことを知っていたからだ。もし柳井達が帝都を出るのが遅れていれば、近衛軍司令部で不審死を遂げるところだった。
これらは先代の内務大臣藤田昌純による謀略ではあったが、事務次官が知らないはずもない。
「実務的なことを言えば、辺境惑星連合との交渉ごとは、外交です。本来内務省ではなく首相の専権事項かと思われますが、表立って行うことを公表できないのが今の帝国の世論でしょう。ですから、こうして五一五号室のドアを叩いてみたわけです」
柳井の言葉に、ムワイとシモムラ、それに事務次官は顔を見合わせ頷いた。いや、頷くしかなかった。帝国における外交とは、帝国本国と帝国領内の領邦国家および自治共和国の間で行われるものであり、領邦国家とのものは本国の中央政府首相府、自治共和国の間では星系自治省がその役目を負っている。
しかし帝国と辺境惑星連合の間には公式な国交が無いだけで無く、帝国側は彼らをして辺境賊徒と位置づけているに過ぎない。捕虜の保護や交換についての取り決めは帝国軍が辺境惑星連合と交渉をしたのみだ。
つまり、古典的な外交――かつて地球上の国家間で行われていた外交は帝国にとって数百年の間、公式には行われていないことになる。
首相以下政府出席者の同意を得て、帝国史上初となる辺境惑星連合セクトとの和平交渉が、水面下で、静かに開始された。
帝国暦五九〇年一〇月二四日
帝都標準時一〇時〇四分
東部軍管区
第四七八宙域
アスファレス・セキュリティ所属 巡洋艦エトロフⅡ
ブリッジ
第四七八宙域とは、第二三九宙域に隣接する帝国の領域――という建前だが、どちらかといえば連邦議会オテロ・ゴッドリッチ・カリーリ主義派――略して主義派と呼ばれる――の勢力圏でもあり、所謂係争宙域の一つだ。しかし、ここ一〇〇年にわたってこの宙域でまともな戦闘はおろか、行き交う艦船の姿もない。この宙域にはいくつかの自由浮遊惑星と星間ガス雲が見られる他は、経済的合理性を持って進出すべき理由が見当たらない場所だからだ。
そんな宙域に、民間軍事企業アスファレス・セキュリティ株式会社の所有する巡洋艦エトロフⅡの姿があった。頼りなさげな白色矮星が一〇光年以上も先に輝く他は、他に何もない宙域にだ。
「……マルテンシュタインさん。予定宙域に到着しましたが」
ブリッジで、艦長のエドガー・ホルバインは司令官席に座る同乗者に顔を向けた。
「そのまま待機。予定通りならそろそろ来るはずだが……」
マルテンシュタインは宰相府対外協力局局長としての地位と同時にアスファレス・セキュリティの嘱託として契約は残っており、その立場を利用してこの艦を借り受けていた。内務省外事課が独自ルートで主義派と接触を図り一ヶ月、ようやく対外協力局がここまで来ることが出来たのだ。
「しかし、最重要機密指定の仕事とは。同乗者の地位も明かさないとはどういう仕事なんです?」
「まあ、平和への第一歩の準備運動とでも」
「は、はあ……」
ホルバインは不思議そうな顔をしていたが、こういう場合は深入りすると碌なことにならないと柳井から教わっていたこともあり、今回はタクシー役に徹するのが吉、と判断した。
「本艦近傍に浮上する物体あり。一一時方向、質量推定戦艦クラス。重力波形推定、惑星連合軍オスカー級重戦艦」
索敵を担当するジュリアン・カネモト係長の報告に、漆黒の宇宙を切り裂いて、長い励起光を引きずりながら暗緑色の戦艦が浮上した。
「敵……いえ、所属不明艦より発光信号。こちらチューベローズ……あなたのお名前を尋ねる……続けてSが三回」
事前に内務省外事課が伝えていた符牒が届いたことで、マルテンシュタインは安堵した。
「チューベローズに発光信号で返信してください。こちらはカルミア、Sを三回」
「はっ……」
カネモトの操作で、艦橋マストに備えられた発光信号機が名前と、モールス符号のSを三回送った。
「所属不明艦より返信……ようこそカルミア……ドアは開いている……どうぞお上がりください……だそうですが?」
カネモトが首を傾げたが、マルテンシュタインは笑みを浮かべた。
「ではホルバイン艦長、私と随員は行ってくるので、四時間経っても戻らないか、あの艦から撃たれたらとっとと逃げ出してください」
マルテンシュタインがブリッジを出て行ったあと、ホルバインは深くため息をついた。
帝都標準時一〇時一七分
辺境惑星連合軍
第四九二五方面艦隊
戦艦ヴェロニク・ロード
士官室
「……まさかあなたがお出でとは、マルテンシュタイン閣下」
マルテンシュタインを出迎えたのは、辺境惑星連合連邦議会オテロ・ゴッドリッチ・カリーリ主義派の市民議会のマルスリーヌ・ジラルデ議員。彼女は議会内でも特に帝国との和平を模索する穏健派議員として知られていた。
「お初にお目に掛かります、ミセス・ジラルデ。しかし閣下はやめていただきたい。今の私は帝国に忠実な狗ですので」
「狗、というには鎖も付けられずにお元気そうでなによりだ。捕虜から帝国臣民に成り下がった裏切り者、と中央委員会は盛んに喧伝しておりましたが……」
「まあ、良い巡り合わせがありましてね」
マルテンシュタインは随員の外事課の者に目配せして、クリアケースの中に入れられた親書を手渡した。
「柳井宰相からの親書です」
「今時手書きとは古風な……これが実物であるという確証は?」
「宰相府に問い合わせて頂くのが一番でしょうが……その親書にあるとおり、交渉が進められるようになれば、宰相ご自身が主義派首都まで出向くと言っております」
「宰相自ら?」
「ええ」
「……内容を確認したい。二〇分ほど時間を頂くが」
「はい、どうぞごゆっくり」
主義派の代表者達が士官室を出て行くと、マルテンシュタインは肩の力を抜いた。
「さて、どう出てくるか……外事課の交渉は間違い無いのだろうな?」
「は、問題はないかと」
マルテンシュタインの随員としてきていた外事課のエージェントは、無表情に伝えた。おそらく彼には自身の監視の役目もあるのだろうとマルテンシュタインは考えていた。
「まあ、交渉人を捉えて食うほどの蛮族でない、と帝国の人々に理解して頂くのがまずは第一だ。我々が生きて帰ることが、今回の成果と言ってもいい」
「それもそうですね」
どうにも外事課の者は反応が薄い。エージェントの名前も聞いたがどうせ偽名だろうとマルテンシュタインは覚えることもしなかった。柳井や宰相府のスタッフなら嫌味か冗談かぼやきの一つも返してくれるのに、とマルテンシュタインは短い付き合いながら、好意的に捉えている同僚達の姿を思い浮かべていた。
帝都標準時一〇時五八分
帝都ウィーン
ライヒェンバッハ宮殿
楡の間
「今頃、外協局長は交渉に入った頃か」
「上手く行くとお考えですか?」
ジェラフスカヤの問いに、柳井は考え込んだ。柳井の腕時計はそろそろ帝都標準時である一一時を指そうとしていた。なお、マルテンシュタインが局長を務める対外協力局を略して外協である。
「わからない。私が知っている辺境惑星連合に関する知識は、ほとんど彼らの実働部隊に関する内容だ。その政治機構や民間人の暮らしも、表層でしか分からない……なによりまだまだ情報不足だ。外協局長次第、とも言える」
「彼は信用できる人物と、閣下はお考えですか?」
「疑う根拠より、信用する根拠の方が遙かに多いし確固たるものだな。吉報を待つとしよう」
少なくともマルテンシュタインは即位前のメアリーⅠ世の要請を受け、辺境惑星連合軍の情報や戦術を提供する程度には帝国への帰順の意を示しているし、柳井からの協力要請にも快く応えている。
「どうせこの一回で全てが決まるわけではない。相手が玄関を開けてくれれば、それで十分だ」
柳井はやや気楽そうな表情で、書類にナノマシン含有の宰相印を押して決済済み書類のフォルダに放り込んだ。
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