第45話ー① 和平へのきざはし
八月二一日一六時二一分
帝都 ウィーン
レストラン下田
帝都旧市街にあるレストラン下田は、政財界の要人が好んで使う日本食レストランだ。食事の質ももちろんのこと、レストランらしからぬ高度な防諜対策が施されているということも、利用する人間の層を考えれば自然な事だった。
柳井も皇帝選挙絡みの会合などを自分で行なうに当たってこのレストランを数度利用している。帝国宰相となった柳井にとっては、ここを使うのが表沙汰にし辛い案件を扱う外部の人間を呼び寄せるには都合がよかった。
「やあ、柳井さん。宰相閣下とお呼びすべきだったかな。これは臣の不覚。お許しいただければ幸いにございますが。ご拝謁の栄誉を賜り、光栄の極み」
椅子から立ち上がって完璧な礼法でお辞儀をしてみせたアルツール・マルテンシュタインを、柳井は苦笑して――あるいは本気で嫌そうに――手を軽くあげて制した。
「やめてください。まどろっこしい挨拶は抜きにしましょう。お久しぶりですマルテンシュタインさん」
アルツール・マルテンシュタインは元辺境惑星連合軍の宿将。帝国軍との戦いに敗れ、現在の第二三九宙域の外れに存在していたゲフェングニス342の収容所にて悠々自適の捕虜生活を満喫していた男だ。
先帝バルタザールⅢ世の治世末期、第二三九宙域への大規模な辺境惑星連合軍の襲来が予想されたが、防衛に必要な兵力と経済性を鑑みて、帝国中央政府はこの惑星の放棄を決断。その際惑星まるごと一つの疎開作業を指揮したのが柳井だ。マルテンシュタインとの知己もその際に得ており、捕虜中最高位階級者であり、かつ帝国軍の戦術教本にも載るほどの名将ということもあり、彼の協力により捕虜達の後送作業もスムーズに行えた。
その功績を讃え、帝国政府は彼に帝国臣民権と帝国軍退役少将の位を用意して応えた。今の彼はアスファレス・セキュリティ株式会社の嘱託職員として辺境情勢分析などを行ないつつ、退役少将の年金で帝都にて暮らしている。
「まあ掛けて話しましょう。女将、ビールと、何か手頃な料理を」
「はい、かしこまりました」
帝国軍の特殊部隊員よりも口が硬いと噂のレストラン下田の女将は、柔和な笑みを浮かべて頷いて出て行き、すぐにビール瓶を二本、盆に載せて運んできた。
女将がビールをグラスに注いで、それと入れ替わりに料理も運ばれてきた。
「では乾杯……バヤールは飲めないか。すまない」
「いえ、お気になさらず。料理のほうを楽しみます」
「あまり楽しんでもらうだけでは困るのだが」
護衛兼運転手として連れてきていたバヤールがさっそく運ばれてきた料理に手を付けるのを微笑みながら見ていた柳井は、ビールグラスをマルテンシュタインに掲げた。
「では、再会を祝して」
「乾杯」
一口で飲み干したグラスに手酌でビールを入れると、柳井はさっそくですが、とマルテンシュタインに本題を切り出した。
「宰相府に入っていただけませんか」
「ヘッドハンティングですか。しかし私のような一介の帝国臣民に務まる仕事があるんですか?」
「辺境惑星連合との和平を実現したい。無論、全セクトとは言いません。切り崩せるところだけ切り崩したい」
柳井の言葉に、マルテンシュタインは鯛の煮付けを一口食べてから答えた。
「いいでしょう。ただ、私は良くても周囲は納得しますか? 今や私はれっきとした帝国臣民として陛下のご寛容に浴する立場ではありますが」
「それはなんとでもなります。私の宰相府に元所属で色眼鏡を掛けるような者はおりません」
「……そこは閣下のお言葉を信じるとしましょう」
「それはなにより」
柳井も先付けに出されていた叩きキュウリの梅和えを一口食べてから、ビールを流し込んだ。誰も制限する者がいないからと、会談の際の昼酒がすっかり板に付いた柳井だった。
「それはそうと、こちらをご覧ください。バヤール、例の資料を」
「はい」
床の間に大型モニターが迫り出して、そこに表示されたのは帝国の現在の版図を示す概略図だ。中心部に帝国本国、周囲を領邦、さらに外側を東西軍管区が取り囲むものだ。
「ここです。第二三九宙域」
「おお我が麗しのゲフェングニス342があった宙域か。閣下が総督をされているとか」
「ここを将来的に帝国の領邦国家として独立させます。今はその準備段階ですが」
「なるほど……つまりこの正面にいる主義派を懐柔せよ、と仰せか」
「その通り。無論あなた一人でやらせるわけではありませんが、今はともかく情報を仕入れて分析する段階です。あなたにそれを手伝っていただきたい」
「私は汎人類共和国出身で、地元ではないがあなた方よりは詳しい。わかりました、引き受けましょう」
出された料理を平らげつつ、バヤールはこの二人に通うものを感じていた。
「バヤール、宰相府に共有したフロイラインの文書をマルテンシュタイン氏へ」
「わかりました」
「……これは帝国軍情報部が? それとも五一五号室の連中か」
五一五号室とは週刊誌で内務省の隠された部署という位置づけで時折話題になる部署のことで、帝国内では幾度か五一五号室をモチーフにしたと思われるドラマも作られている。これは実在するが活動内容が不透明な内務省外事課の情報が不正確に市井に流布していることを示している証左だった。
「いえ、私の知る探偵が独自ルートで」
「……本当に探偵ですか? 内務省の工作員では?」
疑わしげな目を向けてくるマルテンシュタインに、柳井は面白がるような笑みを向けた。今も帝都旧市街のこぢんまりとした荒れ放題散らかり放題の事務所で、相棒と共に情報精査を続けているであろう小柄な女性の顔を思い浮かべていた。
「内務省の資料だったとしたらこんなに簡単にまだ部外者の人間へ見せはしません。ご安心を」
「そうですか……まあ、資料は出仕するまでにゆっくり読ませていただきましょう」
「そうですね。諸々の準備に一週間は見ています。陛下へも話を通さねばなりませんし」
「いいでしょう。ちなみに私の待遇はどのように?」
「高等官二等、宰相府対外協力局局長」
対外協力局という名称は柳井が考えたもので、外部にはまだ辺境惑星連合の切り崩しについて変な憶測を抱かせないための予防措置だった。
「軍なら少将待遇ですか、中々の好待遇だ」
「いっそ爵位でも付けましょうか?」
「いえ結構」
爵位のみ思いの外強い口調で拒否され、柳井はマルテンシュタインが帝国皇統を何か誤解しているのではないかと苦笑した。
八月二八日一五時〇九分
ライヒェンバッハ宮殿
樫の間
「アルツール・マルテンシュタイン、御前に」
またも礼法の教科書に則った古式ゆかしい礼をしてみせたマルテンシュタインを見て、皇帝は柳井の方を恨めしそうな顔で見た。
「……柳井の仕込み?」
「これが帝国臣民の流儀と、宰相閣下よりお聞きしましたが」
「あなたねえ」
「礼を失することがあってはならぬ、と申したのみでございます」
実のところマルテンシュタインも柳井もそのような会話をしていない。
「まったく……マルテンシュタイン、あなたに辺境惑星連合との和平に携わって貰いたい」
呆れつつも、皇帝はマルテンシュタインを値踏みするような目で見ていた。
「本気でできるとお考えで?」
「私は命じてやらせて責任を取るのが仕事。やるのはあなた達よ」
皇帝の言葉に、マルテンシュタインは不敵な笑みを浮かべた。
「なるほど。失敗しても私の身柄や帝国臣民籍は保護されますな?」
「当然よ」
「では、お引き受け致しましょう……ただ、ご存じの通り辺境惑星連合も一枚岩ではありません。少しお時間を頂けますか? まずは陛下に辺境のことを知ってもらわねばなりません」
「どうぞ。このあとの予定は空けてあるわ。掛けなさい、今紅茶を持ってこさせる」
先日柳井が持ってきたマルティフローラ産の紅茶を片手に、皇帝と柳井はマルテンシュタインによる辺境惑星連合の解説を聞くことになった。
「ご存じの通り、辺境惑星連合は、帝国第二代皇帝マティアスⅠ世の時代に、当時まだ帝国に根強かった地球連邦回帰派の勢力が、新天地を求めて帝国を自主的に離脱したことが始まりです」
辺境惑星連合、賊徒、蛮族、盗人とも。軍事誌には略称としてFPU(Frontier Planetary Union)を使う場合もあるが、古くは帝国暦一〇〇年代、帝国中央政府による中央集権的体制を打破し、各人類居住惑星が独立した国家・組織としての自主独立を実現するという目的で構築された政治結社だったものだ。帝国暦四〇〇年代には複数の惑星系による国家連合体を形成するに至り、自らを辺境惑星連合と名乗るようになった。
人的資源、軍事力の正確な数値は帝国軍情報部でも把握できていないが、既に帝国を凌駕すると考えるものから、帝国の一〇分の一程度と計算できるものまで幅がある。
数年前の一大攻勢は、ピヴォワーヌ伯国侵攻の段階において頓挫し、伯国防衛艦隊、近衛艦隊、民間軍事企業艦隊による連合艦隊の反撃に遭い、総戦力の5割を失い敗退。それ以降も柳井が疎開計画を担当したゲフェングニス349をはじめ、帝国辺境部への小規模な侵攻を繰り返していた。
連合としての統一意思の決定は革命委員会と呼ばれる各派閥の集会において決定されるが、それ以外の各領域の管理は、各派閥による自治が基本となっている。
これら派閥は帝国においてはセクトと呼ばれている。現在帝国で把握しているセクトは以下の通り。
反帝国独立戦線。辺境惑星連合の中では比較的早期に複数惑星による国家体系を確立。現在の辺境惑星連合の主流派閥の一つ。ウ革連が調印派と袂を別ったのは彼らの分離工作とも。帝国の東部軍管区とは接する形で領域を広げており、帝国軍との正面戦闘は彼らが担う面も大きい。
辺境解放同盟。現在の辺境惑星連合の主流派閥の一つ。対帝国強硬派の一つ。独立戦線との共闘体系にあり、主な大規模戦闘には参加している。
革新連盟。現在の辺境惑星連合の主流派閥の一つ。領内で大規模な惑星規模災害の発生が確認されており、近年大きく勢力を落とした。対帝国の姿勢は強硬派。
汎人類共和国。辺境惑星連合の中では最大規模の人類生存圏を保持する。技術力においても、帝国から鹵獲した艦艇や兵器のリバースエンジニアリング、工作員による情報収集、また帝国からの裏取引による技術供与などもあり、独自の兵器開発も行うほど。帝国軍情報部による推定では人口二三〇億人。帝国私掠船団による情報収集では五〇〇億人と大きく差がある。
なお、帝国内において幾度か汎人類共和国を名乗る叛乱集団が出没しているが、これとは直接の関係はない。
第一インターステラー連合。元々は諸惑星共同体、ユーノドス連邦の二つが合併し誕生。帝国私略船団による調査では、比較的安定した統治下にあると報告されている。対帝国の政治姿勢としては中庸で、干渉を避ける傾向。
「解放と自治」調印派。単に調印派とも。銀河ウェルニー主義革命連合体正統派が分離するまでは、辺境惑星連合でも最大派閥であったが、帝国歴四五〇年頃から弱体化。対帝国の姿勢は強硬派だが軍事行動はほぼ行なっていない。
革命的抵抗者連合体正統派。革抵連、もしくは正統派。調印派と分派した銀河ウェルニー主義革命連合体正統派が分離した残存勢力が「解放と自治」と名前を変え、帝国暦四五〇年頃に成立したとされる対帝国最強硬派の一つ。武装船舶による帝国辺境での海賊行為はもちろん、工作員による辺境星系の分離独立工作なども行う。彼らの統治下にある惑星の数は一〇個程度とされるいが、経済状況については低水準。これは軍事費が彼らの経済規模に比して過大であることが原因とされている。
連邦議会オテロ=ゴッドリッチ=カリーリ主義派。単に主義派とも。インマ・オテロ、ジェフリー・ゴッドリッチ、コンシリア・カリーリの三名により立ち上げられた旧地球連邦由来の辺境惑星連合の一分派。現在の帝国議会、および帝国皇帝による統治下にある地球帝国を、地球等の正当な統治機構として認めず、即刻退陣することを要求している。ただし、近年融和路線を探っているとも言われており、活動は小康状態。
リハエ同盟。地球の一地方の古語で解放を意味するリハエという言葉を旗印にした諸惑星連合体。帝国内部にいくつかの協力組織を持ち、一例としては皇帝直轄領ラカン=ナエにて蜂起した叛乱勢力はムクティダータの支援を受けていたが、これはリハエ同盟の帝国内における協力組織。
これら概要に始まり、各種の説明がマルテンシュタインから皇帝に伝えられた。
「切り崩すなら、やはり主義派と第一インターステラー連合か」
説明を聞いただけで、皇帝は結論を出した。
「はい。現在でも主義派と連合は帝国への積極的な軍事侵攻はしておりませんし、いくらか目はあるかと」
マルテンシュタインはそう言うと、紅茶を飲んでからアップルパイに手を付けた。
「この二つを引き入れられれば、連中の領域を分断できるというわけです」
「しかし、そうなると彼らへの安全保障として帝国軍の駐留が要求される可能性があるのでは?」
柳井の懸念はもっともで、せっかく軍事費を削減するために和平を結ぼうとしているのに、それでは元の木阿弥とも言えた。
「それもあるけれど、まずは降りかかる火の粉を払うところからでしょう。安全保障面での交渉はやりようがある。まずは交渉のために玄関をノックするところからね」
「仰せの通りです」
マルテンシュタインは笑みを浮かべてティーカップを掲げた。
「帝国の紅茶は美味しい。できればお代わりを所望したいところですな」
「皇帝に紅茶のお代わりを要求するなんて、大したタマね」
皇帝がポットを手にマルテンシュタインのカップに紅茶を注ぎ入れたが、それを見ていた柳井は、黙ってカップを空にして皇帝に差し出した。
「陛下から紅茶を賜るなど、めったにないことでしょうし」
そう言った柳井に、仕方がないという風な顔で皇帝は紅茶を注いだ。
この日の討論は実に六時間にも及び、合間に宰相府幹部へのマルテンシュタインの顔見せも挟んでの長丁場となった。
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