第44話-④ 宰相閣下の外遊
八月二一日一四時三一分
帝都 ウィーン
ヴィルヘルミーナ軍港
ウィーンもいよいよ夏真っ盛り。とはいえ柳井が生まれ育った横須賀に比べればよほど冷涼。最高気温は二五℃を超えるかどうかというものだ。
「お帰りなさいませ、宰相閣下」
インペラトール・メリディアンⅡから、普段通りの背広姿で帝都に降り立った柳井を出迎えたのは、宰相府事務局長の宇佐美だった。折り目正しい礼をした宇佐美の姿を見るのが、柳井には久々に感じていた。
「帝都の様子は?」
「無事平穏でございます、閣下。お車を回してありますのでこちらへ」
「ありがとう……ブロックマイアー艦長、世話になった」
「はっ! 宰相閣下のお役に立てて光栄でありました。またのご乗艦をお待ちしております」
ブロックマイアー艦長以下、メリディアンⅡのクルーからの敬礼を受け、柳井は答礼を返していた。文民は左胸に手を当てるという様式は柳井には馴染まなかったが、柳井は儀礼称号とは言えピヴォワーヌ伯国名誉参謀総長の称号を持ち、さらに宰相就任前、第二三九宙域総督に任じられるにあたって近衛軍中将相当官、星系自治省特任高等開拓参事官、東部軍管区行政長特任監察官の権限も与えられており、文民として最高位の帝国宰相の位と皇統伯爵を鑑みても、特に問題はないとも言えた。
いずれにせよ些細なことである。
宰相府公用車のハルフォード・モナルカに乗り込んだ柳井は、隣に座る宇佐美に聞いた。
「しかし一週間のつもりが思ったより向こうで長居してしまった。宰相府のほうは問題ないな?」
「はっ、しかし閣下はもう少し休まれるべきでございます。外遊中も逐一案件を処理されておりましたので、一同驚きのあまり苦笑いを隠せずにおりました」
「そうか……宇佐美さん、あなたも随分宰相府に毒されてきましたね。以前のあなたならそんな冗談は言わなかった」
侍従礼法がスーツを着て歩いていると評されている宇佐美だが、宰相府に着任してからは所作はともかく、言動は徐々に打ち解けたものになってきているように、柳井には聞こえていた。
「そうでしょうか? それに苦笑いしていたのは事実でございますが」
「……冗談はさておいて、例の案件だが」
「はっ、ジェラフスカヤより連絡を受け検討を進めておりましたが、やはり専門の報道官を置くのが最適かと」
マルティフローラ大公国で柳井が近衛の護衛などを考えずに報道対応したのは、柳井が思っている以上に大問題になっていた。柳井の護衛を担当していた近衛分隊には譴責と軽い処分が下されただけが、万が一のことがあれば近衛の史上三度目の大失態となるところであった。
なお一度目の大失態は三二一年クラウスの乱におけるエドワード帝戦死、二度目の大失態は数年前に起きた近衛の横領、特別収賄、違法収賄などのスキャンダルである。
また、柳井の虚飾のない発言は些か刺激が強く、好意的に受け取られる場合もあれば強い反発を生む――と、官僚として報道対応もこなしてきた宇佐美はじめ、宰相府の面々は考えていた。
「宰相自身は出ぬ方がいいと?」
「お止めはしません。閣下なら多少報道対応のコツを覚えていただければ、十二分に対応できるかと。しかしその場合、せっかくの閣下の長所を殺すことになるかと」
「長所?」
「飾り気がなく、物事を包み隠さず、鋭い一撃を加えるということです。これは頻繁に出すより、本当に重要なときのみに取っておくべきかと」
「そうか……?」
柳井の発言が些か鋭すぎることがあるのは事実だが、本人にその意識は薄かった。まず柳井以上に発言が鋭いメアリーⅠ世に仕える環境では、柳井の舌鋒も薄まるということ。宰相府の面々も柳井に忌憚のない意見をぶつけるので柳井自身もあまり気づいていないが、普通の官公庁であれば毛嫌いされても不思議ではなく、また報道各社による切り抜き、誇張の危険にさらされることもあった。
しかも、本人の自覚が薄いが、皮肉や嫌みのレパートリーも柳井は豊富であり、それを真正面から受け取られるのは宰相府、ひいては皇帝にもダメージが大きい、と宇佐美は判断していた。
「まあ、人選は事務局長に任せるが……まるで私が劇薬のようではないか」
「はい」
何のオブラートもなく、宇佐美は頷いた。柳井は柳井で、自分よりよほど周りのメンバーのほうが舌鋒も嫌味も鋭いと考えていたので、やや不服そうに肩をすくめた。
一四時五二分
ライヒェンバッハ宮殿
樫の間
「おかえり義久。お土産は?」
皇帝はようやく嫌味と皮肉と冗談をぶつけられる相手が帰ってきたことで晴れやかな笑顔を浮かべていた。何せ人類社会一兆人の頂点である。下手なジョークは帝国を左右する重大な一言になりかねず、皇帝は注意深く話さねばならない。その点柳井は鋼の神経と鉄の心臓を兼ね備えた――と、皇帝自身は認識している――得がたい存在だった。
「私の無事が最高の土産、と言って頂ければ臣にとって生涯最高の喜びでしたが」
さっそく柳井のジョークが飛ぶが、これにしても世が世なら不敬だと言う者が居るはずだった。
「言うわけないでしょ。戻ってきて当然。死んだらコキュートスの向こう側にいても連れ戻してやるんだから」
「神曲ですか。私の郷里では三途の川のほうが馴染み深いのですが」
「六文銭なんか渡さないわよ」
「陛下は
「殴るわよ。で? 収穫は」
「は。大公国の紅茶の出来がよかったそうで、侍従局に差し入れを。すでにこちらに淹れて持ってくるようにと――来ましたね」
本当に土産を持ってきていたのか、と皇帝は頬を緩めた。何だかんだと柳井は気が利く男だ、と感心もしている。皇帝の侍従が淹れた紅茶を片手に、柳井の外遊の成果報告が始まった。
柳井はイステール自治共和国への出資や進出を検討している企業やグループなどの一覧を樫の間の大型モニターに転送した。
「アレティーノ皇統男爵、それにイースタン&フロンティア銀行のユルダクル総裁の訪問が効いたようですね。今後もまだ増えるでしょうが、まずはR&T、EPRICOが進出するだけでも上々です」
「なるほどね……勘の良い連中は、あそこが次の領邦化予定宙域と気づいているはずよ。産業振興策などの手配は?」
「すでにルブルトン皇統子爵はじめ、イステール政庁にも一連の指示を出しております。しかし、気の長い話です。どんなに早くても一〇年はかかるでしょう」
「
「梨のバカめが一八年などとも申しますが」
「約二〇年は長すぎるわね。一〇年よ。ピヴォワーヌ伯国は五年で建てたけど、その分小粒で仕上げた。次の領邦は最初からある程度の規模を持って開くのが目標よ」
「はっ、その点は随時進めて参ります。それとマルティフローラ大公のことですが」
「どうだった?」
柳井はまだ乳母の腕の中で無邪気な笑みを浮かべている乳児の姿を思い出した。
「乳母、後見人ともに問題ありません。特に乳母のマクミラン殿は識見も胆力も優れ、必ずや大公殿下の養育に良い影響を与えることと存じます。後見のヴァイトリング子爵、キルピヴァーラ首相に当面任せて遺漏はないと判断いたしました」
「あっそう。じゃああなたの判断を信じるわ。ま、それこそこっちは二〇年かかるでしょうね……彼女が二〇代のとき、あなたは六〇半ばか。私も五〇過ぎ。どっちが先に倒れるやら」
紅茶を飲んで満足げに頷いた皇帝に、柳井は思いのほか真剣な目を向けた。
「それは私でございましょう」
「あら? それはなぜ?」
「陛下にこれだけこき使われているのです。これで私が先に死ななかったら、私が化け物のようだと後世の歴史家に書かれてしまいますので」
馬鹿おっしゃい、と皇帝は笑い飛ばし、柳井もそれに続いた。
一五時一六分
黄檗の間 宰相府オフィス
「さすが、マルティフローラ産の茶葉はいいものです」
皇帝への謁見の後、柳井は宰相府のスタッフから現状報告を受けると共に茶会を催していた。ティーカップを手に紅茶の香りを楽しんでいたシェルメルホルン伯爵が、茶菓子のマカロンを口にしてから報告をはじめる。
「現在宰相府で進めている案件ですが、無論、完結したものはまだありません。全てがこれから、というところで」
「それはそうだろうな……ただ急ぎ済ませたいものがある。辺境惑星連合との和平、とりわけ主義派との和平は急がねばならない」
柳井が追加で大型モニターに転送したのは、フロイライン・ローテンブルクの収集した主義派のデータだ。
「……これを市井の探偵が収集したとすると、とんでもない逸材ですね。よく宰相閣下はこのような御仁を探したしたものです」
バヤールが感心したように頷いたが、柳井としては探し出したというより巻き込まれた、あるいは引っ張り出されたというほうが適切なのだがと複雑な思いを抱いていた。
「主義派は第二三九宙域の真正面ですからね。ここを切り崩して対帝国侵略行為を減らせれば、開発にも弾みがつくでしょう」
ジェラフスカヤは柳井の意図を正確に言い表した。
「純粋に国防を考えても、相対する敵が減るのはいいことですね。詳細な情報があればこちらも動きやすいです」
ハーゼンバインは次はどのクッキーを食べようかと迷いながらも資料の検討を進めていたようだった。
「この案件については私が引き取る形で進めるが、いざ動くとなればマンパワーも必要だろう。そのときは声を掛けるから、そのつもりで」
「ツテはあるとのことでしたが、具体的にはどのような?」
宇佐美がチョコクッキーを頬張りながら柳井に聞いた。以外と甘党なのか、宇佐美はすでに三枚目のクッキーに手を付けている。
「ああ、まあ現地のことは現地に詳しい人間に頼もうと思ってね。少し留守にする。あとは頼むよ、伯爵」
「はっ!」
「バヤール。ついてきてもらえるか?」
「分かりました」
バヤールを伴って出かけた柳井を見送りながら、残された宰相府スタッフは笑みを浮かべていた。
「やはりあの方は仕事をしているときが一番落ち着いているようだ」
そう言ったシェルメルホルン伯爵は、紅茶を飲みつつニコニコしながらアップルパイを頬張った。
「外遊中もいろいろ仕事を抱えておいででしたから。少しは気を抜いてお休みになればよろしいものを」
マカロンの最後の一個を争い、ジェラフスカヤとじゃんけんをして負けたハーゼンバインが、気を取り直してマフィンに手を伸ばしつつ、呆れたような口調で言った。
「まあ、仕事も趣味も休暇も、宰相閣下にはあまり区別がないのでしょう」
アップルパイ最後の一つに手を付けつつ宇佐美が言うのを、一同は頷いて同意を示した。
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