第44話-③ 宰相閣下の外遊
八月一六日一三時〇九分
イステール自治共和国
首都星ガーディナ
行政庁
二三階 大ホール
行政庁ビルでも一番広い容積を誇る講堂には、イステール自治共和国行政府の人間の他、東部開拓局をはじめとする帝国官公庁の官僚、財界、産業界をはじめとする各界の有識者、それに柳井達中央政府代表が詰めていた。
イステールを中心とした第二三九宙域の経済振興フォーラム。公式にはそう言われている集まりだが、宮殿樫の間と楡の間、黄檗の間に出入りするようなごく限られた人間には別の名前が脳裏をよぎっていた。
新領邦設置フォーラム、と。
『第二三九宙域の利点は、すでにゲフェングニス342の蜂起により歪だった領域の整理が完了しているところにあります。これにより防衛費の削減、敵対勢力との戦略的縦深の確保により、他の国境宙域と比べれば安全性が高い。これは今まで開発事業に参画していない企業、団体にとっては見逃せない利点となるでしょう』
EPRICOのCEO、アレティーノ男爵の講演にはかなりの人間が詰めかけていた。帝国本国や領邦、軍管区の中枢宙域にはまだまだ未開拓の惑星もあるが、それらには複雑な利権が絡んだり、すでに誰かの所有物だったりすることが多い。一方で帝国辺境にはまだまだ手が付けられていない惑星が多数ある。
アレティーノ男爵は、いわば柳井が仕掛けた生き餌といってもいい。彼のように目が利く人間が第二三九宙域に価値を見いだしたとなれば、我先にと進出を考えるかもしれない。
無論短期的なものではなく、柳井は皇帝の意思に従い、この宙域を領邦にまで育てなければならないのだから責任重大だ。ピヴォワーヌ伯国の時は前マルティフローラ大公らの妨害でかなり小規模に始めなければならなかった新領邦建設も、メアリーⅠ世の御世なら最初からある程度の規模をもって実現出来る。
アレティーノ男爵の立て板に水、懸河の弁には多くの聴衆が引き込まれていた。
この大ホールだけでなく、行政庁の各会議室では専門家同士のディベートやもっと一般的な商談の場も設け、まずは領邦首都星となるべきガーディナの開発についての取引なども行なわれていた。
無論、現状表向きは数ある辺境開発のプロジェクトの一つにしか過ぎないとされているし、多くの者はそう考えているだろう。
「宰相閣下、なんだか楽しそうですね」
「そうかな?」
ハーゼンバインが宰相府充てに来ていた質問などをチャットで返信しつつ柳井に言った。
「……楽しい、か。そうだな、楽しいのかもしれないな」
ルガツィン元伯爵や先帝バルタザールⅢ世の最期の言葉を見て聞いてきた柳井は、こうして帝国の繁栄や民の安定に繋がる事業に携わることにより、彼らの言葉に報いることが出来ている気がしていた。
「閣下、第二三会議室にユルダクル総裁がお見えです」
バヤールが耳打ちするように柳井に言うと、柳井は慌てて振り向いた。
「イースタン・フロンティア銀行の? そんな予定は無かったはずだが」
「隣接宙域の視察が思いの外早く終わったとのことでして、ついでに寄った、とは言われていますが」
「ともかく分かった」
柳井は聴衆に気取られないように、それとなく立ち上がり、遠く離れた会議室まで早足で向かった。
一三時四三分
第二三会議室
「ユルダクル総裁、お待たせして申し訳ありません」
「おお、宰相閣下。お初に……というわけではありませんな。先帝バルタザールⅢ世陛下の国葬でお会いしたと」
「は、その節はどうも……今日はまた、このようなところまでどうなさったのです?」
「いえ、風の噂で宰相閣下が辺境で面白そうなことをしていると聞きましてな」
さすがは東部随一の銀行グループ。第二三九宙域に関する情報収集も万全かと、柳井は驚きはしなかった。
「現在我がグループは、東部の開発に関わる事業への融資枠を拡大しています。理由は、宰相閣下ならお分かりと思いますが」
「代替わりで東部開発が加速する、と睨んでいる……私から明言するわけには参りませんが、まあ私がここにいる、ということで察していただければ」
「なるほど……まあ、私も今回は非公式、あくまで総裁としてはここにいません。イステールはこれから投資家や産業界も目を向けています。ささやかながら応援していますよ、宰相閣下」
「ありがとうございます。どうぞよろしくお願いします」
本当にフラッと寄っただけだ、とでもいう風に、交渉ごともなくユルダクル総裁はその場を辞した。
『宰相閣下。イースタン・フロンティア銀行より行政府宛に今後の融資についての交渉の要請が入っていますが』
なるほど、すでにここに来る前に手を打ってあるというわけか、と柳井は苦笑した。
「筋を通す、というわけか。わかった。それは金融局にでも回してくれ」
「宰相閣下、第三一会議室にR&Tボトラーズの方がお待ちです」
「まったく、私に会ったからといって商談がまとまるわけではないのに」
「それこそ、閣下のいうとおり筋を通すためなのでしょう。シノギをするならその土地のものにギリを通すという」
バヤールの喩えに、部下の意外な一面を見た気がして柳井は噴き出した。
「君からジャパニーズ・マフィアの用語が出てくるとは思わなかった。今日はこんな対応で終わりそうだな」
今日どころか、このあと二日にわたって柳井への会談要請は相次いだ。アレティーノ男爵の講演が効いたのか情報がどこかから漏れたのかは定かでは無いが、柳井は予定を一日延長し、四日間もガーディナに滞在することになった。
八月二〇日〇七時〇九分
センターポリス宇宙港
「それでは閣下。また近いうちに」
「こちらは万事お任せください」
「ルブルトン子爵よろしくお願いします。ロベール君も、ルブルトン子爵を手助けしてやってくれ」
早朝だというのに見送りに来たルブルトン子爵とロベール主任と別れを告げ、柳井は帝都へ向かうべく、インペラトール・メリディアンⅡに乗り込んだ。同乗者を伴って――である。
〇七時四三分
インペラトール・メリディアンⅡ
貴賓室
インペラトール・メリディアンⅡには皇統のなかでも領邦領主や侯爵以上の皇統、あるいは皇帝が座乗した際の部屋として貴賓室が備えられていたが、柳井は当然これを断っていた。帝国宰相は十分この部屋の住人としてふさわしいが、広すぎる上に調度品が高級品ばかりで落ち着かないというのが理由だ。
「それにしても、ご立派になられましたねえ宰相閣下。こんなお部屋が使えるなんて」
「よしてくださいフロイライン。分かっているくせに」
「あははは、それはそうと、本当に良かったんですか? 私達なんか乗せて」
フロイラインことエレノア・ローテンブルクは帝都旧市街で探偵事務所を開いている探偵だ。探偵とはいうが会社員時代の柳井は彼女に東部辺境の情勢調査などを依頼することが多かった。
彼女との出会いは他でもない、当代皇帝メアリーⅠ世の隠された経歴にまつわる非常にきわどい事件でのこと。
辺境で諜報任務と趣味を兼ねた海賊稼業に勤しんでいた当時のメアリーを、帝都皇統界へと穏便に引き戻すための芝居を打たされたときのことだ。
この際にエレノアは柳井が指揮していたアスファレス・セキュリティロージントン支社に所属する戦艦を借り出していたことから、因縁ともいうべき関係が始まった。
「なに、我々はいわば共犯、あるいは同志ではないですか。メアリーⅠ世陛下のご即位には、あなたも大いに役立ったのです。今からでも遅くないから皇統男爵でも贈りましょうか?」
「いえいえ、私には帝国騎士の称号でさえ重すぎるもので」
帝国騎士号は皇統貴族ではなく帝国貴族の称号で、それも一番下に位置するものだ。エレノアの場合はこれを祖父から受け継いでいた。
年間一五〇〇〇帝国クレジットほどの爵位税は掛かるが、むしろその程度なら維持しようという者も多く、負担が一〇倍以上増える帝国子爵、帝国男爵号と比べると先祖代々の帝国騎士という家は多い。
「ところで、今度はまた何故こんなところまで?」
普段ならワインでも差し出すところだったが、朝一ということもあり、テーブルの上にはシンプルながら上品なコーヒーカップが置かれていた。これ一つで自分のスーツがグロスで買える……と柳井は考えていた。
「ちょっと気になることがあって、イステールなら宿も多いし拠点に丁度良くて……ハンス、例のものを」
「あいよ……」
小さな投影機を取り出したハンス・リーデルビッヒ――エレノアの相棒――が、フローティングモニターに資料を出した。
「これは……辺境惑星連合の中央委員会の資料ですか。どうやってこんなものを」
「まあ、色々ツテがありまして……噂で聞いたんですけどね、最近辺境惑星連合の上層部にかなりの亀裂が走っているそうです。近年の対帝国侵攻のほとんどが失敗していましたからね」
資料を読み進めると、特に東部辺境と接する勢力に不満が高まっているとのことだった。
「連邦議会オテロ・ゴッドリッチ・カリーリ主義派、まあ主義派としますが、特にここはノリが悪いみたいですね。イステール他、この宙域の真正面ですが」
「なるほど。さては陛下の密命でも受けましたか?」
「はずれです。閣下に売り込みに行こうと思ってたんです」
「おいエレノア!」
「だってもう同じ事でしょう!?」
「宰相閣下になんて口の利き方だお前は!」
「いやまあ、気にしてませんから……なるほど。星系自治省や内務省の外事課の情報より充実している。いくらで売ります?」
「そうですね……こんなもんで」
柳井に差し出されたメモ用紙の金額を見て、柳井は肩をすくめた。
「足下を見てますね、さすが商売上手でいらっしゃる」
「うちも慈善事業ではないので」
「趣味だもんな」
「やかましいっ!」
「月末に纏めて振り込みましょう。追加で一〇〇万積みますから、他の……東部辺境に接する辺境惑星連合のデータもおまけでつけてください」
「一五〇万でどうです?」
「わかりました、あなたにはお世話になっていますからね」
柳井が差し出した手を力強く握り返したエレノアを、ハンスは胡散臭そうなものを見るような目で見ていた。
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