第44話-② 宰相閣下の外遊

 八月一三日一〇時三九分

 マルティフローラ大公国

 首都星シュンボルム

 ノルトハウゼン邸

 中庭


「……」


 領邦政府との会談のあと、柳井は領邦領主マルティフローラ大公ノルトハウゼン家の私邸を訪れていた。先の永田文書問題に関わる財産没収の例外として設けられたものである。


 領邦領主公邸については領邦の財産なのでそのままになっているが、普段は公邸がリーヌス・フォン・マルティフローラ・ノルトハウゼンの居宅になっている。領邦領主としての権利でもあるし、何より私邸側は心ない反領邦政府主義者のデモの目的地になり、静けさが失われていた。乳幼児の成育環境としてはあまり褒められたものではない。


 柳井は中庭に設けられた小さな墓碑の前にひざまづいて、手を合わせていた。三人の宰相侍従も同様である。


「宰相閣下、ありがとうございます……」


 リーヌスの乳母であるブレンダ・トレイシー・マクミランが深々と柳井に頭を下げた。


「いえ、当然のことをしにきたまでです……あなたは前大公とは生前から親しかったので?」

「リーヌス様のお母上、ヨハンナ様とは大学時代の同窓でして。私も彼女も元々は教師を志望しておりました」

「教育学部におられたのですか……それは頼もしい。リーヌス様の基礎教育はあなたに掛かっていると言っても過言ではありません」

「はい。心得ております」


 墓参りを終えて、柳井達は領主私邸を出ようとしたが、帝国宰相が訪問すると言うことで記者やデモ隊が玄関の前にたむろしていた。私邸はセンターポリスの中心街にあり、他の皇統なら備えるだろう広大な庭園などもなく、玄関から出るとすぐに歩道というこぢんまりとしたものだった。


「宰相閣下、どうか足を止めずに、一気に通り抜けましょう」


 バヤールが合図をすると、待機していた近衛兵が柳井達の周囲を取り囲んだ。物々しい護衛態勢の中、柳井達は記者陣やデモ隊の質問やら罵詈雑言やらを受けつつ、車へと急ぐ。リーヌスを抱きかかえたマクミランなどは近衛兵に担がれるようにしてだ。


「宰相閣下! マルティフローラ大公家については転封が妥当だという声もありますが! 赤子では領主は務まらないでしょう!」

「領邦交付金による調整では帝国中央政府の負担がないのではないですか!? なぜ大公国のみに責めを負わすのです!」

「サラリーマン宰相は直ちに辞職しろ!」


 これらの質問を聞き咎めた柳井は殿しんがりを務めるかのように、突然足を止める。大公を抱きかかえたマクミランがそのままリムジンに乗り込み発車を確認してから柳井は口を開く。


「大公家の家督はリーヌス様が継がれた。帝国領邦領主として大成して頂くための措置です。今後、大公殿下には領邦領主としていずれ独り立ちして頂くために、あらゆる教育が施されることでしょう。そのための体制作りはすでに始まっている。領邦経営については領邦政府ならびに大公殿下後見人のほうへ問題なくお任せできると、陛下や私は考えております」


 これは領邦領主が赤子では務まらないということへの反論だった。


「次に、領邦交付金による不正使用された資金の返還について。先の永田文書問題についての処分は官報により通知したとおり、中央政府にも法に基づいて多数処分を行っており、領邦政府のみに責を負わしたという批判は当たらない。また、交付金による調整は本来領邦政府に直ちに全額返還を求めたいところを、陛下のご寛恕により一〇年での分割返還としたものである。領邦政府への負担軽減は中央政府ならびに陛下も心を砕かれていることを留意して頂きたい――」


 それと、と柳井は付け足すように自身への批判に応えることにした。


「この通り、粗末な見た目の宰相ではあるが、辞任して全てが解決するのならいくらでも腹を切りましょう。しかし、今はそのときではありません。陛下の推進する政策を進めることで、皆様の不満や不安を解消することが出来ればと愚考いたします。それでは」


 バヤールとハーゼンバインに背後を守られて――柳井はリムジンへと乗り込んだ。


「閣下、危険です! 狙撃の恐れもあります」


 ハーゼンバインが珍しく声を荒げた。あれだけの人数が詰めかけていれば、常にそういった危険は付きまとう。


「すまない。ただ、あのまま逃げるように立ち去るのでは、どうもな」

「……お気をつけください。閣下はただの皇統伯爵ではなく、帝国宰相という重職を担うお方なのです」

「わかった。今後はハーゼンバインの忠告をよく聞くようにする……バヤールもすまなかった」


 体格がいいバヤールは、率先して柳井の盾になろうと前に出てくれていた。


「私はそれが取り柄ですから。しかし、ハーゼンバインの言うとおりです」

「今後はキチンと場を設けて記者対応をするようにしよう」

「宰相府として定例会見を行う事も必要でしょうね。宰相府は内閣の動きとは別で動けますから」

「そうだな。方法や回数はジェラフスカヤに任せる。帝都に戻るまでにはまとまりそうか?」

「大丈夫です」

「わかった、任せる」



 このあと、領主公邸での滞在を経て、柳井は次の目的地である第二三九宙域イステール自治共和国首都星ガーディナへと向かった。



 八月一五日一六時一九分

 イステール自治共和国首都星ガーディナ

 センターポリス宇宙港

 艦橋


「宰相閣下、ご出立はいつ頃で?」

「三日後の昼を予定している。この通りまだまだ寂しい町だが、乗組員にも存分に休息を取らせてやってくれ」

「はっ」

「それと、艦長にはこのあと自治政府との懇親会にも出てもらいたいのだが」

「わかりました。まあ停泊中ですから問題ないでしょう」



 一七時三二分

 総督公邸

 大広間


 旧ルガツィン邸を改修した総督公邸は、柳井が宰相就任後になって本格的にリフォームが行なわれ、領主公邸として十分な格式を備えたものとなっていた。


 なお、内装リフォームについてはルブルトン子爵のプロデュースにより品良く纏められた。ロベール主任が手配した業者も質の高い工事を施してくれたようだと柳井は感心していた。


「柳井閣下!」

「ロベール主任。すまないな、急なことで手配を任せてしまって」

「いえ、お気になさらず……首相、柳井閣下がお見えです」

「閣下。お久しぶりです」


 アマンダ・ヘリ・アイディット自治政府首相は、シャンパングラスを片手に柳井に礼法に則り頭を下げた。


「伯爵への、それに宰相へのご就任おめでとうございます。お忙しくなられたので、もうお目にかかれないのではないかと冷や冷やしておりました」

「まさか……今後も暇を見つけてはこちらに来ますので、その際はどうぞよろしくお願いします」

「こちらこそ」


 首相との挨拶に続いて、治安維持軍司令官、防衛軍司令官、それに警察局長と政府高官などと久々に対面した柳井だったが、今日はそれだけではない。


「宰相閣下、お久しぶりです」

「アレティーノ男爵、こちらこそご無沙汰しております」


 コンスタンツォ・アレティーノ皇統男爵。東部軍管区を中心とした惑星鉱山開発を手がけるEPRICOのCEO。皇統社会の悲喜交々をコンテンツのように楽しむ悪癖があり、柳井とはややシニカルな面が妙にウマが合う人物だ。


「宰相閣下がに戻られるとお聞きして、仕事ついでにこちらに寄ってみたら、やはり当たりでしたか」

「どういうルートでお聞きになったか興味深いものです。知っている人間なら首を締め上げなければなりません」

「そんなギリギリの手段など取らずとも、今や閣下のご予定は宰相府が出しているではないですか」

「わかっていますよ。窮屈なものです」

「まあ、宰相閣下も中々どうして、人材収集家の一面があるようで。噂になっていましたよ、次はうちから引き抜かれるのではないか、と」


 すでに自分が各省に掛け合って若手人材を引き抜いているのは全帝国中の噂になっているらしい、と柳井は苦笑した。単に立身出世の為のためだけでなく、アレティーノ男爵のように何らかの事業に携わる者は、宰相府の人事傾向を注視することで皇帝が次に何を行なおうとしているのか、表沙汰になっていない計画があるのではないかと推測を始めているらしい。


「私の見立ては間違っていない、と考えていますがね。だからこうして、辺境まで足を運んだわけです」

「さすがですね、完敗です。少し込み入った話ですから、こちらへ」


 柳井は大広間の外に用意された個室にアレティーノ男爵を案内した。随行したのはジェラフスカヤで、彼女の名を聞いた男爵は得心が行ったとばかりに頷いていた。


「男爵が何を考えているか、そこをお聞かせ願いたい」

「領邦の新設をお考えなのでしょう、陛下は」


 柳井も遠回しに聞くことはしないし、アレティーノ男爵も迂遠な駆け引きはなしだった。横で見ていたジェラフスカヤは唖然としていた。


「ほう、それはまたなぜ」

「宰相府の陣容にイステールの開拓主任と東部開拓局のルブルトン子爵がいらっしゃいましたので。単に総督業務を宰相府で巻き取ったようには見えません。陛下は辺境の整理と共に、領邦を増やし、辺境統治体制を今のような不安定なシステムから脱却するおつもりでは」


 アレティーノ男爵は若くして東部最大の鉱山開発企業を経営するだけに、柳井も舌を巻く勘の良さを持っていた。


「……ジェラフスカヤ、例の資料を」

「はっ」


 ジェラフスカヤが取り出したタブレットには、現在宰相府で進められている第二三九宙域の領邦化計画の試案が表示されていた。


「なるほど。しかしこれだけの規模になるとうちだけで対応は不可能ですね……だから私に見せた、と?」

「それはそうでしょう。皇統同士の利益誘導に近い動きなど忌避されるものです」


 柳井が笑みを浮かべると、アレティーノ男爵はやれやれとばかりに肩をすくめて、持ってきていたシャンパングラスを空にした。


「私にそれとなく、各企業に第二三九宙域への開発や進出を呼びかけさせようという腹ですか?」

「お察しの通りです」


 領邦新設だけではない、東部全域の開発促進をさせるのが目論見だった。領邦ができれば人口流入もあるし、その周辺宙域の産業が活性化する。これは今までマルティフローラ大公国をはじめとする領邦が建国されたときも同じ傾向が見られた。


「食えない人だ。分かっていて私に話をしたのでしょう?」

「飛んで火に入る、というやつですね。鼻が利くのも考え物です」


 柳井の言葉にアレティーノ男爵は大笑いした。


「いや失礼。閣下のことを見くびっていたわけではないのですが」

「私としては渡りに船でした。今後とも期待していますよ」


 柳井が差し出した手を、アレティーノ男爵は握り返した。



 二〇時一二分

 応接間


「今日は皆ご苦労だった」

 

 懇親会を終えて来訪者を見送ったあと、柳井の随員である宰相付侍従の三人、ロベール主任、それにブロックマイヤー艦長は応接間に通され、ソファに掛けている。柳井はワインボトルを片手にグラスを満たしてまわった。


「しかし、イステールも思った以上に賑やかになったようですね。以前の騒擾事件の影響でしょうか」


 応接間から見える中心街の夜景を、ジェラフスカヤは感慨深げに見ていた。


「そうだな。実は君達三人に付いてきてもらったのは、こうした東部辺境の現状を知ってもらいたいからでもあった。ロベール主任のように辺境勤務が長い官僚はともかく、中央勤めが長いと中々把握できない。私達が今後関わることになるのは、こういう場所なのだと肌で感じて欲しかった」


 柳井の言葉に、ジェラフスカヤ、ハーゼンバイン、バヤールの三人は頷いた。


「私はそのおこぼれに預かれた、というわけですね」

「艦長、機嫌を悪くしたのなら謝るが」

「いえいえ。クルーにも辺境を感じてもらう良い機会です。どうしても近衛は中央を離れづらいですからね」


 ブロックマイヤー艦長はワイングラスを一息に空にして、柳井に掲げて見せた。


「それに辺境は酒が旨い。これはラ・ブルジェオン産でしょう? こちらにくれば産地直送が味わえると言うことが良く分かりましたので」

「今度はピヴォワーヌ伯にグロスで納品してもらうとしよう。明日もあれこれと会合が続くが、皆、よろしく頼むよ」


 そうしている内に、応接間には新たな来客が訪れた。


「いやはや、パーティをしている間に来ようと思っていたのだが」

「ルブルトン子爵、どうぞこちらへ。お忙しいところをすみません」


 惑星開拓の現場に居たルブルトン子爵は、明日行なわれるイステール開発委員会の参考人として出席する予定があり、イステールに前乗りすることにしていた。


「こんなもので済まないが差し入れを」


 ルブルトン子爵が下げていた袋には、イステール産の食肉を使った串焼きが山のように入っていた。


「若手を連れてくると聞いていたのだが、女性が多いな。食べきれるだろうか」

「ご心配なく。私がおります」

「私もパーティではほとんど胃にものを入れていませんでしたから」

「美味しそうですねえ。小皿取ってきます」


 バヤールが一つ残さず食べると胸を張り、ジェラフスカヤも舌なめずり、ハーゼンバインがキッチンへ小走りで駆けていく。柳井は三人を連れてきてよかったと胸をなで下ろした。彼ら彼女らにとっても、宮殿を出て活動することが良い刺激になると考えていた。


「さて、それではルブルトン子爵も来られたし、飲み直すとしよう」


 その日の小さな宴会は日付が変わる頃まで、将来の領邦計画、喫緊の課題などを交えたざっくばらんな会話と、山盛りの串焼きを肴に続けられた。

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