第43話-③ 帝国宰相府


 六月二五日一一時一〇分

 ライヒェンバッハ宮殿

 樫の間


「では、宰相閣下。これで帝国宰相府は正式に開かれたことになります。今後も我ら帝国政府と陛下の間を取り持ち、共に帝国の発展を成し遂げていきましょう」

「もちろんです。陛下からは何か?」

「特にないわ。皆の活躍に期待する」


 楡の間では、帝国宰相府設置法が議会を通過し即日公布されたことについてムワイ首相と両院議長による参内上奏が行なわれていた。式典用の野茨の間ではなく、執務室で簡素に行なわれた上奏を希望したのは皇帝自身だ。


 柳井としては儀式にすると面倒だからだろうと察していた。


「では、我らはこれにて……」


 首相らが退室した後、皇帝は柳井に紙筒を渡した。帝国宰相府設置の勅書だ。


「では、宰相府のことは頼むわよ……でもホントに黄檗おうばくの間でいいの?」


 柳井は宰相府設置の際、所在地を宮殿内黄檗の間と定めていた。宮殿内は使用されていない空部屋もあるとはいえ、将来的に一〇〇人規模となれば独立した建物があったほうが効率が良いと考えていた皇帝は、柳井の決定に疑問を持っていた。


「とりあえずのことです」


 柳井は柳井で皇帝同様、合理的に物事を進めるために面倒くさい部分を後回しにしたり、簡素化することがあったがこれもその一つだった。皇帝に呼ばれる度に移動するような手間を省きたかったのだろうと、同席しているジェラフスカヤは推察している。


「まあ、その辺はあなたの好きになさい」


 皇帝は新しい玩具を手に入れた子供のような無邪気な笑みを浮かべていた。



 一一時二〇分

 黄檗の間


 黄檗の間は宰相執務室であるにれの間に隣接した大部屋だ。さすがに内装に手を入れるのは憚られたため、それなりに豪奢で重厚な室内装に似つかわしくない、事務机などが運び込まれた急拵えの宰相府オフィスとなっていた。

 

「本日より帝国宰相府は正式にその組織の設置が認められ、動き出すことになる。まあ見切り発車で色々動き出してはいるが、改めて我々の仕事をハッキリさせておこう、まずは――」


 柳井は居並ぶ幹部と一般・総合職を前に宰相府の仕事を改めて整理して説明した。


 現在宰相府喫緊の課題は辺境部の整理が挙げられる。帝国国防方針に基づく版図の整理は、国境宙域を現在よりも後方に下げ、帝国軍の兵站負担を減少させると共に、水際防御に必要な膨大な戦力の削減や効率的な防衛が可能となることから、国庫の支出や帝国軍の運用にも大きく影響する。


 そのために植民された惑星を放棄して、そこの住民や企業を別の惑星に移住、移転させなければならない。強制的に行なうことも可能だが、それでは現地住民や企業の反発を招くので、これを平和裏に行なう必要があった。


「これにより、辺境部を整理、移住や企業誘致が行なわれた星系の発展に繋がり、結果としては惑星を捨てた以上の経済効果が期待できる……が、これも時間がかかる作業だ。まずは人口が極端に少ないものから選定していかなければならない」


 続いて柳井が挙げたのは省庁統廃合計画だった。これは主に内務省と星系自治省、国税省に対するものだ。内務省については対外――この場合は対辺境惑星連合――諜報を行なう外事課を独立させた上で、さらに折衝部門や事務部門などを加えて外務省とする計画で、これは将来的な辺境惑星連合構成体との和平条約や、そこまで行かなくとも停戦交渉などを目的としたものだ。


 星系自治省については肥大化した省そのもののスリム化を目的としている。現在星系自治省は各自治星系に対する強い影響力を持つが、これは星系自治省から送り込まれる官選首相と治安維持軍によるものだ。


 これは辺境部の自治共和国の中央政府に対する反感に繋がっている。帝国という枠組みに自治共和国を留め置くには官選知事も不可欠の制度というのが、柳井が開いた研究会で出された専門家の見解だった。


 しかし、治安維持軍については、自治共和国そのものが帝国から離反しない限りは自治共和国の防衛軍と任務が重複する上、人材の取り合いにも発展している。


 これを解決するために、治安維持軍の段階的廃止、防衛軍や帝国軍への編入を行なうことを皇帝は望んでいた。


 内務省も星系自治省も省益に敏感で、さらにプライドが高い官僚が多いためにこれら自分達の縮小に繋がる政策には最大限の抵抗を示すことが予想された。


 国税省については特別徴税局の権限拡大を目指すこととなっている。柳井の手帳にはすでに特別徴税局局長からの要望や、皇帝の所感、専門家の見解が纏められていたが、いずれ庁レベルにまで組織を拡大することを想定していた。


 これ以外にも、天然資源省とエネルギー省の統合も計画には入っている。


「官僚達の叛乱を防ぎつつ、如何に穏便にこれらを行なうか。これも長い時間が掛かるだろう。地道にやっていこう。主要なものはこの二つだ。他にも細々と陛下からは矢の催促が飛んでくるかもしれんが、まあそれは随時対処だ。ともかく皆、よろしく頼む」


 一同が短く返事をしたのを確認して、柳井は頷いた。恐らくここにいるメンバーとは一〇年単位での付き合いになるだろうと考えていた。


「それでは……もう昼か」


 さすがの柳井もこの頃には自分の地位職責を弁えており、食堂で立ち食い蕎麦は控えていた。それでも夜半になると二四時間営業の食堂に顔を出してラーメンなどをすすっている姿が目撃されている。


「皆で昼食でも取りながら、ざっくばらんに話でもしよう」


 今回は顔合わせも含めたワーキングランチであり、今後の仕事のこと、互いの他愛もない話などを交えつつ昼食を取ることとなった。ジェラフスカヤらが手配していた食事が運び込まれ、一同は和気藹々とした雰囲気で昼食を終えた。


 

 六月三〇日一〇時三二分

 樫の間


「留守番頼める?」

「はっ? 留守番、でございますか?」


 宰相府稼動開始から数日。精力的に各種施策についての根回しやら協議、各専門家の研究会などを開き意見を聞いていた柳井は、政務を開始した皇帝に呼び出された。


 皇帝が出した指示と、それを聞いた第一声がこれである。


「ええ。明日の一〇〇〇出発で予定。大体一週間ほど出かけるわ」

「……詳細についてお聞かせ願えますか、陛下」


 皇帝が命じたのは、正確には帝国内の巡幸を行なうので留守居を頼むというものだった。皇帝による巡幸は定期的に行なわれるものであり、特別何もない時でも、皇帝自身の気分で実施する例もある。


 ただし、今回は皇帝メアリーⅠ世即位後初のものである。


「リンデンバウム伯国、ピヴォワーヌ伯国はじめ各領邦への行幸はまあ良いとしても、この辺境宙域巡視とはどういうことです」


 宮内省侍従局が作成した予定を一瞥した柳井は、当然この予定を不安視した。


「大丈夫よ。ちゃんと近衛の主力を連れていくから」


 が、皇帝にはまったく響かない。


「いえそういう意味ではなく。御身のご安全を危惧しているのです」

「だから近衛を連れていくんでしょ?」

「……まあ私が言って翻意するような方ではないか。承知しました」


 近衛艦隊の実力は柳井もよく把握している。自分達に倍する敵が突然襲撃したとしても、特に問題なく皇帝を帝都にお連れ申し上げることは可能だ、と。


 皇帝にもそれは分かっており、柳井が最終的にこれを受け入れることが分かっていたからこその、このタイミングでの行幸の発表だった。


「留守中、各所から報告や決裁の申し出があるだろうけど、基本的に追認でいいわ。判断に余るなら保留して私の帰着後に決裁する」

「承知いたしました。決裁書類の山に私が埋まっていますので、掘り出していただければ幸いです」

「化石になるまで放っておくわよ」


 柳井らしいジョークに、皇帝はリラックスした様子で笑みを浮かべつつ、コーヒーを口にした。



 七月一日〇九時三〇分

 ヴィルヘルミーナ軍港


「それでは陛下。ご無事の帰還をお祈りしております」


 すでにヴィルヘルミーナ軍港には近衛艦隊の全艦が揃い、皇帝の出立に備えていた。柳井は皇帝の座乗艦である近衛総旗艦、インペラトリーツァ・エカテリーナの舷門前で皇帝を見送っていた。


「義久、私が帰ってこなかったらあなたが皇帝だからね。覚悟しておきなさい」


 皇帝のジョークに驚くようでは近衛士官は務まらないという、嘘か真か分からない言葉が古くから出回っているが、当代皇帝メアリーⅠ世の場合は特にその言葉が当てはまるものだった。言われた側の柳井も大して驚きはない。


「滅相もない。その際はきちんと皇統選挙を行ない、空の棺を前に涙を流し、私は葬儀委員長をして引退です」

「まったく……」


 柳井は恭しく礼をすると、あきれ顔のメアリーⅠ世は舷門を潜った。


「アリー」


 皇帝に続いて舷門に向かうアレクサンドラ・ベイカー侍従武官長兼近衛軍参謀長を、柳井は呼び止めた。


「陛下を頼むぞ」

「ご安心を宰相閣下。この身に変えても」

「やめろ、縁起の悪い。全艦無事の帰投を望む」

「当然よ。じゃ、留守番よろしく」


 近衛艦隊の先頭を行く深紅の重戦艦を見送ってから、柳井はライヒェンバッハ宮殿へと戻った。



 一〇時二一分

 楡の間


「こ、これが今日の分か? 陛下はいつもこれだけ決裁を?」

「いえ、丁度月初ですから特に多いようですが」


 ハーゼンバインが特に驚きもなく言うあたり、先帝バルタザールⅢ世のころからこういうものなのだろうと柳井は納得した。


「……陛下はこれを見越して日程を組んでいたのではあるまいな?」


 合成紙の類いで届けられた決裁書類だけでなく、電子書面の形で皇帝宛に届くものも膨大な量となる。大半の官公庁のものは各省庁から内閣府を通して、自治共和国関連は星系自治省、帝国軍は国防省を通じて送られてきて、さらに宮内省侍従局で分析、分類されているにもかかわらず、会社員時代の柳井が半年掛けて処理するような量だった。


「一つ一つ見ていては終わらんな。公的なものと私的なもの、追認でいいものとこちらで考える必要があるものに分けてくれているのか。これならなんとかなる。すまないが念のためだ、追認のものは一度宰相府のスタッフで軽く確認を。マルティフローラ大公国、ヴィオーラ伯国のものは最後に私が確認し、領主代理に回す。残りの領邦は基本的に追認で良いはずだ」


 手元の端末で簡単に指示を通達すると、すぐさま宰相府の各自が動き出す。さすがにジェラフスカヤやシェルメルホルン皇統伯爵が集めた第一陣のスタッフは優秀で、自分の仕事をよく理解していた。宰相府は皇帝の政策推進を行なう組織であると同時に、宰相自身の補佐を行なう組織なのだ。


「陛下の決裁がいるものはそこまで多くないはずだが……まあそれは後回しだな。では、頼む。もし人出が居るなら宮内省に支援要請を出すから言ってくれ」


 宰相府のスタッフは膨大な案件の確認を始めたが、内務省の中央コンピュータであるユピテルを宮内省が共同使用しており、これの助けを借りて短時間で終わった。過去の類似案件と照合すればその申請が適正かどうか判別が付く。九割九分九厘はそういった経緯で追認、もしくは差し戻しが行なわれた。


「問題は個別の特異案件か」


 特異案件とは柳井が付けた識別名だが、その名は伊達ではない。国政に関わる重要事項、軍機に値するもの、そして皇統同士の婚約や時候の挨拶、ごく個人的なものなど多々ある。


 特にプライベートに関わるもの――数はさほど多くない――以外の、儀礼的なものについては皇帝から柳井に確認する権限が委譲されており、柳井はペーパーナイフで丁寧に封筒を開き、内容を読み取っていく。


「手紙を手書きとは古風なものだ。これはさすがに代筆とは行くまい……テンプレートで済むものは侍従局で作成して返信してもらうか……葬儀か。どの位までは陛下が参列するのかしないのか、勅使を出させればいいのか……昼食会に会合にと、まあ多いモノだ……明後日の日付になっている……当分帰ってこないが、私が出ればいいのか? 面倒だからと放置していたのではないか……?」


 皇帝に対する苦情や文句を呟きながら、柳井は各種のフォーマットの案件を処理していく。そもそもが東部軍管区兵站本部で未来の本部長とまで呼ばれ、アスファレス・セキュリティ時代も参謀肌で知られる柳井の事務処理能力は宮中の人となっても変わらず、効率的に仕事を捌いていた。


「宰相閣下、ムワイ首相が面会をお求めですが」

「何? 陛下は留守だぞ」


 昼食を挟み時計の針が午後二時を指した頃、バヤールが柳井の元を訪れ、来訪者の名を告げた。


「いえ、宰相閣下に直接お会いしたいとのことで」

「私を名指しか……わかった、適当な部屋にお通ししてくれ」

「では、木蓮もくれんの間に」

「頼む」


 何を考えているのやらと柳井は考えつつ、仕事のキリを付けてジャケットを羽織り、木蓮の間へと向かおうとした。


「バヤール」

「はっ」

「……木蓮の間は何階のどこだ?」


 柳井はまだ、宮殿の全ての部屋の場所と名前が一致するほどではなかった。

 珍しく柳井の困り果てた顔を見て、バヤールが嬉しそうに案内するのを柳井は追うこととなった。

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