第43話-② 帝国宰相府

 一三時二一分

 ライヒェンバッハ宮殿

 黄檗おうばくの間


 柳井ら帝国宰相府幹部は、黄檗の間で細々とした話を昼食を取りつつ続けていた。特に内務省での引き継ぎ業務をしていた宰相府事務総長のシェルメルホルン皇統伯爵が合流してからは、皇帝の掲げた諸政策の議論が続けられている。


「省庁統廃合は、かなり長期的な仕事になるでしょうね。ざっと三〇年、どう見積もっても二〇年は掛かるでしょう」

「気の長い話ですね」


 柳井は若干げんなりとした様子でサンドイッチを口にした。あと二〇年といえば、柳井は六五歳。一般臣民なら老後の生活の入口だ。


「帝国の官公庁は、半径一万光年、人口一兆人の帝国を支えるために巨大です。まあ、大型船ほど舵の効きが悪いとでも言えば、分かりやすいかと」

「なるほど」


 ジェラフスカヤの例え話は、自らも長年軍艦や民間軍事企業艦に乗り組んでいた柳井にも分かりやすかった。巨大な組織の動きが鈍重になるのは、関わる人間の多さもさることながら、特に中央官庁にありがちな縦割り行政の弊害でもある。


「しかも、手を付けるのが星系自治省や内務省ですからね。抵抗は大きいでしょう」

「事務総長の仰るとおりかと」


 シェルメルホルン伯爵の言葉に、宇佐美も頷いた。星系自治省は元々内務省の地方自治局が拡大発展して作られた省庁だ。自治共和国の数が増えるに従い、局規模では人員や予算面で苦労が目立ったため、一気に省へと格上げされた経緯がある。


 組織の体質は内務省と似たり寄ったりであるため、省益確保にも余念が無いし、他所からの干渉を嫌うのは官公庁でよくあることとはいえ、独自の武装艦隊を整えた点も国防省への対抗意識もあるだろう。


 柳井がシェルメルホルン皇統伯爵や宇佐美を宰相府に招いたのは、特に頑強に抵抗すると考えられる内務省の内部事情を知るスタッフが欲しかったからでもある。


「宰相府は宮内省と異なり、皇帝陛下の政策遂行一本で行けるし、時の内閣からは独立した立場を取る。これにより陛下のスピードに追従するだけの仕事をしてみせねばならない」


 柳井の言葉に幹部と宰相付侍従合わせて七人は頷いた。


「それと、これはあくまで陛下も明確には口にしていないことなので文書にもしていないが、各自心の内に秘めておいて欲しいのだが――」


 柳井が急に、周囲を憚るような小声になった。


「陛下は辺境惑星連合との和平協議を実現させたいと考えている。辺境再編計画はその一環でもある」


 シェルメルホルン伯爵以外は驚いた様子を隠さなかった。


「まあ、陛下や宰相閣下があれだけ辺境侵攻を、前大公らに必死で思い止まるように説得していたということは、そういうことなのだろうと考えては居ましたが……ジェラフスカヤ、どう思う?」


 伯爵に問われたジェラフスカヤも困惑した様子だった。


「辺境惑星連合とて一枚岩ではありませんが……専門家が必要です」

「それなら私に心当たりがある。まあ他の業務を皆に分担してもらっている間に、私はそちらと、儀礼的な部分を済ませておくとしよう。とりあえずは、我々の仕事が膨大で遠大ということが理解してもらえただろうか?」


 一同が頷いたのを見て、柳井も頬を緩めた。



 一五時〇〇分

 帝国民主党本部ビル

 幹事長室

 

「――と言うわけでして、是非議会での帝国宰相府設置法案の速やかな可決をお願いしたい次第で」


 柳井は議会工作を本格的に開始していた。政府からすると帝国政府と皇帝の間に割り込まれ、国政を壟断ろうだんされるのではないかという危惧があり、特に先の動乱で政権を追われた自由共和連盟などは強行に反対していた。


 最終的な議決で過半数を得れば良いとは言え、まずは最大与党である帝国民主党に話を付けるのは自然な流れであり、柳井はマルケス・デ・ヤン・ロドリゲス幹事長との会談に臨んでいた。


「分かっております。ただ、閣下には一つ確認しておきたいのですが」

「何でしょう?」

「我々議会と、政府の間に宰相府が立ち塞がり、陛下の御叡慮が我々に届かなくなる、などということはありませんね?」


 幹事長が懸念したのは、自由共和連盟が懸念している内容と同じものだった。


「無論です。我々はあくまで陛下のご政務を輔弼するもの。決して国政を我が物にしようなどとは思っていません」

「でしょうな。そもそも陛下があのメアリー陛下です。もう一つ。宰相府の役目は宮内省にも一部被ると考えていますが、いかがか」

「現在宮内省は皇帝とその一族、領邦領主、そのほかの皇統貴族の代理人として帝国政府内に席を持つ閣僚の一人。閣内不一致になるような意見が出しにくく、結果として皇帝陛下のご発言が届かなくなる……先帝バルタザールⅢ世もそのことで、随分と悔やんでお出ででした」


 柳井は若干卑怯な手を使っていることを自覚しつつ、先帝の名前を口にした。一般的な帝国臣民がこれで心が揺るがないわけがなく、それはロドリゲス幹事長にしても同様だった。


「なるほど……宰相府は閣外から陛下の意見を直接政府や国民に届けやすい、と」

「そうですね。それに皇統貴族の管理や典礼などは従来通り宮内省にあるので、将来的には政務関連をこちらで巻き取り、省庁統廃合の先例にすることも考えております」

「省庁統廃合。なるほど、それは一大事だ……ともかく、宰相閣下のご意見承りました。ムワイ首相にもお伝えいたします」

「よろしくお願いします」



 一五時三〇分

 自由共和連盟本部ビル

 応接室


「――という次第でして。ぜひ自由共和連盟のご協力も得たいと考えているのですが」


 柳井は帝国民主党の幹事長室で話したこととほぼそのまま同じ内容を自由共和連盟総裁、ブレンドン・アドラム下院議員に伝えた。なお前総裁のエウゼビオ・ラウリートは先の選挙で落選し、前マルティフローラ大公らの起こした動乱および永田文書により明らかになった犯罪の数々に関わっていたことが明るみに出て現在取調べの真っ最中である。


「……閣下のご意向は承りました。しかし、皇帝の意見がそのまま我々に伝わる形を変えてでも、そのような組織を作られるのか」


 アドラム総裁の反応は芳しくない。自由共和連盟の大敗は永田文書により告発された政治と金の問題による支持率急降下もその一因だから、恨まれるのは当然と柳井は考えると同時に、だったら不法行為になど手を出すなと、口には出さないものの心の内で呟いていた。


「お言葉を返すようですが、アドラム総裁は陛下に直接意見を上奏したり下問されることに耐えられますか?」

「……」


 アドラム総裁は黙り込んで何事か考えているようだ。上奏ならともかく、下問された場合口ごもるようなことがあっては面目丸つぶれどころの話ではない。


 これまで何人もの官僚や蛮勇を誇る議員達ががその手の返り討ちに遭ってしょぼくれて帰ったかを柳井は見ていた。


「無論、皇帝と臣下の間の扉は常に開かれております。私も皆様が直接陛下に拝謁なさるのを制限することはありません。ただ、私達宰相府は皆様と陛下の間を取り持つ翻訳機のようなものだと思ってもらえれば」

「翻訳機、ですか?」

「はい。メアリー陛下とは近衛軍司令長官公爵時代から仕事をお手伝いしておりましたが、何分、陛下は頭の回転が常人の三倍は速いですし、他人への説明のために口を動かす量が三分の一ほどであらせられる。直接陛下の指示を聞いたものが狼狽するのも無理からぬこと。既に、近衛軍司令長官時代からそういうことが多々あったと、お聞きしておりますが」

「ええ、まあ……宰相府が、足りない言葉を補ってくれる、と?」

「その通りです」

「なるほど……」


 柳井の説明に、アドラム総裁は納得したように頷いた。


「陛下の行なう事業は陛下だけではなし得ないものばかり。ぜひとも、中央政府の皆様方、特に、最大野党である自由共和連盟の総裁であるアドラム先生のお力を陛下も期待してお出でです。もちろん、私も閣下のお力添えあってこそ、仕事ができるというもの。何卒よろしくお願いいたします」


 柳井は率直に頭を下げた。文民としては最高位に当たる宰相に頭を下げられて悪い気がする政治業者はいない。柳井は使えるものなら鍋蓋だろうが自分の頭だろうがなんでも使う人間だった。


「わ、わかりました。ともかく両院にて早急に宰相府設置法案が通るよう、各党との協議を進めます」

「よろしくお願いします」



 一五時四五分

 ラインツァー・ティア・ガルテン

 ウィーン御料牧場


 帝都ウィーン近郊に散在する牧場や農場を管理する宮内省農水局管理施設である御料牧場は、元々植民惑星で使われる遺伝子改良を施した農作物や家畜の試験場だったものだ。現在ではその業務を専門の研究所が惑星開拓庁や天然資源省、各大学研究機関に移し、むしろ地球古来の家畜の血統保護に主軸を移していた。


 その牧場に、与野党の第一党への訪問を終えた柳井は呼び出されていた。


「旧世紀から連綿と続く伝統あるサラブレッド。もはや人間の手がなければ絶滅する家畜ね。他にも牛、豚、鶏、蚕、あちこちの農園でも色々やってるわ」

「種の保存ですか」

「そういうこと。人間が産み出した家畜や作物なら、人間が責任持って維持していかなきゃ。勝手な都合で一生物種を絶滅させるような愚行は謹まなければね」

「産み出すのも人の勝手なら、滅ぼすも存続させるのも人の勝手というわけですか。罪深い生き物ですね、人間というのは」


 柳井は生まれてこの方、大型の家畜を間近で見る機会を得られなかったし興味も持っていなかったので、ややおっかなびっくり畜舎の中を進む。家畜の糞や敷き藁、飼い葉や配合飼料のがない交ぜになって鼻を突く経験も、柳井にとっては新鮮だった。


「宮殿でも時折出てるわよ、ここで育てた牛肉や豚肉。牛乳についてはほぼ御料牧場産ね。以前の御前会議のときに出したローストビーフだって、この牧場のものよ」

「天然肉でしたか……」

「まさかあなた、培養肉だと思ってた?」


 帝国における食用肉の生産比率は、おおよそ培養肉が六、天然肉が四となっている。特に辺境部では惑星開拓の進行度により地表での農耕体制が整っておらず、培養肉プラントにその全てを頼ることも多い。近隣から天然肉を輸入することはあるにせよ、柳井が仕事をしていたような東部辺境では、日常的には培養肉が主流だった。


「私の舌がそのような差を理解するとでも?」

「ああはいはい、私が見誤ってたわ」


 皇帝なりに柳井の激務とストレスは察しているようで、皇帝はこうして時折柳井を連れ出して、休息と刺激を与えていた。


「ほらこの子。先々月に産まれたの」


 皇帝がいくつか並んだ母馬と仔馬が一緒に入っている馬房の前で立ち止まった。


「馬ですか? もう立っているのですね」

「そりゃあ、動物は早いわよ。人間の赤ん坊とは違うところね。私の愛馬にしようと思って」

「ほう……陛下は乗馬も嗜まれるので?」

「まあね。近衛軍司令長官になってからだけど、いいものよ。ってことではい、着替えてらっしゃい」


 後ろを付いてきていた皇帝の侍従が、柳井に真新しい乗馬服を一揃い手渡した。


「わ、私もですか?」

「いいわよ乗馬。体幹も鍛えられるし、たまには外の空気を吸いなさい、あなたも」


 そう言われては仕方ない、と柳井はお仕着せの乗馬服に着替えた。サイズもぴったりで柳井は自分のスーツよりも着心地がいいと考えていた。


「私のスーツなら二〇着は買えそうですな」

「いい加減いいスーツ見繕いなさいよ……今度サラあたりに聞いてみなさい。いいテーラー紹介してくれるでしょうよ」


 言っている間に、柳井の前に一頭の黒鹿毛の馬が連れてこられた。背中は柳井の目線ほどの位置にある。これほど大型の動物を目の前にするのは、柳井にとって初めてのことだった。


「宰相閣下、どうぞ」


 皇帝の侍従が踏み台を用意したので、柳井は意外とスムーズな身のこなしで鞍に跨がった。


「あなたは厩務員が引き馬してくれるから、乗ってるだけでいいのよ」


 皇帝はそう言いながら、マントを外して侍従に預け、自分の馬に飛び乗った。手綱捌きも手慣れていて、かなりの乗馬経験者のように柳井にも映った。


「閣下、とりあえず手綱を軽く持ってください。このように」


 厩務員が柳井の手に手綱を掛けた。今後もまだ乗馬に付き合わされそうなので、その持ち方を柳井は目に焼き付けようとしていた。


「背筋を伸ばして、遠くを見るように。この馬は乗馬になれておりますので、ご安心を」


 厩務員の言うとおり、柳井は背筋を伸ばしてみた。普段使わない筋肉が動いているのを感じて、珍しく柳井は驚いた表情を隠さなかった。


「では行きましょうか」


 馬の蹄が厩舎の床を蹴る小気味よい音が響き、馬の背に揺られる感覚に柳井は新鮮な感動を覚えていた。


 ラインツァー・ティア・ガルテンの山林を切り開いて作られた御料牧場の敷地から出て、林道に入る。柳井の乗る馬は厩務員に引かれて大人しく歩いていた。


「そういえば、宰相府のほうはどうかしら?」

「設置法案の目処は来月にはつくでしょう。与野党への説得も続けます。あと、シェルメルホルン伯爵を引き抜いて正解でした」

「そう。彼女には助けられたわね……あなたがこうして少しは息抜きできるのも彼女達のおかげね」


 宮殿では正式な宰相府開府前だというのに、シェルメルホルン皇統伯爵を中心に組織作りが進められていた。正直柳井がやるよりも伯爵や宇佐美のほうが適任であり、柳井がこうして皇帝と乗馬して君臣語り合う方がよほど国益に資するというものだった。


「気が引けるのですが……」

「まだまだ義久にはやってもらうことがあるのよ。全部をあなたが抱えてたら、仕事を押し付けられないじゃない」

「ごもっともで」


 馬の背に揺られながら、皇帝と柳井はそのまま一時間ほど政務の議論や雑談を続けていた。

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